今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

137 天王寺(大阪府)・・・王将も窮屈そうに化粧して

2008-06-13 19:20:16 | 大阪・兵庫

大阪の人々にとって、「天王寺」とはいかなる「場所」か。私の「大阪暮らし」は13ヶ月に過ぎなかったから、街に抱く大阪人の心情を理解するには不足だった。ただ「東京で言えば《上野》かな?」と想像した程度である。「訛り懐かし停車場」かどうかは知らないが、交通の拠点で公園があり、動物園があって美術館があり、そして露天暮らしが似合う、懐かしいけれども落ちつかない街。天王寺はそんな上野によく似ている。

私の大阪暮らしから、すでに17年が経過している。その年、大阪市立美術館で「鴨居玲展」をやっていた。思い返してみれば、天王寺で鴨居展とは出色のミスマッチである。その凄まじいばかりの人間凝視に打ちのめされて美術館を出ると、けばけばしい扮装をしたお年寄りたちがカラオケを絶叫し、気味の悪い姿で踊り狂っているではないか。まるで鴨居作品を抜け出した群像である。天王寺的白日夢に、私は眩暈を覚えた。

17年を経て、そうした路上生活天国はすっかり排斥された。行政と住人の小競り合いがたびたびテレビに映し出され、私は懐かしく眺めていたのだが、その結果が小奇麗なプロムナードの出現であった。路上カラオケパフォーマンスに替わって、天王寺は女の子同士が屈託なく歩くことのできる界隈となった。

ただプロムナードは高いフェンスに囲まれて、隣りの動物園そのままの「人間館」である。傍若無人の大阪人が、よくまあ檻の中を行儀よく歩いていることよと、新種のヒトを眺める思いで通天閣を目指す。「ジャンジャン横丁」を通過すると、上野から浅草にやって来た気分になる。フグ料理の張りぼては浅草・雷門の大提灯に似ているし、新世界の雑踏は仲見世といい勝負である。

通天閣はいささか化粧直しをしたのか、周囲はすっかり小奇麗になって「王将」は落ちつかない様子である。それにしてもいつも不思議に思うのは、「難波のシンボル」と言われるこのタワーに、灯る広告が「HITACHI」であることだ。なぜ「NATIONAL」や「SHARP」ではないのか。関東を代表するメーカーに四囲を睥睨されて、難波っ子は平気なのか!?

と、つまらん思いをめぐらせながら北に進むと日本橋になる。NIPPONBASHIと発音するらしい、大阪の「秋葉原」である。賑やかに客寄せをしている店に入ると、なるほど、私の先ほどの疑問は馬鹿馬鹿しいことであったと気づかされる。店頭は圧倒的に関西ブランドが占めている。お金になる広告は余所者からいただいて、実利はきちんと地元に納める、ということが大阪商人道の常識なのであろう。

こうやって私は、東京なら新宿に当たるのであろうミナミの繁華街に近づいて行く。大阪の街を、ジクソーパズルのように東京に当てはめてみると、各ピースが面白いようにぴったり嵌まる。人間が創り出す「街」は、いつの間にか似た構造になるのだろう。

「天下の台所」といわれたころの大阪は、国の富の7割を集めていたのだという。いまはせいぜい2割あるかどうかだろう。大阪は大きな地方都市に過ぎない。しかし大阪が元気を盛り返さないと、日本はますますつまらない国になってしまう。(2008.5.12)
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