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この一輪に出会えただけで、今日はここまでやって来た甲斐があったと、いささか大仰な思いになるほど美しい薔薇である。快晴の陽を浴びる黄金の一輪は、程よく開花し切った瞬間にあり、どの花びらにもまだ一片のシミもない。秋バラが見ごろを迎えている「習志野市谷津バラ園」で、私はうっとりと立ち尽くしている。「世界のバラ800種類7500株」の園内は色彩と笑顔が溢れ、余りにうっとりしてしまった私は、品種名を確認し損ねた。
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東京湾の最奧地域である。埋め立てが進んだ湾岸で、奇跡的に残ったという「谷津干潟」とはどんなところか、見に来たのだ。津田沼駅からバスで10分ほど、住宅地を抜けて行くと京成線の踏切を越え、道は下り坂になる。近づいているのだろうが海は見えない。干潟は国指定の鳥獣保護区であり、ラムサール条約の登録湿地だ。住宅やビルに囲まれた40ヘクタールが水を湛え、美しいとまでは言い難いけれど、確かに「よくぞ残った」と驚かされる。
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干潟には羽を休める鳥たちがいて、気がつくと脚元の水路近くに大型の1羽がじっと佇んでいる。通年滞在しているダイサギらしい。その後ろの土管にアオサギがいたことは、帰宅して写真を整理するまで気がつかなかった。人の暮らしと野鳥たちの営みがこれほど隣り合っていることは、都会ではなかなかの贅沢だ。1周3.5キロの遊歩道ではお年寄りが腕を振って歩いている。爺さんたちは独行無言、婆さんたちは連れ立っておしゃべりだ。
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干潟を囲む瀟洒な住宅街は「パーク」や「ローズ」を名乗って陽を浴びている。なぜか80年代に評判をとったテレビドラマ『金曜日の妻たちへ』が思い浮かぶ。「一億総中流」などと囃され、社会に明るい意欲が充満している(かのような)時代だった。家々の白い塗装と秋の陽光が記憶を繋げたのかもしれない。同じころ県と市は、湿地を埋め立てから保存へ、干潟の運命を転換した。日本はあれから「失われた30年」を経て、なお意気消沈している。
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バラ園の「香りの庭」に入る。香りの強いバラを集めたコーナーなのだろう。何も匂わないじゃないかとふて腐れていると、後ろから来たおばあさんが「まあ、いい香り」と声をあげた。それを聞いて私は愕然とした。私の嗅覚が劣化したからなのではないか、と思い至ったのだ。このごろテレビを観ていて俳優のセリフが聞き取れないことがある。下手な俳優だなとそちらのせいにしていたのだけれど、それもこちらの聴覚が劣化したからかもしれない。
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年寄りの愚痴になるから書きたくないのだが、本を読むと目がしょぼしょぼして来ると気がついたのは少し前だ。またフサフサしていたはずの前髪に櫛を入れると、不思議なほど地肌が見えて、不思議だなあと思っていた。そうか、嗅覚、聴覚、視力、頭髪のすべてが、加齢により劣化しているらしい。喜寿を迎えてめでたいなどと言われ、喜んでいたけれど、何のことはない、私はすっかり年寄りになっている。そのことにようやく気が付いたのだった。
気が付きはしたけれど、私はちっとも落胆しなかった。込み上げてくるのは「よく生きてきたなあ」といった、感慨めいた思いである。丈夫が取り柄の肉体も、これほど使い込めば劣化するのは当然だ。1万歩を超すと右側の股関節が疼きだすのも最近のことである。医者に行けばレントゲンを撮られ、いろいろな治療が施されるのだろうが、煩わしいから放っている。右脚を少し引きずりながら帰路に就く。それにしても綺麗な薔薇だった。(2023.11.2)
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東京湾の最奧地域である。埋め立てが進んだ湾岸で、奇跡的に残ったという「谷津干潟」とはどんなところか、見に来たのだ。津田沼駅からバスで10分ほど、住宅地を抜けて行くと京成線の踏切を越え、道は下り坂になる。近づいているのだろうが海は見えない。干潟は国指定の鳥獣保護区であり、ラムサール条約の登録湿地だ。住宅やビルに囲まれた40ヘクタールが水を湛え、美しいとまでは言い難いけれど、確かに「よくぞ残った」と驚かされる。
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干潟には羽を休める鳥たちがいて、気がつくと脚元の水路近くに大型の1羽がじっと佇んでいる。通年滞在しているダイサギらしい。その後ろの土管にアオサギがいたことは、帰宅して写真を整理するまで気がつかなかった。人の暮らしと野鳥たちの営みがこれほど隣り合っていることは、都会ではなかなかの贅沢だ。1周3.5キロの遊歩道ではお年寄りが腕を振って歩いている。爺さんたちは独行無言、婆さんたちは連れ立っておしゃべりだ。
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干潟を囲む瀟洒な住宅街は「パーク」や「ローズ」を名乗って陽を浴びている。なぜか80年代に評判をとったテレビドラマ『金曜日の妻たちへ』が思い浮かぶ。「一億総中流」などと囃され、社会に明るい意欲が充満している(かのような)時代だった。家々の白い塗装と秋の陽光が記憶を繋げたのかもしれない。同じころ県と市は、湿地を埋め立てから保存へ、干潟の運命を転換した。日本はあれから「失われた30年」を経て、なお意気消沈している。
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バラ園の「香りの庭」に入る。香りの強いバラを集めたコーナーなのだろう。何も匂わないじゃないかとふて腐れていると、後ろから来たおばあさんが「まあ、いい香り」と声をあげた。それを聞いて私は愕然とした。私の嗅覚が劣化したからなのではないか、と思い至ったのだ。このごろテレビを観ていて俳優のセリフが聞き取れないことがある。下手な俳優だなとそちらのせいにしていたのだけれど、それもこちらの聴覚が劣化したからかもしれない。
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年寄りの愚痴になるから書きたくないのだが、本を読むと目がしょぼしょぼして来ると気がついたのは少し前だ。またフサフサしていたはずの前髪に櫛を入れると、不思議なほど地肌が見えて、不思議だなあと思っていた。そうか、嗅覚、聴覚、視力、頭髪のすべてが、加齢により劣化しているらしい。喜寿を迎えてめでたいなどと言われ、喜んでいたけれど、何のことはない、私はすっかり年寄りになっている。そのことにようやく気が付いたのだった。
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気が付きはしたけれど、私はちっとも落胆しなかった。込み上げてくるのは「よく生きてきたなあ」といった、感慨めいた思いである。丈夫が取り柄の肉体も、これほど使い込めば劣化するのは当然だ。1万歩を超すと右側の股関節が疼きだすのも最近のことである。医者に行けばレントゲンを撮られ、いろいろな治療が施されるのだろうが、煩わしいから放っている。右脚を少し引きずりながら帰路に就く。それにしても綺麗な薔薇だった。(2023.11.2)
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