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満月が神宮の森を包んでいる。常陸風土記が「香島の天の大神」と語る鹿島神宮である。鳥居の奥の楼門はライトアップされてひときわ輝き、千年の梢が黒いシルエットになって天を衝く。夜にも参拝する人たちはいるようで、本殿に近づくと黒い影がフッと動いて驚かされる。神も仏も信じない私だけれど、神域の森閑とした佇まいは好きだ。古くは軍旅の防人が、そして後に多くの武人や旅人が「鹿島立ち」して行った。私はここで何をしているのか。
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鹿に会いに来たのである。夜だからご挨拶は改めて明朝ということで、その理由も後述するとして、とりあえず佗しいホテルに荷を預け、空腹を満たすため薄暗い街に出てきたのである。もっと賑やかかと思ったら、食堂の類は全く見当たらない。困り抜いて参道に差し掛かると、小さく「ばってら」と書いた店が開いている。売れ残った折り詰めを求めると、一人店を守るおばさんは腹を空かせた年寄りを哀れんだか、卵スープをサービスしてくれた。
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茨城県の(南部特有かもしれないけれど)おばさん同士の会話が耳に入ると、喧嘩が始まったかと驚かされることがある。それほど響きがキツイのだが、しかしモノを訊ねたりするとそれはもう親切で、バッテラ屋のおばさんは参道まで出てきて、開いているはずの食堂や神宮の歩き方を教えてくれる。人通りは絶え、客が来ることはなさそうだから、恐縮しきりで話を聞く。市役所の方角だろうか、県議選の連呼が響いて来る。神の郷も人の巷である。
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鹿嶋市は「古来、鹿島神宮の門前町として発展してきた」人口6万5千人の街だ。鹿島灘に沿った鹿島台地に広がる土地で、1969年、隣接する神栖町にかけて鹿島港が完成し、鹿島臨海工業地帯が出現すると、神だけの街から巨大コンビナートもある街へと飛躍する。人口が増えた鹿島町は1995年、隣の村を併合して市制を施行する。当然「鹿島市」を名乗る腹づもりだったのだろうが、鹿島市はすでに佐賀県に存在した。ここからがややこしい。
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佐賀の鹿島市議会が「同名には反対」と決議するなど騒ぎになって、鹿島神宮のお膝元にもかかわらず「鹿嶋市」で妥協することになった。それから30年、行政機関は「鹿嶋」で揃えても、学校もアントラーズも「鹿島」のままだ。市の教育委員会は「古文書にも嶋は島の異体字として混在、鹿島神宮のお札には鹿嶋神宮と表記されている」と説得に躍起だけれど、併用は今後も続くだろう。街の名は大切だけれど、時間による解決を待つしかあるまい。
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奈良の春日大社が迎えた鹿島の大神の分霊が、鹿に乗ってやってきたとされることはよく知られる説話だ。1ヶ月前に奈良で鹿に尻を噛まれた私は、痛い縁からそのルーツを訪ねなければと鹿島にやってきたのである。奥宮に向かう森の中の鹿園で、30頭ほどの鹿が静かに朝の食事を待っている。一時は絶えてしまったものの、戦後、奈良から戻っていただき大切にされている。立派な角を生やした牡鹿が、柵の隙間から私をギョロリと睨んだ。
驚かされたのは本殿裏のご神木だ。巨樹だらけの境内でもひときわ高い40メートルもの杉で、樹齢は1300年を超えるそうだ。こうした超自然に向き合うと、神を想いたくもなる。神宮の丘の西に、中世の鹿島城跡がある。眼前に広がる北浦に、鹿島神宮一之鳥居が遠望される。神宮が「香取の海」に繋がっていた証だ。ただ本殿が北向きなのは、神の森が北の蝦夷を睨む最前線だったからだろうか。歴史を遊泳していると時を忘れる。(2022.12.7-8)
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鹿に会いに来たのである。夜だからご挨拶は改めて明朝ということで、その理由も後述するとして、とりあえず佗しいホテルに荷を預け、空腹を満たすため薄暗い街に出てきたのである。もっと賑やかかと思ったら、食堂の類は全く見当たらない。困り抜いて参道に差し掛かると、小さく「ばってら」と書いた店が開いている。売れ残った折り詰めを求めると、一人店を守るおばさんは腹を空かせた年寄りを哀れんだか、卵スープをサービスしてくれた。
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茨城県の(南部特有かもしれないけれど)おばさん同士の会話が耳に入ると、喧嘩が始まったかと驚かされることがある。それほど響きがキツイのだが、しかしモノを訊ねたりするとそれはもう親切で、バッテラ屋のおばさんは参道まで出てきて、開いているはずの食堂や神宮の歩き方を教えてくれる。人通りは絶え、客が来ることはなさそうだから、恐縮しきりで話を聞く。市役所の方角だろうか、県議選の連呼が響いて来る。神の郷も人の巷である。
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鹿嶋市は「古来、鹿島神宮の門前町として発展してきた」人口6万5千人の街だ。鹿島灘に沿った鹿島台地に広がる土地で、1969年、隣接する神栖町にかけて鹿島港が完成し、鹿島臨海工業地帯が出現すると、神だけの街から巨大コンビナートもある街へと飛躍する。人口が増えた鹿島町は1995年、隣の村を併合して市制を施行する。当然「鹿島市」を名乗る腹づもりだったのだろうが、鹿島市はすでに佐賀県に存在した。ここからがややこしい。
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佐賀の鹿島市議会が「同名には反対」と決議するなど騒ぎになって、鹿島神宮のお膝元にもかかわらず「鹿嶋市」で妥協することになった。それから30年、行政機関は「鹿嶋」で揃えても、学校もアントラーズも「鹿島」のままだ。市の教育委員会は「古文書にも嶋は島の異体字として混在、鹿島神宮のお札には鹿嶋神宮と表記されている」と説得に躍起だけれど、併用は今後も続くだろう。街の名は大切だけれど、時間による解決を待つしかあるまい。
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奈良の春日大社が迎えた鹿島の大神の分霊が、鹿に乗ってやってきたとされることはよく知られる説話だ。1ヶ月前に奈良で鹿に尻を噛まれた私は、痛い縁からそのルーツを訪ねなければと鹿島にやってきたのである。奥宮に向かう森の中の鹿園で、30頭ほどの鹿が静かに朝の食事を待っている。一時は絶えてしまったものの、戦後、奈良から戻っていただき大切にされている。立派な角を生やした牡鹿が、柵の隙間から私をギョロリと睨んだ。
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驚かされたのは本殿裏のご神木だ。巨樹だらけの境内でもひときわ高い40メートルもの杉で、樹齢は1300年を超えるそうだ。こうした超自然に向き合うと、神を想いたくもなる。神宮の丘の西に、中世の鹿島城跡がある。眼前に広がる北浦に、鹿島神宮一之鳥居が遠望される。神宮が「香取の海」に繋がっていた証だ。ただ本殿が北向きなのは、神の森が北の蝦夷を睨む最前線だったからだろうか。歴史を遊泳していると時を忘れる。(2022.12.7-8)
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