職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

〈現在〉一人称限定視点で、〈過去〉の事象を、意図的に、選択、もしくは序列化する世界

2009-06-22 11:50:56 | Weblog

★根城城趾の道


◆これからの記述の方針として、一応「〈現在〉のわたしが、作中場面のシチュエーションと整合性をとりながら、〈過去〉の時間軸上を疾駆していく」ということになった。

 「作中場面のシチュエーションと整合性をとりながら」というのは、みなみ退場後、現在、蟄居状態にあるわたしが、生涯学習課の職員であったり、○○中学校の国語教師であったりすることはできない……という意味である。
 だから、「整合性をとりながら、過去の時間軸上を疾駆する」というのは、〈現在〉一人称限定視点で、〈過去〉の事象を、意図的に、選択、もしくは序列化することである。
 当面は、この存在のカタチのまま、ゆるやかに未来に向かうことにする。
 ただし、まちがっても〈未来〉に価値は見いださないこと。

 まだまだ現在の存在のカタチをうまく書き表せていないと思うし、また、このカタチそのものも、あとから、もっともっと、いいカタチに気づくことがあるかもしれないが、とりあえず、これでやっていこうと思っている。
 〈過去〉を主役にすることはあきらめるが、ラッキョウの皮を捨てつづけるという大失敗からは免れることができるはずだ。


◆〈過去〉の時間軸上を疾駆するといっても、デジタルデータだけでも27年分ある。
 だから、とりあえず……ということで、きのう、きょうは、まず、2001/1月から「疾駆」しはじめたのだが、奇妙な?データの脱落を発見した。

 2003/4月~2004/3月の1年分が、完全に抜け落ちているのだ。(このうち、2004/1月~3月は、ブログにアップした分が少し残っているので、この3ヵ月分はなんとかカバーできるが……)

 CD。
 USB。
 MO。
 手あたりしだいにチェックしたが、見つからない。

 最初は、元々、元データそのものがなかったのかもしれないとも考えたが、記憶の層に徐々に侵入するにつれて……。

 ①「ホームページのカタチが自分の存在のカタチだ」とまで言い切るわたしのことだから、WEB上にアップしていないということはありえない。
 ②そうだ、アップしていたのだ。
 ちょっとオシャレな有料DIARYにアップしていた。
 しかし、それは、お金を払わなかので消滅。
 次に秘密屋の無料DIARYにアップしていたが、これも秘密屋のトラブルで消滅。
 ま、後者の消滅は、秘密屋の管理人・濱原氏から何度もバックアップを取っておかないと危ないですよと言われていたのに、それを無視したわたしの自己責任。
 ③ということは、まちがいなく、元データはあるはずだ。
 ④ぼんやりと、ぼんやりと、2003/4月からは、2003/3月までとは違う形式でデータを残していたことが思い出されてくる。
 ⑤そうだ、記述の仕方を、横書きから縦書きに改めたのだ。
 文字の大きさも、10.5ポイントから12ポイントに変更したはずだ。(この12ポイントが、現在もつづいている。)
 書式が変わったから、つづけて記述することができずに、新しいファイルを用意しなければいけなくなったのだ。
 ⑥おぼろげに、おぼろげに、縦書きのディスプレイに浮かんでくる。
 ⑦2003/6月に野村胡堂記念館を訪れ、銭形平次888回のTV放映という記事をアップしている。


◆記憶の遡上は、現時点では、ここまでだ。
 2001~2003/3月までを高速疾駆し、ほとんど、おもしろくない瓦礫の連続だったから、2003/4月~2004/3月も、どうということはないだろうと思うが、やはり気になる。

 この期間は、当時、勤務していた市教委に大きな組織変更があり、社会教育課と指導課の青少年班が合体した年だ。
 スタッフが2倍になり、わたしの仕事も2倍になり、喜びも苦しみも2倍になっただろう年に、わたしがどういう記述を残しているのかは、やはり2倍くらい気になる。

 過去のデータには執着するほうだから、うっかり消去……ということはありえない。
 きっとどこからか出てくるだろう。
 たとえば、未使用と思っているMOに入っているとか、あるいは、一時登録ということで、他のファイルのしっぽにくっついているとか……。
 どういうカタチで現れるのか、その現れ方が楽しみだ。


〈小高進のWEB無人駅線〉の〈無人駅ノート〉に、おなじみの乱氏からカキコミがあった。

〈カキコミ〉
 最近、深夜の街を徘徊しています。
 暗闇の中をひたすら歩いています。
 昨夜も、午前0時過ぎに***近くの一家心中現場に引き寄せられるように。
 その後の夢がすごい。

 1回目の夢は、なぜか小学校の先生になっていて、指導教官が向山洋一氏。
 裸電球の下で、汗まみれになって教えてもらう夢でした。
 2回目は、小学校で研究授業をやっていました。
 暑いので窓を開けると、ガラガラと嫌な音が鳴りました。
 3回目も、授業をやってる夢で、今度は中学校でした。
 教室の窓からは、ゴミを浮かべた川が見えました。
 4回目は、同僚との会話。
 「教材研究のため山田県の霞ヶ関に行こう」
 「山田県ってあったっけ?」
 「とにかく行こう! 行くしかないじゃないか」
 「そうだ! 行くしかない」

 こんなにはっきり覚えている夢も珍しい。
 そろそろ時期ですから、招魂社の霊が取り憑いたでしょうか?(〈カキコミ〉以上)

 前の夢が次の夢への「踏み台」となって、徐々にジャンプのパワーがアップし、「山田県」のところで、超日常的次元に飛び出していく。
 乱氏のカキコミを読みながら、わたしも、乱氏の夢に引きづりこまれた。
 目の片隅に、一瞬、日常とは別次元の、半覚半睡の状態に陥っている、もう一人の自分を感じてしまった。
 ひとつひとつのエピソードが夢における思考であると同時に、「踏み台」が乱氏のもうひとつの思考で、その飛び出したところが、思考の到達点ということができるのではないか?
 こんなことを考えていると、ハッと、〈小高進のWEB無人駅線〉の風景が浮かびあがった。
 〈小高進のWEB無人駅線〉も、乱氏の夢のように、どこまでもつづく闇を思考して、闇の果てまで走りつづけ、究極には、わたしの表ページである「600字の教育学」における「〈現在〉一人称限定視点で、〈過去〉の事象を、意図的に、選択、もしくは序列化する世界」を飛び出していければいいのではないか?


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