マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

親の家・・・『故郷』 そして 『受難週』・・・『この人のするままにさせておきなさい。私の葬リの日のためにそれを取っておいたのだから』

2022-04-11 18:01:36 | 日々のこと。 世界のこと。
4月11日。月曜日。晴れのち曇り。

娘家族の家から
我が家に帰ってきて、
片付けも一段落しました。

懐かしい我が家の風景です。


    裏庭・・・   『八重桜とかすみ草』 

    しだれ梅が終わり、ボケと桃が盛りを終えようとしています。
        今は、八重桜とかすみ草が満開です。


       働き盛り真っ最中、学童期真っ最中、の娘家族。
          情熱的で輝く世代です。
          そんな世代から見れば、
          時間が止まったような、
       穏やかな時間、静観の生活、の私たち親家族。


      17日間留守にして、私の神戸の家に帰ってくると、
      私はその美しさと穏やかさに改めて驚かせられました。
       
一方、       
          
  玄関先では・・・    『もみじの若葉』

     東京で過ごす17日間の間にすっかり緑色の新葉が育っていました。
         その美しさにも驚嘆します。


    娘夫婦は、この度、技術の粋を駆使して、超近代的家を建てました。
      それらの多くは、私も真似したいものだと、
            驚嘆に値します。


     そして、
     17日間留守にして、私の神戸の家に帰ってくると、
       私はその古さとそしてその穏やかさに
           ほっとしたのです。

     17日間の時間は流れて・・・
       いつの間にか『受難週』となっていました。
        復活祭のイースター・エッグの飛び出す
      『イースター・カード』も友人から届けられていました。
       年老いた者には、精神の問題、信仰が似合うのです。


      そうです。
      私は、近代的家を求めるのではなく・・・
      私の両親の家がそうであったように、
      子どもたちの『心の拠り所』となるような
       子供たちの『故郷』となるような
      そんな家づくりを目指すべきなのです。

     都会生活ではできないような楽しい生活ができる家。
     新時代の洗礼を受けていない『辺鄙さ』の残る家。


      シンプルにシンプルに、素朴に素朴に、清潔に清潔に、
      そんな家に住むことにいたしましょう。
      そんな生き方をすることにいたしましょう。
          感謝!感謝!


そして。

今日は4月11日。受難の月曜日。

『今日の入祭唱』

  『主よ、わたしと争う者と争い、わたしと戦う者と戦ってください。
     大楯と盾を取り、立ち上がってわたしを助けてください。
        主よ、わたしの神よ、救いの力よ、
   わたしが武器を執る日、先頭に立ってわたしを守ってください。』
        詩編 35章1-2節&140章8節


『今日の詠唱』

   『わたしたちの王である主よ、
   わたしたちの過ちをあわれんでくださったのはあなただけです。』
         


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。
  そこには、
   イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
   イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。
   ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
  そのとき、
   マリア純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラマルタ持って来て、
        イエスの足に塗り、  
    
      自分の髪でその足をぬぐった。
    家は香油の香りでいっぱいになった。

 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
   「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、
    貧しい人々に施さなかったのか。」
 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。
   彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、
     その中身をごまかしていたからである。

  イエスは言われた。
   「この人のするままにさせておきなさい。
  わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
    貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、
     わたしはいつも一緒にいるわけではない。」

     イエスがそこにおられるのを知って、
      ユダヤ人の大群衆がやって来た。
     それはイエスだけが目当てではなく、
  イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。

     祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
    多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、
    イエスを信じるようになったからである。』
        ヨハネによる福音書 12章1-11節


   今日は、ベタニアで、マリアはイエス様の足に香油を塗ります。


 イエス様は、エルサレムを訪れた時は、
 マルタとマリア姉妹そして弟のラザロの家にお泊まりになることが多かったのです。

 マリアは、
 イエスが学者たちから反対されることを知って、
 もうすぐイエス様が『死』に渡されることを感じたのでしょう。
 そこで、イエス様の足に『ナルドの香油』を塗りました。

 すると、

 ユダは、
 それを見て、「それは無駄、お金のむだ遣い」ではないかと、つぶやきました。

 しかし、

 イエス様は、
 『そのままにさせておきなさい。マリアは私の葬リの日のためにそれを取っておいたのです』
         とおっしゃいました。


     マリアは、油を売ることができたでしょうが・・・
       イエスを信じ、
     『イエスの葬リの日』のために取っておいた『油』を
                 イエス様の足に塗り、
     イエスが一緒に食卓についておられるつかの間の『喜び』を
        最大限に表したのです。
  

      マリアの信仰者の姿ユダの不信仰者の姿、
         両者の違いが表されました。

  イエスの墓を訪れた婦人たちは、
  イエス様はすでに復活しておられ、
  イエスに『油』を塗ることができなかったのです。
  ユダは、
  本当に貧しい人を助けたいなら、それはいつでもできることです。
  マリアは、
  貧しい人を助けるより、
  死を迎える人に香油を塗ることが大切と考えたのです。

  私たちも、
  貧しい人たちを助けることは、私たちの義務です。
  と同時に、
  キリストを信じる者は、
  毎日、イエス様を日々の生活の中にお迎えしたいものです。
        祈りましょう。


皆様、
御訪問に感謝申し上げます。
自分の家を、自分の年代にふさわしい家に更新しながら、居心地良く過ごしたいものですね。
皆様の穏やかな今週の日々をお祈り申し上げます。 お元気で!    

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