
待降節に入った教会。祭壇にローソク4本。今日は1本に火がつきました

クリスマス前の4回の日曜日(待降節)。・・キリストの誕生を待ち望む期間。の始まりです。
ろうそくを4本用意し、第一主日に一本目のろうそくに火をともし(←今日でした)、
第二、第三、第四と週を追う毎に火をともすろうそくを増やしていきます。
四本のろうそくに火が灯れば・・




待降節になると、カトリック教会は、教皇のメッセージが出る。キリスト誕生を待ち望む心の準備をする内容。
今年のメッセージ(超簡単に一部です):
「教会に、一つの印が、最近顕著に表れています。(欧米の傾向です。日本も同様でしょう。)
『信者の方で、何のお別れもなく、教会から姿を消す方たちが増えています。』
言葉を選ばずに云うなら・・勉強をあまりしなかった方達や高齢者が、教会から、多くの姿を消しています。
今の社会の時代の流れの速さ。新技術(コンピューター等々。)の発展。等についていけない方達や、高齢者の方達が姿を消しています。
神父達も信徒達も・・教会メンバーたちの生活(会議や何やかやと。)が忙しくて・・教会にいない。
時代についていけない方達や高齢者が、おしゃべりや相談に教会に寄っても、教会に誰もいない。て状態です。
お別れの挨拶、”さよなら~

”お別れなんてしたくないよ。”て挨拶。“ちょっと待って!”と言いたくても、その時に教会にいない信者達。
時代についていけない方達や高齢者は、教会から姿を消すしかない。という状態を、教会員が作っているのではないか?
小さい人と呼ばれる方達、時代についていけない方達や高齢者、のための教会ではないのか?
私たちは・・何を大切にしているんだろう?
「信仰の実践は、『飢えた人に食物を与え、裸の人に衣服を与え、よるべなき人に宿を与えること。』である。
正義は、不当に傷つけられたもの、奪われたものに対する慈愛です。」 てな内容のメッセージでした。
キリスト誕生を待ち望む聖家族と村人たちと3人の博士と動物たち。

真ん中に、キリストが生まれて来るまでの待降節。 皆様のお幸せを祈ります。
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一般家族でも、家の中にいながら、それぞれに勝手な方向を見ている。という姿が多くなっているのかもしれませんね?
せめて待降節は・・周りの人たちの息遣いを感じながらの日々を送ってまいりましょう。

