職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

高村光太郎山荘への道

2006-08-12 13:44:54 | Weblog

06.08.12 高村光太郎山荘への道

ずっと気にしていた「道」がある。

■奥羽山脈の山すそを目ざして、花巻から西へ走る親しい友人と私との自転車は、原野と畑の間を縫う砂利道の暑い日差しの中にありました。
 我々二人の自転車の荷台には、数個ずつのトマトと南部金瓜の初なりと、数本のとうもろこしと、一袋のせんべいとが分けて積まれていました。

 この昭和二十二年(1947)の夏は、まだ戦後の食糧難の時代でしたから、初めて会った宮沢清六さんさん夫妻と、そのご両親つまりは亡き宮沢賢治のご両親とから、紹介状代わりにと託された光太郎へのお土産は、若い学生への宮沢家の温かい心遣いなのでした。
 自転車も貴重品で、知り合いがわざわざ整備して貸してくれたおかげで、かなりのがたがた道を午前十時ごろから二時間ほど走って、大田村山口の光太郎宅にたどりつきました。

 今は二重の上屋に包まれていますが、当時はもちろんむき出しで、三間四方に足りない粗末な小屋は、杉皮の屋根で天井がなく、荒壁で周囲を囲ってあるという代物でした。
 障子戸が何枚かあったのでしょうが、開けっぴろげでした。
「ごめんください。宮沢さんからおことづての品を持ってきました」と、私は固くなって言いました。(『言葉はどこからどこへ』(宮地裕)から引用)

■わたしが気にしていた道とは、ここに出てくる「花巻から西へ走る……原野と畑の間を縫う砂利道」のことだ。
 この道を、はなむけ号で走ってみたい。
 といっても、どの道がそうなのか、正確なルートはわからない。
 地元の郷土史家等に尋ねたら、ある程度のことはわかるかもしれないが、そういう問題ではない。
 わたしの勘とイメージが大切なのだ。

■まず花巻駅前から県道12号へ出て熊野神社まで走る。
 そこを左折(南下)し、太田橋を渡る。
 下坂井付近から西に折れ、太田小学校脇→花巻養護学校→花巻観光りんご園→高村畜産センター→高村光太郎山荘
 もちろん、「勘」だから違っているかもしれない。
 もし、知っている人がいたら、ぜひメールで教えてください( ̄(エ) ̄)ノ・゜::゜ヨロシコ♪

■やっと高村光太郎山荘に到着したはなむけ号(トップ画像



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