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998 田淵(千葉県)チバニアン46億年に想い馳せ

2021-12-17 23:00:36 | 茨城・千葉
ここで語ろうとしている「田淵」とは、房総半島のほぼ中央、千葉県市原市南部の里山に農家が点在する小さな「字」のことだ。穫り入れを終えた棚田上空を、オオタカらしき鳥影が大きく舞う里は、物音ひとつ響いてはこない。だが実は、ここは地球規模の大きな名の土地なのである。「養老川流域・田淵の地磁気逆転地層」。すなわち地球の磁場が南から北へ逆転した78万年前の、更新世中期の地層を目撃できる「チバニアン」の里なのである。



開催中の「房総里山芸術祭」で運行されている無料周遊バスを、チバニアン停留所で降りる。県道を横切るとすぐに上り坂になり、小高い丘陵頂に地区の集会場が現れる。夏みかんがたわわに色づく小路には「日本とイタリアの学術・文化友好の小道」という名が付いている。集落はすぐに終わって、「崖注意!」の標識とともに急な下り坂になる。集落の西境を流れる養老川の、深い渓谷に降りて平坦な川底を回り込むと崖が出現した。チバニアンだ。



地球が誕生して46億年になるのだそうだけれど、人間の研究力とは大したもので、地球科学はその歴史を116の地質年代に区分するところまで究明している。化石などとともに、地層中の鉱物分析による地磁気(磁場)の南北逆転も、年代境界を決める有力な根拠になるのだそうで、ここ360万年の間に11回の逆転が確認されている。チバニアンは、その最後の逆転である77万4千年前に始まる「更新世中期」を確認できる地層なのだ。



12万9千年前まで続いた更新世中期の地層は、地球上にここ田淵と、イタリア半島南部でしか確認されていない。そこでどちらの地名を採るかが競われる格好になったのだが、チバの決め手になったのは、前期と中期の境界に堆積している「白尾(びゃくび)火山層」の存在だろう。古期御嶽山の噴火で堆積した厚さ2センチほどの層が、境界ラインを浮き彫りにする。「こんなに良くできた露頭は珍しい」と、現地解説のおじさんは自慢げである。



説明を聞けば聞くほど分からないことが湧いてくるチバニアンなのだが、この「国際境界模式地」がなぜ生まれたかは、現地に行ったおかげで理解できた。物語は房総半島出現前に遡る。鉄分を多く含む泥が堆積した海底が、地殻変動で隆起して半島を生んだ。そのほぼ中央部を南から北へ、緩やかに流れる養老川が柔らかな砂泥質の土壌を削り、平坦な川底と切り立った崖を露出させたのだ。人類がアフリカからユーラシアへ旅立つ、遥か以前だ。



第四紀完新世を生きる我々に「羅針盤は常に北を指す」ことは常識で、日本での羅針盤の針は真北から7度西に傾いていることも知っている。だから「実は地磁気は刻々と変化を続けている」などと言われると面食らうし、磁場が南半球にあった時代もあるのだと教えられても、まさか、と叫ぶしかない。だが350年前に来日したオランダ船の記録では、東に8度傾いていたという。つまり350年間に地球の磁場は西へ15度ほど移動したことになる。



なぜ磁場は動くのか、また磁場の逆転が地球上の生命にどのような影響をもたらしてきたか、科学はまだ未解明だという。それが分かったら何になるのか分からないけれど、こうした話は稀有壮大で実に愉快だ。だが里山芸術祭を楽しむ若者たちは興味がないのか、巡回バスを途中下車したのは私一人だけだった。ぽかぽか陽気に恵まれて、私を含め10人ほどのジジババらが、天然記念物に指定された崖をポカンと見上げている。(2021.12.11)



















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