今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1134 津田沼(千葉県)長年の不明払いに津田沼へ

2023-11-04 17:05:12 | 茨城・千葉
東京・三鷹駅と千葉駅を結ぶJRの路線がある。車体の黄色いラインが目印の「中央総武線各駅停車」だ。私は三鷹に住んでいるのでよく利用するのだが、この呼称が正式な路線名かどうか、いまだ知らない。また「三鷹発津田沼行き」という電車が多いので、津田沼という駅名は馴染みがある。ところが津田沼は行ったことがないから知らない街だ。よく利用するのに知らないまま乗っているわけで、いつもモヤモヤした気分が残る電車なのである。



長年のモヤモヤに決着をつけようと、津田沼行き電車に乗る。ややこしいのはまずは中央線、そして隅田川を渡ると総武線の快速電車と並走することだ。そのくせ隅田川辺りは単独走になる。そうやって津田沼まで47キロ、ほぼ1時間で到着する。大して遠くない街なのに初めてなのは、私の行動範囲が「東京駅より西」に限られているからだ。そのことは千葉のみなさんも似たようなもので、「東京駅より西」はモヤモヤした世界なのではないか。



千葉県に習志野市があることはもちろん知っている。しかしその位置を特定しようとして私は困惑する。耳にする機会も多いこの街を、千葉県の地図上に指し示せない自分に気づくからだ。なぜだろうかと考え「駅名」に思い至る。習志野市に「習志野」という駅はない。「街の名の駅がないと、街の所在が曖昧になる」は、同じ千葉県の市原市や栃木の大田原市で書いたことがある。習志野市の中心駅は津田沼だったのである。モヤモヤ一部解消。



だが実は「習志野駅」はある。津田沼駅近くから北に向かう新京成線だ。こうした地域路線は千葉と縁遠い私には知りようがない。その上ややこしいことに、習志野駅は船橋市にあるのだ。広大な陸軍演習場だった原野を、習志野と命名したのは明治天皇である。津田沼町を核とした合併で習志野市が発足したのは戦後のこと。市域に「習志野の原」が一部含まれることから、名称を借用して新市名とした。原の多くはむしろ隣接の船橋市などに含まれる。



戦前、この地域に「大習志野市構想」が持ち上がったという。千葉市と船橋市に挟まれた津田沼町や幕張町など7町村を合併させ、「習志野市」を新設しようというものだ。この構想が実現していれば船橋市より規模の大きい新市が出現し、政令市になっていたかもしれない。構想は太平洋戦争で頓挫するのだが、計画には中心部に「習志野駅」を誘致することも含まれていたというから、そうなっていたら私のモヤモヤは発生しなかったかもしれない。



「津田沼戦争」に微かな聞き覚えがある。70年代以降、津田沼駅周辺に総合スーパーや百貨店が次々開業、激しい商戦を展開したのだ。人口が急増する街はそれらの店を全国1の売り上げにするほどの旺盛な消費をみせた。駅北口は今、大きなビルが解体工事のフェンスに覆われている。「戦争」を生き残ったパルコが閉店したのだ。駅南口では習志野文化ホールを含む商業施設が再開発される。「戦後」の津田沼は、これから大きく変わるのだろう。



駅前緑地に「ようこそ! 津田沼へ」と大きな看板が据えられている。訪問者には嬉しい出迎えだが、違和感を覚える。「津田沼へ」は「津田沼に」ではないか。帰宅して日本語教師の妻に意見を求めると、「へ」と「に」は実に教え難い用法で、正解はないと苦しそうに言う。一般的に「へ」は方向、「に」は目的を含むのだろうが、割り切れない場合もある。確かにこんな雑文を書いていても「へ」か「に」かはしばしば迷い、モヤモヤする。(2023.11.2)















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