「人はパンだけで生きるものではない.
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
親は、自分の子に、最上のものを与えて育てたいと思いますよね。
子供が、体の健康を保ちより良い体に育つようにと願い、食材を選び・・
子供が、人生を豊かに暮らすことができるようにと願い、教育を選び・・
子供が、謙虚で寛大で感謝の心を持つ気高い人格に育つようにと願い、信仰を。
「心・体・技」の三つが揃ってこそ、人間としての価値があると思って・・
「体」を育てる食材と、「技」を育てる教育は、親の努力によって子に与えることが出来ても、 「心」を育てる信仰だけは、親の努力だけで身につけさせられるものではなくて、 神の領域でもあろう。
「愛美」の名前のとうり、愛美ちゃんも「神を愛し、人を愛することの出来る美しい人」になれますようにと願い、松本カトリック教会に幼児洗礼を頼みに、ママと行きました。
神父様の第一声は「赤ちゃんは、何ヶ月になりますか?」。 ママの「3週間です」の答えに神父様は、驚き! 「以前は、生まれて1週間目の洗礼とかありましたが、今では赤ちゃんの首がすわってからでいいのですよ。」 ママを狂信的なクリスチャンと思ったかもしれません! ママは信仰深いけど、絶対に狂信的ではありません。 愛美ちゃんもお話中とてもご機嫌で、30分ほど神父様といろいろの話をしました。 神父様は、ママが狂信的に洗礼を頼みに来たのではないと分かったのでしょう! 愛美ちゃんの洗礼は、こちらの都合でいつの日曜日でも良いということになりました。
愛美ちゃんのママもおじちゃんも(私の娘と息子)、幼児洗礼を受けました。
神によって信仰を与えられた幼児洗礼者の二人の信仰と、20才になって自ら学ぶことから始めて得た私の信仰は、その深さ、広さにおいて大きな違いがあるのを常に気付かされます。 幼児洗礼者となる愛美ちゃんの信仰も、ママやおじさんの信仰のように、深く大きく育ちますようにと願います。
ママと愛美ちゃんとばあちゃんの三人は、帰りにお聖堂で、神様に 「元気な愛美ちゃんが生まれました。 感謝します。」とお祈りしました。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
親は、自分の子に、最上のものを与えて育てたいと思いますよね。
子供が、体の健康を保ちより良い体に育つようにと願い、食材を選び・・
子供が、人生を豊かに暮らすことができるようにと願い、教育を選び・・
子供が、謙虚で寛大で感謝の心を持つ気高い人格に育つようにと願い、信仰を。
「心・体・技」の三つが揃ってこそ、人間としての価値があると思って・・
「体」を育てる食材と、「技」を育てる教育は、親の努力によって子に与えることが出来ても、 「心」を育てる信仰だけは、親の努力だけで身につけさせられるものではなくて、 神の領域でもあろう。
「愛美」の名前のとうり、愛美ちゃんも「神を愛し、人を愛することの出来る美しい人」になれますようにと願い、松本カトリック教会に幼児洗礼を頼みに、ママと行きました。
神父様の第一声は「赤ちゃんは、何ヶ月になりますか?」。 ママの「3週間です」の答えに神父様は、驚き! 「以前は、生まれて1週間目の洗礼とかありましたが、今では赤ちゃんの首がすわってからでいいのですよ。」 ママを狂信的なクリスチャンと思ったかもしれません! ママは信仰深いけど、絶対に狂信的ではありません。 愛美ちゃんもお話中とてもご機嫌で、30分ほど神父様といろいろの話をしました。 神父様は、ママが狂信的に洗礼を頼みに来たのではないと分かったのでしょう! 愛美ちゃんの洗礼は、こちらの都合でいつの日曜日でも良いということになりました。
愛美ちゃんのママもおじちゃんも(私の娘と息子)、幼児洗礼を受けました。
神によって信仰を与えられた幼児洗礼者の二人の信仰と、20才になって自ら学ぶことから始めて得た私の信仰は、その深さ、広さにおいて大きな違いがあるのを常に気付かされます。 幼児洗礼者となる愛美ちゃんの信仰も、ママやおじさんの信仰のように、深く大きく育ちますようにと願います。
ママと愛美ちゃんとばあちゃんの三人は、帰りにお聖堂で、神様に 「元気な愛美ちゃんが生まれました。 感謝します。」とお祈りしました。
