マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

光と闇・・・『聖書100週間』 そして 『もはや、夜はなく、ともし火や太陽のひかりもいらない。』

2018-12-01 20:16:41 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 毎週金曜日。午後2時~4時。

      聖書通読会・・・    『聖書100週間』
 
      『昨日の聖書100週間』

先週は・・・
   『光あれ』と始まって、全能の神による、『天地創造』を読んだ。
 
 『創世記1章&2章』

 『天地創造』は、神の『愛なる働き』で、『光』の部分で、穏やかに、安心して読めました。

そして。

今週・昨日は・・・
 創世記3章~5章。
       『蛇の誘惑』で始まって、人間が持つ『闇』の部分。
 
 『蛇の誘惑』                    
ミケランジェロ作品

          ハラハラドキドキしながら読みました。

  
 『人間の闇』
  誘惑。責任転嫁。嫉妬。妬み。偽証。等々。 最悪の兄弟間の殺人まで書かれていました。
 『神の似姿』として造られた『人間の二元性』、『ペルソナ=光』と『人間の原罪=闇』、一面です。


     『光』あるところに、必ず、その陰なる『闇』あり。
        人間としての宿命なのでしょう。

 

ここからは今日の学びです。

それでも。

  人間が持つ『宿命=闇』の中に、『光』である『神の愛』が介入し、『神の調和』が図られていきます。

 
  『人祖・アダム』に、兄弟殺し合いをする長男と次男の後に、『三男=セト』が与えられます。

  セトから5代目の『エノク』は、
     その信仰ゆえに死を経験しないように天に移され、エノクの3代目に『ノア』が生まれ、
      その後、『光=イエス』の誕生へと、『神の救いの調和・歴史』が続くのです。


    影に光を当てると、その闇の力が減じ、明るくなっていきます。
  
  『光であるイエス』
      父・ヨセフの仕事場で、光をかざし、父の手元を明るくします。

   
 私たちは、

   自らの中の『闇』を受け入れ、『光』を受け入れていくとき、
    闇は光と同化し、わたしたちの内面で『光=平和』が増大していくのです。
                   
                                          
以上。今日の私の感想の一部でした。

   『イエスの御言葉』
『私は世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』
                              ヨハネ福音書 8-12


そして。

今日は12月1日。年間第三十四土曜日。

『今日の第一朗読 ヨハネの黙示』

『天使はヨハネに見せた。
    神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。
      彼らの額には、神の名が記されている。
    
もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。

   神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。

 主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。
 
                             ヨハネの黙示録 22章1-7節


   『天の国』は、
勝利の子羊=イエス=光』が座っておられるので、明るさに満ち、他の明るさは必要ないのです。
                      影・闇は存在せず、『光だけの世界』です。         

一方。

   『この世・地球上・人間世界』は、
   光と影が同時に存在する『二元性の世界』、両者を切り離すことができません。


唯一。

 私たちは、『光=イエスの御言葉』をどんどん内含させて、『光の部分』を大きくできるのです!
      『光』は『愛』です。 『闇』は『愛の不在』です。

   愛し合って、許しあって、恐れず、信じて・・・『闇』を吹っ飛ばしましょう!
                       頑張りましょう!ファイト!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は師走の第一日曜日。何をなさいますか?私は地域あげての大掃除日です。 お元気で!