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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

旧約聖書完読・・・『巡礼の日々』 そして 『神にわたしの救いはある。わたしは決して動揺しない。』

2018-03-17 17:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は3月17日。土曜日。 昨日に引き続き、週二回の聖書通読会・聖書100週間の日です。

  今日のクラスは、『祝日』です。
聖書の1ページから読み初めて以来約3年・・・
  神と仲間に励まされて続けて来れた、『旧約聖書完読の祝日』となりました。



     旧約聖書は、聖書の約2/3を占めます。


その『通読の日々』は、聖所の高みに向けて一歩一歩、『巡礼の日々』でした。
 
 『四国八十八箇所の巡礼』           神を求めて…一歩一歩。


    『沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。』 詩篇37-7
『主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。』 詩篇14-2


   旧約聖書通読完了の今日。 通読範囲は、『詩篇の教訓部分』
    神が私たちに与える『教訓』神は私達に何を求めているのか? 
     旧約聖書最後のクラスは、身が引き締まる思いで読みました。


  『キリスト教の巡礼地』
 
 『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』 フランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道


巡礼とは
日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする宗教的行動のこと。

つまり。

『巡礼』は、
世界の多くの宗教で重要な宗教儀礼と見なされており、
特にその宗教の信者が特定の地域や文化圏を超えて、世界の広域に分布している宗教においては、
とりわけ大切なものと位置付けられているのです。


   『小学生の巡礼』
 
 『カトリック神田教会』


 『神よ、わたしはあなたを探し求め、わたしの魂はあなたを渇き求めます。』 詩篇63-2


巡礼の根本的なかたちは、
『遠方の聖地に赴く』、というところにあるのです。
我々の居住地、つまり日常空間あるいは俗空間から離脱して、非日常空間あるいは聖空間に入り、
そこで聖なるものに接近・接触し、その後ふたたび もとの日常空間・俗空間に復帰する行為。なのです。


行きたいな。行こうかな。  『ベツレヘム』
 
 『キリストの生誕教会の巡礼』 

3年間。
聖書を読み続けることは、並大抵なことではない。 過ぎてみれば感謝あるのみだが、長い道中は努力がいる。
同様に。
キリスト教における巡礼は、聖地への礼拝だけでなく、巡礼旅の過程も重要視されている。
 
  すなわち。
『巡礼』は、その聖地への旅の過程において、人々は神との繋がりを再認識し、信仰を強化するのです。
『聖書通読』は、時間と空間を越える神の存在への問いかけの時間なのです。


  『わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。 神にわたしの救いはある。
  神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。 わたしは決して動揺しない。

           詩篇 62章2-3節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
パラリンピックで、「苦しかったが続けてきて良かった」と、選手の皆様の活躍に感動しますね。
何事でも、充実感の喜びは、苦しい努力日々を続けた後の、御褒美ですね。 明日の日曜日もお元気で!