★昼休み、各クラスの合唱練習を聴きながら、校内をブラブラ歩き、1年4組に至る。背面黒板をパチリ。
◆7/11(金)に開かれる職員会議の資料として「職員室通信」を作成する。
次の記述は、その「職員室通信」の一部だ。(本校の場合、「職員室通信」というのは、校長から教職員への正式な指示事項なので、当然だが、とても全部アップできるような内容ではない。要するに、さしさわりのないものだけをアップするということになるm(_ _)m。)
〈真に力のある学校・地域・家庭を構想する〉
学校・家庭・地域のそれぞれの教育のバランスの悪さが、教育危機を増大させているという認識は、同じなのだが、その実態への対応については、粗く2つの方向がある。
1つは、地域も家庭も弱くなり、地域や家庭の役割まで学校に期待されている。しかし、学校には人的・物的にも限りがある。そこで、家庭や地域が担っていた機能を補完するために、学校の中に地域・家庭を取り込もうとする方向。
もう1つは、わたしの立場で、なんどもいっているので、ポイントだけ述べるが、一言でいうと、アウトソーシングだ。
学校が担っている(抱え込んでいる)役割(=教育行為)を、家庭で親がやれるように「加工」して、あるいは、地域で地域の人々がやれるように「加工」して、外注・分担(←一種の「連携」)してもらう方向。
今は、このことについて詳しく述べるスペースも時間もないので、論理を無視して、ポイントだけをいうが、「学校の中に地域・家庭を取り込もうとする方向」は、もし、それだけで終わるとすれば、間違っている。
★1年4組、昼の合唱練習はじまる。
さらに、論理を飛躍させる。
夏期休業中は、真に力のある家庭・地域に近づく、絶好の機会だ。
教育の荷をたくさん抱え込んでいる側(学校)が、力のある地域・家庭を構想しつつ、下記の(1)~(3)の観点で、コーディネーター機能(調整)を発揮していくことが大切だ。
(1)学年・学級(学年教員)で、あるいは、部活動(顧問)で、個々の生徒の社会教育活動(学習塾・稽古塾を含む)の実態を、可能な限り把握すし、そのうえで、個々の生徒の社会教育活動が円滑に行われるように配慮する。
家庭行事についても同様だ。
(2)地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励する。部活動と重なる場合も多いと思うが、各部顧問は、ここで充分、学社コーディネート力を発揮してほしい。
中学生の地域行事への参加は、確実に次世代を育成し、「力のある地域づくり」、さらには「学校・家庭・地域の教育のバランスがいい校区づくり」 につながっていく
(3)部活動の休止日については、これまでの通り(①第1・3日曜日 ②他の週については、土・日のいずれかを休止日とする)であるが、長期休業中の土・日は可能な限り休止日とし、先生方も自身の家庭や地域で過ごすようにしてほしい。(真に力のある学校・地域・家庭を構想する 以上)
◆けさ、ネットで「ねぶたで結ぼう、地域と学校 教材開発を推進」(7月9日6時12分配信 河北新報)を見つける。
青森の夏祭り、ねぶた(ねぷた)の教育効果に光を当て、制作や地域運行をする学校を増やそうと、ねぶた師の弟子立田健太さん(23)=青森市=が母校・弘前大教育学部の大谷良光教授(技術教育)と共同研究で取り組んでいる。
ねぶた制作の教材開発や小中学校でのモデル授業も予定。
立田さんは「制作、運行を通し、学校と地域の連携を深めてほしい」と意気込んでいる。(配信記事要約文 以上)
これ等は、わたしが「家庭や地域が担っていた機能を補完するために、学校の中に地域・家庭を取り込もうとする方向」の典型例だろう。
ねぶた(ねぷた)の教育効果は認めるし、「制作、運行を通し、学校と地域の連携を深め」ることも、決して悪いことではない。
しかし、今、学校が「ねぶた制作の教材開発」……「モデル授業」……と、「ねぶた」まで抱え込んで、どうするというのだ?
考え方が安易だし、現在、地域の教育力を担っている方々に対しても失礼だ。
学校が、今、やらなくてはいけないのは、地域で行われる社会教育活動や公的な社会教育活動への参加を奨励することだ。
そして、部活動等と重なる場合は、教職員が、学校が抱え込んでいる教育行為と社会教育活動とを調整することだ。
こういうコーディネート力をつけることが先決だ。
◆きょうも教頭時代「1997/1/21のダラダラ記述」をアップする。
このアップが、今後の自分にどういう影響を与えるのか?……とか、今後、どう展開していくのか?というようなことはまったく考えていないし、よくわかっていないのだが、1度目アップしたときとは、心持ちが少し違ってきた。
午前PTA会長磯島若松さん来校。
今後の諸会議の日程を検討する。
1月28日 三役会。
案件
①新入生保護者の役員決定方法
②五十周年組織の顧問選考
③常任委員反省会の運営
2月12日 総務委員会。
2月15日 常任委員会反省会。
2月24日か25日 50周年記念事業推進委員会総会。
生徒会誌の原稿に取りかかる。
締切は一月末。
今度は間際に苦しみたくない。教頭会の原稿『PC-9821V7のディスプレイと宇宙』に手を入れて発表することにする。
書くときの留意点。……
①テーマを明確にする。(充ち足りた自分だけの時間、自分自身にかえる時間が大切だ。)
②事実に、さらにフィクションを導入すること。
3使用する言葉を磨く。(イメージ豊かな言語)
今、こうして記述していて思ったのだが、この「ファイル」は、とにかく「記述」ことが大事だ、考えないで、とにかく先ず「記述」することだと思った。
記述しつづけよう。
こんなふうに思ったのは今回が初めてだろうと思うが……。
木村書店の吉岡さんが『失われた時を求めて』の第2回配本を持ってきてくれる。
18歳、19歳という出発の時代に自分の傍らにあった書物だ。
手にしたり、眺めたりすると、自分の魂のさまよった場所である大阪天王寺の清水谷公園や弘前森町の下宿が浮かび、胸が痛くなるほど、ときめきを覚える。
午後、ボルボ商会の奥さんが、メーカーの本社工場から届いた新しいマスターキィを持って来る。
手作り。
1本3000円。
校舎巡回の時、試してみたが、どの部屋の鍵もカチャンカチャンと気持ちよく開く。
7時過ぎ、小笠原Tの車で帰る。
青葉まで小坂Tもいっしょ。
寒波襲来。
小笠原Tの車の外部温度計は氷点下5度を指している。
昭和52年のこの時期の寒波のことを思い出した。
小田八幡宮のそばに住んでいる頃で、千葉に転校した女子生徒への手紙に寒波のことを書いたのだ。
それから、昭和62年のこの時期の寒波。
野場に住んでいて、大館中1年目、決意新たに日記を書いているときで、その日記の中に「寒波」のことを記録したのだ。
書いたことをこんなふうに覚えていて、ふと思い出すのは、今、同じテーマで書くことによって、精神の深部に凍結されていた空気が溶解するからだろうか?
あるいは、当時、書くことによって、書かなかった事実より、記憶が補強されたというだけのことだろうか。
風呂の後、夕食。
ビールを飲みながら、きょう小笠原Tとの間で話題になった生徒の振り替え休日のことを調べる。
本を4冊持ち出したが、3冊目に「取る必要はない」とあった。
裏付けになる法的根拠はないようだ。
今、2年生と古典を勉強しているが、やはり京都や奈良が無性になつかしい。(1997/1/21のダラダラ記述 以上)
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