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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

愛の行為・・・『隣人愛』 そして 『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』

2022-02-21 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
2月21日。月曜日。快晴。

今朝も
早朝ウォーキング。

         『夜明け前』
  
                            美しい。

      昇ってくる太陽の明かりが『今日の始まり』を告げます。

           ”今日も頑張ろう!”
         一日の始まりのエネルギーをもらいます♡♡


  歩きながら・・・
  ラジオで聞いた『出来事』
  ずっと思い出していました。

     
        『半世紀・50年以上続く愛の行為』
         どこの県の市役所の出来事かはうろ覚えです

    52年前に、市役所の福祉課宛てに『封筒』が送られてきました。
      何が入っているのかと、用心して開封してみると・・・
      『福祉のために使ってください』との肉筆の手紙とともに
          『1000円』が入っていました。

     一番最初は、
       ”どういうことでしょう?” くらいの軽い気持ちで、
         市役所は『封筒』を軽視したそうです。
     ところが、
     それから後・・・
         現在に至るまで、毎月一回、半世紀・50年間以上、
         必ず、休むことなく、
     同じ筆跡の『福祉のために使ってください』の『言葉』を添えて
          『1000円』が送られてくるそうです。


      その『愛の献金』の合計は、
      💕1000円×12ヶ月×52年=62万4千円になったそうです。
      市役所は、
      💕そのすべての封筒を、大切に保管しているそうです。
      💕そのすべての献金を、大切に福祉のために使っているそうです。


     私は考えました。
        62万円を一度に献金なさる方もおいででしょう。
           素晴らしい方たちです。
     そして、
     62万円を、毎月『1千円』ずつ『愛の応援メッセージ』とともに、
       52年間、献金を続ける御方は、どんな御方なのでしょうか!
         どんなにか素晴らしい御方に違いありません。


       ”手紙の筆跡はしっかりしていることから判断して、
         ご厚意はまだ続くと思います”
         との役所の方の”言葉”でした。

更に、
歩き続けると、

 公道に・・・ 

   春の訪れを告げる・・・  『菜の花』
   

     幹線道路に沿って 『花壇』 季節の花を咲かせます。

      こちらも、一人の御主人様によって続いている
         『愛の行為』です。


       目立つこともなく、人々に喜びを与え続ける、
           💕『隣人愛』💕

         
    今日も、世の中のあちこちにおいでの義人の皆様の手本に倣って、
        私も頑張って生きていきたいものです。
             感謝!感謝!


そして。

今日は2月21日。年間第七月曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
    右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
            詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは三人の弟子とともに山を下りて、
      ほかの弟子たちのところに来てみると、
       彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、
      
        律法学者たちと議論していた。

      群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、
       駆け寄って来て挨拶した。

      イエスが、「何を議論しているのか」
                とお尋ねになると、
      群衆の中のある者が答えた。
      「先生、息子をおそばに連れて参りました。
      この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。
         霊がこの子に取りつくと、
        所かまわず地面に引き倒すのです。
        すると、
         この子は口から泡を出し、
       歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。
   この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、
          できませんでした。」

         イエスはお答えになった。
       「なんと信仰のない時代なのか。
    いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
   いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。
     その子をわたしのところに連れて来なさい。」

   人々は 息子をイエスのところに連れて来た。
   霊は、イエスを見ると、
       すぐにその子を引きつけさせた。
     その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。

     イエスは父親に、
     「このようになったのは、いつごろからか」
                とお尋ねになった。
     父親は言った。
        「幼い時からです。
        霊は息子を殺そうとして、
      もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。
   おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」

   イエスは言われた。
   「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
   その子の父親はすぐに叫んだ。
    「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」

   イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、
      汚れた霊をお叱りになった。
  
   「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、
        わたしの命令だ。
       この子から出て行け。
      二度とこの子の中に入るな。」

   すると、
   霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。

      その子は死んだようになったので、
   多くの者が、「死んでしまった」 と言った。
   しかし、
   イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。

      イエスが家の中に入られると、
  弟子たちはひそかに、
  「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」
                     と尋ねた。
  イエスは、
  「この種のものは、
   祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」
                     と言われた。』
              マルコによる福音書 9章14-29節


    今日のイエス様は、
    悪霊に取り付かれて者を言えない子を癒やすことができない
      弟子たちの不信仰を、指摘します。


   それぞれの信仰が
   対照的に際立ちます。  
     ※イエス様のお力 と 弟子たちの無力さ。
     ※律法学者や群衆や弟子たち と 病気の子どもの父親。


     『信仰』とは、
     イエスが持っておられる『神の力』を認めることです。


   ※イエスの言葉を聞く群衆も、律法学者も、弟子さえも、
      イエスの言葉を理解できないのです。

   ※弟子たちは、
      『悪霊を追い出す力』をすでにイエス様から頂いているのです。
      しかし、
      『悪霊を追い出す力』を発揮するためには、
        それは、『自分の力』であると勘違いすることなく、
        あくまで、『神の力』が発揮されますようにと、
           祈る必要があるのです。        
   ※病人の父親は、
      自分の信仰は弱いと認めながらも、
      父親の『信じます』との信仰ゆえに、
      『イエスの力』を引き出したのです。
       息子の病が癒やされたのです。


   私たちキリスト者も、
   イエスの仕事を続ける『使命』を受けています。
   それでも、
   私たちの『使命』は自分の力ではできない、と認め、
   祈りの内にうちに、イエスと結ばれ、『神の力』を頂き、
     小さくても『愛の行為』:『隣人愛』を
       実現させていきましょう。
        祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『わたしたちの救い主キリストは死を滅ぼし、
   福音を通して不滅の命死を現してくださいました。』
      テモテへの手紙 1章10節  アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
見渡せば、世の中、沢山の方々の『愛の行為』がいっぱいですよね。
私たちも『愛の連鎖』の一員になりたいものですね。 お元気で!

阪神・淡路大震災の発生から 27年・・・『鎮魂歌』 そして 『聖アントニオ修道院長 記念日』・・・『婚礼の客は、花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。』

2022-01-17 05:48:00 | 日々のこと。 世界のこと。
1月17日。月曜日。晴れ。

今日は、
阪神・淡路大震災の発生から
27年を迎えました。

  鎮魂花・・・  『クリスマス・ローズ』
 
   
    クリスマスローズの『花言葉』は、『追憶』『慰め』


1995年1月17日 午前5時46分。
阪神淡路大震災が発生・・・


         6434人の命が失われ、
    私たちの大切なものを数多く奪っていきました。
    都市の安全神話が崩壊した、戦後初の『大都市直下型地震』でした。



その日から27年目の今日。
午前5時46分。
阪神・淡路大震災の発生のその時刻に・・・


    灯籠を並べた『忘』の明かりがともされた文字に、
       『忘れません』の心を込めました。

  ※神戸市中央区の東遊園地で、黙祷し、祈りがささげられました。
  
               『阪神淡路大震災1.17のつどい』

  ※全国の多くの方が、祈りをささげたことでしょう。
  ※私も、その時刻に、静かに手を合わせて黙祷、祈りをささげました。
     亡くなった皆様を決して忘れません。


そして。
もう一つ。

   
  鎮魂花・・・  『ラッパ水仙』
  
  
   ラッパ水仙の『花言葉』は、『再生』

   私たちは、
   27年間・・・
   ※震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、
   ※ 震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」
     の大切さを次世代へ語り継いで、
        新たな『再生』を目指してきました。


その日、
我が家は、つぶれることなく、「半壊」ですみました。
そこで、
その日のしばらく後からは・・・
我が家は、
寒くて、そして 貧しい食事事情の中で活躍したために、
高熱を出され、又 風邪を引かれる、
全国から駆けつけたボランティアの多くの方々の、
「元気回復避難所」:「仮病院」となりました。
休養と栄養を補給して、再び最前線に向かわれる方々の
サポートをさせていただきました。


    我が娘と息子は、
    多くの人々の死や、多くの自宅崩壊を目のあたりにしてから、           
       我が家に帰ることなく・・・
    ※IT機器の得意な娘は・・・復興計画の本部で・・・。
    ※体力とオートバイのエクスパートの息子は・・・復興現場の本部で・・・。
          ボランティアの毎日となりました。

   ”ちゃんと食べているの?” 
    と、心配する母の私への息子の返事は、
     ”毎日違うものを食べているよ。大丈夫だよ。
    今日は醤油をかけたインスタントラーメン、
      昨日はウスターソースをかけたインスタントラーメンだったよ”
          との返事でした。


    阪神淡路大震災は、
    戦後初の『ボランティア元年』と呼ばれます。
    私たちは、皆で支え合い、思い合いながら、生きていくことを学びました。


   経験した優しさを忘れることなく・・・
      皆で、更なる一歩先まで、再生』を目指しましょう!
   無念にも亡くなった人々の心に思いを馳せながら・・・
      今日、私たちは『再生』を誓いましょう!
            合掌。 合掌。

そして。

今日は1月17日。年間第二月曜日。

     『聖アントニオ修道委員長 記念日』
    
     アントニオは「修道生活の父」といわれている。

 250年頃。エジプトの裕福な地主の家にまれ、信仰深く育てられた。
    268年。 18歳。    両親の死後、財産を貧者に分け与えて、荒れ野にひきこもり、
       そこで禁欲生活を初め、多くの弟子が彼に師事した。

     ディオクレチアヌス帝による迫害の時に、
    信仰のために苦しみを受けている人々を支え
  アリウス派に対して戦った聖アナシオを助けることなどによって、
       教会のために働いた。

  356年。106歳。 死去。

                        
『今日の集会祈願』

   『聖なる父よ、あなたは聖アントニオが、砂漠の孤独の中で
       あなたに仕えるよう選ばれました。
    聖人の取り次ぎを求める私たちが、自分を捨て、
 すべてを越えてあなたを愛することができるよう恵みをお与えください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、
       断食していた。
  そこで、
     人々はイエスのところに来て言った。
 「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、
    なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」

      イエスは言われた。
  「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。
     花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。
     しかし、 花婿が奪い取られる時が来る。
     その日には、彼らは断食することになる。

     だれも、
 織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。
      
   そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、
       破れはいっそうひどくなる。

  また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
     そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、
           
       ぶどう酒も革袋もだめになる。
    新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」』
                マルコによる福音書 2章18-22節


    今日のイエスは、
    御自分を『花婿』にたとえられます。

   イエスの時代では、
   『断食』は、『救い主を待ち望むしるし』でした。
    週に一回、ファリサイ派の人たちは週に2~3回も、断食しました。

  しかし、
      イエスとイエスの弟子たちは、断食しませんでした。
       それは、イエスが『救い主』だからです。
       イエスがこの世に来てくださった以上・・・
    救い主を待ち望む『断食』は、もはや 必要ない、ということなのです。
     
     イエス様は、『結婚式』の『花婿』なのです。

    ※花婿が一緒にいるかぎり、断食は必要ないのです。
     しかし、 
        『花婿が奪い取られる時が来る。
       その日には、彼らは断食することになる。』
            と、イエスは言われました。

 それは、こういうことなのです。

   イエス様は、この世で十字架にかけられ、死んで、葬られて、復活して、
          天の御父のおられる『天国』へ、
         『再び帰ってくる』と約束なさって、
           お帰りになったのです。
 

     そこで、
      ※初代教会の信者の皆様は、
       イエス・キリストが再び帰ってくることを信じて、
        再び、『断食』をする習慣が生まれたのです。


     イエス様の教えは、『新しい契約・新約』であり、
       『新しい考え方』をもたらしたのです。
      その『新しい生き方』を受け入れるためには、
      人々は、心を『悔い改める』必要があるのです。


     私たちも、『新しい考え方』を受け入れるためには、
         『古い自分』を脱皮し、
      『新しい自分』にする必要があるのです。
          祈りましょう。

         
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『神のことばは生きており、力を発揮し、心の思いや考えを見分ける。』
       ヘブライ人への手紙 4章12節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昨日は、日本列島に『津波警報』が出される原因となった、トンガにおける噴火がありました。
神戸淡路大震災の記念日の今日、心新たに、
『災害』への心準備を致しましょう。  お元気で!

若者と老人の日常の非対称 そして 『わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためである。』

2022-01-16 14:24:36 | 日々のこと。 世界のこと。
1月15日。土曜日。快晴。

娘夫婦の
自宅建設中の工事現場。


  

        男気な現場に、可憐な花がひっそりと咲く。
          非対称な意外性にいやされます。


非対称といえば・・・

  

     娘家族の食事は、年を重ねた私の日常の食事とは、非対称です。

       活動の日々の若者には、塩分が不可欠です。
       動きの少ない年配者は、塩分摂取は禁物です。

            「おいしいラーメン」
     帰宅後・・・
     若者たちは、いつもの食事で、水を飲むことがない。
     年を重ねた私は、非日常の食事で、立て続けにコップ3杯の水を飲みました。


      今日は、私は、若者の家に滞在中。
      話を聞いている 話についていくだけで、膨大なエネルギーを放出します。
      日頃不必要な塩分も、しっかり取らなくてはなりませんね。
                感謝!感謝!



そして。

今日は1月15日。年間第一土曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたの御言葉は、わたしの道の光、
       わたしの歩みを照らす灯。』
        詩編 119章105節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 イエスは、 再び湖のほとりに出て行かれた。
                          群衆が皆そばに集まって来たので、
                     
                                     イエスは教えられた。

            そして通りがかりに、
            アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、
               
                              「わたしに従いなさい」
                                                           と言われた。

                         彼は立ち上がってイエスに従った。


            イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。
                      
                             多くの徴税人や罪人も
                     イエスや弟子たちと同席していた。
              実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。

                          ファリサイ派の律法学者は、
              イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、
                 
                     弟子たちに、
             「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
                                                                          と言った。

                       イエスはこれを聞いて言われた。
             「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
                わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
                                罪人を招くためである。」』
                  マルコによる福音書 2章13-17節


                      今日のイエス様は、
      罪人と一緒に食事をします。


   イエスは、
   『神の慈悲』を示すために、神からこの世に派遣されたのです。
       『神の慈悲』とは『すべての人の救い』です。


    イエス様は、
    人から罪人と呼ばれ、人から軽蔑されていた、徴税人のレビを、
       自分の弟子として、呼び出し、
     更に、
    罪人と共に食事をすることが許されない律法に反して、
       罪人と呼ばれるレビの家に入り、食事を共にしたのです。
          『神の慈悲』をお示しになりました。

    徴税人のレビは、
    イエスの『慈悲』に触れて、
    自分の今までの生活を反省し、悔い改めて、
       すべてを棄てて、イエスに従いました。

   一方、

    ファリサイ派の律法学者たちは、
    イエスの『慈悲』の行動に、律法に反すると反発するだけで、
    神の慈悲の必要性を認めることなく、
    律法を守る自分たちこそ『義人』であると思って、
           『悔い改め』には至りませんでした。


    私たちは、
    神の助けを求めるなら、
    必ず『神の慈悲』を経験することができるのです。
    自分の至らなさを認めて、悔い改めに至り・・・
      『神の赦し』を願い求めたいものです。
         祈りましょう。
      

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『貧しい人に福音を、捕らわれ人に開放を告げるため、神はわたしを送られた。』
     ルカによる福音書 4章18節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一つの家族の中でも、世代間の『ずれ』は必ず存在します。 
互いの世代間の『違い』を尊重し合って、豊かに過ごしたいものです。 お元気で!

松の明け・・・『七草がゆ』・・・新年の計  そして 『花婿の介添え人は 、そばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。』

2022-01-08 06:27:09 | 日々のこと。 世界のこと。
1月8日。土曜日。快晴。

昨日で
松の内も終わりました。

お正月明け、
7日は、『人日(じんじつ)の節句』です。

  そこで。
  昨夜は・・・
              『七草がゆ』
  

     毎年の1月7日。一年の最初の節句:『人日の節句』です。


  『七草がゆ』
   ●『仏の座』:葉の付き方が『仏様の蓮座』に似ているための命名です。
   ●『せり』: 若葉が伸びる様子が、競り合っているように見えるので・・・。
   ●『すずな』:『かぶ』の古い呼び名で、神を呼ぶ『鈴』を意味します。
   ●『なずな』:なでて・・・汚れを取り除く意味があります。
   ●『ごきょう』『仏の体』、『人型』を意味するそうです。
   ●『はこべら』:茎に葉が沢山ついている姿で、『繁栄』を意味します。
   ●『すずしろ』:『大根』のこと、その色から『純白』を意味します。

      七草の若芽を食べて植物がもつ生命力を取り入れ、
      無病息災でいられるようにという願いを込めて、
       今年は、孫娘と夫と私の三人で頂きました。


       今年もいよいよ、幕開け、始まります。
       新年の『一年の計』は、『慈愛』でした。
       そして、
       もう一つの『一年の計』は、
         『年を重ねた今、年を忘れる。』

        『好奇心と感動を忘れずに、軽々と生きる。
        心も体も一所にじっとしているなら、老いていく。
         初心の謙虚さを忘れず、勉強を怠らず・・・。』


     明日・日曜日には、
     昨年12月24日から共に過ごした孫娘が、
     東京・家族のもとに戻ります。


     2週間の『若者との同居』で、私には学びが大でした。
     何よりも、私の『時代錯誤』を痛感させられました。
     お陰様で、
     今年は・・・謙虚さを忘れず、勉強を怠らず・・・。と決心することができました。
              感謝!感謝!



そして。

今日は1月8日。降誕節土曜日(主の公現後)

『今日の入祭唱』

『時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者としてお遣わしになりました。
   それは、わたしたちを贖い出して、神の子となさるためでした。』
        ガラテヤの信徒への手紙 4章4&5節  


『今日の福音 洗礼者ヨハネの言葉』

  『そのとき、イエスは 弟子たちとユダヤ地方に行って、
   
       そこに一緒に滞在し、
       洗礼を授けておられた。

  他方、
      ヨハネは、サリムの近くのアイノンで
   
        洗礼を授けていた。
      そこは水が豊かであったからである。
       人々は来て、洗礼を受けていた。
     ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。

  ところが
     ヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、
        清めのことで論争が起こった。

  彼らはヨハネのもとに来て言った。
    「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、
     あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。
       みんながあの人の方へ行っています。」

  ヨハネは答えて言った。
    「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。
     わたしは、
        『自分はメシアではない』と言い、
        『自分はあの方の前に遣わされた者だ』 と言ったが、
      そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。


          花嫁を迎えるのは花婿だ。
   花婿の介添え人は
   そばに立って耳を傾け、 花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。
      だから、わたしは喜びで満たされている。

     あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」』
          ヨハネによる福音書 3章22-30節


    洗礼者ヨハネは、  
    イエスを、『イスラエルの花婿』 と呼びました。


 イエス様は、
 ※洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、
   イエス様御自身も、その弟子たちと共に、洗礼を授けていました。
 ※洗礼者ヨハネが、領主ヘロデに捕らえるまでのしばらくの間、
   イエス様の洗礼とヨハネの洗礼の、二つ洗礼、が行なわれたのです。

 ヨハネの弟子たちは、
 ※ヨハネ師匠と同様に、イエスが洗礼を授けること、を納得できなかったようです。
 ※ヨハネ師匠以上に、イエスの所へ洗礼を受けに行く人たちが多いこと、
     イエスの活躍を、納得できなかったようです。

 洗礼者ヨハネは、
 そんな自分の弟子たちの『つぶやき』に答えました。
 ※天から与えられなければ、人は何も受けることができません。』
     誰から洗礼を受けるとしても、それは『神の恵み』なのです。
     神なしでは、洗礼を初め、何もできません。
 『自分はメシアではない。自分はあの方の前に遣わされた者である。』
     イエスはヨハネの弟子ではなく、ヨハネはイエスの道を『準備する者』なのです。


    洗礼者ヨハネは、 
    沢山の人がイエスについて行くのを見て・・・ 
    結婚式の喜びを感じました。
    花婿が来るのを喜び迎える沢山の友人、と重ねて感じたのです。
    そこで、 イエスを、『イスラエルの花婿』 と呼んだのです。
    更に、『イエスは栄え、私は衰えなければならない。』 
    と、メシア・イエスについて、二回目の証しをしました。


    私たちも、
    信仰者として、洗礼者ヨハネに倣って、
    私たちのすべての行動が、イエスを紹介する結果を生めると良いですね。
        祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『暗やみに住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んんだ。』
       マタイによる福音書 4章16節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
収まるか?と、一時、希望を持ったコロナ禍でしたが・・・
更なる新型コロナウイルス・オミクロン株の感染者拡大となってしまった昨今です。
それでも、希望を失うことなく・・・
今できることを精一杯がんばってまいりましょう。 お元気で!

初夢・・・『蝋梅の花』・・・『慈愛』 そして 『弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見た。』

2022-01-05 07:19:22 | 日々のこと。 世界のこと。
1月5日。水曜日。曇り。

今日は『小寒』
小寒とは、「寒の入り」。
これから更に寒さが厳しくなるころ。

小寒から節分までの三十日間は「寒の内」。
寒が明けると立春になります。

 
       『蝋梅』
  

      雪中四友(せっちゅうしゆう)と呼ばれる、雪の中で咲く4つの花の一つ。

        雪中四友は、蝋梅、玉梅、茶梅、水仙、の4つの花。
        どの花も白い雪が似合う『春の花』だそうで す。

     寒い冬に甘い香りを放つ蝋梅は、英名は『Winter sweet』と呼ばれ、
        寒い冬に甘い香りを放つ蝋梅にぴったりの名前です。

          蝋梅の花言葉は、『慈愛』
     親が子をいつくしむような深い愛情を意味する、「慈愛」。


         そんな『蝋梅の花』を見ているだけで
         素敵な初夢を見たような・・・
         春がすぐにやってきそうな・・・
          ときめきを感じますね。


     私は、正月元旦から5日の今朝まで、
    『初夢』を見ることを願ったのですが、かないませんでした。
     今日は、『蝋梅の花』を買ってきて、『初夢』の代わりと致しましょう。
     そして、『慈愛』を今年の『初夢』として、『慈愛』を今年の『目標』と致しましょう。
              感謝!感謝!


そして。

今日は1月5日。降誕節水曜日(主の公現後)

『今日の入祭唱』

   『暗闇の中を歩む民は、大いなる光を見た。
    死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。』
      イザヤ書 9章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『五千人に食べ物をお与えになった後、
 イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、
   その間に御自分は群衆を解散させられた。

   群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。

   夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、
      イエスだけは陸地におられた。

  ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、
  夜が明けるころ、
       湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、
     
        そばを通り過ぎようとされた。

   弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、
      幽霊だと思い、大声で叫んだ。
     皆はイエスを見ておびえたのである。

    しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、
  「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」 と言われた。

      イエスが舟に乗り込まれると、
    
          風は静まり、
     弟子たちは心の中で非常に驚いた。

   パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。』
            マルコによる福音書 6章45-52節



  イエスは群衆を解散させ、ご自分は一人で山で祈るために残り、
       弟子たちを先に船で行かせます。
  夜、イエスは湖の上を歩いて弟子たちに追いつき、船に乗ります。
       弟子たちは、大いに驚き、恐れるのです。



 イエスが群衆にパンをくださったとき、
 残ったパンくずを集めると、『12籠』にいっぱいになりました。
 弟子たち12人は、これから、
 『イエスの言葉』と『イエスがなさったこと』を伝える『使命』を受けたのです。


    教会の共同体は、度々、『船』にたとえられます。
    弟子たちは、この『船』を、安全に導く使命があるのです。
      しかし、台風もあり、逆風もあります。
       『船』は沈没しそうになります。
    弟子たちの信仰は浅く、そんな時にうろたえたりします。


 イエスは、
 そんな弟子たちの『信仰』を強めるために、
 逆風のために、船を漕ぎ悩んでいる弟子たちに、
 ※ご自分が湖を歩く力を持つ者である、ことを示します。
 ※危機には、いつもそばにいて、助けてくださる方である、ことを示します。
 ※『恐れることはない』と、船にいつも共に乗っていて下さる方である、ことを示しました。
    イエスに信頼することを教えるのです。


    私たちも、
    信仰生活において、色々の嵐に遭うことでしょう。
    それでも、
    復活なさったキリスト様がいつも共にいて下さることを信じたいものです。
        祈りましょう。

     
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『キリストは肉において諸国の民に現われ、栄光のうちに来られるかた。』
     テモテへの手紙Ⅰ 3章16節参照  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日から『小寒』、いよいよ本格的寒さに入ります。
今日一日が穏やかな一日でありますように。 お元気で!




2022年元旦・・・『ご来光』と『初詣』 そして 『神の母聖マリア 祭日』・・・『羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた。八日たって幼子はイエスと名付けられた。』

2022-01-01 21:33:49 | 日々のこと。 世界のこと。



   2022年1月1日。午前7時19分。

         『新年のご来光』
  
                          於:自宅近所の公園
 
          明けましておめでとうございます。
        皆様にとって素敵な一年となりますように。
          今年もよろしくお願いいたします。

          今日は『世界平和の日』でもあります。
        皆様の平和、世界の平和をお祈り申し上げます。


今年も。
新年早々の公園に、
人が集まってきました。

  例年のかわいい柴犬も集まって来ました。
  

  新しい年を迎える早朝。
  人は『新年のご来光』に向かって祈りたくなるのは、なぜでしょう?

  『新年』という手がかりをもって、
   日本人は『新年のご来光』のもとに集まります。
   今年のご来光時にも、50人以上が集まりました。


   ご来光が上がってくると、
   私の隣の紳士が、目を閉じ、手を合わせて、祈り始めました。

   人はお祈りをささげながら、何も考えてはおりません。
     ただ、偉大なものの前に頭を垂れるだけ。
     身も心もささげすぐして、すべてを忘れて、
       すべてを神様にお任せする。
     お祈りとはそうしたものなのでしょう。

    一人の紳士にしろ、
    誰でも、   
    神にすべてを任せて祈る姿は美しいものです。
      神々しくもあります。

  
午後からは。
『柿本神社』に参りました。

 コロナ禍対策で・・・

  神社境内に入る前に・・・ 『100人以上の列』    
  
                         入場制限でした。

   普段に信仰とあまり関係のないような生活をしている方も、
   新年には、神社にもうでるといいますよね。 
   私も・・・孫娘と私で和服に着替えて、初詣です。


   熱心に、黙々と、境内に入る順番待ちをする人たち。
   その姿を拝見しながら思っていました。
     ※死んだ後には必ず極楽に行けると信じて・・・
        太鼓をたたく、日蓮宗の人たち。
     ※死んだ後には必ず天国に行けると信じて・・・
        主の祈りを唱える、キリスト者たち。

   
    信じて、安心しきっている姿は、強く美しい姿です。


 次に、
     
  神社境内に入ると、  『4人ずつの列で整列』
  

    待って・・・待って・・・
    4人ずつ並んで、お祈りでした。

 
    今年こそは、貧しい国にも、富もワクチンの分配が実現しますように。
        コロナ禍の終結を迎えられますように。
       世界の平和のために皆が尽力できますように。


       私も、孫娘と共に、
       孫息子の入学試験の合格を願い、
       『合格祈願』のお守りを買ってきました。
             感謝!感謝!

 

そして。

今日は1月1日。

      『神の母聖マリア 祭日』
    
    新しい年を迎えた今日、降誕8日目にあたる1月1日に、
 教会は、ローマの古い伝統に従い、“神の母マリア”の祭日を祝います

 8日目にあたる今日、
 誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、
 正式に神の民の歴史、人類の歴史の一員になります。
 そして、
 マリアには、救い主としてのイエスの使命に、
 自分も深く一致するという母の姿があります。

『今日の集会祈願』
  
 『命の源である神よ、
  あなたはおとめマリアを御子の母として選び、
    救い主を人類に与えてくださいました。
  聖母を通して御子キリストを迎えるわたしたちに、
    救いの喜びを味わわせて下さい。』


『今日の福音 イエスの誕生』
 
   『そのとき、羊飼いたちは、急いで行って、
 マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
    

      その光景を見て、彼らは、
   この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

     聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
  しかし、
  マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、
     神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

  八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。
   これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。』
                  ルカによる福音書 2章16-21節


    天使は、イエス誕生の『神秘』を
     羊飼いたちに啓示します。

    ヨセフとマリアの子は、『イエス』と名付けられました。
      『子の子は自分の民を罪から救うからである。
      子のすべてのことが起こったのは、
  神が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。』
                マタイによる福音書 1章21&2節


    私たちも、  
    聖書の言葉を読みながら、『神のみ旨』を理解していきます。
    新年にあたり、
    イエスから救われ、許しを受けて、
    本当の平和を喜ぶことができますように。
       祈りましょう!


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『神は昔、預言者を通して先祖に語られたが、
   この終わりの時にはご自分の子を通してわたしたちに語られた。』
     典礼聖歌 258番 神の母   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様、明けましておめでとうございます。 今年もお元気で!

2021年大晦日・・・『センリョウ』 そして 『言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』

2021-12-31 18:29:05 | 日々のこと。 世界のこと。
12月31日。金曜日。曇り。

お正月の縁起木
『センリョウ』
花言葉は、『寿ぎ』『徳のある人』『慶祝』。


           『センリョウ』 
 

     2021年も残すところあと僅かとなりました。

  ブログを今年も一年間無事に書き続けることができましたのも、
     御訪問下さいます皆様に励まされたお陰様です。
     今年一年間、誠にありがとうございました。
           感謝申し上げます。
  
     コロナウイルス禍の収束の目処が立たないままに
        今年が暮れていきます。
   それでも希望を失うことなく、新年を迎えたいと思います。


 2022年が皆様にとって良い年でありますようにお祈り申し上げます。
    世界も平穏でありますようにと祈ります。
 
    来年もどうぞ宜しくお願いいたします。


そして。

今日は12月31日。主の降誕第七日。

『今日の入祭唱』

   『一人の男の子がわたしたちに与えられた。
       権威が彼の肩にある。
    その名は、「永遠の御ことば」と呼ばれる。』
       イザヤ書 9章5節 参照


『今日の福音 神の言葉』

   『初めに言があった。言は神と共にあった。
   
        言は神であった。
     この言は、初めに神と共にあった。

       万物は言によって成った。
  成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

       言の内に命があった。
      命は人間を照らすであった。

       光は暗闇の中で輝いている。
       暗闇は光を理解しなかった。
  その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

        言は世にあった。
   世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
   しかし、
     言は、自分を受け入れた人、
   その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
 この人々は、
 血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
       神によって生まれたのである。


     言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
  わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、
         恵みと真理とに満ちていた。
    わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
       恵みの上に、更に恵みを受けた。

      律法はモーセを通して与えられたが、
    恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

      いまだかつて、神を見た者はいない。  
 父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。』
          ヨハネによる福音書 1章1-4&9-14&16ー18節


       初めに、『神のことば』があった。
      『ことば』は人となって、私たちの世に来られた。
   それは、私たちに『命』を与え、『神の子』とするためであった。


     『神のことば』である『イエス』です。
   旧約時代には、天地創造の時、
     『神のことば』によって、すべてが造られたのです。
   新約時代になって、神に遣わされて、
     『神のことば』はこの世にお生まれになりました。
      すべての人に、神からの『救い』を告げるためでした。

     
   私たちは、
   『神のことば』が受肉したイエス様の話によって、
      ※神がどのような人であるかを知るようになりました。
   イエスの話を信じる人は、
      ※本当に生きるのです。
      ※神と一緒に生きる、『神の子』だと言われるのです。
                   感謝!感謝!


『今日のアレルヤ唱』 

 アレルヤ、アレルヤ。
 『みことばは人となり、わたしたちのうちにお住みになった。
   主を受け入れる人には神の子となる恵が与えられた。』
      典礼聖歌 259番 公現前① アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明朝が、2022年世界の素晴しい夜明けとなりますように。 お元気で! 

行く年の惜しくもあるかな・・・『忘年会』 そして 『預言者アンナは、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。』

2021-12-30 19:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
12月30日。木曜日。晴れ。

行く年。
今年もあと一日で終わりです。


    家族で・・・  『忘年会』
    
                       チーズフォンジュウ&オイルフォンジュウ 

          明日は、新年、お正月です。


         行く年の惜しくもあるかな・・・
         そこで
         今年に感謝して、家族で忘年会でした。

    家族それぞれの今年一年間の ※『楽しかったこと』※ を振り返りました。

  中学二年の孫娘は、コロナ禍にもかかわらず、
    デズニーランドを初め、大好きな『遊園地』に、友人たちと8回も行けたこと。
  ※息子のお嫁さんは、コロナ禍にもかかわらず、
    燕岳から常念岳まで縦走できたこと、トライアスロン参加、箱根駅伝全コースを走ったこと、
      それら『登山とトライアスロンとランニング』を、夫(私の息子)と共にできたこと。
  ※息子の『楽しかったこと』は、『毎日の日々』だったそうです。

  等々。
  コロナ禍の中でも、
  家族の今年の日々は、例年に負けず劣らずの『祝福の日々』だったようです。
                 有り難いことでした。


      私の今年は、STAY HOMEの毎日、時間はたっぷりあったのですが、
        なぜか、とても早く過ぎたように思える一年でした。
      ともかく、家族が健康であった一年に『感謝の日々』でした。
             感謝!感謝!


そして。

今日は12月30日。主の降誕第六日。

『今日の入祭唱』
 
 『沈黙の静けさがすべてを包み、夜が速やかな歩みで半ばに達したとき、
     神よ、あなたの言葉が天から下った。』
       知恵の書 18章14&15節参照


『今日の福音 主の奉献』

   『そのとき、アシェル族のファヌエルの娘で、
      アンナという女預言者がいた。

       非常に年をとっていて、
   若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
    夫に死に別れ、八十四歳になっていた。
   
   彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、
       夜も昼も神に仕えていたが、
     そのとき、近づいて来て神を賛美し、
 エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。


    親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、
     自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
    
       幼子はたくましく育ち、
     知恵に満ち、神の恵みに包まれていた』
            ルカによる福音書 2章36-40節


       神殿で奉献されたイエスは、
     『万人の光』として啓示されました。


   幼子イエスが神殿で神に献げられた時、
   預言者アンナは、聖霊に導かれて、
   幼子に『救い主』を感じて、皆にその『喜び』を伝えました。


   アンナは、預言者と呼ばれました。
   預言者は、『神の言葉』を伝える『使命』を受けている人です。
   アンナは、『使命』を果たすために、
      『神の言葉』をよく聞く気持ちがありました。
      そのため、神殿を離れず、良く神に祈り断食し、
         神と一緒に生活していたのです。

   私たちも、
   聖書を読みながら、『神の言葉』と親しくなり、
   又、祈りながら、『神のみ旨』が分かるようになりたいですね。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『偉大な光がきょう地上に下り、聖なるこの日はわたしたちを照らした。
      諸国の民は来て主を礼拝せよ。』
       典礼聖歌 258番 主の降誕日中   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年のこり一日、明日・大晦日をお大事にお過ごしください。 お元気で!

行く年の惜しくもあるかな・・・『断捨離』 そして 『イエスは、異邦人を照らす啓示の光.』

2021-12-30 16:49:46 | 日々のこと。 世界のこと。
12月29日。水曜日。晴れ。


行く年。
今年もあと二日で終わりです。


            『正月のしつらえ』
     

            明後日は、新年、お正月です。
         ポインセチアからユリの花へと、正月準備です。


         行く年の惜しくもあるかな・・・
         それでも
         正月を喜んで迎えることに致しましょう。

     日中茶飯事のささやかな喜びが、生き甲斐となる年齢になりました。
         いろいろのものを手放して
         肩の荷が下りて身軽になり
           自由になって、
        『引き算の仕合わせ』の年齢です。


       今日の私は、もっともっと身軽になるために、
           断捨離の一日です。
            感謝!感謝!


そして。

今日は12月29日。主の降誕第五日。

『今日の入祭唱』

  『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
      独り子を信じる者が一人も滅びないで、
        永遠の命を得るためであった。』
          ヨハネによる福音書 3章16節


『今日の福音 主の奉献』

   『モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、
       両親はイエスを主に献げるため、
        エルサレムに連れて行った。

    それは主の律法に、
   「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」
                    と書いてあるからである。

      また、主の律法に言われているとおりに、
 山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。


    そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
       この人は正しい人で信仰があつく、
 イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
  そして、
     主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、
        とのお告げを聖霊から受けていた。

   シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、
    両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、
          イエスを連れて来た。

     シメオン幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
                               
   
     「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
      この僕を安らかに去らせてくださいます。
     わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

     これは万民のために整えてくださった救いで、
         異邦人を照らす啓示の光、
       あなたの民イスラエルの誉れです。」

  父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
    シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。

       「御覧なさい。
   この子は、
   イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、
     また、反対を受けるしるしとして定められています。
      ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――
    多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」』
         ルカによる福音書 2章22-35節

   
         神殿で奉献されたイエスは、
       『万人の光』として啓示されます。

    
     エルサレムの町は、『救いの町』です。
 ※人間の救いのために来たイエスは、エルサレムで神に献げられたのです。
 ※イエスを献げる両親は、一番貧しい人の一人としての『供え物』をしました。
 ※イエスを抱いたシメオンは、この子は『逆らいのしるし』となると言いました。
    イエスに神の働きを認める人 と イエスに神の働きを認めない人
      イエスを受け入れる人  と イエスを受け入れられない人
           『万人の光』の始まりでした。


       イエス様は、
    神が整えてくださった、『万民の救い』の成就なのです。

  
    私たちも、
    『信仰の模範』のマリア様に倣って、
    『神の神秘』:『神の独り子の誕生』を
       清い心で賛美いたしましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの光栄。』
      典礼聖歌 258番 主の奉献  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の今年の残りの三日間が素晴しい日々となりますように。 お元気で!

行く年の惜しくもあるかな・・・『餃子専門店』 そして 『幼子殉教者 祝日』・・・『ヘロデは、ベツレヘムにいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。』

2021-12-28 11:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
12月28日。火曜日。晴れ。


行く年。
今年もあと三日で終わりです。


     伊丹・・・   『餃子 専門店』
     

  『行く年の惜しくもあるかなます鏡見る影さへにくれぬと思へば』
                        紀貫之

      ※去ってゆく年の何と惜しいことであろう。
    去ってゆく年に、思い残すことがあってはなりません。

  コロナ禍のために、4月の恩人の御葬儀に参列がかないませんでした。
      年の瀬となった今日、のこされた奥様を訪ねて、
        共に座って、
    御主人様のご功績を偲び、思い出を語ってきました。


    ※歳が暮れ、時が過ぎて、鏡に映る私の姿もまた老いて、
        光失せて思えるものだから。
                          
        先に逝かれた恩人です。
      私たち残された者も、年を重ねました。
        奥様の見舞いに同行した5人で、
      その帰路で、以前に訪ねた『餃子専門店』で、
      年の流れの速さを偲んで、語ってきました。

   
       行く年の惜しくもあるかな・・・
       年の瀬の今日、
       落着いて、今年を振り返りました。来年を思いました。
          有り難い時間でした。
            感謝!感謝!


そして。

今日は12月28日。主の降誕第四日。

   幼子殉教者 祝日』

 6世紀ごろから、教会は、主の降誕の季節に
  聖なる幼子の殉教を祝ってきました。
 
 ヘロデによって殺害されたこれらの幼子たちの殉教を祝ってきました。
    贖われた人の初穂である。
 イエスのために命をささげた彼らは、
 言葉は話せなかったが、その死によって信仰を証ししたのである。
      『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『罪のない幼子たちはキリストのために死に渡された。
     汚れのない神の小羊に従った者たちは今、
      「主に栄光」と絶え間なく歌う。』


『今日の福音 幼子たちの殉教』
 
     『占星術の学者たちが帰って行くと、
     主の天使が夢でヨセフに現れて言った。
   
 「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、
  わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
  ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
      ヘロデが死ぬまでそこにいた。
   それは、
   「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、
  主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。


   さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、
        大いに怒った。
  そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、
 ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

   こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

    「ラマで声が聞こえた。 激しく嘆き悲しむ声だ。
        ラケルは子供たちのことで泣き、
   慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」 』
        マタイによる福音書 2章13-18節


     幼子イエスは、イスラエルの民族の代表者となり、
     昔のイスラエルの人々が経験したことを、
        新たに体験なさるのです。


    旧約時代。
    イスラエルの幼子を全員殺したエジプトの王の手を逃れて、
    イスラエルの幼子モーセは、両親の計らいにより、その王女の息子となり、隠れていました。
    その後、神は、そのモーセを通して、イスラエルの民を、
      奴隷生活のエジプトから、救い出しました。

    新約時代。
    ベトレヘムの幼子を全員殺す命令を出したヘロデの手を逃れて、
    ベツレヘムの幼子イエスは、両親と共にエジプトに逃れ、隠れていました。
    その後、神は、ベツレヘムに戻ったイエスを通して、世界の人々を、
       死の罪の状態から、救い出したのです。

       旧約時代のモーセは、
       新約時代のイエス・キリストの前表となったのです
       旧約時代の幼子の殉教者は、
       新約時代の幼子の殉教者の前表となったのです。


    私たちも、
    私たちの生活の、楽しい毎日や悲しい毎日を通して、
    神が、救いの業を行なって下さるのです。
    それを信じることができるようになりたいですね。
        祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
  けだかい殉教者の群れもあなたをたたえて歌う。』
      典礼聖歌 258番 幼子殉教者 アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
残り少なくなった今年を、暮れの準備に忙しくお過ごしでしょうか。
皆様の今年の数日が、穏やかで、心温まる日々でありますように。 お元気で!