★RICOH・CX3が撮る僕の日常=早朝、散歩。 夜来に雷雨・雷鳴(降水量、午前1時=6ミリ、午前2時=8ミリ、午前3時=2ミリ)があったので、ところどころに大きな水たまりができていた。 僕の散歩コースは、現在、2つある。 1つは、部屋を出、西に向かい、1キロ地点が城址正門、1.6キロ地点が城址公園の突き当たり。 そこから砂利石の急坂を下り、堀に掛かった木橋を渡ると本丸に至るが、有料なのでめったに進入しない。 仕事で一度、入ったきり。 もう1つは、部屋を出、東に向かい、1キロ地点が総合運動公園、運動公園の森を抜け1.6キロ地点が中心街。 どちらのコースにするかは、部屋を出、外気に当たった瞬間、決まる。 本日は中心街コース。 放送局の隣の古書店を目指す。 古書店前で時計をみると、部屋を出てから20分。 歩数計は2000歩。 ふいに「ああ、お城のそばの下宿から大学までの距離と同じだ」と思う。 たぶん、昨日、届いた仁科源一氏の書簡にあった「『狂想』の頃の、森町の書架が記憶に鮮明となり……」の一文が影響しているのだろう。 『狂想』とは、仁科源一氏と僕がやっていた同人雑誌。 「森町」とは、僕の下宿があった所で、仁科氏とはよく語りよく飲んだ。 この僕とは別に、幻の僕がいて、今でも森町の下宿と大学を行ったり来たりしている。 ときどき現れ出て、大学時代=青春時代の光源から発する強い光で、今の僕を照射し、クラクラとさせる。 いや、グラグラとさせる。 ★現在、ホームページ改造中。 改造のポイントは次の2点―― ①画像の力を借りて、時空間の持続性を出そうとしている。 今までになく、画像の数が増えているのはこのためだ(*^_^*)。 ②Diary記事は、2本立てに。 ひとつは、「RICOH・CX3が撮る僕のささいな日常風景」――最近の例=「陶製ドリッパーをヤカンのフタにしてシュンシュン」「赤い地図(地震時等に著しく危険な密集市街地)の中から、夕暮れ時の彼女のやさしい大阪弁が聞こえてくる」「イベントで撮影された画像の中の、僕の顔が丸々と太っている(ノ△・。)」「昨夜の敗戦にショックは受けていないが、ライオンズがこんなにひ弱であることは、すごく悔しい」等々……。 もうひとつは、「教育臨床学――MINAMI中学校物語」――最近の例=「文化祭準備週間 (1)アイデンティティの垂直軸(時間軸)――自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、自らの可能性を見いだしつつ、いいものを創り出す週間。(2)アイデンティティの水平軸(空間軸)――自らを律し、共生、寛容の精神を培い、他者と協力し、自らと社会とのつながりを見いだしつつ、いいものを創り出す週間」。 この2つ、すなわち「RICOH・CX3が撮る僕のささいな日常風景」と「教育臨床学――MINAMI中学校物語」の組み合わせで1日分の記事を構成しようとしている。 組み立て方法は、現在、思案中。 アップしながら、日々、手直しし、やがて、ひとつの「型」に至りたいと考えている。 「MINAMI中物語」の光源が発する強い光で「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」の僕をクラクラさせようとしているのか? あるいは、その逆なのか? ま、正直にいうと、現時点の僕は、MINAMI中の時計で日常の時間を計りながら、ひそやかに生きている。 しかし、このホームページは、元々は、「茫漠の時空間=僕の過去」を「現在の僕」が「職員室通信のカタチ」で疾駆する……という方針だった。 くどくなるがはっきりさせるためにくりかえすと、「RICOH・CX3が撮るささいな日常風景」の光源で、「MINAMI中物語」を照射する……というのが元々の方針だった。 戻すべきか? このままでいいのか? もう少し時間をかけるみるつもりだ。 どっちにしても、さしたる違いはなく、僕はこのまましばらく生きつづけ、やがて野垂れ死にする……というだけの話かもしれないが……。 達観してこういうもの言いをしているのではなく、なんだか、徐々に無神経になりつつある。 いつのまにか朝が来て、夜になる。 ★午前中、向かいの公民館の文化祭と、隣の小学校の子ども祭りに参加する。 以前は、公民館の文化祭、小学校の子ども祭り、中学校の文化祭は、バラバラに実施されていた。 これを2004年から地域のお祭りとして合同でやるようになった。 日程は―― 土曜日=子ども祭り&公民館文化祭 日曜日=中学文化祭&公民館文化祭。 メリットはスライドにある通り。 逆にデメリットもある。 このことについては、ページを改めて特集を組みたい。 (公民館文化祭 以上)
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