今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1000 五井(千葉県)房総の野山分け入りコトコトと

2021-12-19 17:21:18 | 茨城・千葉
内房線の五井駅は、小湊鉄道の始発駅でもある。房総半島の中央部で、39キロの路線を営業する小さな鉄道会社だ。沿線の景観も含めた路線は「ちば文化遺産」に選定されているのだとかで、確かに里山を背景に行くディーゼル列車は美しい。五井駅を出ると程なく田園地帯に入り、車窓は「まだ首都圏の人口過密地帯だろう」という先入観を覆す。大正時代に計画された安房・小湊町に延伸しないまま終着駅になるけれど、それでも「小湊」鉄道と言う。



駅舎だけでなく橋梁など鉄道の22施設は国の登録有形文化財でもある。その状態を保存するためか、あるいは経営が苦しいのか、駅舎はどれも驚くほど鄙びた風情を残している。だからIC乗車券といった設備投資は進んでおらず、無人駅では車掌が乗客の切符確認にホームを駆け回っている。土曜日のこの日は房総里山芸術祭の乗客らで結構混んでいるけれど、普段は踏切などでカメラを構える鉄道ファンの数の方がむしろ多いかもしれない。



その五井機関区に、3輌の蒸気機関車が保存されている。小湊鉄道が大正14年(1925年)の開業に向けて米国から輸入したボールドウィーン社製2輌と、その30年前に製造・輸入され、戦後、国鉄から払い下げを受けた英国ベイヤーピーコック社製の1輌だ。これも芸術祭に一役買って、ロシアのアーティストによる赤い蒸気と煙が演出されている。蒸気機関車こそ消えたけれど、列車は今もコトコトと、房総半島の深部に分け入って行く。



そのルートはほぼ養老川に沿っている。房総半島は全体にごく低い標高の里山に埋まっていて、険しい風景は少ないのだけれど、かといって稲作に適した平野も乏しい。養老川は東日本の太平洋側では極めて珍しく「南から北へ」流れる半島中央部の貴重な水源で、「川廻し」と呼ばれる蛇行の数
の多さも独特である。砂泥質の地盤と、標高差の少ない地形による緩やかな流れが生んだ地形で、それが「チバニアン」のを露出させたことは既に書いた。



月崎という駅まで行って、市原市最奥部の旧月出小学校で二つの碑を読む。「文化の碑」は、集落に初めて電灯が灯ったのは敗戦2年後であり、市営水道が完成したのはさらに20年余を経てのことだったと「月出学区民一同」の感激を伝える。「想い出の碑」は、134年間に1049名を社会に送り出した学校への感謝の言葉が刻まれている。首都からさほど離れていない房総の山の中で、戦後までこうした営みが続いていたことをしばし嚙みしめる。



市原市には33のゴルフコースがあって、日本一の「ゴルフの街」なのだそうだ。千葉県1広い市域の11%がゴルフ場だというのだから、月出あたりの山林はコースで虫食いだらけである。自然は不自然になるけれど、利用税で市の財政は潤う。市原市は五井湾岸のコンビナートもあって、財政は極めて豊かであるらしい。市が里山芸術祭に力を入れるのは、傷めるに任せた里山を、今後は保全に繋げようとしているのではないかと私は推察している。



小湊鉄道五井駅の地に、かつて五井藩の陣屋が置かれていた。江戸時代後期のわずかな期間、1万石の小藩があったのだ。その時代の「五井村」は、明治になると「五井町」となり、戦後になって市原町や姉ケ崎町などと合併して「市原市」の一員になった。この「町」の時代に鉄道が通じ、五井駅が開業した。だから市原に「市原駅」はない。鉄道の駅を基本に街の所在を頭に入れる癖のある私なので、市原市の位置はどこか曖昧である。(2021.12.11,15)

















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