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東京駅丸の内北口の2階回廊から、コンコースを往き交う人たちを眺めている。ホームから降りて来る人々と、電車に乗ろうと改札を入って行く人たちが交錯を続ける広いコンコースは、都市の息遣いがこだましている。私はステーションギャラリーで開催中の「佐伯祐三展」を観てきたのだ。駅舎にあるギャラリーは、観終わるとこの回廊に出ることになる。だからしばらく人の流れを眺めることで、パリの街角へと浮遊した意識を戻そうとしている。
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佐伯祐三(1898−1928)の人気は高い。開館時に到着すると、入口はすでに長蛇の列である。友人の忠告でオンラインチケットを購入していた私はすぐに入場できたものの、列の人たちはしばらく入場制限されているようだ。なぜこんなに人気があるのだろう。日本人が憧れるパリを「独特ながらわかりやすいタッチと落ち着いた色彩」で描き出しているからなのだろう。そして彼の、30年というはかない生涯のドラマ性が、鑑賞に重い思いを生む。
(佐伯祐三「ガス灯と広告」1927年ころ)
「確かにあったはずだが」と書架を漁ると、佐伯祐三展の図録が3冊出てきた。私も大の佐伯好きなのである。一番古い図録は1968年、東京セントラル美術館で開催された「没後40年展」のものだ。学生だった私が、何がきっかけで出かけたかは覚えていないけれど、個人の画家の本格的企画展を観る初めての体験だったかもしれない。私はその場で、佐伯の作品にすっかり魅了されたのである。そして評伝を探し、夢中で読んだ記憶が懐かしい。
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(佐伯祐三「納屋」1928年)
2冊目の図録は1978年に東京国立近代美術館での「没後50年展」、3冊目は1989年、大阪市立美術館で開かれた「佐伯祐三とエコール・ド・パリの仲間たち展」である。ほぼ10年おきに佐伯に魅入られていたことになる。3冊目は大阪市の市政施行100年と近代美術館構想を記念して開かれた展覧会で、わざわざ大阪まで出かけたらしい。この美術館構想は昨年ようやく実現し、佐伯展が開かれたのだが、行く予定はコロナに阻まれた。
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佐伯が描く、石壁一面に文字が躍っているようなパリの風景画のお陰で、美術鑑賞という生涯の楽しみを得たと思っている私は、貧乏学生当時から本と展覧会のお金を捻出するのに四苦八苦していた。図録を購入して帰ると嬉しくて、厚紙で函を作り、黒の化粧紙で統一し、展覧会の入場券を貼って本棚に並べた。貧しい部屋には佐伯の「モランの寺」と、モディリアーニの「座る少女」のポスターを貼った。そんなことが楽しい幼い青年だった。
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(佐伯祐三「モランの寺」1928年)
老境に入って対面する佐伯は、やはり心地よく、若々しい感性が蘇るような思いにしてくれる。昔は「つまらない」と思っていた下落合時代の作品も、悪くないと感じる。ただ佐伯を「天才」「スーパースター」と持ち上げる展覧会ビジネスのコピーには辟易とさせられる。佐伯はひたすら愛される画家ではあり続けるだろうが、天才でもスターでもない、ただがむしゃらに描きたかった画家であり、もっと生きれば次の佐伯が生まれていたはずである。
連絡通路を抜けて八重洲口に行く。八重洲ブックセンターが明日で閉店だと思い出したのだ。44年前、「佐伯没後50年展」が開催された同じ年、国内最大の書店として開店した。行くたびになぜかワクワクしたものだった。「あと1日」と掲げられた店内は、すでに書棚に空きが目立ち、ワクワク感は蘇らなかった。私の感受性が老いたせいかもしれない。周辺37のビルが合体し、43階建の高層ビルが出現すると公告が告げている。(2023.3.30)
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(佐伯祐三「郵便配達夫」1928年)
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(佐伯祐三「オテル・デュ・マルシュ」1927年)
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(佐伯祐三「煉瓦焼場」1928年)
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(モディリアーニ「座る少女」1917−18年)
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佐伯祐三(1898−1928)の人気は高い。開館時に到着すると、入口はすでに長蛇の列である。友人の忠告でオンラインチケットを購入していた私はすぐに入場できたものの、列の人たちはしばらく入場制限されているようだ。なぜこんなに人気があるのだろう。日本人が憧れるパリを「独特ながらわかりやすいタッチと落ち着いた色彩」で描き出しているからなのだろう。そして彼の、30年というはかない生涯のドラマ性が、鑑賞に重い思いを生む。
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「確かにあったはずだが」と書架を漁ると、佐伯祐三展の図録が3冊出てきた。私も大の佐伯好きなのである。一番古い図録は1968年、東京セントラル美術館で開催された「没後40年展」のものだ。学生だった私が、何がきっかけで出かけたかは覚えていないけれど、個人の画家の本格的企画展を観る初めての体験だったかもしれない。私はその場で、佐伯の作品にすっかり魅了されたのである。そして評伝を探し、夢中で読んだ記憶が懐かしい。
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(佐伯祐三「納屋」1928年)
2冊目の図録は1978年に東京国立近代美術館での「没後50年展」、3冊目は1989年、大阪市立美術館で開かれた「佐伯祐三とエコール・ド・パリの仲間たち展」である。ほぼ10年おきに佐伯に魅入られていたことになる。3冊目は大阪市の市政施行100年と近代美術館構想を記念して開かれた展覧会で、わざわざ大阪まで出かけたらしい。この美術館構想は昨年ようやく実現し、佐伯展が開かれたのだが、行く予定はコロナに阻まれた。
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佐伯が描く、石壁一面に文字が躍っているようなパリの風景画のお陰で、美術鑑賞という生涯の楽しみを得たと思っている私は、貧乏学生当時から本と展覧会のお金を捻出するのに四苦八苦していた。図録を購入して帰ると嬉しくて、厚紙で函を作り、黒の化粧紙で統一し、展覧会の入場券を貼って本棚に並べた。貧しい部屋には佐伯の「モランの寺」と、モディリアーニの「座る少女」のポスターを貼った。そんなことが楽しい幼い青年だった。
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(佐伯祐三「モランの寺」1928年)
老境に入って対面する佐伯は、やはり心地よく、若々しい感性が蘇るような思いにしてくれる。昔は「つまらない」と思っていた下落合時代の作品も、悪くないと感じる。ただ佐伯を「天才」「スーパースター」と持ち上げる展覧会ビジネスのコピーには辟易とさせられる。佐伯はひたすら愛される画家ではあり続けるだろうが、天才でもスターでもない、ただがむしゃらに描きたかった画家であり、もっと生きれば次の佐伯が生まれていたはずである。
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連絡通路を抜けて八重洲口に行く。八重洲ブックセンターが明日で閉店だと思い出したのだ。44年前、「佐伯没後50年展」が開催された同じ年、国内最大の書店として開店した。行くたびになぜかワクワクしたものだった。「あと1日」と掲げられた店内は、すでに書棚に空きが目立ち、ワクワク感は蘇らなかった。私の感受性が老いたせいかもしれない。周辺37のビルが合体し、43階建の高層ビルが出現すると公告が告げている。(2023.3.30)
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(佐伯祐三「郵便配達夫」1928年)
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(佐伯祐三「オテル・デュ・マルシュ」1927年)
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(佐伯祐三「煉瓦焼場」1928年)
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(モディリアーニ「座る少女」1917−18年)
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