今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

763 千葉(千葉県)洗練と無縁の顔してモノレール

2017-03-10 16:38:46 | 茨城・千葉
人間は社会的動物だからか、群れて街を造る。だがその時「街の場所」はどうやって選ばれるのだろう。文明の発達と共に適地は変化してきたのだろうけれど、海・川・山などの自然の地勢に影響されることは昔も今も変わらないはずだ。しかし要因はそれだけだろうか。私には「街と街の距離」に何らかの法則があり、無意識にせよ、街はその法則に従って形成されていくのだと思えてならない。人の日常的行動半径とでもいう法則によって。



例えば東京都心を中心に同心円を描くと、東西南北の30キロあたりに、それぞれの地域の拠点となっている街がある。東には千葉市が、南に横浜市、北はさいたま市である。西は多摩地区ということになるが、30キロ圏には立川市があり、多摩の中心の街になりつつある。そして都心とそれらの街の中程には、船橋・川崎・川口・吉祥寺といった、もう少し小規模な街があり、さらにその間をもっと小さな街が繋いで首都圏を形成している。



この「法則」を大阪圏に当てはめてみると、東30キロには奈良市があり、西には神戸市がある。ただ北の京都市は40キロ、南の和歌山市までは60キロとややいびつではあるが、法則に則っていると見ることはできそうだ。街と街の距離の法則は、まだまだ極める必要があると考えているうちに、いつの間にかウトウトしたらしく、気がつくと電車は千葉駅に到着していた。今日は遠距離ウォーキングだと、千葉までやって来たのだ。



どういうわけか千葉は、私にとって縁の薄い街だ。周辺のゴルフ場には足繁く通ったものだが、街の中心部はまるで知らない。この日は千葉駅からモノレールでポートパークに行き、千葉港の一角を歩いて細長い新宿公園を抜け、千葉中央駅を素通りして千葉銀座商店街をぶらぶらし、中央公園で一休みして駅前大通りを千葉駅に戻る。このコースが千葉という街を知るうえで適しているのかどうか不明だが、様々な街の表情には出会えた。



人口が100万人に近い政令指定都市だから、結構な大都会なのだろうと想像していたのだけれど、拍子抜けするほど素朴な印象を受けた。ビルとビルの間の高架をモノレールが音もなく通過していく様は、他の街では見られない近未来的な風景と言えなくもないけれど、だからといって街から洗練された印象は漂ってこない。どこか懐かしい、大きな地方都市を歩いている気分だ。そういえば、初めて浦和に行った時もこんな感じだった。



中央公園で何かイベントがあったったらしく、お開きになったのだろう、ダークスーツ姿の男たちが「やれやれ終わったか」という表情で散開していく。片隅に「千葉を日本一にしよう会」と大書した車が停まっていたので気がついた。今日は千葉県知事選の告示日なのだ。それにしても「日本一にしよう」とは陳腐なスローガンだ。都市間競争とは、自ら街を快適に暮らしよくすることであリ、他の先へと競うことではない。洗練さに程遠い。



選挙集会が終わった公園は閑散として、点在するのは年寄りと鳩だけになった。いや、若い女性が堂々と裸身を曝し、大きく手を広げている。「雄飛」と名付けられたブロンズ像だ。今日は県立美術館でも多くの彫像を観たが、この像が街に一番似合っている。駅前の三越が「閉店セール」の垂れ幕を下げている。百貨店の撤退は全国で相次いでいるけれど、この規模の街でも持ちこたえられないのかと、余所者ながら気持ちが沈む。(2017.3.9)







(千葉県立美術館のコレクション名品展に展示されていたコンスタン・トロワイヨンの『河辺の道』(部分)。19世紀フランス・バルビゾン派の画家だというが、私は知らない名前だった。思わず足が止まった、実にいい絵だった。もっと大画面だったらさらに素晴らしいだろうに、と思った)

















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