![]() ★「ファイナルステージ初戦、ライオンズ、帆足で1勝!」 「これでライオンズ、ホークスともに1勝。残り5試合で勝ち越せばいいのだぁ~」 歓喜あふれる夢で、けさ、目が覚める。 目が覚めてからも、まだ夢だとはわからず、喜びつづけている僕。 前夜、敗戦し、その翌日の朝は、目覚めが悪い。 逆は爽快だ。 その爽快感が満ち満ちている。 起床、洗面、そして、はなむけ号(折りたたみ自転車)で陸上競技場に向かう段になって、ひょっとして、僕は夢をみていたのではないか?……と気づく。 そうだ、クライマックスシリーズ・ファイナルステージはまだ始まっていないのだ。 ★ここ、しばらく、僕の肩書きは「600字の教育学主宰」。 名刺にも印刷してある。 文科省や新聞社、雑誌社とのやり取りも、ぜんぶ、これ。 ま、外部とのやり取りは、これでいいと思っている。 しかし、どうも、この肩書きでは、僕自身の内部のエンジンが点火しない。(←近頃の不振を、この「肩書き」のせいにしている。) これまでの人生、あるいは、これまでの記述を振り返ってみると、(よい、わるいは別にして)「肩書き」が支配する度合いが大きい。 自称の「肩書き」はもっと大きい。 自分が自分をどう認識しているのか? 自分が自分に対してどういうイメージを持っているのか? 自分が他人(社会)に対して、どう思われたいと思っているのか? 人間は、このイメージ、あるいは「自称」がないと生きていけない。 僕は、今、僕の内側から僕を燃え上がらせる「新・自称」を求めている。 ★画像は、野球放送を聞く僕のラジオ。 数日前、「僕の祝杯ポイントは、ファイナルステージでホークスに勝った時点だ。僕はラジオを4台もっている。4台を、居間、寝室、DAKA古書店跡、屋根裏部屋に置き、野球中継を受信、一斉にガンガン鳴らし、飲みながら各部屋を回り、祝杯をあげる。これが昔からの僕の祝杯のあげ方だ」といった4台のうちの1台。 今のラジオと比較すると、既に「古典的な受信機」の部類に入るのかもしれない。 TV放送がないとき、僕はこのラジオで野球放送を聞いている。 雑音混じりの放送は、ピンチを乗り越える勇気を与えてくれる。 逆転の可能性を信じることの美しさを教えてくれる。 ★関連記事 ・絶不調の原因は、ノートPCを載せているカウンターの高さと椅子の高さと僕のカラダが合っていないから? ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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