◆昨日、千房のお好み焼きの話をしましたので、つづきとして、わたしの家のお好み焼きの話をします。 これが、現在のお好み焼き用器具です(*^_^*)。 鉄板は、南部鉄器(内寸28×24cm )。 コンロは、イワタニのカセットコンロ・フーBO。 小さい鉄板ですから、お好み焼きは1枚しか焼けません。 向かい側にいるパートナーは、お好み焼きの隅っこで、チョコチョコと肉や野菜を焼くハメに。 ホンマは、お好み焼き大会(お好み焼きパーティ)がやれるような専用のお好み焼き台があったらいいのですけれど、この器具程度が、わたしの実力(=財力・鉄板磨き力・お好み焼き技術等)やね。 以前は、ホットプレートを使っていました。 ホットプレートの魅力は、じっくり焼けること、まず失敗がないこと。 でも、弱点は、火力がおとなしい……金属ヘラが使えない……それに、なんといっても、磨けない(>_<)。 焼き終わって、鉄板をゴシゴシと磨くのが、お好み焼きのいちばんの楽しみやからね……(*^_^*)。 ◆画像は、映画『秋深き』(2008/11)の一場面。 一代が、寺ちゃんに、自分が乳ガンであることを告げています。 この場面は、わたしとしては、もう、お好み焼き屋しかないという感じです。 熱い鉄板の上の、外サクサク、中ホカホカのお好み焼きが、悲しみの空洞を埋めてくれる……というのではありません。 大阪人にとって、お好み焼きは、常に悲しみとともに存在しています。 ですから、お好み焼きのそばだと、悲しいことも、平気で告げることができるんです。 ま、逆に、観ている人は、2倍悲しいということになります。 この場面、大阪人は、たいてい目頭を熱くします。 池田敏春監督は、大阪人のこういう心理まで計算して、お好み焼き屋に場面を設定したわけでは、たぶん……ないと思いますけど。 ◆それから、昨日、「信貴山・柿本家の若女将に見送られて下山し、王寺に向かいました」と書きましたが、ひとつ、抜けた場所があるので、補足します。 下山の前に、高安山に寄りました。 ここには、どうしても、自分の身を存在させたいと思いました。 前にも紹介したように、自己の輪郭線を常にピリピリさせる高校生だったわたしが、高安山から、砂漠の砂の、一粒一粒が輝いているような大阪の夜景を眺め、「ああ、自分もこの一粒の光にすぎないのだ……これから何十年か、この一粒として、寒いときはコートの襟を立て、暑いときはシャツ一枚になり、団扇であおぎあおぎ、生きていくのだ……」と、少し涙ぐんだ場所です。 涙ぐんでいる高校生のわたしのうちに、もうひとつのイメージがありました。 伊勢物語の23段。 ここに「髪を頭に巻き上げて、面長やかなる女の、手づから飯がひ取りて、笥子の器に盛りける」高安の女が登場します。 この女のイメージが、なぜか、強烈に、わたしのうちに存在していました。 高校生のわたしは、何十年か後、イワタニのカセットコンロ・フーBOに、南部鉄板をのせ、お好み焼きを焼いている、わたしの姿を、完璧に見通していたことになりますね(>_<) いや (^_^)v。 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ |
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