2月26日。年間第七火曜日。
今日は『信仰』の省察です。
まずは。
復習。
『信仰』とは何か?
『信仰』
イエス・キリストが、人間の背信行為による罪を救うために十字架にかけられ、復活することで
神の意志を完全に顕わされた。
この十字架の福音に示される神の真実、神の愛に全き信頼をなすことが宣言され、
それを受け入れることが信仰とされました。
『聖書辞典』より。
次は。
『今日の第一朗読 シラ書』
シラ書作者は、信仰にこそ本当の知恵があり、確固たる信仰に基づく人生を歩むように、と勧めます。
『聖書100週間』より。
『子よ、主に仕えるつもりなら、自らを試練に向けて備えよ。心を引き締めて、耐え忍べ。
災難のときにも、取り乱すな。
主に寄りすがり、決して離れるな。そうすれば、豊かな晩年を送ることになる。身にふりかかる艱難は、すべて甘受せよ。
たとえ屈辱を受けても、我慢せよ。
金は火で精錬され、人は屈辱のかまどで陶冶され、神に受け入れられる。病気のときも貧しいときも、主に依り頼め。
主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。
お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け。
主を畏れる人たちよ、主の憐れみを待ち望め。
わき見をしてはならない。さもないと、道を踏み外す。
主を畏れる人たちよ、主を信頼せよ。
そうすれば必ず報われる。主を畏れる人たちよ、主が賜るすばらしいこと、すなわち、永遠の喜びと憐れみを待ち望め。
主は喜びに満ちた永遠の賜物を報酬として与えてくださる。
主は、慈しみ深く、憐れみ深い方、わたしたちの罪を赦し、苦難のときに助けてくださる。』
シラ書 21章11節
『主に仕える』とは、主に従属すること。主の奴隷になる。ということです。
T司祭の言葉です。
『神を信じ、神の前を歩きなさい。』
『信仰』とは、いかなる艱難にも左右されることなく、心に根付いた、『信頼』だというのです。
『イエス・キリスト』
神への信頼が厚く・・・それゆえ、心が自由で、『柔和な方』です。
使徒パウロも、確信をもって、『信仰』を述べます。
『人を義としてくださるのは神なのです。
復活された方であるキリスト・イエスが、神の座の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを切り離すことができましょう。
艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
わたしは確信しています。
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、
他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを切り離すことはできないのです。』
ローマの信徒への手紙 8章33-39節
信仰者は、『永遠の喜びと憐れみ』を目指して、自制し、勤勉に、慎み深く、注意深く、
『信仰』を頂いた者らしく、『信仰の証人』となるように心がけましょう。
信徒を励ます使徒パウロです。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『主の十字架のほかに誇るものはない。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。』アレルヤ、アレルヤ。
ガラテアの信徒への手紙 6章14節
『キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
わたしたちは、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。』
ガラテヤの信徒への手紙 5章22-25節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制。
素敵な言葉が並びますね。でも、実践は難しい。難しいからこそ、挑戦ですね。 お元気で!