今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1076 行幸通り(東京都)楠公と天目茶碗を友にして

2023-01-14 19:26:14 | 東京(区部)
東京駅から皇居・二重橋まで、冬晴れの昼下がりを歩く。「首都東京の玄関口にふさわしい、品格ある道路空間」を創出したのだという「行幸通り」は、全幅が73メートルあって、奈良・平城京の朱雀大路を彷彿させる堂々たる通りだ。ただ全長は190メートルしかなく、しかも途中を内堀通りが分断しているのが残念だ。それでも東京駅のレンガ駅舎を背に皇居を望むと、この過密都市にこれほどの広い空が生きているのかと驚かされ、嬉しくなる。



この道路は都と千代田区、それに地元企業が参加する「デザイン会議」で検討された結果だという。いい空間を創出してくれたものだ。ランチの時刻を過ぎているから、働き蜂たちは再びオフィスに引っ込んでいるのか、あるいは在宅勤務が普及して、数そのものが減っているのか、すっかり葉を落としたイチョウ並木の中央帯は閑散としている。内堀通りを渡ると桔梗門、坂下門と続き、皇居正門への二重橋に至る。外苑の管理は環境庁の担当だ。



西欧ならこの辺りに巨大な凱旋門を建てるか、天を衝くオベリスクを配置するところだろうが、広大な広場には何もない。芝生に黒松が点在しているだけである。ゴシックだバロックだと変遷した西欧文明の目にはあまりに簡素で、つかみどころがないと映るかもしれない。しかし日本人なら、違和感よりも心の安らぎを覚えることだろう。その差異は、隙間なく飾り立てられたカトリックの大伽藍と、白木掘立造りの日本の神社を比較すればいい。



「宮殿」を考えるなら、ロンドンのバッキンガム宮殿と皇居を比較できるだろうか。色とりどりの花に埋もれたバッキンガムは美しいものの、やはり芝と黒松と砂利と濠と白壁だけの皇居がいい。皇居がなくなったら広い公園ができるだろうけれど、それはあまり魅力的ではない。ただ贅沢を言えば、二重橋前に建つ丸の内署の祝田橋交番に詰める警察官の制服は、バッキンガム宮殿の衛兵同様とは言わないまでも、もう少しオシャレであっていい。



戦争を引き起こした日本は、天皇制をなくした方が良かったと思っていたけれど、齢を重ねていささか考えが変化した。戦争の責任は、制度を強引に利用した政治家と軍部にあるのであって、先祖の長い営みの中で形成されてきたこの国の有り様は貴重だと思うようになってきたのだ。日本人はこの列島で1万年以上も文化を育んできた。クニを築いてからでさえ2000年ほどになる。この時間は代え難く、国民の知恵で磨き上げていく方が賢い。



行幸通りの皇居正面は日本郵船ビルと東京海上火災ビルが建つ。海運ニッポンの代表的企業が両脇を固めているのは興味深いが、東京海上ビルは解体工事が始まっている。このビルが建設された50年前、皇居前の高層ビル建設で美観論争が起きたことを覚えている。「皇居を見下ろすとは不敬だ」といった指摘もあった。「不敬」などといった主張を声高に叫ぶのは止した方がいい。50年を経ずに、もっと見下ろすビルが林立しているのだから。



都市とは人々が豊かな社会を築くために集積する場であるから、より機能的で快適でなければならない。この快適さには安全や清潔さに加え美しさが含まれる。世界の都市間競争は激しさを増す一方だ。この夜はそうした高層ビルの一角で、旧友と久しぶりに落ち合う。法律の専門家の彼にいろいろ教えてもらいたいことがあったのに、互いに「酒が弱くなったよ」と言いながら、杯を重ねてすっかり酔った。質問は次の機会に持ち越しだ。(2023.1.12)

















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