1月24日。年間第三主日。
コロナ感染予防対策として
私のミサ出席日は月一回です。
今日は嬉しい『出席日』でした♡
『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

信徒の奉仕:『聖書朗読』です。 写真はネットより拝借しました。
『兄弟たち、わたしはこう言いたい。
定められた時は迫っています。
今からは、妻のある人はない人のように、 泣く人は泣かない人のように、
喜ぶ人は喜ばない人のように、 物を買う人は持たない人のように、
世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。
この世の有様は過ぎ去るからです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章29-31節
今日、私は、『聖書朗読の奉仕』でした。
『これは、神のことばを告げ知らせる重要な奉仕です。
神のことばが、聴いている人たちの心にしみ込んでいくために、
朗読奉仕者はその大切さを理解する必要があります。』
といわれます。 典礼の手引きより
聴いている方々の心にしみ込んでいただくために、
私は、 『この世の有様は過ぎ去るのです。』 の 『言葉の大切さ』 を理解しなければなりません。
理解すればするほど、それが身についていない自分の愚かさに気づいた次第でした。
司式司祭様のお説教です。一部です。
『この世に生きるためには、諸々のことが必要です。
そして、諸々のことは、各自の自由であリ大切ではあるが、やがては過ぎ去るものです。
私たちがもっと「イエスの福音=神の国」を求めることは、更によいことなのです。
信仰者が求めるものは、過ぎ去ることない 『神の国』 なのです。
『神の国』を求めて、祈ってまいりましょう。』
なるほどね。
過ぎ去るものであるこの世のものに執着心を持たず、神の国を求める。
頭では分かっていても、断捨離すら進まない私には、大きな課題です。
司祭様は、『神の愛は、すべての人に注がれています。
神は愛であり、すべての人を、神の愛に招いておられるのです。』
とも、お話しなさいました。
私は、
自分の愚かさに気づき、
そして
司祭様のお説教に
勇気づけられ、教えられました。
愚かさを克服するためには
祈りが必要だったのです。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『8洗礼者)ヨハネが捕らえられた後、
イエスはガリラヤヘ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」 と言われた。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、

シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。
彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。
また、 少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、

すぐに彼らをお呼びになった。
この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、 イエスの後について行った。』
マルコ福音書 1章14-20節
私はこんな風に考えました。
イエス様の『福音・メッセージ』は、
『時は満ち神の国がきました。 悔い改めて福音・良い知らせを信じなさい。』 でした。
シモンとシモンの兄弟アンデレ そして ヤコブとその兄弟ヨハネは、
イエスの『呼びかけ』を聞くと、
今までの生活も、仕事も、家族も、捨てて・・・
すぐに、イエスに従ったのです。
イエスに呼ばれると、一瞬にして、
諸々のことはやがては過ぎ去るもので、『イエス』を求めることは、 更によいことなのです。
・・・と、気づいたのです。 悟ったのです。
なぜ? 4人の漁師は、一瞬にして、気づいたのでしょう? 悟れたのでしょう?
分かりません。
しかし。 私たちには、唯一、分かっていることがあります。
『イエス様の御言葉』です。
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。』
ヨハネ福音書 15章16節
私たちは自分で、『神の国』 を選ぼうとします。
しかし私たちは祈り求めるだけかもしれません。
神様が、私たち一人一人を呼んでくださって、
『神の国』への希望を与えてくださるのですね。
私たちは、
今も、いつも、
神様が呼びかけておられることを信じ
祈るのです。
すると、
イエスに従っていくことができるということですね。
『今日の祈願』
『いのちの源である神よ、
移り変わるものごとに心を奪われがちなわたしたちに、
あなたは変わることのない救いの喜びを与えてくださいます。
わたしたちの心を新たにし、キリストに従って歩む者としてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末はいかがでしたか?
明日からのお仕事や学校の日々が穏やかでありますようにとお祈り申し上げます。
コロナ感染予防対策として
私のミサ出席日は月一回です。
今日は嬉しい『出席日』でした♡
『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

信徒の奉仕:『聖書朗読』です。 写真はネットより拝借しました。
『兄弟たち、わたしはこう言いたい。
定められた時は迫っています。
今からは、妻のある人はない人のように、 泣く人は泣かない人のように、
喜ぶ人は喜ばない人のように、 物を買う人は持たない人のように、
世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。
この世の有様は過ぎ去るからです。』
コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章29-31節
今日、私は、『聖書朗読の奉仕』でした。
『これは、神のことばを告げ知らせる重要な奉仕です。
神のことばが、聴いている人たちの心にしみ込んでいくために、
朗読奉仕者はその大切さを理解する必要があります。』
といわれます。 典礼の手引きより
聴いている方々の心にしみ込んでいただくために、
私は、 『この世の有様は過ぎ去るのです。』 の 『言葉の大切さ』 を理解しなければなりません。
理解すればするほど、それが身についていない自分の愚かさに気づいた次第でした。
司式司祭様のお説教です。一部です。
『この世に生きるためには、諸々のことが必要です。
そして、諸々のことは、各自の自由であリ大切ではあるが、やがては過ぎ去るものです。
私たちがもっと「イエスの福音=神の国」を求めることは、更によいことなのです。
信仰者が求めるものは、過ぎ去ることない 『神の国』 なのです。
『神の国』を求めて、祈ってまいりましょう。』
なるほどね。
過ぎ去るものであるこの世のものに執着心を持たず、神の国を求める。
頭では分かっていても、断捨離すら進まない私には、大きな課題です。
司祭様は、『神の愛は、すべての人に注がれています。
神は愛であり、すべての人を、神の愛に招いておられるのです。』
とも、お話しなさいました。
私は、
自分の愚かさに気づき、
そして
司祭様のお説教に
勇気づけられ、教えられました。
愚かさを克服するためには
祈りが必要だったのです。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『8洗礼者)ヨハネが捕らえられた後、
イエスはガリラヤヘ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」 と言われた。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、

シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。
彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言われた。
二人はすぐに網を捨てて従った。
また、 少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、

すぐに彼らをお呼びになった。
この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、 イエスの後について行った。』
マルコ福音書 1章14-20節
私はこんな風に考えました。
イエス様の『福音・メッセージ』は、
『時は満ち神の国がきました。 悔い改めて福音・良い知らせを信じなさい。』 でした。
シモンとシモンの兄弟アンデレ そして ヤコブとその兄弟ヨハネは、
イエスの『呼びかけ』を聞くと、
今までの生活も、仕事も、家族も、捨てて・・・
すぐに、イエスに従ったのです。
イエスに呼ばれると、一瞬にして、
諸々のことはやがては過ぎ去るもので、『イエス』を求めることは、 更によいことなのです。
・・・と、気づいたのです。 悟ったのです。
なぜ? 4人の漁師は、一瞬にして、気づいたのでしょう? 悟れたのでしょう?
分かりません。
しかし。 私たちには、唯一、分かっていることがあります。
『イエス様の御言葉』です。
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。』
ヨハネ福音書 15章16節
私たちは自分で、『神の国』 を選ぼうとします。
しかし私たちは祈り求めるだけかもしれません。
神様が、私たち一人一人を呼んでくださって、
『神の国』への希望を与えてくださるのですね。
私たちは、
今も、いつも、
神様が呼びかけておられることを信じ
祈るのです。
すると、
イエスに従っていくことができるということですね。
『今日の祈願』
『いのちの源である神よ、
移り変わるものごとに心を奪われがちなわたしたちに、
あなたは変わることのない救いの喜びを与えてくださいます。
わたしたちの心を新たにし、キリストに従って歩む者としてください。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末はいかがでしたか?
明日からのお仕事や学校の日々が穏やかでありますようにとお祈り申し上げます。