◆ずっと気にしていた「道」がある。 ■奥羽山脈の山すそを目ざして、花巻から西へ走る親しい友人と私との自転車は、原野と畑の間を縫う砂利道の暑い日差しの中にありました。 我々二人の自転車の荷台には、数個ずつのトマトと南部金瓜の初なりと、数本のとうもろこしと、一袋のせんべいとが分けて積まれていました。 この昭和二十二年(1947)の夏は、まだ戦後の食糧難の時代でしたから、初めて会った宮沢清六さんさん夫妻と、そのご両親つまりは亡き宮沢賢治のご両親とから、紹介状代わりにと託された光太郎へのお土産は、若い学生への宮沢家の温かい心遣いなのでした。 自転車も貴重品で、知り合いがわざわざ整備して貸してくれたおかげで、かなりのがたがた道を午前十時ごろから二時間ほど走って、大田村山口の光太郎宅にたどりつきました。 今は二重の上屋に包まれていますが、当時はもちろんむき出しで、三間四方に足りない粗末な小屋は、杉皮の屋根で天井がなく、荒壁で周囲を囲ってあるという代物でした。 障子戸が何枚かあったのでしょうが、開けっぴろげでした。 「ごめんください。宮沢さんからおことづての品を持ってきました」と、私は固くなって言いました。(『言葉はどこからどこへ』(宮地裕)から引用) ■わたしが気にしていた道とは、ここに出てくる「花巻から西へ走る……原野と畑の間を縫う砂利道」のことだ。 この道を、はなむけ号で走ってみたい。 といっても、どの道がそうなのか、正確なルートはわからない。 地元の郷土史家等に尋ねたら、ある程度のことはわかるかもしれないが、そういう問題ではない。 わたしの勘とイメージが大切なのだ。 ■まず花巻駅前から県道12号へ出て熊野神社まで走る。 そこを左折(南下)し、太田橋を渡る。 下坂井付近から西に折れ、太田小学校脇→花巻養護学校→花巻観光りんご園→高村畜産センター→高村光太郎山荘 もちろん、「勘」だから違っているかもしれない。 もし、知っている人がいたら、ぜひメールで教えてください(● ̄(エ) ̄●)ノ☆・゜::゜ヨロシコ♪ ■やっと高村光太郎山荘に到着したはなむけ号(トップ画像) にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆WEB無人駅線ページへ |
最新の画像[もっと見る]
- ★紙垂が美しい!! 5ヶ月前
- ★紙垂が美しい!! 5ヶ月前
- ★紙垂が美しい!! 5ヶ月前
- ★紙垂が美しい!! 5ヶ月前
- ★紙垂が美しい!! 5ヶ月前
- ★紙垂が美しい!! 5ヶ月前
- ★書架が乱れているなぁ~(ノ_・。) 2年前
- ★オーバーヒート、停止をくりかえしよくがんばった!僕にはもうシュレッダーで粉砕するものもなくなったよ 6年前
- ★オーバーヒート、停止をくりかえしよくがんばった!僕にはもうシュレッダーで粉砕するものもなくなったよ 6年前
- ★書架中段にあった『素顔』(三浦哲郎)が目に止まった。「酒場まで」を読む。「うまい」と思った! 6年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます