今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

999 牛久(千葉県)里山でアートとは何だと考える

2021-12-18 08:52:50 | 茨城・千葉
「牛久」といっても茨城県の牛久ではない。千葉県の市原郡にかつてあった牛久町のことで、今は市原市に編入されている。その市原市では目下、市を挙げて房総里山芸術祭を開催中だ。市域を貫く小湊鉄道沿線に「いちはらアート×ミックス」と題する様々な展示が行われ、牛久の駅周辺もメイン会場の一つになっている。物見高い私はこうした催しは逃さない。天候を見計らい、東京を早朝に出発して五井で乗り継ぎ、小湊鉄道に揺られている。



芸術祭は3年ごとのトリエンナーレ方式で行われていて、すでに今度が3回目になるのだという。ただ昨年のはずだった開催はコロナのせいで今年に延期された。それだけ力が入った開催なのだろう、駅のホームで宇宙飛行士が電車の到着を待っていたり、廃校になった校舎の教室で巨大な坊主が遊んでいたりと、房総半島のほぼ中央部に広がる里山エリアを舞台に、国内外70人の作家の90点ほどの作品が勝手な自己主張を展開している。



「勝手な自己主張」と敢えて書くのは、こうした企画で展示される作品は、美術館における通常の「美術作品」とは異なり、作家が想う時代や社会へのメッセージを、造形によって伝えようとするアーティストの主張であるはずだからだ。そこには作家が抱く「自己主張」が込められていなければならず、それが他人には「勝手な」と映り、鑑賞者とズレた主張であるかも知れない。場合によっては訳が分からない作品であっても、それでいいのである。



そうした思いを前提に、幾つかの会場を渡り歩いたのだが、結論を言えば「つまらなかった」のである。どの作品もこじんまりとまとめられ、期待した奔放さには程遠い。こうした企画展を幾つか観てきて慣れてしまったのか、驚かされる新鮮なトキメキがない。「里山は日本人の心の奥底に響き、外国人にも注目をいただける市原市のブランドメッセージです」と標榜しながら、せっかくの「里山」と呼応した、スケールの大きな作品が少ない。



思い当たるのは「有料制による限界」である。鑑賞者は3000円のパスポートを購入すれば、全作品を見ることができるが、逆に言えば「無料では見せない」ということだ。そのため展示はほとんどが屋内になる。単にエリア内に点在する美術館や廃校や空き店舗を展示場としているだけで、市原のキーワードだという「里山」とのつながりは乏しい。この穏やかで懐かしい風景と作品がコラボして、作者は何を主張したいのか、それが響いてこない。



トリエンナーレを開催するには、多額の費用と人員が必要であろう。どの会場にもパスポートのチェックとコロナ対策のため、多くの係員が待機している。ボランティアかと訊ねると、「市職員です」「町内会の役員だから」と答えが返ってくる。市をあげて頑張っていることは分かるのだのだけれど、すべて無料開放する財政負担には耐えかねるのだろう。里山を舞台に、どこからでも眺められる野外作品を観てみたい。いい知恵はないものだろうか。



「房総横断道路」に沿って延びる牛久商店街は、車の行き来だけが多い。かつては近在の買い物客で賑わったであろう街並みは、廃業久しい商店やシャッターが目立つ。しかしこの日、私はそれら痛むまま放置された建物が愛おしく美しく思えた。買い物を楽しみにやって来た親子らの、在りし日の弾んだ会話が聞こえてくるようだ。それこそ通り全体が「アート×ミックス」ではないか。アーティスト諸君、舞台は里山だけではないぞ。(2021.12.11)





























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