2月18日。火曜日。曇り。時々にわか雨。
今日も、時が穏やかに流れる。感謝。
『今年最後の水仙』
暇な一時の走り描き。スケッチ。
”おばあちゃんは暇なときは何をしているの?”
メールで孫娘から問い合わせがあった。
一時の暇もなく頑張った受験勉強を終えたばかりの孫娘。
早速に、『試練』 に出会っている。
勉強でない、『自分の時間』 の過ごし方を自分で考える。
もうママは教えてくれない。
自分で決める『時間の配分』が、自分を育てる。
遊ぶ? ゲーム? テレビ?
これらの三つは孫の家にはない。孫の頭にも浮かばない。
読書。 スケッチ。
孫の二つの趣味が、当座の孫の『選択』です。
いろいろの嗜好が似ている孫娘と私。
『暇な時間』の過ごし方もそっくりのようです。
そして。
今日は2月18日。年間第六火曜日。
『今日の集会祈願』
『いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子として下さいました。
わたしたちが罪の闇に迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。』
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、
舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
イエスはそれに気づいて言われた。
「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。
まだ、分からないのか。悟らないのか。
心がかたくなになっているのか。
目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。
覚えていないのか。
①わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、
集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」
弟子たちは、 「十二です」と言った。
「②七つのパンを四千人に裂いたときには、
集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」
「七つです」と言うと、
イエスは、「まだ悟らないのか」 と言われた。』
マルコ福音書 8章14-21節
先ずは。
皆様も、 イエスの二つの『時』
を覚えていますか?
弟子たちに、”覚えていないのか!” ”悟らないのか!”
と、イエスは強く叱責されました。
①イエスが、『五千人に五つのパンを裂いて与えた時』
『残ったパンは籠12個分であった時』 ヨハネ福音書 6章1-15節
②イエスが、『七つのパンを四千人に裂いて与えた時』
『残ったパンは籠7個分であった時』 マルコ福音書 8章1-10節
では。
もう一度『福音・イエスの奇跡』を見て、復習です。
①『五千人の給食の奇跡』:『残ったパンは籠12個分であった奇跡』
『イエスが見せた沢山の奇跡の中で第四番目の奇跡』 です。
『その時、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。
大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。
それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。
イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、
ピリポに言われた。
「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。
イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
ピリポはイエスに答えた。
「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。
しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」
イエスは言われた。
「人々をすわらせなさい。」
その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。
その数はおよそ五千人であった。
そこで、
イエスはパンを取り、感謝をささげてから、
すわっている人々に分けてやられた。
また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
そして、 彼らが十分食べたとき、
弟子たちに言われた。
「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
彼らは集めてみた。
すると、人々が食べたうえ、なお余ったもので
十二のかごがいっぱいになった。
人々は、イエスのなさったしるしを見て、
「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。』
ヨハネ福音書 6章1-14節
この時。
イエスは、
弟子たちを、『ご自分を誰であるのか分かっているのか? 否か?』 テストしましたのです。
弟子たちは、これまでのイエスの奇跡を見て、どの程度学んだのか? と。
弟子たちは、
『イエスは神の独り子、メシアである』 ことを悟っていなかったのです。
自分の判断を、イエスの中に見つけるのではなく、自分の中に見つけるのです。
ピリポの反応・判断は、
”大勢の人(5千人の男と女と子供で1万5千人?)には200デナリ(200日分の生活費)のパンでも足りません!!”
アンドレの反応・判断は、
”少年の持っている『5匹の魚と2つのパン』を分けても、足りっこありません!!”
弟子たちは、
イエスの今までの奇跡を見ても、
イエスを『この方こそ、世に来られるはずの預言者・メシア』
とは悟っていなかったのです。
大勢の群衆は、イエスの『五千人の給食の奇跡』を見ると、すぐに、
『この方こそ、世に来られるはずの預言者・メシア』 だと悟ったのです。
イエスは、弟子たちへのテストを終えて、弟子たちに言いました。命じました。
「人々をすわらせなさい。」
そして 「2匹の魚と5つのパンを持ってきなさい。」 と。
皆様!思い出してください!
『7つのイエスの奇跡の第1番目の奇跡*カナンの葡萄酒』
ヨハネ福音書 2章1-11節
『イエスの指示』 に戸惑いながらも、
食べ物に困った野原の弟子たちも 葡萄酒がなくなった結婚宴会の世話役も
『イエスの指示』 に従いました。
イエスは、周りの人々のイエスへの反応や信仰を見て、『一言』をおっしゃるのです。
その『時』に奇跡が起こるのです。
イエスは、ご自分の『一言』で、
1万人以上の人のお腹を満腹にさせる『パン』を作り出し、
6つのかめの中の水を『葡萄酒』に変えて、
『緊急事態』を『救う』のです。
『神の言葉』 に 『神の力・権力』 が宿っているのです。
『五つのパンと二匹の魚』:『自分の持つ小さなもの』を
人が惜しげなく神に差し出すとき・・・
神は『大きなもの』に変えて、全世界を『救う』のです。
イエスは、ご自分の回りの群衆を満腹にした後で・・・
弟子たちに尋ねました。
「残ったパンはいくつの籠分あるか?」
弟子たちは、「12籠分です」と答えます。
五千人の男たちを満足させて後の 『12籠のパンくず』 も
四千人の男たちを満足させた後の 『7籠のパンくず』 も
次に 『異邦人に配るパンくず・信仰』 なのです。
ここで。
弟子たちの 『仕事・宣教』 が始まるのです。
イエスこそメシアであると悟って・・・
『パンくず:イエスの御言葉』 を異邦人にも伝えていくのです。
今も。 私たち・キリスト者の 『仕事・宣教』 があるのです。
イエスこそメシアであると悟って・・・
『パンくず:イエスの御言葉』 を世界中に伝えていくのです。
更に。
世の終わりまで。
キリストは、『パン・ご自分の体』を裂いて
「私はいつもあなたと共にいる」
と、『御聖体』をくださるのです。
『パン』は、イエスご自身なのです。
イエスの弟子たちの信仰は、まだ弱いものなのです。
イエスが『配られたパン』がイエスご自身であるとは、まだ分かりません。
信仰が強くなるには、時間がかかるのです。
私たちも、信仰は弱いのです。
神が毎日の出来事を通して、又 イエスの言葉を通して、
私たちになさることをよく見て、
信仰が強められるように、祈りましょう!
私たちも、
『イエス、この方こそ、世に来られるはずの預言者・メシア』
と、悟りたいものですね。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は暇なお時間は何をなさいますか?無心で楽しむ時間ですよね。 お元気で!
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