職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

合唱コンクールが近づく(7/13 9時20分)。日本一の合唱創出! 猛練習中の3年3組。本番が楽しみ

2008-07-11 20:43:57 | Weblog

      

★合唱コンクールが近づく。日本一の合唱創出! 昼休み、猛練習中の3年3組。本番が楽しみだ。

◆校内合唱コンクールが近づいた。

 日時 7/13(日)09:00~12:35
 場所 みなみ中体育館

 朝、音楽科の本田Tからプログラムの表紙に掲載する、「あいさつ」原稿を依頼される。
 30分で書く。
 題は、「みなみ中生の細胞には♪が埋まっている」とする。

〈プログラム・あいさつ原稿〉
◇合唱コンクールが近づくと「いよいよ、みなみ中の季節だ」とワクワクした気持ちになります。
 6/30(月)と7/1(火)に開かれた、兄弟学級による合同練習会のとき、わたしは、指揮者のうしろで合唱を聴いていて、「ああ、生きていてよかった」「ああ、みなみ中の教職員として、ここに存在することができてよかった」と頭がクラクラとしました。
 よく「みなみ中生の細胞には♪(音符)が埋まっている」という話をするのですが、教職員であるわたしの細胞にも、遂に♪が生成したようです。

    

★優勝めざして、昼休み、猛追・猛練習する1年3組。このクラスも本番が楽しみだ。

◇きょうは、そのみなみ中の合唱コンクール。
 ♪(音符)入りのみなみ中生の細胞が、はじけて、いっせい跳びはねる、特別の日です。
 互いのクラスの合唱を聴きあうと同時に、地域のみなさま、保護者のみなさまにも聴いていただきましょう。
 きょうのみなみ中生の♪が、みなみ中生はもちろんのこと、この会場にいらっしゃる、お一人お一人の心の中に、いつまでもいつまでも存在し、躍動しつづけることを強く強く願っています。

◇さて、地域のみなさま、保護者のみなさま、本日はたくさんご来場いたたきまして、ほんとうにありがとうございます。また日頃、すこやかみなみネット事業などをとおして、みなみ中へのご支援に心よりお礼申し上げます。
 「みなみ中生の細胞には♪が埋まっている」と、少し自慢ぽく言いましたが、しかし、だからといって上手だという意味ではありません。まだまだ成長の途中にあります。
 きょうは、中学1年という時代、あるいは2年、3年という時代の、みなみ中生にしか出せない歌声を実感、体感していただきたいと思います。どうぞ最後までお聴きくださるようお願い申し上げます。(あいさつ原稿 以上)

    

★優勝めざして、気合いを文字にする1年2組。

◆先日、「7/11(金)に開かれる職員会議の資料として職員室通信を作成する」と書いたが、まだ少し余白が残っている……というか、残してあった。
 その「余白」に「メモ」と称して、コマゴマと記述する。
 トップ記事が正式の指示事項であるとすれば、「メモ」は非公式(^_-)なのだが、しばらくたってから、過去の「職員室通信」を読み返すと、「正式の指示事項」は使えないが、「メモ」は結構いける……ということがよくある(~o~)。
 だから、最近は、自分自身のために「メモ」と称して、ブツブツつぶやく手法を大切にしている。

 今回の「メモ」の一部をアップする。

(1)<四川大地震>都江堰市の中学教師・範美忠先生・北京大学を卒業したエリート国語教師=「自分は生徒を置いて真っ先に逃げた。命を懸けてまで生徒を助ける義務はない」「生徒をかばって死ぬのはその人の『選択』。決して『美徳』ではない」「あのような状況で、自分が身を挺して守れるのは娘だけだ。たとえ母親でも助けない」「私は優秀な教師。だが崇高な人間ではないし、そうなりたいとも思わない。だからといって、恥知らずな人間ではない」など怒濤の、あるいは、炸裂する本音。
 わたし(小高)の思い=プロ野球解説者与田氏「ブルペンに電話がかかってくると、ドキッとします。ランナーがいっぱいいる、一発逆転……登板したいという人は、だれもいませんよ。でも、白いラインを越えると、気持ちがガラッと変わります。たぶん、みんな、そうだと思います。」
 教員は四六時中ピリピリしていくてはいけない職業だと自覚しているが、そのうえで、わたしは、大久保の信金、あるいはホタルの里の「ライン」を越えるところで、気持ちを切り換えている。
 要するに、「範美忠先生」とは180度異なる「自分」になる。
 プロである以上、どの職場にもこの「ライン」はあるはずだ。

(2)長期休業に際し、「ILO・ユネスコ 教員の地位に関する勧告」を読み直そう。
 3 指導的諸原則=6 教育の仕事は専門職とみなされるべきである。この職業は厳しい、継続的な研究を経て獲得され、維持される専門的知識および特別な技術を教員に要求する公共的業務の一種である。また、責任をもたされた生徒の教育および福祉に対して、個人的および共同の責任感を要求するものである。
 6 教員の継続教育=34 教員には継続教育の課程や便宜に参加するための機会および刺激が与えられ、また教員はこれらを十分に活用すべきである。
 8 教員の権利と責任=70 すべての教員は専門職としての地位が教員自身に大きくかかっていることを認識し、そのすべての専門職活動のなかで最高の水準を達成するよう努力しなければならない。

(3)いよいよプールの時期だ。
 どうしても、ふじみ野市プール排水口事故を想起してしまう。
 毎度、毎度、繰り返し述べることだが、危機管理の原則=①最悪の事態を予知・想定し、できるかぎりの予防策を立てる ②事が起こったときは、ベストの対応策で臨む ③可能なかぎり早い段階で「安全宣言」を発信する……。
 ふじみ野市の事案については、これまでの(限られた)データからの判断ではあるが、やはり①と②の段階に問題があったようである。
 わたしたちの学校も、いや、学校は、毎日、毎日が危機の連続である。
 個々の危機管理能力をアップしたい。
 また個々にカバーしあうことによって(「校長、その判断では危ないですよ!」)組織としての危機管理力をアップしていきたい。

(4)芸人はいじられてなんぼ
 次のような記述を発見。
 「己を低くし、アホを演じることで笑いが生まれ、場が和む。反対に関東の芸人は、初対面でも素人や有名人などの他人をいじることで笑いをとろうとする。素人が失敗しているところなど、素人のみじめな反応を見世物として視聴率を上げようとするのが東京のテレビ局のやり方。」
 経験的に、この「関東の芸人」的教師のクラスでは、毎時間、爆笑、爆笑の連続だが、確実に、いじめが増える。
 子どもたちが「関東の芸人」のマネをするからだ。(生徒の前で、生徒を叱責するときも注意が必要だ。その叱責の仕方をマネする子どもが出てくる。)
 「関東芸人」が、学年に2人になると、いじめによる不登校生徒が爆発的に増殖する。
 自己点検の視点にしたい。(「メモ」の一部 以上)

◆きょうの「教頭時代・ダラダラ記述」は、97/2/1(土)の記述だ。
 読んでいて、土曜なのにどうして学校が平常どおりに……?と思ってしまった。
 まだ、いわゆる「半ドン」の時代だったのだ。

 朝(……といっても、まだ夜明け前)、家を出て、公民館を過ぎ、ゆるやかな下り坂にさしかかった所で、いつも詩句、《障子の向こうから孤独な旅人のわらじの音が聞こえてくる》(←いくつかの詩句が、ごちゃ混ぜになったもの)が口をついて出る。
 そして、仁科さんや今井君のことを考える。
 この「心理」を、いつか、ていねいに、ゆっくりと分析しなければならない。
 口をついて出てくるときは、自分が「孤独な旅人」になっている。
 いったい、自分はどこに向かおうとしているのだろうか。
 9時から図書室で50周年記念誌編集委員会。
 柾谷さん、磯島さん。
 三役会で打ち出した方針を受けて、いろいろな記念誌を見ながら、参考になるところに付箋を挟む。
 3年生の風邪罹患率が高いので、生徒総会は放送で実施。
 昼食はカップヌードル。
 3時過ぎから校内巡視。
 4時、生徒活動終了の放送。
 4時半、後を代行員の上野さんに託し、小笠○Tの車で帰宅。
 平日も、土曜日も、最後まで学校にいて、戸締まりをすることがまったく苦痛でなくなった。
 9821V7の宇宙効果かもしれない。
 しかし、まだ「仕事」が苦痛だ。
 たとえば、次の週の仕事、①公会堂のスピーカーを譲り受けることに関する手配。
 ②50周年記念事業推進委員会の副会長や顧問の決定手続き
 ③高校入試面接練習
 ④サッカー東北大会出場に関する意見調整
 ⑤50周年記念誌の業者との打ち合わせ
 ⑥50周年記念事業校内組織の作成と提案
 ⑦50周年記念事業の予算の見積もり……。
 まだあるかもしれないが、今、思い浮かんだものだけでもこれだけある。
 学校にいることが苦痛でないように、これらの仕事も苦痛でなくなるように、いや、もっと正確にいうと、仕事に時間を割くことを苦痛と感じなくなるよう気持ちをコントロールしなれば……。
 仁科さんから書簡届く。
 書簡の終わりのほうに《小高さんも私も、伊東静雄の年齢を超えますね》とあった。
 「文学的正しさ」とは何か。
 考えてみると、ずっと自分がこのことにこだわってきたことに気づく。
 また、今も、やはりこだわっているように思う。(97/2/1のダラダラ記述 以上)

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