マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

三年半の猛烈訓練・・・『聖書100週間・聖書通読会』 そして 『少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。』

2021-05-28 11:33:34 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月28日。金曜日。晴れ。

毎週・金曜日は、

    午後2時~4時      『オンライン・聖書100週間・聖書通読会』
   

         毎金曜日に開かれて、3年半かかる『聖書100週間』は、
    聖霊に導かれての、『恵みの時』であり、同時に、『訓練の時』でもあります。

     この集まりに参加する仲間は、聖書に親しみ、聖書に関する知識を豊かにし、
一人一人が『神の言葉』を霊的糧として読み取り、 確信を持って『信仰の喜び』のうちに生きるようになります。
   それは、同時に、
   聖書をただひたすらに3年半の間読み続けるという、『猛烈な訓練』を要求されるのです。


 3年半の長き時間の途中に・・・聖書の理解がむずかしく、3年半の長さに、くじけそうになることもありますが、
         読み続けるうちにのみ、身についていく喜びがあり、
         キリストに結ばれ、聖霊によって内側から新しくされて、
           『信仰の喜び』を獲得する『訓練期間』です。


      参加者が互いに支え合って、苦労と努力と喜びを分かち合いながら、
      3年半続く『恵みの時』、そして 自己形成のための『訓練期間』が、
             『聖書100週間』です。 

 
       今日の『通読範囲』 は 『ヨナ書』と『トビト記』です。
  神は、成長しない預言者ヨナを、魚の腹の中に『三日間』閉じ込めて、『強烈な訓練期間』を与えます。
      『救いは、主にこそある』2-10 と、魚の腹の中で三日三晩の後に悟ったヨナを、
           主が命じ、魚にヨナを陸地にはき出させます。
ヨナは、『訓練』の恵みの後、イエスに並ぶほどの『しるし』に成長し、ニネベの都の人々を改心に招くのです。


        人は、成長し、一人前になり、社会でお役に立てる人となるまでには、
        厳しい人間形成の『教育期間』が必要だということでしょうか?
            

        『ヨナ書』と『トビト記』を仲間はどう読み解くのでしょう!? 
        今日も、楽しい『オンライン・聖書100週間』です。 感謝!感謝!


そして。
今日は5月28日。年間第八金曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。 全地よ、主に向かって歌え。
   国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』

          詩編 96章1&3節

『今日の福音 イエスの御言葉』 

      『群衆の歓呼の声とともに  イエスはエルサレムに着いて、
       神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、
    もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

    翌日、 一行がベタニアを出るとき、 イエスは空腹を覚えられた。
   そこで、   葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、
          実がなってはいないかと近寄られたが、
 
           『実の成らないいちじくの木』     Jan Luyken作品

            葉のほかは何もなかった。
         いちじくの季節ではなかったからである。

  イエスはその木に向かって、
    「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」
 と言われた。
           弟子たちはこれを聞いていた。

翌朝早く、 一行は通りがかりに、 あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
 そこで、  
         ペトロは思い出してイエスに言った。
    「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」

 そこで、
            イエスは言われた。
      「神を信じなさい。  はっきり言っておく。
   だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、
 少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
             だから、言っておく。
        祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。
           そうすれば、そのとおりになる


            また、立って祈るとき、
     だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
   そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」』

         マルコによる福音書 11章11-25節 参照

その日、
イエス様は、最後の最後まで弟子たちや人々を愛し抜き、
自分の『受難』を果たし抜こうという決意をもって、エルサレムに向かっておられました。


    そんな時、 
イエス様は空腹を覚えられ、遠くを見ると、青々と葉の生い茂った『イチジクの木』 に気づいたのです。
         近寄ってみると、葉の他には何もなく、 『実』はなかったのです。
           まだイチジクの実る季節ではなかったからです。

   
     当時、『イスラエルの民』 は 『イチジクの木』 と言われていました。
         神はイスラエルの民を選び、導き、手入れをなさいました。
     『イスラエルの民』は、神の愛に応え、『信仰の実』を結ぶはずでした。
         ところが、
        外見ばかりで、心の改心はなく、中身のない『信仰』でした。
   イスラエルの指導者たちは、律法を重んじるばかりで、イエスを認めなかったのです。


    イエス様は、青々と葉を茂らせるイチジクが、『実』をつけないのを御覧になって、
      神の愛に守られているイスラエルの民が、『改心』できない姿と重なり、

       御自分のこの世での宣教期間も終わりに近づいていることでもあり、
        ご自分の働きの『実』をお探しになる思いが重ねって、

      『今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように』
            と、言われたのでしょう。
    イスラエルの民の現実が、『受難』:『この世の分かれ』を前にするイエス様に
          大きな悲しみをもたらしたのでありましょう。

   イエス様のお気持ちは、預言者エレミヤの『言葉』を思い起こされていたことでしょう。

         『わたしは彼らを集めようとしたがと、主は言われる。
        ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。
        葉はしおれ、わたしが与えたものは彼らから失われていた。』

             エレミヤ書 8章13節

 それでも・・・
 イエス様は希望を失うことはありません。


           『神を信じなさい。 信じれば、山は動く。』
 
     イエス様が呪われたいちじくの木は、よく朝、根元からすっかり枯れていました。
  イエス様の心の『悲しみ』が、そのまま現実のいちじくの木に反映されてしまったのでしょうか。
         それでも、イスラエルの民の改心の時が来るはずです!
     『改心』の時が、必ず、イスラエルの民に訪れると、信じるイエス様です。
  成長しないイスラエルを、見捨てるどころか、“山は動く!” と信じるイエス様です。

         『心に思えば、そうすれば、そのとおりになる。』

 そして・・・
 イエス様は最後に言われるのです。


         『だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。
       そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。』


      皆様は、お人の至らなさを思う前に、自分の至らなさ・過ちに気づきなさい! 
        私は、私を認めないイスラエルをも、許します! 愛しています!
             と、言われるイエス様です。

私たちも、
神様が私たちの方へ向かって来て、
私たちの『実』を探しに来られるのです。
”お人を許していますか?” とお尋ねになります。
私たちは力不足で、”まだまだです” と恥じ入るしかありません。
聖霊に力を祈り求めましょう。
   
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、
     その実が残るようにと私があなたがたを任命したのである。』

       ヨハネによる福音書 15章16節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日、『花金』です。 一週間、お疲れ様でした。
明日、明後日と、STAY HOMEを守りながら、素敵な週末をお過ごしください。
   日本中一致団結! コロナ終息に向けて頑張りましょう!

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