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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

孫娘とラブラブ・バイク・ドライブ・・・『府中刑務所』 そして 『安息日は、人のために定められた。 人が安息日のためにあるのではない。』

2022-01-18 16:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
1月18日。火曜日。快晴。

世の中、
感染力の強い新変異株「オミクロン株」が、
急速に広がっています。

そんな中・・・
孫娘の学校は、
今日から短縮授業となリました。
通学電車の混雑回帰のために・・・
1時間遅れての授業開始。又 クラブ活動の中止。
となったようです。


そこで・・・
帰宅後の孫娘にお願いして、
孫娘と二人で、サイクリングに出かけました。


       『府中刑務所』
  
   長年、私が訪れることを希望していた「府中刑務所」です。

   そこは、
   背の高さ・160cmの孫娘の2倍以上の、『塀の高さ』でした。


『刑務所』には特別の思いがあるある私です。 
今は亡き私の信仰生活の指導者であったフランス人の神父様は、
月一回の頻度で、加古川の「刑務所」を訪ねて、
受刑者さんたちとお話をしていました。
勿論、その内容を私は知るよしもありませんでした。

ただ、
何十年も『塀』の中で過ごす受刑者さんたちの日々が、
なぜか?
司祭となった若き20代の青年が、戦後間もない日本に宣教に訪れ、
その後70年以上、日本の地で過ごす神父様の日々と、重なる私でした。
受刑者を大切に思う神父様も、そのようにお考えになることがあったでしょうか?
    神父様は、イエスキリストによって罪に対して死んで、
    正に、すべてをイエスキリストにおささげになって、
    イエスキリストの奴隷となっていらっしゃいました。
私たちキリスト者も、受刑者さんたちと同じ日々です。
罪を犯した身として、『この世』に閉じ込められているのです。


     天気の良い空の下・・・
     孫娘と私、二台のバイクが前後に走ります。
     後ろを走る私は、大切な神父様との日々を思い出しながら、
       涙を止めることができませんでした。


指導神父様との思い出は、
続きます。

そこで、
更に先まで足を伸ばして・・・


     『刑務所作業制作品 展示販売会場』
  
    受刑者の皆様が、得意な分野を生かして? 作った
      素敵な『作品』が、数多く並びます。


      ”アレも素敵ね。 コレも素敵ね。”
       と、孫娘と私が選んだのは、
   和紙便せんと封筒。 そして 布製文庫本用ブックカバー。
  

    品を選びながら・・・
    品を購入して・・・  またもや涙が出ました。

    私の指導司祭様の『口癖』は、
      『悲しい過去、ご苦労の過去、を背負った人が多くいます。
         一人一人の過去は計り知れません。
       そんな私たちは、
       この世のどの人をも決して裁くことはできません。』
                   でした。
  

  今日の孫娘と私。
  ※『バイク・ドライブ』は、 
    帰路には孫の望む本屋さんにも寄って・・・
    ”本当に楽しかったね!” と、ラブラブドライブでした♡♡
  ※受刑者さんたちの作品の『買い物』は少しだけでしたが、
    指導司祭様の『心』の『追体験』も、少しですが、できたように思えました♡♡  
   ※受刑者の皆様の健康と心の平安を、塀に向かって、お祈りさせていただきました。
                感謝!感謝!  


      
そして。

1月19日。年間第二火曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは御自分の息を送ってすべてを創造し、
       地の面を新たにされる。』
         詩編 104章30節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、
     弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
                   
       ファリサイ派の人々がイエスに、
  「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」
                    と言った。
        イエスは言われた。
 「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに
     何をしたか、一度も読んだことがないのか。

     アビアタルが大祭司であったとき、
           ダビデは神の家に入り、
     祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、
       一緒にいた者たちにも与えたではないか。」

       そして更に言われた。
    「安息日は、人のために定められた。
     人が安息日のためにあるのではない。
    だから、人の子は安息日の主でもある。」』
         マルコによる福音書 2章23-28節

           
   今日のイエス様は、
   イエス様御自身が『安息日の主である』ことを宣言します。


  旧約時代。
  安息日』は、神とイスラエルとの『契約のしるし』でした。

      『主はモーセに仰せになった。
      安息日は、聖なる集会の日である。
    あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。
    どこに住もうとも、これは主のための安息日である。』
        レビ記 23章1~4節

 時が過ぎ・・・

  新約時代。
  『安息日』の主は、イエス様となりました。
     イエス様は、人間の幸せを大切にし、
     何よりも、困っている人の味方なのです。
   そこで、
  『安息日』は、人間の幸せ:『隣人愛』のための日となったのです。
     
      『安息日は、人のために定められた。
       人が安息日のためにあるのではない。』
                のです。


  私たちも、
  安息日・主日・日曜日だけでなく、いつも、
  イエス様に倣って、
  困っている人や、助けを必要としている人を、大切にしてまいりましょう。
       祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『主イエス・キリストの御父が、わたしたちの心の目を開いてくださるように。
  わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださるように。』
      エフェソの信徒への手紙 1章17節参照  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人を裁くことなく、人の心を推し量れる人になりたいものですね。
オミクロン株が急速に広がっている毎日、お人の健康を思いながら、日々大切に過ごしましょう。 お元気で!