マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

My東京ーその1・・・『バレンタインDay』 そして 『神がまずわたしたちを下さった。』

2019-02-14 23:00:00 | 娘と娘家族

2月14日。木曜日。

 孫娘から・・・  『Happy Valentine's Day』
 
      ”英語の授業で作ったのよ。”  孫娘からのプレゼント。

 ”大切な人にカードを書きましょう。” ”好きな聖句を選んでください。”
        シスターの英語先生の指導です。


『バレンタインDay』
269年。 ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日です。
      

ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、
愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止した。
司祭だったウァレンティヌスは、
婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、
やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。
しかし、
ウァレンティヌスは、毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に処刑が決定。
彼の処刑の日は、2月14日が選ばれ処刑された。
このため
キリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論です。

                      ウィキペディアより。

 

 孫娘の選んでくれた聖句・・・
 

      『We Love because God first loved us。』

        
         ヨハネの第一の手紙 4章19節

         『わたしたちが愛し合うのは、
 

       神がまず私たちを愛してくださったからです。』


孫娘の選んだ聖句。  

   『わたしたちが愛し合うのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。』

言い換えれば・・・

   『バレンタイン司祭が、愛することを自分の命以上に大切にしたのですから、
           私たちも愛し合いましょう!』

   
 孫娘に、『神様の愛に応えるために、私たちも互いに愛し合いましょうね。』と教えられました。
 私は、『私がお人を愛せるのは、神様の愛を確信できた時だけなのですね。』と反省しました。
   
 謙虚にならなければと、大いに反省した、バレンタインDay:My東京Dayでした。感謝!感謝!


皆様!

御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、沢山のチョコレートを頂かれましたか?私は孫娘がもらったおすそ分けでした。
         今日の私の東京ウォークは16190歩。 お元気で!


エデンの園に置かれた 『善悪を知る木』 と 『いのちの木』

2019-02-14 22:19:37 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は2月14日。木曜日。

 昨日は、
神が天地創造の折り、エデンの園に置かれた『善悪を知る知恵の木』と『いのちの木』の意味は何だろう?
       ・・・その神の本意は何だったのでしょう? 
           という疑問で終わりました。

昨日の復習です。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
 
『エデンの園』                コール作品

        人はこうして生きる者となった。
主なる神は東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、
  また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

主なる神は人に命じて言われた。
   『園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」』 

                        創世記 2章4-9&15-17節

 では。

     『善悪の知識の木』と『命の木』は、何を意味するのだろうか?

調べてみました。

『神は、人間を創造すると同時にこれを『善悪の知識の木』の前におき、
神の命令に従って命の木の恵みに浴するか、あるいはこれにそむいて死に至るか、その選択をまかせる。
これは、今日に至るまですべての人間に対して繰り返される自由の根本的試練である。』

つまり。

『善悪の知識の木』とは、
           アダムの時代から今に至るまで、
『神に従うか?神ではなく自分の思いに従うか?』と、神が人間に問い続ける、『自由の根本的試練』なのです。
    ・・・神から人間に向けての、『霊的な問いかけ』であるともいえる。ということでしょうか?

 

 ここまでが昨日の聖書の問いかけでした。

 そして。今日もまた。

聖書は、更に、私たちに問いかけてきます。

 

神様の禁止の命令にも関わらず・・・
アダムとイブは『善悪の知識の実』を食べてしまいます。
その結果。
神の命令を無視して、自分の思いで神に背信して、『善悪の知識』の実を食べたアダムとイブは、楽園から追放されます。
 

アダムとイブの背信を知った主は、

『言われた。
「見よ、人は我々の一人のようになり、善悪を知るものとなった。
彼は手を伸べ、いのちの木からも食べ、永遠に生きるかもしれない。」』創世記 3-22

そこで主なる神は、彼をエデンの園から追い出したのです。


『アダムとイブの追放』               ミケランジェロ作品。

    神は人を追い出し、、エデンの園の東に、
 

            ケルビムと回る炎の剣を置いて、

  
   いのちの道を守られた。』
                      創世記 3章22-24節


つまり。

神は、それを食べると永遠の生きる者となる『いのちの木』と、
    『永遠の命への道』を、
もはや、人間がが近づくことが出来ないようにと、
   剣と炎で守られたのです。


ここで。

新たな疑問の発生です。

  『いのちの木』 そして 『ケルビムと燃える剣』とは何か?

 

思い出します。

     新約聖書のヨハネの黙示録の中の『命の木』

『御使いはまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。
 
 『いのちの水の川』                 私が昨年登山した尾瀬

 この川は、神と子羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。
    川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、
 
 『いのちの樹』        NHKスペシャル「生命大躍進」で使われた。

    その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
  のろわれるべきものは、もはや何一つない。
神と子羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。
彼らの額には、御名がしるされている。
夜は、もはやない。明かりも太陽の光も、いらない。
主なる神が彼らを照らし、そして、彼らは世々限りなく支配する。』
         ヨハネの黙示録 22章1-6節


つまり。

   『いのちの木』は、

旧約では、
エデンの園に植えられ、その実を食べると、『永遠に生きる者』となる木なのです。
  
  『善悪の知識の木の実』を食べ、神同様に知識を持ったアダムが、
更に、永遠に生きる者となれば、アダムは神に等しき存在になってしまいます。
   そこで。
神は、エデンの園からアダムを追い出し、エデンの園の東にケルビムと燃える剣を置き、
      『いのちの木』に至る道を守らせたのです。

つまり。

人間は、『永遠の命』を得ることは許されない。自力では、『永遠の命』を得ることはできない。
     ・・・人間は、『有限の命』を持つ存在となったのです。


  
 『ケルビム』とは『天使』で、『炎の剣』と共に、エデンの園の『いのちの木』を守るのです。

 

それでも。
愛なるお三方・父と子と聖霊は、人間が大好き、人間を無償で愛してくださるのです。

そこで。
愛なる聖なる三位の神は、
背信者であっても人間をエデンの園に迎え入れ、『神の愛の交』中に入れたい!” と考えたのです。
”御子よ、君が人間の世に降り、罪ある人間の贖罪となって、人間を救い出して下さい!” と考えたのです。

 
   御子は、”承知のガッテン!” と、この世に御降誕を引き受けられました。
そして。
  お三方の『神の計画』は、御子・イエスキリストの十字架の贖罪により、大成功しました。

 

イエス・キリストは、
十字架上で亡くなり、黄泉に下り、三日目に復活なさり、天に上り、御父の右の座に着かれたのです。
すると。
神と子羊との御座から、水晶のように輝いている『いのちの水の川』が流れたのです。
更に。
川の両側には『いのちの木』があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやすのです。

 

川のほとりの諸国民を癒す『いのちの木』は、『イエスの十字架』なのです。 
   人々に『永遠の命』を与える『イエスの十字架』なのです。    

   『十字架』こそが、人々に命を与える『いのちの木』なのです。


キリスト・イエスが、
アダムとイブ以来の人類の罪の『贖罪』となって、十字架上での死を引き受けてくださいました。
アダムとイブ以来の、『いのちの木』から完全に切り離され、死をまとった『有限の命の身分』から、解放してくださったのです。許されたのです。

    
   『のろわれるべきものは、もはや何一つない。

神と子羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。
彼らの額には、御名がしるされている。
夜は、もはやない。明かりも太陽の光も、いらない。
主なる神が彼らを照らし、そして、彼らは世々限りなく支配する。』のです。

 
   十字架上のキリストを信じ、どんな逆境の時にも信仰の道を守り通す者は、
       その名が、『いのちの書』に記されており、
   『いのちの木』の実を食べることが神から許可されたのです。

 
 『天国の礼拝に迎え入れられる キリストが持つ いのちの書に名を書かれた人々』


     ケルビムと炎の剣が守る『命への道』が開かれ、
 すべての者が、エデンの園に戻り、神との交流に戻れる身分となったのです。

   
    もはや、闇もなく光も必要なく、そして 死もなく

主なる神が私たちを照らし、そして、主なる神と人間の『愛の交流』が世々限りなく続くのです。


        以上。二日間かかって、私が考えた『知識の木』と『命の木』の考察でした。お粗末様でした。


余談ですが・・・

昨年夏にイスラエル巡礼をした折に、
ナツメヤシの木が多く植えられ、ナツメヤシの実が多く食べられ、とても重宝されていました。
  
  『ナツメヤシの木』              実は甘くておいしかったです

乾燥地帯にあっても枯渇することなく、その実は甘く栄養分豊富で、『生命力の象徴』だということでした。
正に、イスラエルの人たちは、ナツメヤシの木を、『いのちの木』の象徴として大切に育ててきたのでしょうね。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちがこの世に生きていることが、ミラクル、奇跡ですよね。感謝ですよね。 お元気で!