goo blog サービス終了のお知らせ 

マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

心と体のビタミン剤・・・『シニアのおしゃれ』 そして 『聖シモン 聖ユダ 祝日』・・・『弟子の中から十二人を選んで使徒と名付けられた。』

2021-10-28 12:39:43 | 日々のこと。 世界のこと。
10月28日。木曜日。晴れ。

緊急事態戦艦解除
更には
コロナ感染者の全国的減少傾向。
そこで
今までの自粛生活を取りもどすかのように
外出を楽しむ人が増えてきました。


 外出といえば・・・

            『裏起毛パーカー』
  
                       メットSale写真より
   
     ふわっとあったか、寒い時季に大活躍する裏起毛パーカー。
       カジュアルな定番デザインは毎日に大活躍します。

            シニア男性は
       パーカーやチノパンで若々しく見せましょう。


   なるほどね。
   新聞に、週一回ほどの掲載記事:『人生100年クラブ』があります。
   その度に、シニアが『100年を楽しむため』の『知恵』が掲載されます。

     今週のテーマは、シニアのおしゃれ 心と体のビタミン剤』
      73歳の男性からの『投稿』で、今週の『テーマ』が決まったそうです。

      『若い頃からアイビールックを愛用しているが、
        気がつけば決まった色や形の服ばかり。
        巾を広げて新しい自分を見つけたい』
           との投稿に、
   芸術工学部教授による※『シニアのおしゃれの基本』※が掲載されました。


ちょっと考えさせられまして、
その一部を書き起こしてみますね。
皆様はどうお感じでしょうか。


      健康のため、食事や運動を気にするように、
     健康Upのために、おしゃれを意識してほしい。

    ♥毎日着替えて体を動かせば、機能や筋力が活性化する。
    ♥何をどう着るかを考えれば、頭が活性化する。
    ♥おしゃれが心や体を動かす刺激になり、
     社会活動への参加など、生きがいや生活の張りにつながる。


   何をどう着れば似合うか分からない、いつもの格好で困らない、
        で、おしゃれを諦めていませんか。
       今のご自分の魅力を磨いてください。

     ♥きれい、かっこいいといわれた若い頃は二度と戻らない。
          過去の栄光は忘れて、
        年を重ねた今の魅力を磨きましょう。


 続いて具体例が書かれていまして・・・

     その中の三つ。
     ①四季の色を取り入れたコーディネートは自然でおしゃれです。
        秋なら、オレンジ、黄、赤、茶など。
     ②セーターは背中が丸くなり、老けて見えます。
        男性なら、パーカーやチノパンは若々しく見える。
     ③何より大事なのは清潔感。
        家にいる時間が長いことを言い訳にせず、    
        洗濯をまめにする。

     
       年齢や体の機能、障害の有無などにかかわらず、
       「すべての生活者」が、
     生きがいや喜びを感じられるファッションをしましょう。
     おしゃれはするだけでなく、
     そこから何を始めるか、どう生きるかが大事です。
            と、結ばれていました。


      なるほどね。いろいろと勉強しました。
      おしゃれは『心と体のビタミン剤』ですね。
      緊急事態宣言解除で外出が始まります。
      ただ出かけるだけでなく、その時のおしゃれが大切なのですね。
      
        今日は、私も、秋のMyファッションを、
        若々しく、見直してみましょうかしら。
         おしゃれは、心と体を健康にする健康法なのです。
        まだしばらくは、おしゃれで健康になって、
        私はワンランク上のSTAY HOMEを楽しむことにいたしましょう。
                        感謝!感謝!

  
そして。

今日は10月28日。年間第三十木曜日。

          『聖シモン 聖ユダ 祝日』
 

   シモンは、使徒の名簿の十一番目に記されている。
   シモンについては、「熱心党のシモン」と呼ばれていたことのほかは、
   何も知られていない。

   ユダは、イスカリオテのユダと区別するためにタダイとも呼ばれ、
   最後の晩餐のとき、
    「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、
     世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」ヨハネ14・22
        とイエスに尋ねた使徒である。
    小ヤコブの兄弟であると記され、キリストの親類とされている。
   64年頃、小アジアの諸教会に書簡『ユダの手紙』を書き、
    信者たちが神の愛にとどまるよう教えました。

     後の伝承によれば、シモンとユダはペルシャで宣教し、
        そこで殉教したといわれている。
            『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『すべてを治められる父よ、
 わたしたちは、使徒の証しを通してあなたへの信仰に導かれました。
   使徒シモンとユダの祈りに支えられて、
 神を信じる人が日ごとに増し、教会が絶えず成長しますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのころ、イエスは祈るために山に行き、
      神に祈って夜を明かされた。
   
     朝になると弟子たちを呼び集め、
   その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。
    
 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、
 そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、1マタイ、トマス、
 アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、
   それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。


     イエスは彼らと一緒に山から下りて、
       平らな所にお立ちになった。
     
       大勢の弟子とおびただしい民衆が、
 ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、
         イエスの教えを聞くため、
      また病気をいやしていただくために来ていた。
     汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。

      群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。
   イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。』
          ルカによる福音書 6章12-19節


      今日のイエス様は、
      弟子たちの『共同体』をつくります。
      祈ってから、弟子の中から十二人を選び、
      多くの弟子たちとは別に、使徒と呼び、
      『使徒の共同体』をつくったのです。


        任命された12人の使徒たちは、
     イエスから遣わされて、イエスの後を継いで、
       宣教する『使命』が与えられるのです。

        イエス様は、
       12人を指名した後、早速に、
   12人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになって、
        ご自分の『宣教の姿』を見せ、
      又、一日の始まりの『祈る姿』を見せ、
       12人の使徒の教育を始めたのです。


     私たち・キリスト者も、
     イエス様から派遣された『使徒』です。
     イエスの証人となり、その仕事を続けることが出来るように、
     『イエスの御言葉』から離れてはなりません。
     重大なことを決めるときは、いつも御父に祈るイエス様でした。
     私たちも、イエス様の本当の弟子になれるように、
        祈ってまいりましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
   栄光を受けた使徒の群れも あなたをたたえて歌う。』
    典礼聖歌 277番 聖シモン・ユダ祝日  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いくつであっても、おしゃれをするのは楽しいですね。
そのおしゃれも、ちょっと考えて、高級おしゃれでまいりましょう。 お元気で!

体力と集中力Up・・・『大掃除』 そして 『天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、それは、アベルの血からゼカルヤの血にまで及び、責任を問われることになる。』

2021-10-14 12:24:12 | 日々のこと。 世界のこと。
10月14日。木曜日。晴れ。

さわやかな朝。

  
                    鮮やかな赤色が元気をくれます。 

        秋風の吹くさわやかな朝。
        突然・・・
        朝ウォーキングの代わりに、『家中の大掃除』をしよう!
                      と、思いつきました。


     まずは、
         まだお休み中のご近所さんの迷惑にならないように、
         音を立てないように気をつけて気をつけて、
             『家中の拭き掃除』

         隅々まで、窓枠に至るまで、磨き上げると、
         背伸びしたりしゃがんだり、気持ちよく汗ばむほどに、
             『筋肉運動』になります。


     次に、
            パブリックスペースの一階
         出たままになっている品々すべて、定位置にもどしました。
         三つの花器の花を、庭の花々で、生け替えました。

            居間も食堂も和室も、すっきりと、
               広々と感じられます。
           『最小の費用で最大の効果を挙げる』
            という『経済の法則』が思い出されます。
           『最小のもので部屋の価値を挙げる』
                 というところです。

     最後に、
           ご近所さんも起きてきたようですので、
         『家中の掃除機かけ』と『板張り床のから拭き』


            掃除をしていると、無心になれる。
              心身共に清くなっていく。
             『心の掃除』にもなります。

     
          今日は、今朝の天気のように、さわやかに、
             心と体の準備が整いました。
             集中力もUpしました。
           明日の『聖書100週間・聖書通読会』
        旧約聖書完読後の旧約聖書最終クラス:『終わりの集会』
             の準備を致しましょう。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は10月14日。年間第二十八木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしたちの神は来られる。 黙してはおられない。
神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、又、地に呼びかけられる。』
        詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは言われた。
  
     あなたたちは不幸だ。
  
  自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。
   こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、
        それに賛成している。
   先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。

       だから、神の知恵もこう言っている。
      『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、
    人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』

   こうして、
    天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、
     今の時代の者たちが責任を問われることになる。
        それは、アベルの血から、
    祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。

          そうだ。
   言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。

       あなたたち律法の専門家は不幸だ。
    知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、
     入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」

       イエスがそこを出て行かれると、
    律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、
     いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
     何か言葉じりをとらえようとねらっていた。』
           ルカによる福音書 11章47-54節


   今日のイエスは、
   律法学者やファリサイ派の人々の不信仰を非難します。


   律法学者やファリサイ派の人々は、
   熱心に、聖書の研究をし、人々に教えていました。
   ところが、
   自分の正しさを重んじ、
   イエスの言葉を信じませんでした。
   また、
   昔の預言者たちの『墓』を建てるのですが、
   その預言者たちの言葉は信じませんでした。
   それどころか、
   他の人たちがイエスの言葉を信じ、救いを得ることを妨げたのです。


   イエス様は、
   決して、律法学者やファリサイ派の人々を嫌っているのではないのです。
   いつも、どの人へも、
   改心を勧めるために、呼びかけているのです。

    
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは道であり、真理であり、命である。
   わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。』
       ヨハネによる福音書 14章6節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋色がいよいよ深まってきました。
空広く雲高い大空を見ていると、笑みがこぼれますね。 お元気で!

真鍋淑郎氏、ノーベル物理学賞 そして 『幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』

2021-10-09 10:28:19 | 日々のこと。 世界のこと。
10月9日。土曜日。快晴。

穏やかな朝。

 

    真鍋淑郎氏が、ノーベル物理学賞を授与されることが発表されました。
  地球温暖化予測の基礎を築き、気候変動対策に貢献したことが評価されたそうです。

     『気候変動の問題を解決するのに、我々は何をなすべきかは、
       エネルギーの問題、農業の問題、経済の問題など
        あらゆる問題と温暖化はつながっており、
          大変難しい問題だ。
     その問題を解くのに、小さくとも一つの貢献ができたことを
          非常に喜んでいる。』
                     と、真鍋氏は語りました。


私の大好きなテレビ番組があります。
『ヒューマニエンス』
その最新番組で、
ノーベル賞受賞者の山中氏の『特集番組』がありました。
『山中伸弥スペシャル IPS細胞と私たち』
『2006年に誕生したiPS細胞は、新しい多能性幹細胞で、
再生医療を実現するために重要な役割を果たすと期待されています。』
   等々。 
IPS細胞がどうしてできるのか、
私には、イメージはできても、全く理解ができないのです。
理解しようと、録画を繰り返し繰り返し見ています。 楽しいのです。

     
        真鍋氏も山中氏も、又すべての学者もそうでしょう、
          『考え、考え続けて結実』させたそうです。

      人類の未来に貢献をする、各部門のノーベル賞受賞者の皆様。
              ありがとうございます。
        体に気をつけて、益々のご活躍をお祈りいたします。
                      

      1949年(昭和24年)日本人として初めてノーベル賞を受賞したのは
           若き42歳の 湯川 秀樹理論物理学者 博士。
         今年受賞の真鍋淑郎・物理学者の72年前の湯川秀樹・物理学者の快挙でした。
     その後、私が中学生だった学校に、湯川博士が講演においでくださった。
        湯川氏の専門部門の話しには全くついていけないまま、
    それでも、お顔から目を話すことなく夢中で拝聴したのを、懐かしく思い出します。


      今日も、真摯に、一筋に、謙虚に、学問に生きる方々から多くを学びます。
                       感謝!感謝!

 

そして。

今日は10月9日。年間第二十七土曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの光、私の救い、 わたしは誰を恐れよう。
  主はわたしの命の砦、 わたしは誰の前におののくことがあろう。』
          詩編 27章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスがこれらのことを話しておられると、
      ある女が群衆の中から声高らかに言った。

        「なんと幸いなことでしょう、
    
     あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」

       しかし、イエスは言われた。
  「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」』
                 ルカによる福音書 11章27-28節


    イエスの母マリア様は、
      『神の言葉を聞き、それを守る人』でした。
       イエスの言われる『幸いな人』でした。


 ※マリアは、ヨセフと婚約中に、神の使い・天使ガブリエルから告げられました。
     『あなたは身ごもって男の子を産む。
      その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。』
    すると、
    マリア様は、
     『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』
      と返事をし、承諾をし、
      自分は卑しい者であるのに神は自分に偉大なことをなさったと、
        神にすべてをゆだね、神に感謝をなさったのです。

又ある時は、
   
 ※マリアは、迷子になった12歳のイエスを3日間探した後、神殿でイエスを見つけました。
     すると『どうして捜したのですか。
      わたしが自分の父の家に居るのは当たり前だと、知らなかったのですか。』
        と、イエスは、母親マリアに言ったのです。
     母マリアは、イエスの言葉の意味や、イエスの態度が理解できませんでした。
     しかし、マリアは神に信頼し、イエスの言葉を心に留め、
         すべてを神に任されたのです。

    
    マリア様は、
       『本当の信仰』を持っていたお方なのです。
        イエスの母であるだけでなく、
    イエスの言われる『神の言葉を聞き、それを信じ、それを守る人』でした。
       イエスの言われる『幸いな人』でした。
         信仰者の『模範』なのです。


     私たちも、マリア様に倣って、
    『神の言葉を聞き、それを守る人』になり、『幸せな人』になりたいですね。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。
 わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。』 
        ヨハネによる福音書 4章23節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋の夜長。素晴しい学者たちやマリア様に倣って、熟考するのもいいですね。
好きな分野を見つけて、ともかく考え、考えるそうです。
そうすると・・・何かのひらめきが必ずあるそうですよ。山中氏の言葉です。 お元気で!

晩秋・・・『濃厚な時間』 そして 『主よ、祈りを教えてください』・・・『主の祈り』

2021-10-06 12:20:31 | 日々のこと。 世界のこと。
10月6日。水曜日。晴れ。

驚きです。
今日は日本全国各地で真夏日との天気予報が流れるのに、
今週末はもう『晩秋』だそうです。


  
                         昨年の我が家の紅葉

        晩秋といえば、さみしさが伴います。
        美しい紅葉もやがては散り、
        晩秋は、一年の終わりへとつながる。


  晩秋の季語
  秋惜しむ。秋寒。晩秋。秋深し。朝寒。寒露。九月尽。暮の秋。十月。長月。冷まじ。
     そぞろ寒。肌寒。夜寒。漸寒。行く秋。 等々。
       身にしみる『言葉』が続きます。

更には、

  晩秋の句
  松尾芭蕉だけでも、
  ※『秋深き 隣は 何をする人ぞ』 秋のさみしさに、人恋しく、隣の人が気になってきて・・・。
  ※『この道や 行く人なしに 秋の暮れ』 行く人もなく、稲刈りも終わって、どこまでも続くさびしげな秋の暮れの道・・・。
  ※『枯れ枝に 鳥の止まりけり 秋の暮れ』 気づけば、枯れ枝に鳥がとまるのが見える、さびしげな秋の暮・・・。
  ※『白露も こぼさぬ萩の うねりかな』 露をいっぱいためた萩の花の群れが、秋風にうねっている。さびしげな白萩だろうか?
        晩秋が身にしみる俳句ばかりですね。

    
   つらつら考えるに・・・
       季節の流れは速いものです。一時も無駄にはできませんね。

    晩秋前の空いた今日の一日・・・

       余計なものは切り捨て、省けるものは省き、
       久しぶりに断捨離に励むことに致しましょう。

   スッキリクッキリさせて・・・
       
       毎日の『時間』を濃厚にしなくてはなりません。

           濃厚な『時間』の中で、
     『笑顔』だけは、どんな時にも省くことなく、保ち続けなくてはなりません。
     『笑顔』に、『終わり』がすり込む余地はないはずですから。


   身軽になったら・・・
       今日の午後は、『芸術の秋』、笑顔で、俳句でも詠ってみようかな。
                     感謝!感謝!


そして。

今日は10月6日。年間第二十七水曜日。

『今日の入祭唱』

 『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、
         主の戒めは清らかで、目に光を与える。
  主への畏れは清く、いつまでも続き、
         主の裁きはまことで、ことごとく正しい。』
              詩編 19章9&10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスは ある所で祈っておられた。
   
祈りが終わると、
弟子の一人がイエスに、
   「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、
    わたしたちにも祈りを教えてください」  と言った。

そこで、
イエスは言われた。
     「祈るときには、こう言いなさい。

    『父よ、
     御名が崇められますように。
     御国が来ますように。
     わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
     わたしたちの罪を赦してください、
     わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
     わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
         ルカによる福音書 11章1-4節


   今日、
   イエス様は、弟子に、どう祈ればよいかを教えました。
     『主の祈り』を教えてくださいました。


    イエスに『祈り方』を尋ねた弟子は、
    イエスに『主よ!』と呼びかけています。
    それは、イエスを神だと解った後に出る『言葉』です。

ということは・・・
   『ルカによる福音書』をルカがまとめたのは、
    イエスの死後の、西暦70~90年頃といわれているので、

    ※ルカは、初代教会の信徒たちの『疑問・質問』を、
      一人の弟子の『言葉』として、書いたのかもしれません。
    ※ルカは、イエスの死後も、信徒が祈り続けるようになっている、 
     生前のイエス様が、神を『父』と呼んで、教えてくれた『主の祈り』
                を書き残したのでしょう。
                大変に有り難いことでした。


    イエス様は、神を『父』と呼んでおられたので、
    私たち・信者も、信頼を表わして、神を『父』と呼ぶことができます。

      イエスを信じるようになった者は、
      御父・神が『すべての源』であると知って、
      イエスとともに、イエスと心を合わせて、
        『主の祈り』を祈るのです。


      神の御名が崇められますように。
      人々が神を知り、信じることができますように。
      神がすべての人の中で働いて、
        人の幸せを作っておられるのを認めることができますように。
      神は、新たに毎日、必要なパン、必要なな力を与えてくださいます。
      神よ、私たちの弱さを理解し、何回も新たに私たちの過ちをお許しください。
      私たちも、互いに許すことができるように、力をお与えください。


   『主の祈り』は、
   ※私たちのすべての願い、心配、希望が含まれています。
   ※すべての祈りの『模範』となるものです。
   ※祈りを唱えるとき、イエス様が一緒に祈ってくださり、
    イエス様が一緒に父に願ってくださっておられる、ことを信じています。
   ※この祈りだけをゆっくり唱えるなら、
    それで十分です。神と一緒に生活ができるようになるのです。

        
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『人を神の子とする霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。』
     ローマの信徒への手紙 8章15節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、今日は何の秋を楽しみますか?
まだ水曜日では、お仕事の毎日、『読書の秋』でしょうか? お元気で!



岸田新内閣・・・女性閣僚3人で全体の15% そして 『聖フランシス(アシジ)修道者 記念日』・・・『追いはぎに襲われた人の隣人は、その人を助けた人です。』

2021-10-04 13:18:14 | 日々のこと。 世界のこと。
10月4日。月曜日。快晴。

今日から『岸田内閣』が始まります。


      謙虚に、道路脇に咲く・・・  『小花』
 
  

    新岸田内閣閣僚は、
      閣僚20人中、女性閣僚は3人15%である。


  菅政権の閣僚での女性閣僚は、上川陽子法相と橋本聖子五輪相、2人のみでした。

 
     女性に関する国連の機関「UN Women」とIPU(列国議会同盟)
         2020年3月に発表したデータ。
          2020年1月時点では、
       日本の閣僚ポストで女性が占める割合は、
         『15.8%』の『世界113位』

ちなみに、
同じ2020年3月の発表データ。
世界各国で官僚ポストに女性が占める割合は・・・
一位:スペイン   66,7%
二位:フィンランド 61,1%
三位:ニカラグア  58,8%


  そして、この度、
  一年後の現実です。
  2021年10月・現在時点では、
  岸田内閣で女性が占める割合は・・・『15%』昨年度統計より0、8%減りました 
  世界の何位になるのでしょうか?


       自称『聞く総裁』である岸田総裁です。
       総裁は女性の声をどこで聞いてくれますか? 
       自称が公称となりますようにお願い致します。


そして。

今日は10月4日。年間第二十七月曜日。

       『聖フランシス(アシジ)修道者 記念日』
  
                         チマブーエ画 

1181年。 イタリア中部のアシジの裕福な織物商の家にまれる。

     青春時代は放蕩生活を送ったが、後に回心して、
     父親から譲り受けた遺産をすべて放棄し、神に固く結ばれることを志した。
     貧しさを選んで福音に従って生活し、神への愛をすべての人に説いた。

     同志のために優れた会則を作り、これはやがて教皇に認可を得て、
1209年。27歳。 「小さき兄弟会」、後の「フランシスコ会」を創立した。

     また、女子修道会や在俗信徒のための第三会などを設立し、
     未信者にも福音を宣べ伝えた。

1226年。44歳。 死去。

      フランシスコは、クリスマスの夜に馬小屋を飾って祝った最初の人であり、
                   その習慣を広めた。


『今日の集会祈願』

   『天地の造り主である神よ、
    アシジの聖フランシスコは、
    貧しさとへりくだりの生涯を通してキリストの姿に似るものとなりました。
    わたしたちも聖人の跡を歩んで御子に従い、
    喜びのうちにあなたをたたえることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、 ある律法の専門家が立ち上がり、
        
        イエスを試そうとして言った。

  「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、
   「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」
                            と言われると、
彼は答えた。
    「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、
         あなたの神である主を愛しなさい、
        また、隣人を自分のように愛しなさい』  とあります。」
イエスは言われた。
       「正しい答えだ。それを実行しなさい。
         そうすれば命が得られる。」

しかし、
彼は自分を正当化しようとして、
      「では、わたしの隣人とはだれですか」  と言った。
イエスはお答えになった。
     「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、
          追いはぎに襲われた。
 追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
     
 
      ある祭司がたまたまその道を下って来たが、
      その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

      同じように、

      レビ人もその場所にやって来たが、
      その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

      ところが、

      旅をしていたあるサマリア人は、
      そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
      近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、
      
  
          自分のろばに乗せ、
      
      
        宿屋に連れて行って介抱した。
      
      
      そして、翌日になると、
      デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
         『この人を介抱してください。
       費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

     
       さて、あなたは※この三人※の中で、
    だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。
      「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。
     「行って、あなたも同じようにしなさい。」』
                 ルカによる福音書 10章25-37節



 今日は
 イエス様は、『たとえ話』で、
   『永遠の命を得るために、神を愛し、隣人を愛しなさい』 
     又、隣人を愛する『模範』として『サマリア人の愛』 を、
                    ある律法の専門家に教えたのです。

     『神を愛しなさい。 また 隣人を愛しなさい。』


        誰が『隣人』であるかというよりは、
     『隣人』とは『どういうふるまいをする人』であるかを、
                   イエスは教えるのです。


 『追いはぎにあい、服をはぎ取られ、殴りつけられ、半殺しにされたまま
        倒れている『隣人』

その『隣人』を見て・・・
どんなふるまいをしますか?

  ※祭司もレビ人(祭司職を持つ部族)
      被害者を見ましたが、助けずに、横を通り過ぎたのです。
       彼らには言い訳があったことでしょう。
一方、
  (被害者・イスラエル人は敵である)サマリア人は、
      仕事中である言い訳等を申し立てることなく、
      被害者を見ると、かけ寄り、最大限の助けをしました。


      イエス様は勧められるのです。
   ※自分の都合を考えるより、相手の立場を考えなさい。
   ※困っている人、誰かの助けを必要としている人を見たなら、
     助けることができるなら、助けなさい。 と。


    イエス様こそ、本当の『良いサマリア人』:『隣人』です。
 ※困っている人を助け、世話をし、傷を癒し、罪を赦してくださいます。


     祭司やレビ人は、やるべきことをやらなかった人たちです。
 ※回りに迷惑はかけないが、人の痛みには無関心、愛する勇気のない人たちです。

     私たちも、回りに迷惑をかけないから大丈夫ではなく、
    助けを必要としている人のそばに走り寄りたいものですね。

      
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』
      ヨハネによる福音書 13章34節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
緊急事態宣言が終わり、新内閣が始まります。
世の中変わります。 私たちも変わりましょう。 お元気で!

台風一過・・・緊急事態宣言解除 そして 『守護の天使 記念日』・・・『彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいる。』

2021-10-02 12:09:42 | 日々のこと。 世界のこと。
9月2日。土曜日。晴れ。

台風一過の今日。
台風も、自民党総裁選も、緊急事態宣言も、
終わりました。
これからを見守りつつも、一段落です。
正に、台風一過です。

    

           大空に向かって、孤高に、気高く、咲く。


       緊急事態宣言の全国解除は意味が大きい。
       一年半ぶりに、山中間からお誘いがかかった。
       孫娘は、広島に長崎に京都にと、祖父母宅訪問の冬休みの計画を始めた。

           登山や旅行の計画ができる。
        実現は不確かであっても、計画ができるだけでも
           緊急事態宣言解除の産物であろうか。


  私の高齢の友人は、
  「一年半ぶりに友人と再会し、友人の年を取られたのに驚きました。
   私も同じなのだは。 互いに生きていただけで、幸せとしました。」
                  と、電話をくださった。


       私も、友人と同様である。
    コロナ禍の中でも健康であったことを喜ぶことに致しましょう。
                    感謝!感謝!


そして。

今日は10月2日。年間第二十六土曜日。

        『守護の天使 記念日』
     
     『悪魔から子供を守る天使 』 Domenico Fetti作品

   いつくしみ深い神が天使を遣わして、
   わたしたちが神の国に入ることができるように守ってくださる。
       それを思い起こす記念日である。

         守護の天使の記念日は、
       十六世紀にいくつかの教会で祝われ、
     1615年。ローマ教会暦に取り入れられました。
              『毎日の読書』より

  『あなたには災難もふりかかることがなく天幕には疫病も触れることがない。
 主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
  彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。』
               詩編 91章10-12節

『今日の集会祈願』

   『摂理によってすべてを治められる神よ、
 あなたは天使を遣わしてわたしたちを守ってくださいます。
 わたしたちがいつも天使に守られ、永遠の喜びに入ることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、 弟子たちが イエスのところに来て、
        
    「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」 
                         と言った。

 そこで、
      イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
      
      言われた。

         「はっきり言っておく。
       心を入れ替えて子供のようにならなければ、
         決して天の国に入ることはできない。

       自分を低くして、この子供のようになる人が、
          天の国でいちばん偉いのだ。

    わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、
         わたしを受け入れるのである。

    これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。
    言っておくが、
  彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」』
          マタイによる福音書 18章1-5&10節   


  ※天の国では、自分を低くして、子供のようになる人が、一番偉い。
  又、
  ※天の国に入るには、心を入れ替えて子供のようにならなければ、入ることはできない。
             と、イエス様はおっしゃるのです。

  
    子どもは、自分の力は弱く、他人の助けを必要とする、無力な者です。   
    ところが、
    大人は、自分の力でなんでもできる、自分の力でなんでもするべきだと考えるのです。
       他者の助けを必要としない人が多くいます。
     神の救いすら必要としない、自分は実力者と考える大人も多いのです。


     神様は、そのような大人には何もおできになりません。
        人が、神様が必要だと認めるためには、
        心を入れ替え、『新しい考え方』が必要です。
        と、イエス様はおっしゃるのです。


  子どもたちは、弱い者であっても、一人一人の存在は素晴しいのです。
  子どもたち一人一人は、天の国の神と共にいる天使がついて、守ってくれています。
     その子どもたちを大切にすることを忘れてはなりません。
        軽んじてはならないのです。

    
    神は、わたしたち大人一人一人のためにも、御使いに命じて、
     わたしたちの道のどこにおいても守ってくださるのです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『御使いたちよ、主をたたえよ。御旨を果たすものよ、主ををたたえよ。』
        詩編 103章20&21節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
穏やかな週末です。
変わることなく、今までどうりにウイズコロナを忘れずに、素敵な週末でありますように。 お元気で!

『夜明け』・・・自民総裁選投開票日 そして 『聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使 祝日』・・・『天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』

2021-09-29 08:20:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月29日。水曜日。晴れ。

       
真っ赤に燃える今朝の空・・・

              『夜明け』
 
 今日の新幕開けを祝福するような・・・        この美しい景色は一瞬でした。


        自民総裁選きょう投開票
    緊急事態宣言もまん延防止処置もあしたをもってすべて解除

       今日は新しい日本の夜明けとなるだろうか?
      山積みする課題をいかにこなしていかれるのか。


   他国では。

    『欧州の盟主』と世界中から称賛される『メルケル独首相』
      
        26日投開票のドイツ総選挙に出馬しない。
      新政権発足まで首相を務めた後、政界を引退する。
   『EUの顔』であったメルケル氏の穴を即座に埋める存在は見当たらない。
         EUは重要な『まとめ役』を欠いたまま、
         山積みする課題に直面することになる。


    それでも、

        『ポスト・管&メルケル』の時代に入っても、
      新しい世界の夜明けを期待を持って待ち望みましょう。


        今日は、歴史好き、政治好きの私は、
      頭をフル回転で・・・私の次期自民総裁の予想。 当るか?否か?
      自分の判断能力の診断を待ちます。
      というより、総裁選の結果にドキドキしますね。
      それにつけても、メルケル氏の頭脳明晰をあこがれますね。
                       感謝!感謝!


そして。

今日は9月29日。年間第二十六水曜日。

     『聖ミカエル    聖ガブリエル      聖ラファエル大天使 祝日』
  
  今日は、
  神の使いである天使たちと心を合わせて神を賛美し、その取り次ぎを願う祝日である。

     ミカエルは、「神と似た者」という意味で、
     旧約では、『イスラエルを助ける天使』として描かれる。ダニエル書10ー13
     新約では、『悪魔に対して戦った』と記されている。ヨハネ黙示録12ー7

     ガブリエルは、「神の力」という意味で、
     旧約では、『神のメッセージ』を預言者に伝えている。ダニエル書
     新約では、特別な役割をもち、ザカリアに『洗者ヨハネの誕生』を、
        また、聖母マリアに『救い主イエスの誕生』を伝えている。

     ラファエルは、「神はいやされた」という意味で、
        神のみ前にいる7位の天使の1位である。
     旧約では、人びとの祈りを聞き入れて『神にとりなし』トビト書
      又、『汚された地を清らかにする天使』として描かれている。エノク書
                    『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』
 
   『いつくしみ深い神よ、
 あなたは限りない英知をもって天使と人間にそれぞれ使命をお与えになりました。
 あなたに仕える天使の助けによって、
   わたしたちもゆだねられた使命を果たすことができますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、
        彼のことをこう言われた。

   「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

 ナタナエルが、
     「どうしてわたしを知っておられるのですか」  と言うと、
 イエスは答えて、
     「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
       いちじくの木の下にいるのを見た」 
     
               と言われた。
 ナタナエルは答えた。
        「ラビ、あなたは神の子です。
        あなたはイスラエルの王です。」
 イエスは答えて言われた。
    「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、
           信じるのか。
       もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

 更に言われた。
         「はっきり言っておく。
    天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
        あなたがたは見ることになる。」』
                 ヨハネによる福音書 1章47-51節


 今日は、
 イエス様が、まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。』と言われた
        『ナタナエルの改心』について学びます。


   初めの頃の弟子たちは、
   自分の友達を誘って、イエスのもとへ連れて行ったのです。

   ナタナエルの友人・フィリッポも、ナタナエルを誘いました。
   すると、
   ナタナエルは、『ナザレから何か良いものが出るだろうかと、
      田舎町・ナザレから『救い主』が生まれるはずはないと、疑ったのです。
   すると、 
   フィリッポは、『来て、見なさい』と言ったのです。 ヨハネ1-43~45
   そして、
   ナタナエルは、フィリッポとの会話の直後に、イエスのもとへ出向くのです。


       ナタナエルに限らず、信仰を求める人は、
      自分で『イエス』を体験する必要があるのです。
      イエスとの個人的な接触により、イエスを段々知るようになるのです。
         イエスの考え方が解ってくるのです。

 私も考えてみました。

     ナタナエルの※『素直さ、無垢さ』※を、イエスはほめたのでしょう。
     ナタナエルは、
     ※素直に自分や世間の『偏見』を捨てて、イエスを自分の目で見ようとしたのです。
     ※無垢な気持ちで、自分の足で、イエスを見に行ったのです。 確かめに行ったのです。
     ※素直に自分の目で確信し、改心し、イエスを信じたのです。


    イエス様は、信じたナタナエルに、更なる確信をさせたのです。
       「さらに大きなことを見ることになる。」   
    『天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
         あなたがたは見ることになる。』
               と、おっしゃったのです。

       それは、
       ※人間イエスの素晴らしさを見るだけでなく、
   ※更なる イエスの『受難』と『復活』が、天の天使たちから告げられるのです。
     イエスの『本当の姿』を見ることになり、理解することになるのです。


『今日のハレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『主の万軍よ、主をたたえよ。御もとに仕え、御旨を果たすものよ。
    主に造られたものはすべて、主をたたえよ。』
         詩編 103章21節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日午後1時の選挙の結果を見守りましょう。 お元気で!

人の善意の結集・・・『美しい公園』 そして 『聖トマス西と十五殉教者 記念日』・・・『イエスは、天に上げられる時期が近づき、エルサレムに向かう決意を固められた。』

2021-09-28 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月28日。火曜日。曇り。

今朝も人の善意のあふれる・・・

            『美しく大きな公園』
 

         毎朝のウォーキングの最終目的地です。
      真ん中に小山があり、二回上ったり下りたりします。
    鉄棒等のアスレチック器具が沢山用意されており、筋トレをします。
    外周は緑のトンネルを通る舗装道路になっており、ジョグをします。

   等々・・・
   私は、毎朝、公園を、有り難く利用させて頂くばかりです。感謝感謝です。
   
   ところが・・・

   一人の若い女性は、
   毎朝、ポリ袋を手にして、公園全体を歩きながら、
       『ゴミ拾い』をしていらっしゃいます。

   一人の若い男性は、
   週1~2回、自転車に家庭用芝刈り機と自家発電機を乗せてきて、
   公園内の皆がおしゃべりなどを楽しむ東屋あたりの、
        『草刈り』をなさるのです。
     Top の私の写真ように、大木の下あたりの草は丸く美しく、   
       緑のグラデーション状態に草を残して、
   大木の下の散歩を楽しむように草を刈り込み、『散歩道』を作るのです。

        この若い男性は、
     ウォーキングもお人と話すこともなく、
   草刈りが終わると、自転車にご自分の器具を乗せてお帰りになるのです。
   

     このお二人は、私の「ありがとうございます」の言葉に、
        笑顔で、会釈をなさるのみです。
      このお二人の心情はいかなるものでしょう。
    神が送り込んだ高尚な道徳行為の『模範者』でしょうか?
    こういう方は、どこでも、時々、お見受けしますね。
    私も、少しでも、こんな方たちの心情にちかづきたいものです。


      私は、今朝も、
      美しい公園で、一日の英気を充満しました。
      そして、
      美しい人々のすばらしい善意が心にしみて、美しい一日の始まりとなりました。
                           感謝!感謝!


そして。

今日は9月28日。年間第二十六火曜日。

     『聖トマス西と十五殉教者 記念日』
     
   今日記念する聖人は、
    いずれもキリシタンへの迫害が激しかった
     秀吉時代から徳川家光の時代までの、
       1633年~1637年にかけて、
       長崎で殉教した人たちです。

 十六名は、
 ドミニコ会の司祭、修道者、修道女、そして彼らのために働いた信者たちで、
 九名の日本人のほかに、スペイン人、イタリア人、フランス人、フリッピン人が含まれている。

 日本人の司祭の、トマス西、サンタマリアのヤコブ朝長、十字架のビンセンチオ塩塚の3人と、
          女性2人がいた。
     彼らは、日本で列聖された最初の日本人司祭と女性である。
     またフィリピンの最初の聖人であるロレンソ・ルイズなど、
     日本から追放されたが死を覚悟して再び来日した外国人司祭もいた。

1981年。 トマス西と15殉教者は、フィリピンで列福された。
1987年。 バチカンでローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
           『毎日の読書』より
 
『今日の集会祈願』

   『聖なる父よ、
    あなたは聖トマス西と十五人の同志を聖霊によって強め、
 キリストのあかしとして苛酷な迫害に耐え、殉教する力をお与えになりました。
    聖人たちの殉教を記念するわたしたちに、
 信じるために必要な謙虚さと信じたことを宣言する勇気をお与えください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』   

   『イエスは、 天に上げられる時期が近づくと、
     エルサレムに向かう決意を固められた。
   
      そして、先に使いの者を出された。

 彼らは行って、
    イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
 しかし、
      村人はイエスを歓迎しなかった。
    イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。

 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
     「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、
      彼らを焼き滅ぼしましょうか」  と言った。

      イエスは振り向いて二人を戒められた。
       そして、一行は別の村に行った。』
          ルカによる福音 9章51-56節


     イエスは、ガリラヤを去り、エルサレムに向かいます。
      ところが、
     その途中のサマリア人は、イエスを歓迎しませんでした。


  イエスがエルサレムで『苦しみ』を受けるとき、が迫ってきました。

  ※イエスに反対する人の多くは、エルサレムに住む偉い人たちでした。
   それでも、
  ※イエスは、固く決心して、エルサレムに向かって行かれるのです。
   ところが、
  ※弟子たちは、イエスから『苦しみ』の話しを聞いても理解できずに、
    イエスが、『偉い人』になるために、エルサレムに向かうと思っていたのです。
    そこで、
    イエスがサマリア人から受け入れられないのを見て、   
    弟子たちは怒って、サマリア人たちに『罰』を下すように、イエスに願ったのです。


      弟子たちの信仰は、
      長年イエスと寝食をともにしていても、イエスの気持ちも分からず、
      浅い信仰でした。
 
      イエスは、弟子たちに、
    ※『本当の弟子』になる意味を、教えなくてはなりません。
    ※『本当の弟子』になるために、何が必要かを、身をもって教えるのです。


     神は、
     悪い人を、すぐに罰するのではなく、忍耐をもって、その人に『改心』を勧められるのです。
     イエスは、
     弟子たちの『改心』を、忍耐強く、待っておられるのです。
     弟子たちも、
     サマリア人をすぐに罰するのではなく、忍耐をもって、
       サマリア人の改心を呼び起こさなければなりません。

        
     弟子たちが、『本当の弟子』になるためには、『忍耐』が必要なのです。
      それは、人を罰することではなく、人を裁くことでもなく、
           人を赦すことです。
         人の『改心』を求めることです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『人の子は仕えるためではなく仕えるために、また、
  多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』
       マルコによる福音書 10章45節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も、互いの思いやりを大切にしながら、STAY HOMEを乗り越えましょう。
                 お元気で!


自民党総裁選挙と『平和アピール』 そして 『聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭 記念日』・・・『皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』

2021-09-27 13:38:58 | 日々のこと。 世界のこと。
9月27日。月曜日。晴れ。

自民党総裁選挙
投開票が29日、二日後に迫ってきた。
目が離せません。


  我が家の庭も・・・
  満開が近い・・・    『椿』
  
                        その美しさに目が離せません。

   思い出すのは、
   初来日した教皇ヨハネ・パウロⅡ世の『言葉』

     『過去を振り返ることは未来に対する責任をおうことです』 
               
   この言葉を繰り返し、
   全世界に向け、平和と核廃絶のメッセージ『平和アピール』を発信なさったのは、
       35年前の粉雪の舞う広島の『平和公園』でした。

       35年の間に、世界情勢は平和に向かっただろうか?
       日本政府はどうだっただろうか?

       緊迫感のただよう最近の世界情勢です。

ちなみに、
『過去問題』を繰り返しながら、
数ヶ月後に迫った中学受験のための準備
をする孫息子です。

   

   日本政府も、孫息子も、
   過去を十分に振り返り、未来に対する責任を果たしてもらいたいものです。 
   人それぞれの努力がある。頑張ってほしいものです。
       
それにつけても・・・

   次期自民党総裁はどんな『就任挨拶』をするのだろうか?

   私が良く覚えているのは、ケネディ大統領の『大統領就任演説』です。
   『(新たな世界の建設は)最初の100日間では果たせまい。
   最初の1000日間でも、この政権の間でも、そして恐らくは我々のこの惑星上における一生涯の間ですらも果たせないかもしれない。
   それでも、始めようではないか。』
   『国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――
    諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい』 でしたね。
        『演説』は、61年前の1961年でした。


    今こそ、私たち・国民も国家のために何ができるのか? 考えなくてはいけませんね。



そして。   

今日は9月27日。年間第二十六月曜日。

      『聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭 記念日』
     

1581年。 フランスの西南部の小村プーイにまれる。
      生家は、子どもの多い貧しい農家で、牧童として家事の手伝いをした。
      少年時代から母親の影響を受けて、
      貧しい人びとに対して深い同情心を授けられた。
      父親は学問を授けるてだてを講じた。

1600年。19歳。 司祭に叙階。パリに行き主任司祭として働いた。

      聖職者の養成と貧しい人々を助けるために、
       『布教宣教会』を設立する。
      この会を通じてフランスの主任司祭の刷新に寄与した。

1633年。52歳。 聖女ルイズ・ド・マリヤックの協力を得て、
          『愛徳姉妹会』も設立した。
         その生涯を通じ、多くの慈善事業を行った。

1660年。79歳。 パリで死去。

1737年。没後77年。  列聖。
1885年。没後225年。 教皇レオ13世は、彼をあらゆる慈善団体と病院の『守護聖人』と宣言した。 
               『毎日の読書』より 

『今日の集会祈願』

      『すべての人の父である神よ、
   貧しい人の福祉のため、また司祭の養成のため、
あなたは聖ビンセンチオ・ア・パウロを使徒の熱意で満たしてくださいました。
わたしたちも同じ熱意をもって、聖人の理想を追求することができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

    そのとき、弟子たちの間で、
   自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。

イエスは彼らの心の内を見抜き、
        一人の子供の手を取り、
      
       御自分のそばに立たせて、
 言われた。
    「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、
       わたしを受け入れるのである。
        わたしを受け入れる者は、
   わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。

  あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

そこで、ヨハネが言った。
  「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、
     わたしたちと一緒にあなたに従わないので、
        やめさせようとしました。」
 イエスは言われた。
       「やめさせてはならない。

  あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」 』
       ルカによる福音書 9章46-50節

   
     今日も、イエス様は、弟子たちを教育するのです。
      『一番小さい者は一番偉い者である。』 と。


   イエス様は、二回、
    ※自分が苦しみを受けること。
    ※『へりくだりの道』が、ご自分の『道』であること。
               を、弟子たちに打ち明けました。
 しかし、
   
   弟子たちは、
   『イエスの話』を理解できず、イエスの話の正反対のこと、
     『弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いか』
             という議論をしていたのです。
    更に、
    イエスの名を使って悪霊を追い出している人の話を聞き、
    彼を自分たちの競争相手と思って、
             彼の働きをやめさせようと考えたのです。
    
そんな時、

   イエス様は、
   小さな子供を呼んで、真ん中に立たせて、言われました。
      「この子供を受け入れる者は私を受け入れ、
         御父を受け入れる者である』 
    と、弟子たちに話しをなさるのです。教育するのです。
   

   小さな子供達は、
   社会的に力のない者、弱い者として、何でも感謝し、誰をも受け入れる者たちです。
      『世の中で最も小さい者で、最も偉い者たち』です。 
       弟子たちの『模範』となるのです。
   イエス様も、
   社会から捨てられる『道』を選んで、神を信頼しながら自分の命すら人類のために献げるのです。
       弟子たちの『模範』となるのです。

        自分の力に頼らず、神にお任せする、
    そんな『へり下りの道』こそ、神に近づく『近道』 である、
          とイエスは言われるのです。


     イエス様に従う『道』は、
     偉い人になることを目指すのではなく、
     『人に仕える道』、『見捨てられた人に仕える道』 なのです。


『今日のハレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、
   多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』
        マルコによる福音書 10章45節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
時代は変わる。いろいろ変わります。 皆様はお変わりなく お元気で!

『あ・い・う・え・お』から『か・き・く・け・こ』へ『人生100年時代』 そして 『イエスは、神の国を宣べ伝え、病人を癒すために十二人を遣わされた。』

2021-09-22 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
7月22日。水曜日。曇り。

今朝のNHKラジオから。

  
                       ウォーキング途中の道ばたの小花♡♡

         朝の仕事をしながらの『ながら族』のラジオ。
        大学の先生?の『対談』のようなのが流れていました。


      年を60台・・・70台・・・へと年を重ねた人は、
       心して、
    『あ・い・う・え・お』から『か・き・く・け・こ』へと、
       切り替えるべきです。 切り替えなくてはいけません。
                     と、話しておられました。



    年を重ねた人たちの『特徴』・・・
         『あ・い・う・え・お』
    『あ』:諦め。『い』:いじわる。『う』:内向き。『え』:遠慮。『お』:遅れる。
                    これでは、人生がおもしろくない。
    

    年を重ねてからの『モットー』として・・・
         『か・き・く・け・こ』
    『か』:何事にも感動する。 『き』:機嫌良く過ごす。『く』:昨日よりちょっとうまく工夫する。
       『け』:健康に気をつける。『こ』:人のために役立ち貢献する。
                 これらで、人生を面白く楽しく致しましょう。


        なるほどね。納得ですね。
        年を重ねる:『エイジング』は、『神の祝福』と言いますよね。

  つまりは・・・

     失うものを嘆くのではなく・・・
      年を重ねたからこそ与えられた『神の祝福』:『自由時間』を、
        お人のお役に立ちながら・・・面白く楽しく、
        健康に気をつけながら・・・機嫌良く楽しく、
        素敵ね!と声出しながら・・・感動を重ねながら楽しく、

                    ・・・ということですね♡♡


     残されたものを最大限に生かして・・・
        『か・き・く・け・こ』 で、
         『人生100年時代』
       温かく濃密な日々で、楽しみましょう。
    
           

そして。

今日は7月22日。年間第二十五水曜日。

『今日の入祭唱』

 『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。
  主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。』
       詩編 19章9&10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは 十二人を呼び集め、
     
  あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。

  そして、
     神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、
         ※次のように言われた。

   「※旅には何も持って行ってはならない。
    ※杖も袋もパンも金も持ってはならない。
    ※下着も二枚は持ってはならない。
    ※どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。
    ※だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、
      彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」

         十二人は出かけて行き、
      
        村から村へと巡り歩きながら、
     至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。』
          ルカによる福音書 9章1-6節


    今日のイエスは、十二人の使徒を宣教に派遣しました。
      イエスは父からこの世に派遣されたように、
     今度はイエスが弟子たちをこの世に派遣しました。


 今日まで・・・
 イエスは弟子たちを集め、 
 ※イエスを中心にして、一つの団体を作りました。
 ※ご自分の仕事を継続するために、団体の中で、弟子たちを教育をしました。

そして

 時が満ち・・・
 イエスは、弟子の中から12人の使徒を選び、世の中に派遣したのです。
 イエスは、12人の使徒たちを派遣するに当り、12人の使徒たちに、
  ※ご自分が持つ『悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能』を与えました。
   また、
  ※『何も持たないように』 又 『1つの家に留まり宣教活動をするように』
                       と注意を与えました。


       使徒たちは、これからの厳しい宣教活動の中で、
          彼らは神に仕える者として、
 ※何も持たない生活で、
   神が必要なのもを与えてくださると、神に信頼することを学ぶ必要がありました。
 ※どんな時にも、
   自分の『使命』を果たすことが第一であることを、学ばなければなりませんでした。


      使徒たちの『使命』は、
      イエスの『模範』が教えてくれたように、
  『神の御言葉』を伝えること 病人さんや困った人たちを癒すこと でした。


当時の社会では、
ユダヤ人が旅行をする時、異邦人の所、汚れた場所を訪ねたなら、
自分の国、聖なる場所、に戻る時に、
足についた埃を払い落とす習慣があったそうです。


         使徒たちは、これからの宣教活動の途中で、
      使徒たちを迎え入れない人に出会うこともあるでしょう。
         その時は、その町を出ていくとき、
      『彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。』
            と、イエスは12使徒に忠告したのです。

   
    私たちは、
    多くの弟子たちが、至る所へ、福音を伝えに行った、そのお陰様で、
      『福音』を知ることができるようになったのです。
    次は、
    私たちが、お人に『福音』を伝える番です。その力を祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』
         マルコ福音書 1章15節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
最近は、『ウイズ・コロナ』が定着した『新しい生活』の毎日です。
ウイズ・コロナを嘆くことなく、新しい自分の『生活形態』を模索してまいりましょう。 お元気で!