WALKER’S 

歩く男の日日

10日目 湯浅駅~紀三井寺駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 朝食は6時から、今回の旅で6時からしてもらえたのはこの一二三旅館だけでした。


 6時21分出発、湯浅駅のすぐ近くの道だけど昔の街道の雰囲気が感じられる。


 西国古道の赤線の道ではないけれど、間違いなく熊野古道です。矢印はちょっと微妙な感じですが。




 1838年に建てられた道標、紀三井寺、伊勢、熊野、高野へのみちを指示しています。


 橋を渡って湯浅の町をあとにします。


 海南の町のすぐ手前にある藤代王子まで15.4km、5時間かかると書いてあります。3つの山越えがあるので昨日のようなスピードは出ませんが平均では4kmは出したいところ。


 熊野古道、方津戸峠、一応峠ですが一つ目の大きな峠の手前のおまけのような峠。


 逆川王子です。ガイドブックでは湯浅駅から43分と書いてありますが、33分で来ました。


 一つ目の山越え、糸我峠です。ガイドブックでは下りで20分、ぼくは登りで18分でした。山は一面蜜柑畑、作業車が入るので全て舗装道になっています。


 幟の立っている地道が古道です。糸我峠の標高は180mだけど予想したよりは苦労しました。


 峠を下ると有田市です。山は見渡す限り一面の蜜柑畑。


 7時41分、宿から1時間20分かかって山を一つ越えて国道43号に出てきました。ぼくの一番好きなコンビニ、デイリーヤマザキがあったので昼食を調達します。けんぴは買わずチョコとアイス。


 宮原橋を渡って宮原の町へ入っていきます。川は有田川。向こうに見える壁の一番低いあたりを越えていくはずです。


 橋を渡って25分で山口王子、ここから二つ目の山越えに入っていきます。


 糸我峠からここまで94分と書いてありますが、ぼくは60分で来ました。
 糸我峠とこれからの山の高さが大部違う。


 山口王子から17分、見晴らしのいいところに出てきました。越えてきた糸我峠、有田川、宮原の町が一望です。


 蕪坂塔下王子です、山口王子の地図には35分かかると書いてありましたが38分かかりました。距離は1.8kmなので時速は2.8km、3kmを下回ると本当にしっかりした山登りという感じです。


 1300年前から多くの旅人が歩いてきた本物の古道です。蜜柑畑なのでほとんど舗装されてはいますが。


 蕪坂王子から4分、視界が開けて海が見えました。下津の港、海の向こうは淡路です。


 拝峠に到着、二つ目の峠です。今日の山登り=この旅の山登りもあと一つということになりました。
 山口王子の地図には山口王子から蕪坂まで35分と書いてありましたが、こちらの地図では60分になっています。こちらの地図に納得です。ここから藤白王子まで3時間15分と書いてありますが、2時間ぐらいで行ければ上々でしょう。


 拝峠から下ること30分、一壺王子です。先の地図では60分かかると書いてあったから相当早い。ひざに負担がかからないくらいのなだらかな舗装道が多かったので快適でした。


 下津町は今は海南市に合併吸収されています。


 一坪王子から1kmほどの所に所坂王子、加茂の郵便局の近くで橋を渡ってしばらくの所に橋本王子があったのですが、いずれも古道から少し入ったところにあったようで確認できませんでした。
 そして最後の山道を登って三つ目の峠にあるのがこの藤白塔下王子です。先の地図では一壺王子から75分と書いてありましたが46分で来ました。
 10時26分、この旅最後の昼食をとります。休んでいたら北の方の山道から中年のご夫婦が登ってきました。向こうへ下りられますかと訊いたら、登ってきた道を引き返すということでした。下津の方に下りると駅がないからかもしれません。


 まだ下津町ですが、この峠が市町境だから下り始めるとすぐ海南市に入るようです。(合併前は)


 塔下王子からの下りは地道が続きます。下り始めて14分、海南の港が見えてきました。山の向こうはもう和歌山市です。


 左を向けば淡路、よく見れば沼島も見えていたかもしれない。


 塔下王子から32分、海南の市街に入るすぐ手前にある藤白王子に到着しました。拝峠から3時間15分と書いてありましたが2時間で来ることができました。11時13分、宿を出てから5時間近く経ちましたがこれで山道は終了、あとは平地ばかり紀三井寺まで7kmほどになります。


 王子は立派な藤白神社になっています。


 市街に入る手前に西国古道の矢印、海南の駅から西国古道と熊野古道は完全に分離していきます。


 藤白王子から15分,JR海南駅です。駅前広場でなにやらお祭り騒ぎ、いい香りが漂ってきます。


 海南駅から37分、いよいよ最後の市、和歌山市に入ります。


 和歌山市に入って20分,JRの踏切を渡ります。この700mほど手前で道をはずしてしまいました。今日はそこまで全くはずさなかったのにあと2kmというところでやってしまいました。ということで、一度も道をはずさなかったのは6日目、那智山から本宮大社までの1日だけでした。やはり初めての道で、歩く人は四国の百分の一以下となると無理からぬことでしょう。


 藤白王子から83分、12時38分、10日間の旅のゴール西国二番紀三井山護国院にようやく到着です。

 2 花ざかり  紀三井山金剛宝寺(紀三井寺)  詩・曲 高石ともや
   1 桜一番 花便り
     西国巡りは 二番寺
     井戸が三つで 紀三井寺
     春は紀州の 紀三井寺
     海 山 花ざかり 花ざかり
   2 厄除け階段 二百段
     かたち美し 名草山
     田鶴鳴きわたる 和歌の浦
     春は紀州の 紀三井寺
     海 山 花ざかり 花ざかり
   3 為光上人は 竜宮で
     説法つづけて 三年間
     みやげにもらった 早咲き桜
     春は紀州の 紀三井寺
     海 山 花ざかり 花ざかり


 山登りはもうないと思っていたら、最後にすごい階段が待っていました。一番上が見えないくらい。


 厄除け階段を登りきって本堂の前へ到着、1番札所から168km、丸5日の行程はいかにも長く大変でした。四国の札所間で一番長いのは37番岩本寺から38番金剛福寺までの85kmほどで、それは全然長いと思ったことはないのですが、さすがに4日間全くお参りがないというのは、歩くことがメインで旅をしているぼくでもちょっと所在ないと感じることもありました。


 西国札所は全て観音寺ですがお大師さんも居られました。
 でも、さすがに季節は真逆で花ざかりの境内を楽しむことはできませんでした。
 仏殿の日本最大の千手十一面観世音菩薩立像も拝観して、撮影もできたのですが、ぼくとしては本堂の1000年前に作られた御本尊こそありがたいと、直接見ることができなくてもそれで十分という感じです。


 境内から眺める和歌の浦、春でもないし、天気もよくないので少し残念な感じです。


 13時50分、紀三井寺駅に到着、秋の西国巡りはこれにて終了、続いて日帰り巡礼の記録をあげていきたいと思います。


11日目 紀三井寺駅~西笠田駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 紀三井寺から帰ってきた8日後の2016年10月31日、再び紀三井寺駅に戻ってきました。駅からかたち美し名草山を望みます。仏殿と本堂の屋根が見えています。
 3dayチケットは1日1700円、宿に泊まれば素泊まりでも4500円はするから3000円くらいの節約、11回分だと3万円の節約になります。でも秋から冬にかけてのこの電車旅は想像の何倍も辛かったです。


 9時27分、階段を下りてきたところでおいずるを着けて新たな旅立ちです。


 JRの東側に沿って北上する街道、7分ほど歩いてきたところで最初の目印、県立医科大の建物が見えてきました。


 保健看護学部の建物です。


 医科大のすぐ先を右折します。車の手前にあるポールに矢印がありますが歩いているときには気づかないまま地図を見て左折しました。


 突き当たりの電柱に矢印。


 ちょっとした登が現れます。


 階段にも矢印、ここまでは伊勢路と比べて大分やさしいと感じます。西国巡りは伊勢路を歩く必要ないからなくても文句は言えないけれど。


 階段を上がりきったところにも矢印があります。この上が一番高いところのようです。


 最後の階段を上がってくると広い道に出てきます、高台に作られた住宅街の中、ちゃんと矢印もありました。


 上がってきた分今度は下ります。


 四国なみに矢印がきちんとあります。向こうの山並みは大阪との府県境、次回は和歌山ともお別れです。


 県道142号に合流、東に向かいます。


 熊野古道と完全に分離したから気兼ねなく西国古道のシールが貼れる。


 県道を1kmちょっと行くと左折して北上するのですが、その少し手前で短絡路があったのですが行き過ぎてしまいました。これは北上する県道137号に入ってしばらく来たところ。


 わかやま電鉄貴志川線の踏切です。


 神前(こうざき)駅の近くで右折、あるべきところにきっちり矢印があります。


 右こかわでら、いつ頃の道しるべかよく分からないけれど、


 地図にない新しい幹線道路ができていて一瞬うろたえる、矢印ももちろんなくて、本当の道は横断して真っ直ぐだったのでなくてもよかったのですが、なぜかぼくは左折してしまいました。


 矢印を発見して無事本来の道に合流。


 県道138号に突き当たって右折、東に向かいます。


 138号を250m進んで最初の信号を左折、北上します。


 北上する道はうねうねと細い道。


 矢印に従って斜め右へ、


 高速の下を抜けます。


 高速の下を抜けてすぐ左折、高速に沿って北上、300m進むとまた突き当たって右折、


 50m進むとまた突き当たって左折、粉河寺は紀三井寺の北東にあるから、北上と東への繰り返しになります。カーブミラーのポールには矢印があります。


 前の突き当たりを左折して200m進むとまた右折、400mほど行くと県道144号に合流、ここは県道に入って200mほど来たところ、Y字路なので矢印があります。こういうのはなくてもいい感じだけれど、やはりあれば安心。


 県道に入って1300mの所で大きな交差点、県道143号とクロスします。
 ここで右折して143号にはいるのですが、


 新しくできた太い143号ではなくて、少し南を並行する昔の143号を行きます。つまりこの交差点は5差路になっているのです。


 5差路から2kmほど進んだところで久々に熊野古道と合流します。
 おそらくしばしの間だと思いますが。


 そしてそのすぐ先で、北側を走る143号にクロス、ただし5差路からの延長の同じ道なのに、この交差点の1kmほど手前からは県道9号になっています。


 信号を渡ると右斜め前へ入る。


 信号から1km、布施屋(ほしや)駅のすぐ東側で和歌山線の踏切を渡ります。


 布施屋駅のホームが見えています。
 ここで紀三井寺駅から2時間10分、古道沿いで最初の駅ですが、前回ここまではさすがに歩けなかった、最初の予定ではさらに先の岩出駅まで行く計画だったから、いかに無謀な計画だったかということ、紀三井寺で止めて正解でした。


 踏切から100mほど行くと突き当たってまた右折。


 前の突き当たりを右折してから東へ東へ、4kmほど来たところです。紀ノ川の南側に沿って走る県道14号に合流します。


 14号に入って1分で和歌山市から岩出市に入ります。


 さらに2分で岩出橋です。


 橋を渡ろうとしたら、なんと、へんろみち保存協力会の見慣れた赤矢印がありました。いったいどうしたことでしょう。


 橋は500m、撮るべき紀ノ川の写真はなぜか撮りませんでした。渡り終えるとすぐ右折、300m進んで左折、そして100mほど来たところの交差点です。歴史街道、大和街道、おそらく参勤交代に使用された大街道だと思われます。


 これが江戸時代の街道、城下からずいぶん離れた田舎道だから、


 400m進んで突き当たり、


 また北上、


 12時31分、岩出橋を渡りきってから10分、紀三井寺駅から3時間、岩出駅に到着です、最初の休憩、昼食を摂ります。


 15分の休憩で岩出駅を出発、駅のすぐ北側にある踏切を渡ってまた東に向かいます。


 踏切からは県道14号、12分ほど来たところで紀ノ川市に入ります。ちょっとかっこいい市のマーク。


 さらに県道を4kmほど来たところで脇道に入ります、国道との交差点の手前、矢印は期待していなかったけれどちゃんとありました。


 脇道、遊季本店の向こう側が国道です。


 歩道橋で国道を横断、ここにも矢印が。


 横断するとすぐまた脇道に入ります。


 またもやへんろみち保存協力会の矢印、関係者がこの道を歩かれたに違いない、ずっとず~っとこのペースであるとありがたいけれど、それは望むべくもないことでしょう。


 国道の交差点から1.5kmで突き当たって、また北側へ。


 左折して北へ向かう道に入ったところ、


 右いせかうや、左こかわ寺。まだ直進です。


 踏切を渡ります。紀伊長田駅のすぐ西側です。紀伊長田駅は粉河駅の一つ西側の駅です。


 踏切を渡って120m進むと長田観音の入口に突き当たる、赤線は右斜め前に続いているけれど、そんな道はなく、直角に右に折れる道がこのあぜ道のような道。左斜めの道は広い舗装道でそちらを行けば確実に上の道にでられることは分かっていたけれど、せっかくなので赤線に近い道を選択しました。


 あぜ道は左へ曲がって、さらに左斜め前のお墓の横を通って、何とか上の道が見えたところです。矢印もなかったから久々のひやひやものでした。


 上の舗装道にでて200mほど東へ行くと今度は矢印がありました。


 前の写真を左折して350m、右折して1kmほど進んでようやく出てきました。ここは門前の大通り。でも本当はこの200mほど手前で一旦北へ上がってからこの50mほど上で出てくるのが正解でした。赤線はそのようになっているのですが、こちらにちゃんと矢印があるということはこちらでも間違ってはいないということでしょうか。


 想像していたより遙かに繁華な門前町です。


 14時26分、紀三井寺駅からジャスト5時間で西国3番粉河寺に到着です。
紀三井寺からここまで29.7kmなのでほぼ時速6kmで来たことになります。

 3 衣更え   風猛山 粉河寺      詩・曲 高石ともや
    屋根のかたち 重なって
    大きな本堂 八棟造り
    観音力 祈ります
    紀州 紀の川 粉河寺

    旅の芭蕉も 衣更え
    川に沿って 歩きます
    おだやかに おだやかに
    紀州 紀の川 粉河寺

    桃山に 桃の花
    春深く 花深く
    ふりかえり 手をふれば
    紀州 紀の川 粉河寺


 先の山門が大門、こちらは中門。大門からここまで100mくらいあります。この広さに先ず圧倒されます。


 牧水の歌碑  粉河寺 遍路の衆の 打ち鳴らす 鉦々きこゆ 秋の樹の間に
 写真は撮りませんでしたが芭蕉の句碑もあって
   ひとつぬぎ うしろにおひぬ 衣がえ
       これが歌のタイトルになった


 八棟造りの豪壮な本堂、大きさ、風格、全く圧倒されるばかり、これだけの本堂は四国の札所でもそうはありません。
 慣れない観音経、御詠歌を詠み上げる。納経所は本堂内にありました。
  曲が聴きたい方は高石ともや事務所で検索、ネット通販あります。
         CD+ソングブック 3500円


 大門から南下すること500m、期待していなかったけど矢印がありました。


 前の交差点を左折するとすぐ橋を渡って、渡るとすぐ右折、川沿いに南下して400mほど進むと踏切を渡ります。粉河駅のすぐ東側です。


 前の踏切を渡ってすぐ左折、1300mほど東へ進んだところで、今度は線路の北側へ、渡ってすぐ右折です。


 前の踏切から1kmほど東へ来たところで橋を渡るのですが、そこで赤線の道をはずしてしまいました。直進せずに1本上の道に上がるのが正解でした。直進の道は突き当たって矢印もなく迷ったのですが、南へ下がって早めに線路の南に出てしまいました。


 名手の駅の近くで国道24号に出てしまって、しばらくすると本来の古道、赤線が合流するところでかつらぎ町に入ります。


 かつらぎ町に入るちょっと手前から古道の赤線は国道480号で北上しますが、西笠田駅はその交差点から500mほど東にあります。
 15時45分、粉河寺から1時間ジャストでした。本日の歩行距離は36km、また何日か後にこの駅から歩き始めます。


12日目 西笠田駅~河内長野駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 粉河寺から帰ってきた4日後、11月4日。4番札所へ向けてまた歩きます。
写真は橋本駅で南海からJRへの乗り換えの時に出会った真田丸列車です。


 9時20分、西笠田駅に戻ってきました。前回はほとんど平地ばかりだったけど、今回は標高868mの山越えがあります。これは、西国では大雲取越越前峠の870mに次ぐ高さ、言い換えると、今日が終われば後はそれ以上の山道はないということです。


 紀の川と船岡山、あそこで釣りきち三平が小鷹網の特訓を受けたのだった。


 まだ赤線の古道に入っていません。


 駅から5分で北へ向かう国道480号に入ります。すぐ和歌山線の下を抜ける。


 かなり色あせた西国の矢印、これだけ見てもNPO法人西国古道ウォーキングサポートは相当前から活動しているような。


 そんなに時間を経ずして見かけることができると、やっぱり安心するし心強くもあります。


 歩き始めてまだ20分なのにまた矢印。


 歩き始めて30分、新しい文覚橋、


 でもあります。道はごく緩やかな登りが続いていますが、時速は5.5kmは出せるほどの負担を感じない傾斜です。


 歩き始めて66分、大分山が近づいてきました。先に見える大きな建物は四郷小学校。


 さらに13分、前方に見える橋は国道480号バイパス、ずっと手前から穴伏川の対岸を並行して走っています。ぼくの地図ではどちらも480号。


 さらに3分来たところ、ここが最初の大事な分岐点、写真では分かりませんが川を渡って右の方に行く道があってそちらの方に行きそうになるけれど地図をじっくり見て左が国道だと確認、行こうとしたところで矢印発見。


 さらに3分、バイパスに寄り添って進みます。


 バイパスに合流するとなにやら大変な工事中、どうやらトンネルのようです。ぼくはトンネルの手前で右上の方に大きくUターンしていくようです。


 写真は撮らなかったけれど急な坂で100mも行かないうちに工事現場を遙かに見下ろすくらいまで上がってきました。そして矢印。


 ここは高野街道とはずいぶん離れているけれど、やはり大師は来られた。


 集落の中に入っていきます、見ての通りの急勾配。


 矢印がなかったら真っ直ぐ行ってしまいそう。


 矢印に従って右折するとこんな道。行く手に干し柿ののれんが見える。和歌山は何といっても日本一の柿の産地、ニュース映像で何度も見たけれど生で見るのは初めて。


 ここでまたちょっと迷う、右の方が直進の道でそちらに行きかけたけど、道しるべに気がついて何が書いてあるかよく分からないけれど、左折する方が正解のようで上へ上がっていきました。


 矢印が見えた、やっぱり正解。それにしてもあり得ないほどの急勾配。天気がいいのでもちろん汗みどろです。


 写真でこれだけはっきり分かる坂なんて珍しい。


 矢印に従ってさらにさらに登る。


 さすが800m越えの山だけあってとどまることを知らない。


 白い屋根の下のオレンジ色は全て干し柿です。11月4日だから最盛期だったでしょう。


 坂道が落ち着くことはまだありません。トンネル工事の手前から24分登りづめです。


 ここは土砂災害の後のような感じです。


 ふり返ると遙か紀伊半島の山並み、あそこを横断してきたのだと思うとなにやら感慨深い、


 ミラーの中の自分を撮影、こんなに天気がいいのに傘を持っているのが分かるでしょうか。前回は持たなかった。今日は山登りがあるので絶対必要だと思った。ここまでは全部登りの舗装道で必要なかったけれど、これから大活躍します。


 ミラーを左折してすぐ神社がありました。汗を大量にかいているのでトイレの必要はなかったのですが、軒下で休ませてもらうことにしました。11時24分、歩き始めて2時間です。
 ところが、休んでみると下着までぐっしょりなので寒い、焼山寺で休んでいる時みたいな感じ。焼山寺ではシャツを着替えることも多かったのですが、着がえを持っていないので早々に出発することにしました。歩き始めるとすぐ暖かくなります。


 出発してすぐ町石が現れました。峠までなのか、お寺までなのかよく分からない。地図を見る限りではどうやら七越峠までの距離のようです。


 地図ではすごいヘアピンカーブがあるところ。


 西国のシール、1本道でもこのように時々現れるとすごく安心して歩けます。


 かなり高いところまで上がってきているはずだけれど、神社までの道と違って傾斜は緩く道幅も広く快適に登っていけます。


 1本道だけど矢印。


 分岐です、はて?


 手前の右折の方に矢印がありました、下の黄色いテープのところに「ちちんぷいぷい西国33ヶ所巡礼頑張れ」 と書いてありました。


 少しは登っているけれど800mの山登りという感じは全くない。


 日陰の中でさらに快適、こんなに楽でいいのだろうかと思うくらい。


 時速5km以上は確実に出ています。


 広く平らなところに出てきたと思ったら、


 七越峠でした、20丁の丁石から30分ほどで来たから時速4km以上は出ていたようです。300mほど先の宿山の近くが一番高いところのようで、本当は峠ではないのかもしれません。


 道しるべが入り乱れていますが、ぼくの目指すのは槙尾山。バイクは往復出会いました。


 ごく緩やかですが登っています。


 少し明るいところに出たので、本当の峠かと思ったのですが、まだもう少しありました。


 さっきのところから4分ほどで、出たー、三国山。でもまだちょっと登っているような、


 間違いなくここが標高886m、この旅のピークです。これだけの標高なのにここまでずっと舗装道でしかも後半の方がずっと楽な山道、四国ではあり得ない感じです。自動車道は焼山寺でも鶴林寺でも太龍寺でも横峰寺でもあることはありますが。


 ピークから5分ほど進むと、ここからがやっと地道です。ここから下るけれど・・・


 三国山の700mくらい手前から和歌山県と大阪府の境に沿って尾根道を歩いてきた、三国山の100m先で府県境を越え、今度は河内長野市と和泉市の市境の上をこの地道の尾根道が3km以上続きます。槙尾山まで大分距離があるからすぐに下っていくということではないらしい。


 地道なのにここまでバイクがやってくる、


 槙尾山まで4.7km、105分、下りなのに時速3kmも出ないということか。


 山道らしい山道にNPO


 三国山から23分,千本杉峠。峠だけどさほどの登りがあったという訳ではありません。尾根道の多少のでこぼこの中での峠ということらしい。


 まきのを、と読める古い道標、向こうは近畿自然歩道。


 ここからちょっと険しい下りに入っていきますが、この少し手前で休んでいる人に出会いました。普通のハイキング、トレッキングではなくて、ぼくと同じ西国巡礼の方でした。那智山からずっと歩いてこられた、今日は名手からの出発だったそうです。槙尾山の先のユースホステルに予約しようとしたけれど満室だったので、バス停のあるところまで下りて河内長野駅の近くで泊まるということでした。お寺参りが好きということではなくて古い街道を歩くのが好きでやってきた。ぼくと同じNPOの古道地図を参考にしているそうです。四国の方で、もちろん四国は歩かれている、今回は長谷寺のあたりで一旦区切るつもりだということでした。写真をお願いしたら、それは勘弁ということでしたが、名刺を渡したらブログは見せて貰いますと言ってくれました。


 槙尾山まで1kmということは、先の4.7kmの地点から3.7km来た、64分かかっていますが、10分ほど立ち話したから、時速4kmくらいで来たことになります。


 さらに14分来たからもうお寺は近いはず。


 さらに3分で、ようやく到着しました。13時43分、西笠田駅から4寺間23分でした。この間20kmだから休憩時間を除くと平均時速は5kmは出ていたことになります。これだけの山越えで5kmは本当に上出来といっていいでしょう。

 4 行く人来る人  槙尾山 施福寺   詩・曲 高石ともや
    
    施福寺には峠の茶屋がある
    茶店には元気なおばちゃんがいて
    おばちゃんは今年八十才
    きつねうどんを作ってもらいました
    行く人 来る人 峠の秋

    雨の日にも火曜日以外は
    山道を通いつづけて三十年
    元気なおばちゃんに
    会いにみんながやって来る
    標高六00メートルはるかに金剛山
    行く人 来る人 峠の秋

    待つ人がいるから旅は楽しい
    待つ人がいるから人生は楽しい
    施福寺の本堂は南向き
    天高く 馬躍る 馬頭観音
    行く人 来る人 峠の秋


 歩き巡礼は南側の山道からひょいと境内の脇に出てしまうので、峠の茶屋の前を通りません。路線バスや自家用車で参拝する人たちが茶屋の前を行き交います。今回は季節は同じだったけれど茶屋の前は通れず終いでまた残念な結果。


 馬頭観音といえば四国では70番本山寺、本山寺の境内にも馬の銅像がありました。


 下が切れていますが、槇尾寺。正式には施福寺ですが槇尾寺で通っているようです。歩き巡礼はぼくと2kmほど手前で出会った四国の方の二人ですが、茶屋の前を通ってきた人は十数人、結構なにぎわいでした。


 パンを一つ食べて、時間もないので休憩もそこそこに下山します。歩き巡礼は境内の南東の角の下山口から下りていきます。一般の方は登ってきた北西の方から下ります。


 三国山からずいぶん下ってきたとはいえ施福寺本堂の標高は530m、ここからもきびしい下りが待っていました。足場はそんなに悪くはありません。


 本堂から下ること15分、桜ノ辻まで下りてきました。これで山道は終了。まだ地道ですが、ここからはほぼフラットな林道が続きます。


 桜ノ辻から7分ほどで舗装道に出てきました、分岐ですがちゃんと西国古道の矢印があります。


 さらに6分でトンネルが見えました、ここでようやく地図でここまで来ていると確認、塩降トンネルです。トンネルの中で和泉市から河内長野市に入ります。


 トンネルは200mほど、抜けてから400mほど来ると、河内長野駅方面に向かう府道218号に合流。


 府道に合流すると右手に滝畑ダム、最初の計画では岩出駅付近からここまで来て、古道をはずれてユースホステルに向かうはずだった。


 すぐまたトンネルを抜ける。もちろん昔の巡礼古道はここではなかった訳でどんな山道を下りていったのかと思う。


 トンネルを抜けると道は二俣、左がサイクルセンターやユースホステルへ向かうバスが通る道、右が西国古道。その分岐から約3km下ってきたところが写真の日野のバス停があるところ。左から橋を渡ってバス道が合流してくる。


 日野から900m、今度は汐滝橋のバス停、バスは目の前の橋を渡って左の方へ、西国古道はバスの通らない細い道を直進。15時33分、施福寺から80分歩きづめ、もちろん駅まで休むつもりはありません。


 視界が開けるとPLの白い塔が見えました。そこは富田林、すぐ向こうが5番札所のある羽曳野です。15時37分、施福寺から86分です。


 突き当たって右へ、矢印がなくても地図があるので迷わない。


 右折するとすぐ国道371号の下を抜ける、下を抜ければ4枚目の地図に入ります。


 烏帽子形公園に向かっていく道、この林は地図にないので意外な感じです。


 烏帽子形公園にある烏帽子形八幡神社の入口、ここが最後の迷い所として大きな地図でチェックしていたポイントです。鳥居と目の前の家の間の細い路地に入っていくのが赤線の道。自動車道を行って引き返してもわずかな遠回りにしかならないからどちらでもいいようなものですが。


 八幡神社から7分、国道310号が見えました、もう駅は近い。


 国道を横断するとちょっと登る。


 そしてすぐ下る。


 下りの道は橋を渡ってすぐ突き当たり右折、雰囲気のある通りは高野街道?


 前の通りを突き当たって左折すぐまた右折、そして左折すると駅前のでかいビルが目の前に現れます。


 16時16分、施福寺から2時間5分で河内長野駅に到着です。本日の歩行距離は32kmほど、これでも帰宅する頃には真っ暗になってしまいます。


13日目 河内長野駅~尺土駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼

 日帰り巡礼3回目は前回の5日後、 2016年11月9日に出かけました。

 8寺50分河内長野駅に到着です、前回前々回に比べると大分楽ですが、それでも家を出たのは3時間以上前です。
 いきなり高野街道の大きなプレート、ここを経由して南海高野線に沿って橋本方面に続いているようです。ぼくが下ってきた槙尾山経由より標高は大分低いはずです。


 河内長野駅を乗降するのは実に40年ぶりのことです。大学の時の依頼演奏(バイト)でサイクルスポーツセンターに来たとき以来。ここからバスに乗ったのは覚えているけれどどういう演奏をしたかは皆目忘れてしまった。


 駅のすぐ南の踏切を渡る。


 踏切を渡ってすぐ左折、北へ向かう細い道はいかにもという感じ、


 踏切から120m右折して諸越橋を渡ります。川は石川、前回の後半はほとんどこの川に沿った道を歩いてきた。


 橋を渡ると矢印が、


 横断したところにも矢印、


 ちょっと右に分岐があるので、念のために矢印、


 駅から38分、府道202号の交差点に出てきて、ここで左折して西側に進む。西側を見ると渡るべき橋も見えています。


 橋を渡って石川の西側へ。


 橋を渡るとすぐ踏み切り、この右側がすぐ滝谷不動駅です。


 踏切から右を向くと滝谷不動駅が見えている。


 踏切を渡ってすぐ次の角を右折、矢印があります。


 東高野街道といえば7年前学文路駅から極楽橋駅まで歩いたけれど、その手前の部分を歩くのはもちろん初めて。


 街道らしいいい感じの道幅とうねり具合。


 残念ながらよく読めない。


 踏切から500m、広い道路を斜めに横断、電柱に東高野街道の大きなプレートと矢印。


 左側の斜めの道へ入る、でもここでは街道の方が真北の方角です。


 前回河内長野駅の数キロ手前から遙か彼方に見えていたPLの塔がもうすぐ前に見えてきた。街道は素晴らしくいい感じ。


 国道309号の上を横断します。国道はちょっと潜っています。


 国道の上を横断して、左側を向いたところ、遮音板の下を国道が走っていますが、これだけでは全然わかんない。


 国道を横断して200m、川西小学校の脇の道、


 さらに300m、錦織神社の脇を行く。


 錦織神社の北側は街道が微妙な感じになっていて、こんなことになっていますがこれが正しい道かどうかもよく分からない。


 そして、とりあえず国道170号に合流しました。ここから2km以上国道を行くことになります。


 この塔を見上げるとどうしても「若人のゆめ 羽曳野の 聖丘清く 育みて・・・」と口をついて出てきます。いろんなことが残念です。


 国道を2.2km歩いてきてようやく目印のガストが見えました・


 もう一つの目印マクドナルド、この交差点を左折。


 左折といっても10mも行かないうちにすぐ右折して国道のすぐ西側の道を並行して進む。


 すぐ右に国道が見えています。ここからはず~っと真っ直ぐ北へ北へ。


 前回に続き歩きの人がいました、話はしなかったので西国巡りか、東高野街道だけを歩いているのか単なるハイキングかよく分かりません。


 NPOのシール、


 国道を離れて2km、南阪奈道路の下を抜けます。


 南阪奈道路から500m、西浦小学校の北西の角でちょっとクランクが入ります。


 西浦小学校から1kmで街道はまた国道に合流します。


 国道を1km進むと、高架になろうかというところで、また離れて街道に戻ります。


 国道を1km進むと、高架になろうかというところで、また離れて街道に戻ります。


 左折するとすぐ突き当たって右折、いわゆるクランクです。


 やはり国道とは全然趣の違う歩きやすい道。


 街道に戻って800mで藤井寺南小学校に突き当たって左折、大きめのクランクです。もうここは藤井寺、ということは、


 最後のクランクをこなして後はもう一直線。


 な、なんだ、これは。ぼくの地図には載っていない異様な建物。


 そして、ようやく西国5番葛井寺に到着です。11時25分、河内長野駅から2時間30分、距離は15kmだから時速6kmを確保できたようです。

  5 蓮華合掌   紫雲山 葛井寺    詩・曲 高石ともや

    阿部野橋から準急で 十三分
    駅から商店街歩いて 五分
    蓮華合掌 街の中 葛井寺

    買いものついでにお参りしてる
    幼い子どもが手を合わす
    蓮華合掌 街の中 葛井寺

    千本手を持つ御本尊
    ハスの蕾の指の型
    蓮華合掌 街の中 葛井寺

    古代 百済の王家の子孫
    河内王朝があったとか
    蓮華合掌 街の中 葛井寺

    お寺のむこうは野球場
    さよなら近鉄バッファローズ
    蓮華合掌 街の中 葛井寺


 こちらは大師堂、御本尊の千手観音は天平時代のもので国宝、日本最古の千手観音だといわれています。その御本尊は毎月18日に御開帳、これだけ由緒のある御本尊にしてはとても珍しい。高石さんも、とにもかくにも18日に出かけるのです、と書いています。


 大師堂の横にお大師さんもおられます。


 お大師さんの後ろから大師堂の後ろにミニ四国が造られつつあります。24番まで完成しています。御本尊の像が造られることが普通ですが、御本尊が梵字と漢字で記されています。


 山門の前の道しるべ、下の、よしの、い勢、なら、は読めるけど上は読めません。


 山門の前の道を東へ300m、県道186号の交差点を右折、南下します。ここからしばらく打ち戻るような格好になります。


 1km下ると国道170号の下を斜めに横断します。


 横断したところ。


 矢印がちゃんとあります。


 横断して500m、目印のイズミヤが見えてきました。


 イズミヤの交差点を左折、矢印がやっぱりありました。


 左折したところ、古市駅に向かっています。


 古市駅のすぐ側の踏切を渡ります。


 踏切を渡るとちょっと落ち着いた住宅街。


 左と右が逆のような気もしますが。


 踏切から600mで石川の土手に上がってきました。


 土手の道を左へ、


 臥龍橋で石川を渡ります。


 川幅は250mあります。河川敷はスポーツ公園。


 川を渡って右折して100m来たところ、土手の道を離れるところにきっちり矢印。


 石川を渡って1km弱、駒ヶ谷駅の近くで左折して今度は飛鳥川を渡ります。右折するとすぐ駒ヶ谷駅、最初の計画では、施福寺の下の滝畑ダムからここまで歩く予定だった。日帰りに変更すると、今回の計画の方がより合理的です。
 飛鳥川は、奈良の明日香村を流れている川とは別物のようです。


 川を渡ってすぐ右折、川沿いを歩きます。


 迷い所ではありませんが、矢印。


 今度は飛鳥川の右岸へ(上流に向かって)。


 橋を渡る。


 出た~、竹内街道、本当の「街道をゆく」 です。


 上ノ太子駅の前をゆく。


 四国なみの矢印の多さ。


 踏切を渡って、南阪奈道路の下を抜けると太子町です。ここから1kmほど南に聖徳太子の御廟所があります。


 これからず~っと竹内街道をゆく


 太子町に入って700m、ここで一旦国道166号を離れて脇道に入ります、ここまでの街道は国道だったのです。


 ここからは車はほとんど通りませんからね、


 太い国道の脇を街道が行く。司馬さんは子どもの頃どのあたりで遊んだのだろう、奈良県に入ってからだろうか。


 幟もあります。西国巡礼でなくても、街道歩きで来る人は多いのかもしれません。


 ぼくの地図にも載っている妙見寺。


 奈良県に入る前だけど古墳や旧跡がいっぱいある、一つ一つ訪ねる訳には行かないけれど。


 マンホールも太子なのだ。


 これは大分古い道標


 こういう立派なものもあります。


 峠へ向かってらしい道が続きます。


 これは珍しい、圓光大師二十五霊場の石碑。峠を越えたところに法然上人25霊場の第九番當麻寺があります。ぼくは西国古道を少しはずれてその當麻寺に立ち寄ります。


 街道から国道に合流するところです。ここまですでに大分登ってきています。峠の前後は街道は国道につぶされてしまったようです。


 国道に入ったところに矢印。


 二上山のちょっと南に峠があります。


 国道にも街道の幟があります。


 現代の峠の茶屋か、峠はもう少し先のようですが


 右河内国、左大和国。大阪府と奈良県の境、竹内峠です。大阪とは一旦お別れですが北の方に札所が二つあるのでまた入国します。


 国道は大分削って通されています。


 明治時代の府県境の碑。


 非常に歴史のある街道であり峠だと書かれています。昭和50年に改修工事が完成して国道に昇格したそうです。


 この旅で初めて目にする奈良県の風景。


 昔の街道とはちょっと違う感じ、国道の改修で、脇に無理矢理造られたような。


 分岐ではないけれど矢印、


 峠から2kmでまた国道から離れます。今度は確実に昔からの街道のようです。


 間違いありません。


 推古天皇の頃からある街道、日本最古の街道と言ってもいいのかもしれません。


 芭蕉も歩いた道、


 街道に入って700m、矢印は直進ですが當麻寺に向かいます。


 ラジオCMでおなじみ、柿の葉すしのたなかのお店がありました。ちょっと感動。


 街道を離れて12分で當麻寺の山門に到着です、14時46分,あんまり時間の余裕がありません。


 梵鐘は国宝です。日本最古、白鳳時代。すごい!


 高低差のある二つの塔、紅葉の季節には少し早かった。


 明和三年の文字、法然上人25霊場は思った以上の歴史があるようです。


 お参りを終え御朱印を頂いて参道に戻ってくると、金子みすゞの店が、山口の人なのに。


 見えにくいですが金子みすゞ物語のポスター、時間がないので中に入ることもできず、分からないまま尺土駅を目指します。


 街道に戻って700m、右に大きな矢印があったので右折してしまったのですが間違い、目の前の真っ直ぐの道が正しい。すぐ気がつきましたが。


 15時30分、葛井寺から3時間30分で無事尺土駅に到着です。宿に泊まればもう10kmくらい歩けるのですが、これももう一つの修行という感じもします。

  Unknown (トトロ)2017-02-13 10:09:01
    「街道を行く」ですね👍
    古道に残る風化した道標や、神社の鳥井、細くうねり残った道、案内板に
    当時を偲び佇む…イイですね〜👋

  まさに(WALKER’S)2017-02-13 20:03:03
    この後は葛井寺を南下して竹内街道を歩きます。竹内街道といえば
    司馬さんの「街道をゆく」の第1巻に含まれていて、本当にこの日は
    ずっと街道を行くでした。日帰りの中では一番気持のよい1日だったかも
    しれません。ただ後半天気は少し怪しくなりますが。


14日目 尺土駅~岡寺駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 日帰り巡礼4回目は前回の7日後11月16日です。


 尺土駅の改札を出たところで笈摺を着ける。8寺56分駅を出発。20m歩いて駅をふり返ったところ、今日もいい天気、日帰りの良さは何といっても天気を選べるところ。


 駅から100m最初の矢印です。


 先の矢印から400m南下して新庄疋田郵便局の角でクランクになります。




 左へはいるとすぐ右折の矢印。


 いい感じの歩きやすい道、南へ南へ。


 郵便局から700m、南阪奈道路の下を抜けます。


 やっぱりよく読めない道しるべ、


 南阪奈道路から1km南下してきたところで左折、近くに新庄小学校があってそれを目印に歩いてきたけど、1本筋が違って確認できないまま矢印が先に目に付きました。


 ぴかぴかの葛城市役所、近鉄新庄駅のすぐ手前です。


 新庄駅のすぐ側の踏切を渡ります。


 近鉄新庄駅から東へ700m来たところで右折、また南へ、目の前に見えているのはJR和歌山線大和新庄駅です。


 南へ向かう道に入ったところ、ここから御所駅の近くまでひたすら南下します。奈良盆地の片隅ののどかな光景が続きます。


 道は真南の方角で,JRがちょっと斜めにクロスしています。


 踏切から2500m、御所駅の前の交差点です、交差点から右を向いて駅を撮りました。山が近くていい感じの駅舎です。白い建物が余分ですが。


 駅の近くの商店街を行きます。道の細さがいい。


 駅前から300m、鉄道に沿って緩やかなカーブ。


 踏切は渡らず鉄道沿いの道を行く。


 踏切の前からこんなところへ下りていく。


 前の細い道から上がってきたところが交差点になっていて、目の前の橋と、踏切を渡る橋があって、ちょっと混乱して地図を見直すことになったのですが、なんとか踏切は渡らず目の前の橋を渡るのが正解だと気づいて、その写真も撮る余裕がなく、これはその橋を渡りきったところ。ここは斜めになっていて、すぐ先で真東に角度をとります。


 真東に向かうこの道は県道118号。こうやって歩くと奈良盆地はすごく広い。


 橋を渡って県道に入ったところから2500m来たところです。この1kmほど手前で県道は直角に右折するのですが、西国の道は直進、800mほど進んで川に突き当たって右折して150mほど来たところでまた県道と合流する交差点です。118号はこの交差点で終了、橋を渡ったところにある県道は35号、南へ行く県道も番号が違います。


 交差点を左折橋を渡ったところです。右が県道で左に脇道の入口があります。しばらく南東方向に35号とつかず離れず。


 大分色あせてるけど西国の矢印も下に見える。前の写真の脇道の入口です。


 脇道だけど広々、山が近づいてきます。目指す6番はあのあたりだと思われるけれど。


 一旦県道にタッチ、でもすぐ左の脇道に入っていきます。


 県道に合流してここで脇道は終わり。橋を渡ってから1500mほどでした。矢印は大分手前にありますが、この横に入る道はないから何となく理解できます。


 県道を800m進むとまた脇道に入ります。矢印もあります。


 300mで斜めに突き当たって左折したところ、見えにくいけどカーブミラーのポールに矢印があります。


 さらに700mで県道に合流します。県道はこの右斜め後ろから合流してくる。


 さらに300mで近鉄吉野線の踏切を渡ります。このすぐ左が壷阪山駅、6番札所の最寄り駅ですが、本当のお山までは大分距離があります。電車で来る人はここからバスに乗るみたいです。


 踏切から100m足らずで国道の交差点、右折して国道を1.5kmほど行って清水谷の交差点で県道に入れば壺阪寺ですが、西国古道は遠回り、国道をすぐ離れることになります。


 国道に入って100mで左折、遠回りの脇道です。


 脇道に入って700m、目印の郵便局の交差点です。ここを右折、


 でかい道しるべがありました。よく読めないけど、


 交差点で進行方向の逆を向いたところ、6番を打ち終えるとここまで戻ってきてこの交差点を直進、向こうに7番札所があります。


 ここから登りに入っていきますが、まだふもとなのでこの先でちょっと下るところも出てきます。お寺とはまだ大分離れているのですが門前町の雰囲気が感じられる古道です。ようお参りに来られました、と笑顔で声をかけてくれる人もいました。


 壺阪寺といえば何といってもお里沢市、ですが本当のところよく知りません。


 ということだそうです。ルーペで読んでください。


 この手前で矢印があったので左折して県道と並行する脇道に入ってしまったのですが、西国古道の赤線は直進して先に県道に入ってしまう。どちらが正解かこの後分かります。


 ここで二俣になっていてかなり悩んでストップ、近くにおじさんがいたので尋ねると右の民家の庭先を通るのが正解。その家の人もいて、あとどれくらいかかりますかと訊いたら、30分くらいかしら、という答え。


 さらに進むとこんな感じで普通に歩ける状態ではなくなっていました。仕方ないので少し戻ると県道に上がっていく道があったので速やかに脱出できました。やはり赤線の方が正解でした、だったらあの矢印は貼らないで欲しかった。


 一旦県道に上がってきました。郵便局から20分ほどかかっています。


 そして県道に上がって1分で、今度は本当の登山道に入っていきます。赤線はもちろんこの左の道に付いています。


 傾斜は全然緩くてすいすい上がっていけます。足場もよく雰囲気もよく大好きなタイプの山道です。


 県道から登山道に入って14分で、バス停のある駐車場に出てきました。最後は少し道が細くなって急な階段もありましたが、いつの間にか着いてしまったという感じです。


 11時49分、尺土駅から2時間50分で西国6番壺阪寺に到着、拝観料600円を支払って境内へ、ここはまだ山門の手前です。

 6 仲よく仲よく  壷阪山 南法華寺〔壺阪寺〕  詩・曲 高石ともや
   信じ合う お里 沢市
   千日まいり
   目を閉じて心の目を開く
   壺阪まいり
     生きてゆける あなたと私
     なかよく なかよく
     生きてゆける あなたと私
     なかよく なかよく

   幸せ願う 御摩木を焚けば
   炎があつい
   目を閉じて 手をかざす
   壺阪の秋
     生きてゆける あなたと私
     なかよく なかよく
     生きてゆける あなたと私
     なかよく なかよく


 壷阪山の中腹、広大な境内に多くの建物仏像が見られます。


 県道に上がってくる前から見えていた大きな観音様、室戸の青年大師像もそうだけど写真ではその巨大さはほとんど伝わらない。じっくり全ての堂塔伽藍を見学していたら1時間はかかりそうだったので、とりあえず本堂だけじっくりお参りして御朱印を頂きました。それだけでも境内にいた時間は25分。


 登ってくるのはそんなに大変ではなかったけれど、相当高いところまで来ていました。府県境の山並みもくっきり、今日はあそこを越えたすぐのところから歩いてきた、我ながら感心してしまうところです。


 打ち戻りは県道です。ぎりぎりひざに負担のかからない程度の傾斜、気持ちよく飛ばすことができます。


 郵便局の交差点まで戻ってきました、往きは34分、帰りは27分でした。登りでも平均4.8kmくらいは出ていたようです。


 交差点から120m、突き当たって左折です。矢印もあります。


 左折して700mで右折、ここは高取町ですがもう150m先は明日香村です。


 明日香村に入って300mで見えてきたのは、


 キトラ古墳でした。小学生が野外学習の真っ最中。


 古墳のすぐ横にある体験館です。


 緩やかな丘陵地帯、正面には畝傍山も見えています。ここで右折、矢印もありました。


 本当に村ですよね、天気といい景色といい最高の歩き旅。


 カーブミラーに矢印、


 見事なくらいのどかな巡礼路。


 曲がるポイントには必ずといっていいほど矢印があります、


 まだまだ村の風景、北上しているので畝傍山が見えます。


 太い道に突き当たって右折したところ、東に向かっています、


 80mほどで左折して北上。


 150mほど北上すると見えてきた鳥居とこんもりした茂み、文武天皇陵です。


 陵の東の脇を抜けていきます。


 脇を抜けるとすぐ突き当たります。左折すれば高松塚古墳、右折すれば橘寺、西国古道は右折です。


 このあたりは明日香村散策ルートでいろんな矢印が出てきますが、西国巡礼にはほとんど関係ありません。


 ここで本日初めて道をはずしました。見えている道が正解なのですが、この道は歩いてきた道を大きく左へUターンする形、真っ直ぐ行く道と分岐しているので、そりゃあ真っ直ぐ行くでしょうよ。矢印もなかったし。でもそんなに大きなロスにはなりませんでした。


 明日香小学校の正門の前を抜ければもう本日のゴールは近い。




 13時29分、壺阪寺から75分かかってここが西国古道としては本日のゴールになります。矢印のように右へ行けばあと1.5kmで西国7番岡寺ですが、今日はここから左折して岡寺駅に向かいます、時間がずいぶん早いですが、別の用事があります。


 ちょっと見、何か分からないでしょう。よく見ればセブンイレブン、明日香村仕様、


 JAも雰囲気景観を大事にしています。


 古道を離れて18分で岡寺駅に到着しました。これから畝傍御陵前まで電車に乗って法然上人25霊場の第10番法然寺に向かいます。やはり明るい内に帰宅はできません。


15日目 岡寺駅~天理駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼

 日帰り巡礼5回目は前回の2日後11月18日に出かけました。この18日が本日の大きなポイントになってしまいました。

 8寺33分岡寺駅を出発。


 駅前の地図を確認、2日前お参りしてきた壺阪寺は地図の一番下中央にぎりぎり見えています。中央ちょっと左よりの赤い印が現在地岡寺駅。今日の二つ目の札所長谷寺は右上の角からさらに5kmほど東にあります。まさに明日香の里を斜めに大縦断するかっこうです。


 岡寺駅は橿原市にあります。駅から13分で明日香村に入ります。


 さらに2分で右は高松塚、左は甘樫丘、


 セブンイレブンの交差点がその分岐点でした。もちろん岡寺は直進。


 駅から18分で西国の道に入ります。


 ここから先が西国巡礼の道、母校の看板があったので思わずパチリ。


 西国の道に入って3分、右手に橘寺です。何ともいえず素晴らしい佇まいです。


 聖徳太子御誕生所、とあります。御本尊の一つは聖徳太子です。新西国33ヶ所観音霊場第10番でもあります。もう一度訪ねに来ることになるのでしょうか。


 左を見れば弘福寺と川原寺跡。今日も最高の天気。


 人と車の分岐


 すぐ明日香村役場の前を通過、


 突き当たって右折です。


 前の突き当たりを右折して120mほど来ると左折して鳥居をくぐります。


 参道はだんだん細く緩やかに登っていきます。


 県道15号の下をくぐればまもなく


 その前に民宿がありました。宿に泊まって巡る元の計画では、壷阪山から電車に乗って橿原神宮駅の近くの旅館に泊まるつもりでした。調べたときにこのあたりに宿は見つけられませんでした。



 7 明日香を横切って  東光山 岡寺〔龍蓋寺〕  詩・曲 高石ともや

    甘かしの丘 板ぶきの宮 入鹿の首塚
    鬼のまないた 鬼のせっちん
    明日香を横切って
    岡寺へ行こう 岡寺へ行こう
    土から生まれた観音さまのいる
      岡寺へ行こう 岡寺へ行こう
      大きな笑顔に会いに行く

    猿石 亀石 橘寺 万葉記念館
    キトラ古墳 石舞台古墳
    明日香を横切って
      岡寺へ行こう 岡寺へ行こう
      土から生まれた観音さまのいる
      岡寺へ行こう 岡寺へ行こう
      大きな笑顔に会いに行く
      岡寺へ行こう 岡寺へ行こう
      誰でもいつかは土に帰る
      岡寺へ行こう 岡寺へ行こう
      大きな笑顔に会いに行く


 お大師さんもおられました。
 岡寺駅から35分で到着しました。


 6番札所壺阪寺からこの岡寺までの距離は8.5km、そして次の長谷寺までは13.7km。6番まではずっと30km前後(1番から2番は169km)あったので1日にお参りできる札所はずっと一つ、今日は短い札所が二つ続くのでお得であり楽しみな感じもこの時点ではしています。
 岡寺の山門を出ると、登ってきた左の道ではなく、直進するのが巡礼路、大分近道になります。矢印はなかったですが。


 直進してすぐ右に折れます。


 少し登ってすぐ下りの階段がありました。


 階段を下って左へ行くと駐車場がありました。山門の左側の方にも駐車場がありましたが向こうの参道は細い道なのでほとんど車巡拝の人はこちらからということになるようです。駐車場のむこうはすぐ県道が走っています。


 県道のガードレールに矢印。


 ちょっと高いところに上がってきていたようです。向こうの山並みの左端は二上山か、前々回はあの山の横の低いところを越えてきた、


 岡寺から6分、酒船石の横を通ります、行きたいけど時間の余裕がありません。


 岡寺から17分、県道15号は県道206号に突き当たります。ぼくの地図ではそうなっているけど、目の前の標識では数字が違います。206号はこの三叉路まででこの手前の15号は右折してもそのまま15号、桜井の駅の近くまでずっと15号を歩くことになります。


 右折するところに矢印、


 奈良文化財研究所飛鳥資料館、35年くらい前に一度来たことがあります。石舞台古墳からここまで歩きました。つまり岡寺からここまでの道を歩くのは2度目でした。


 突き当たりを右折してから2.5km、県道を離れて右の方へ。


 矢印もありました。桜井の町へ入っていきます。


 一本道だけど矢印、こういう場合四国だと上向きに矢印を付ける。


 県道を離れて250m、大きな交差点。


 交差点横断したところに矢印。これはちゃんと上向きです。


 先の交差点から800m、国道165号を横断します。いよいよ桜井駅も近い。


 国道を横断して250mで右折、もれなく矢印。


 桜井駅方面へ向かっています、いい感じの街道です。


 さらに200mで別の国道を横断します。この国道は桜井駅のすぐ西側を南北に走っています。


 さらに300mで駅前通を横断します。この左が桜井駅です。


 よくわかんないけど桜井駅を見たところ。


 駅前通を横断して1600m、国道165号に合流します。


 合流するとすぐ近鉄の下を抜けます。10月14日この上を通って伊勢に向かったのでした。曲がりなりにも全部歩いてぐるんと廻ってきた。


 近鉄の下を抜けるとすぐ国道を離れて電車沿いの道へ入る。


 大和川(初瀬川)を渡ります。大阪と堺の境を流れているあの大和川がこんなところから?飛鳥川のように同じ名前の別の川か、


 矢印はやっぱり横向き、


 大和川の向こうに大和朝倉駅、


 街道らしいくねり具合、


 大和川から1700mで国道165号に合流します。


 国道を600m行くと今度は左側の脇道へ、


 東海自然歩道、


 脇道は500mで国道を横断、今度は右側の脇道に入ります、


 国道を横断する手前に長谷寺の矢印、


 300mでまた国道に合流、


 右へ行くと長谷寺駅、10月電車の中からこのあたりで長谷寺の伽藍の屋根が見えたのでした。


 大和川から3800m、いよいよ長谷寺の参道が始まります。


 今日は11月18日、ご縁日の日です。ここではそれが大したことだとは全く思っていない。


 長谷寺の参道途中に番外札所があります。納経帳にもしっかり載っているので先にお参りします。


 西国三十三所開基 徳道上人御廟所 番外法起院
 バスツアーの参拝者で狭い境内はごった返していました。


 14分でお参り納経を済ませることができました。


 11時44分、岡寺から2時間08分かかって8番札所長谷寺に到着です。13.7kmなので時速は6.4km、なかなかのスピードです。
 山門が改修中で覆いをかぶっています。



 8 訪ねよう   豊山 長谷寺    詩・曲 高石ともや

   訪ねよう 五月の
   初瀬山 花の寺
   訪ねよう 山深く
   咲きほこる 白牡丹

   登りゆく 登廊階段
   一歩ずつ 一歩ずつ
   生きるとは 訪ねること
   長谷寺の 観音さま

   登りゆく 登廊階段
   一歩ずつ 一歩ずつ
   生きるとは 祈ること
   長谷寺の 観音さま


 またもや季節は真逆で花の寺ではなく紅葉の寺でした。


 拝観料500円(岡寺は400円)を支払って改修中の山門をくぐったのは11時46分でした。登廊階段を登り本堂でお参りを済ませ紅葉の撮影をしてトイレを済ませ御朱印の列に並んだのは12時04分でした。納経所からものすごく大きい本堂の裏を通ってトイレの前まで50m以上の御朱印の列ができていました。実はこの4日ほど前、ちちんぷいぷい(関西ローカルのTV情報番組)の石田ジャーナルで御朱印ブームが採り上げられて、この日長谷寺でこの日だけの特別な御朱印が頂けると大々的に放送されたのでした。ぼくもそれを見て日を合わせたという部分(天気が悪ければ来なかった)もあるのですが、まさかこんなことになっているとは夢にも思いませんでした。
 並んでしばらくしたときもう諦めて帰ろうかとも思ったのですが、また来るとなるとその方が余程時間も費用も無駄使いだと、すぐ思い直してじっと我慢の子を続けました。列が短くなる様子が全然なくて本当に今日中に帰れるのだろうかと心配になるくらい、なにしろここから天理駅までまだ20kmも歩かなくてはならない。
 でも四国のような団体ツアーのガイドがまとめてドンと持ってきている訳ではないので、欲しければ待つ以外の選択肢がないのでイライラすることもなくすぐ落ち着いて何も考えなくなりました。並び初めて10分もしない内にぼくのすぐ後ろに並んだ同年輩のご夫婦が話しかけてくれて、いろんなお話ができました。お二人はご主人の定年前から車で区切りで四国を巡られていて、定年を機会に最後まで巡って結願されました。その後は西国を車で巡り始め、前回は青岸渡寺と紀三井寺をお参りされたそうです。ぼくの名刺を渡したら、帰ってすぐメールを頂いて、その後幾度かやりとりをさせてもらっています。それでずいぶん時間も気も紛れましたが、結局御朱印を頂いたのは並び初めて2時間15分後の14時19分でした。それだけ待たされたことには何の不満も怒りもないのですが、ただ明るい内に天理駅に着けるかどうか、それだけは心配でした。


 14時26分、山門を出てきたところです。天理駅まで3時間20分はかかる、駅に着くころには・・・。すでにかなり焦っていますが、焦ったところで早く歩けるわけないのでとにかく堅実なペースを心がけることにします。


 長谷寺から4kmほどは来た道を打ち戻ります。打ち戻りは同じ道なので写真は撮りません。写真は打ち戻りの道を離れて1kmちょっと、長谷寺から6kmくらいのところ、有名な山の辺の道の入口です。ここから天理駅の近くまでずっとこの道が続きます。もっとゆっくり味わいながら歩きかったけれど、時間と戦いながら歩いています。


 入ったところの光景。本当に山の辺に向かっています。


 名高いハイキングコースだから道しるべも充実。


 地面にも矢印、四国でも青龍寺の手前などに見られます。


 細い路地のような道、


 東海自然歩道でもあります。


 山の辺らしい道、


 長谷寺から70分で大神神社に到着、もちろん中に入ってお参りする余裕など全然ありません。


 大神神社の拝殿を横から拝ませてもらいます。


 ヘアピンカーブ、山の辺の道はくねくねと、国道や県道を行くより大分遠回り、合流する道は県道です。


 雰囲気十分の小径、16時15分、この辺ではまだ十分日も高くて、まだ行けるという気分。


 16時50分、長谷寺から15kmほどきたところ、これが山の辺の道最後の写真、もうカメラを取り出す余裕もなくなっていきます。ここから2~3km先で大分暗くなってきてちょっとした山越えの箇所があってそこで迷いそうになって、かなり心細くなって、篠山マイゴちゃんがよぎる。国道を25号を横断するところ、もう石上神社まで700m、山の辺の道もそのすぐ先で終わろうかというところで、ギブアップしました。道はまっすぐで迷いそうもないのですが真っ暗な野辺の道をこれ以上歩けないと国道に回避しました。国道なら真っ暗でも心配なく歩けそう。地図も見えないので、方角だけを頼りにただただ太い道を行く、県道51号との交差点を右折、今度は県道を北上します。次の二俣の交差点は方角から行って左が正解だろうと見当をつけると、天理高校の正門の前を通過、トロンボーンがこの暗い中個人練習に励んでいます。天理教の本部に突き当たって左折、自転車で下校する高校生の後を追うように右折左折して天理市役所の前で国道169号に合流しました。


 そして左折、右折して、やっとアーケードに入りました。この道は西国古道の赤線の道です。17時50分、結果的には古道より遠回りの道を歩いてしまいました。帰宅したのは22時近くになっていました。


16日目 天理駅~京阪宇治駅。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 日帰り巡礼6回目は前回の7日後、11月25日に出かけました。
 天理駅を9時10分に出発です。


 駅前の通りを北上します。奈良の中心まではほとんど北上に次ぐ北上で何ヶ所かクランクがあるだけです。


 駅から400mの所の交差点から北は区画整理のために西国古道の赤線の道がなくなっていました。赤線は斜めに踏切の方へ延びているのですが、新しい道は真北に延びていて、踏切の高さまで進んで左折して踏切の前へ、踏切は渡らず手前で右折して線路に沿って北上します。写真は踏切の手前で右折したところ。つまり最初のクランクが終わったところ。


 踏切から200mで右折、二つ目のクランクです。


 右折したところ、


 突き当たって左折、二つ目のクランクが終わったところ。矢印もあります。


 街道です、何という名前かは分からないけれど、かなり歴史のありそうないい雰囲気です。


 このくねり具合、


 駅から2km、西名阪自動車道の下をくぐります。


 ここもちょっとだけクランク、真っ直ぐすぎないところが街道の味わい。


 右なら、左たつた。右ほうりゅうじ、左・・・


 天理駅から56分、帯解寺の前を行きます。参拝を終えた街道歩きの団体の人たちが出てきました。奈良の中心から3kmほどだから町歩きの範囲内のようです。


 天理駅から79分、奈良元興寺郵便局、さすがというべき奈良の町中の郵便局。


 郵便局から100m、最後のクランクです。


 奈良町散策の観光客で大分にぎわっています。


 さらに5分で猿沢池のほとりに出てきました。


 すぐ南円堂が見えてきました。


 10時46分、天理駅から96分で南圓堂に到着です。



 9 不空けん索  興福寺 南円堂   詩・曲 高石ともや

   巡礼古道は長谷寺から奈良の街へ
   時にはまっすぐ 時には曲がって
   続いています
   目指すは興福寺 南円堂
      ふくうけんじゃく かんのんぼさつ

   山門もなく塀もなく鹿も遊んでいます
   どこからでも誰でも入れます
   八角形のお堂の御本尊
      ふくうけんじゃく かんのんぼさつ

   不空とは祈りが空しくないことで
   けん索とは魚とる網のこと
   願いごとすべてをすくいあげる
      ふくうけんじゃく かんのんぼさつ

   南円堂の扉はいつも閉じていて
   十月十七日しか開きません
   南円堂に行くなら秋がいい
      不空けん索観音菩薩

       このブログの変換では〔けん〕という字が出てきません
         上に四、下に絹 を合わせた漢字です


 南円堂から東を向けば五重塔、広大な興福寺の境内を抜けて次は東大寺に向かいます。


 南円堂から北東に1.5km、東大寺指図堂にやってきました。法然上人第11番の霊場です。東大寺といっても大仏殿の外にあるので拝観料は必要のない区域にあります。珍しい前屈みになった観音さまを拝ませてもらって解説もしていただきました。撮影してもいいと言われましたが、それは遠慮しました。


 11時25分に指図堂を出発します。本日のゴール宇治駅まで28kmあるのでゆっくりしている余裕はありません、毎度のことですが。


 指図堂から西国古道に戻って500m北上したところで国道369号を離れて左の脇道へ、


 ここは矢印を見るまでもなかったのですが、この200m先の二俣では間違って左の方に入ってしまいました、そこでは矢印を探したけどなかったのでした。地図をよく見ればよかったのですが、細かくて思い込みがかってしまいました。


 間違った道は少年刑務所の前へ出て行き止まりになったので、これは違うと、すぐ本来の道に戻りました。引き返すことなくすぐ横へ入る道で復活できました。そしてすぐ般若寺が現れました。


 楼門は国宝、奥に見える十三重石塔は重要文化財です。ちちんぷいぷいでも紹介されていたのを思い出しました。


 16分で脇道は終了、県道に合流します。


 県道に入って900mで京都府木津川市に入ります。これで奈良県とお別れ、三重、和歌山、奈良の三県を踏破したことになります。


 さらに15分、あと200mで国道24号に合流です。その手前で奈良線の下をくぐります。


 国道に合流する交差点です。


 国道に入るとすぐ橋を渡って木津川の町へ入っていきます。


 国道に合流して1kmで木津駅西側の交差点、交差点から東を向いて木津駅を撮影したところ、駅舎はほとんど映ってないようですが。


 駅前の交差点から500mで木津川を渡ります。橋は泉大橋。


 木津川です、橋から西側を見た風景。


 東側を見るとJR奈良線の鉄橋です。


 橋を渡りきって300mの所で脇道に入ります。三角形の明らかに遠回りの道ですが距離は大したことないので赤線に従います。


 矢印もあることだし、


 わずか4分で合流ですが、この交差点のすぐ左で国道は府道と二俣になっていてこの右折の道は府道になります。


 この府道70号が奈良と京都を結ぶメインの街道ではなかったかと思われます。このずいぶん先で府道69号、奈良街道と繋がっています。


 府道に入って350m、上狛小学校の前におあつらえ向きの休憩所があったので休もうと思ったのですが、時間がないので水だけ飲んで、チョコは手に持って歩きながら食べることにしました。今日は南円堂と指図道でお参りはしたけれどそれ以外では全然休んでいません。でも38km歩く日なので仕方ありません。2年前ときわ旅館で同宿だった1日に50kmあるくKさんは歩きながらパンを食べて、ほとんど休みを入れなかった、それに習うことにしました。


 小学校から1500m、脇道です、茂みの左側から入ります。


 脇道を500mほど来たところで橋を渡ります。この少し手前で二俣があって少し迷いました。絶対矢印が欲しいところでしたがありませんでした。


 橋を渡って200mで府道に合流します。ここからは脇道もなく大分長い間府道70号を行くことになります。


 府道に入って2500mで木津川市から井手町に入ります。


 さらに350mで踏切を渡って奈良線の東側へ。


 さらに500mで橋を渡って左折。


 渡ったところに矢印もあります。


 今度は高架で奈良線の西側へ、玉水駅が見えています。


 線路を越えるとすぐ右折して北上、


 玉水駅の前を通過します。


 駅から1km、右も70号、左も70号、左の方が新しくできたバイパスのようです。


 当然右の方に矢印。


 前の分岐からすぐ踏切を渡ってまた奈良線の東側へ。そのふみきりから1500mで城陽市に入ります。今日の分の地図は5枚で3枚半が終了しました。時刻は14時13分。


 城陽市に入って1600m、南城陽中学校の横を通ります。こういう大きな目印があると地図を見てここまで来てるというのが分かって少し落ち着きます。4枚目の地図もあと2km足らず。


 府道は目の前の踏切を渡って少し先の長池駅の前で国道に合流していきますが、西国古道は踏切を渡らず右の方へ、地図にも踏切渡らないと書いてあります。


 踏切の前から800m、城南病院です。このすぐ先を右に入ります。


 あってもよさそうなところに矢印はありませんでした。でも間違いないという自信は十分。なぜ矢印がないかあとで分かります。


 ちょっとした林の中へ、


 新しい太い道を斜めに横断、地図の方角ではそうなってる。


 間違いなく古道ではあります。でもやっぱり矢印はない。


 ちょっとした坂道を上がっていきます。


 友愛の丘という施設の中に入り込んでしまいました。古道の上に後から施設ができてしまった。うろうろしてたら通り抜けの矢印がありました。


 青少年野外活動総合センターと地図には書いてあります。何とか抜けられそうです。


 この部分は古道の雰囲気ですが。


 府道が見えて一安心、5枚目の地図に入りました。宇治駅まであと6km弱、時刻は14時54分だから16時までには電車に乗れそうです。なかなかのペースです。


 府道に入って700m、鴻ノ巣山運動公園の真ん中を突っ切っていきます。運動公園の北側と南側をつなぐ歩道橋です。


 市民体育館の入口の近くにあった銅像は柔道の山下泰裕選手、そばにいた男性にどうしてここに銅像がと訊いたら、国体が行われたときここで競技をした、という話だったけれど、調べてみると88年の京都国体の時には彼はすでに引退していたのでした。別の縁があったということでしょう。


 サンガタウンでもあるようです。


 府道に入って2.5km、この200mほど手前で府道は右折しているのでこの道は府道ではありません。この右側は立命館宇治高校中学、ここは平坦ですが運動公園からこの手前まで結構なアップダウンがありました陸上部の中学生高校生が何人も追い越したり行きすぎていきました。県別駅伝や高校駅伝出場した生徒もいたかもしれません。


 前の写真を突き当たって右折したところに立命館の正門がありました。


 立命館の正門から1400m、宇治の街の中へ入っていきます。ここまでの右手は山城総合運動公園、左手は新興住宅街になっていました。


 琵琶台口のバス停、フレンドマート、この交差点を左折。


 左折して200mほどで宇治市役所です。


 市役所から400m、府道に出てしまったのですが、西国古道はこの少し手前の小さな郵便局の所を右折する。気をつけていたのですが行き過ぎて最後の最後でまたはずしてしまいました。JRの駅ですが本当はこの駅は見ないはずでした。


 400mで宇治川を渡ります。時間がないのでもちろん平等院へ行く余裕はありません。


 初めて宇治橋を渡ります。


 JRの鉄橋とその右側には京阪の駅舎も見えています。


 一級河川うじがわ、


 15時58分、何とか京阪宇治駅に到着しました。古道は少し遠回りになっているから正しい道を来ていたら16時は過ぎていたでしょう。今日もトータルで時速6kmは出ていたようです。


17日目 京阪宇治駅~膳所駅

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 日帰り巡礼7回目は前回の5日後11月30日に出かけました。駅を出て先ず宇治橋と対面。


 川だけのためにこれだけの碑が造られるなんて相当珍しい。


 源氏物語ミュージアム、駅の手前の古道をはずしたから、天理駅の手前とともにもう一度来ることになるかもしれないので、そのときには平等院とともに見学できるかも、


 駅から5分、早くも右三室戸寺の大きな矢印が、駅から10番三室戸寺までは2km弱の距離です。


 西国十番の上の矢印があえて隠されているのはどうしたことでしょう。ここを右に入るのは間違っていないのに。


 花の寺 みむろとじ、ですが京阪の駅名は「みむろど」と濁ります。


 右折して真っ直ぐ。


 分岐に大きな道しるべ。


 きれいな生け垣に囲まれたエントランス、


 9時26分、駅から16分で西国十番三室戸寺に到着です。拝観料は500円です。今日は4つの札所を巡るのですが4ヶ所とも拝観料を支払いました。



 10 宇治・花ものがたり    明星山 三室戸寺   詩・曲 高石ともや

    宇治川に 雲かかり
    あじさいは 涙ぐむ
    ラブストーリー 愛の終りは
    幸せでありますように
      なぜに苦しい 今年の夏
      ひときわ高く ほととぎす
      立ちつくす 三室戸寺
      立ちつくす 立ちつくす

    花咲けば 四日のいのち
    蓮の花 気高く咲け
    こんなに荒れた 平成の世に
    極楽を見せておくれ
      なぜに苦しい 今年の夏
      ひときわ高く ほととぎす
      立ちつくす 三室戸寺
      立ちつくす 立ちつくす


 豪壮な本堂の前になぜかウサギの石像、植え込みの手入れのゆきとどいたこと、やはりもう一度初夏に訪れたいお寺。


 ということですから。


 9時48分、打ち戻って府道7号を北上します。


 三室戸寺から2.5km、黄檗駅の前を通過。


 さらに1.5km、左に入ると木幡駅。


 さらに1km、ヨーカドーの手前の大きな交差点を右折します。


 交差点の左には六地蔵駅が見えています。


 右折して北東に行く道は府道36号、右折して600mほどで京都市伏見区に入ります。そして2.8km進んできたところに醍醐という文字が、


 当然右側は醍醐寺の寺領ではないかと思われます。


 10時56分、三室戸寺から76分で醍醐寺に到着です。札所間距離は10.7kmですが、それは上醍醐までの距離なので、ここまではたぶん8km前後でしょう。高札には西国三十三観音霊場 第十一番札所 総本山醍醐寺



 11 山深く上醍醐   醍醐山 上醍醐・准てい堂  詩・曲 高石ともや

    女心の 女人堂
    登る坂道 なぜけわし
    帰りの心 なぜ楽し
       重荷は空に 捨てたから

    准てい観音 母ごころ
    娘は母に なりました
    お礼まいりの 帰り道
       会う人誰もが やさしく見える

    醍醐の花見 今は昔
    秀吉亡くなる 五ヶ月前
    千三百の 女人の列が
       三度も着がえる 華やかさ

    山は深く 上醍醐
    思いは深く 冬に入る
    山は高く 上醍醐
       心清めて 冬に入る

          「てい」の字は月へんに低の右側


 最初の門が総門で入ったところに受付があって拝観料を支払います。そしてこのページの最初の写真が西大門(仁王門)でチケットを提示して有料区域に入っていきます、とにかく広大です。そしてこの写真が金堂、国宝です。秀吉が紀州から移築したもの。写真は撮りませんでしたが五重塔も国宝で951年に完成した京都府下最古の木造建築です。市内からずいぶん離れているし伏見の中でもはずれにあるから応仁の乱の被害も受けなかった。


 こちらが観音堂、ここが現在11番札所でお参り納経はここでするのですが、本来はここから2km近く登った山の上の上醍醐の准てい堂でお参りをし納経もそこでしてもらうようになっていた。それが2008年に落雷による火災で焼失してしまったのでこちらに移されたということのようです。つまり、車で巡っている人は山に登る必要がなくなった。でも歩きの人は次の札所に行くには山に登らないと行けません。


 秋でもこの華やかさ、花見の頃はいかばかり。


 西国第十一番霊場登山口、この左側が女人堂。女人堂で拝観料とは別に入山料を支払います。准てい堂は存在しないのに、でも、薬師堂、如意輪堂、開山堂、清瀧宮本殿、拝殿があります、醍醐水も汲むことができます。


 女人堂のすぐ前です、史跡醍醐寺境内とあります。上醍醐も醍醐寺の一部ということです。上醍醐寺は存在しない。すぐに本格的な山登りの様相。


 坂道はそんなに急ではなくて好きなタイプの山道、


 楽なところばかりではありません。


 登るにつれてきびしくなってくる。


 本当の境内、登りもここで終了か、11時53分、女人堂から30分の登りでした。時速3km前後か。


 十六丁、まさかあと16丁あるということではなくて女人堂から16丁来たということのようです。だとすれば時速3.5kmということになります。納得。


 本当の境内に入ったからもう登りはないようです。


 上醍醐の入口です。女人堂から35分でした。


 弘法大師の法孫である聖宝理源大師が874年に開創、その時は山の上だけで、醍醐天皇の時代に勅願寺になり山上山下に堂塔が建立されたとあります。現在の多くの堂塔は秀吉の醍醐の花見を期に建立されたもの。それまでのものは戦火にあって消失と書いてあるから五重塔は運良く消失を免れたようです。


 醍醐水の汲み場の前まで来ると分かりやすい道しるべ。汲み終えたばかりの女性が汲んだらどうですかと促してくれたけど、先を急ぐので遠慮しました。汲み場の奥には焼け落ちた准てい堂跡地もありますが、本来ならそこでお参りするはずだったのですが先を急ぎました。何といってもこれから山を下って、次の札所も山登り、全然余裕がありません。


 清瀧宮も国宝です。入山料を取るのも道理です。


 上醍醐だけでもこれだけの広大な敷地、女人堂から先の山道でも10人以上の人とすれ違ったけれど、全体としては山登りする人はわずかでしょう。でもせっかく来たのなら上まで登って本当のお参りが完了する。


 清瀧宮から7分歩いて五大堂、


 そして上醍醐の終点開山堂です。重要文化財、


 鶴林寺や太龍寺と比べて50m低いだけ、それにしてはずいぶん楽な山道だったという印象。開山堂から次の札所へ向かう下りの山道がすぐ始まります。


 岩間(西国12番札所)の文字が、こういう風に目標がはっきり見えると大いに安心。


 結構急な下りが続きます。鶴林寺の下りよりは少し楽。


 開山堂からの下りは昔は修験者たちの行場だったということらしいです。


 NPOの道しるべ、


 こういう倒木があっても歩く人はきわめて少ないから当分ほったらかしになっているかも。


 ここは1本道だからなくてもいいようなものですが、


 22分で下界に下りてきました。


 府道782号醍醐大津線に合流します。


 珍しく道しるべがいっぱい、石の道標は右十二番、


 南東の方角です。府道に合流する少し前に伏見区からまた宇治市に入っています。目指す12番は宇治市と大津市の境にあります。


 府道に入って800m、この分岐で思いっきりはずしてしまいました。


 東海自然歩道の矢印が思い切り右を向いていて、かつ西国の矢印がなかったので、右に進んだのですが間違いでした。左の方の電柱には矢印があったのかもしれないけれどそちらは確認しなかったし、地図もしっかり見なかった。


 600mほどそのまま府道を行くと地図があったので確認するとやっぱりさっきの分岐で左が正解だと分かりました。


 往復1km以上のロス、がっくりですが、ここで気落ちしていてもどうにもならないので、無理に力を入れます。


 分岐の手前にちょっとだけ短絡路がありました。


 こんな所にあっても、とぼやきたくなる。


 はっきり下に岩間寺と書き足しているのがありがたい。上の東笠取だけでは合っているのかいないのか判らないですから。


 大きな三叉路に出てきました。この少し手前で赤線は短絡路だったのですが、どうやら通行不能のようで入り口もよく分からないままでした。その短絡路はこの右の道からここに合流してくるはず。


 赤線はそのまま府道を左なのですが、道しるべは真っ直ぐ下へ下りていきます。


 赤線はこの道ではないけれど矢印があります。


 三叉路の所から一旦府道を離れましたがすぐ復活して、4分ほどでこれは赤線の短絡路に入っていきます。


 矢印に従って来ているだけで地図の方ではどこを歩いているかよく分かっていません。


 あと1.4km、確実に近づいていることは確か。開山堂から74分かかっているのでここまでの時速は4.5kmくらいです。


 再び府道に合流してすぐの所、府道は右の方へ大きく折れていきます。


 府道が右に折れるすぐ手前で真っ直ぐ登っていく方に道しるべがあったのでそちらに従いましたが、赤線はもう少し府道を歩いてから山には入る、この時は地図を見ていなかったので迷いませんでしたが、地図を見ていたら迷っていたかもしれません。


 赤線の道ではないけれど、このようにはっきり道しるべがあったので自信を持って登っていけました。


 目指す岩間山は標高443m、開山堂から下ってきた分登ることになります。


 分かりやすい道しるべ、


 府道を離れて16分、登りも落ち着いてきたところ。


 さらに2分、紅葉の絨毯、もう2週間早ければというところでしょうか。


 ちゃんと岩間寺とあるのがありがたい。


 舗装道に上がってまだちょっと登ります。


 ずっと道しるべにあった奥宮神社に到着、府道を離れてから19分の山登りでした。


 奥宮神社を過ぎればあとは岩間寺だけ。


 もうまもなくの雰囲気。時刻は13時51分、


 奥宮神社から3分再び地道の山道に入ります。ちょっと登っているけれど、もうそんなに登りはないし札所も近いと勝手に思いこんでいます。


 さらに6分でようやくたどり着きました、12番札所岩間寺です。歩きは裏側から入るかっこうになるので山門はありません。開山堂から1時間45分でした。1.2km余分に歩いたから、道をはずさなければ1時間33分ほどで着いていたはずです。時速にすると3.8kmくらいでした。



 12 水の音  岩間山 正法寺〔岩間寺〕   詩・曲 高石ともや
    一番は熊野権現 二は吉野金剛山
    三は近江の岩間寺 修験の山
    千年変わらぬ祈り道 山は静か
      かわずとびこむ 水の音

    冬枯れ山道 巡礼古道
    誰もいない尾根道 足あとさがす
    汗かき観音 御本尊 山は静か
      かわずとびこむ 水の音

    歌に生きた芭蕉は 旅に疲れて
    大和 山城 近江路 美濃路を超えて
    果ては野ざらし吹きさらし 山は静か
      かわずとびこむ 水の音

  冬枯れとまではいかなかったけれど、大分歌の雰囲気と近い山道を味わえました。ただお参りと納経を終えたらバスツアーの団体さんが入ってきて、山は静か、ではなくなってかわずがとびこんでも水の音は聞こえないという状態でした。


 本堂の前のベンチでチョコを食べて、すぐ下ることにしました。時刻は14時11分、15分ほどの滞在です。次の札所まで5.9km、ずっと下りだから1時間以内に着けるはずです。下りは太い舗装道、大型バスでも楽に登って来られます。壺阪寺の下りと同じような感じです。


 下り始めて21分、京滋バイパスの上を横断します。


 さらに600m、ここまでいい調子ですが、この先でまた道をはずしてしまいました。左の橋を渡るはずが完全に見過ごして、その先で反対側に歩き始めてバス停があったのでそこでやっと間違いに気づいた次第、地図をよく見ればよかったのですが、なにぶんルーペも眼鏡も持ってきていないので勘と矢印に頼りがちです。


 道をはずした2km先、もう札所はすぐ先というところ。こういうところでははずしようがないんですけどね。


 左石山寺、天明の文字も見えます。天明は1781年~89年。西国巡りが最も盛んだった頃かもしれません。


 右いわま寺。岩間寺から56分、間もなく石山寺です。


 13 石山詣   石光山 石山寺    詩・曲 高石ともや
    石山寺は石の寺
    変わったかたちの石の群れ
    ひとつ願いの 岩穴くぐり
    二重の塔は国宝 多宝塔
      月は瀬田川の 紫式部の籠り寺
      女寺なら 石山詣

    舞台づくりの立派な本堂は
    大きな石の上に建っています
    秘仏の本尊 観音さまは
    ハスではなく石の上に座っています
      月は瀬田川の 紫式部の籠り寺
      女寺なら 石山詣

    食堂のおばさんは三十五年
    欠かさずお参りして病気になったこともなく
    みんな観音さまのお陰とさわやかで
    瀬田のしじみ汁のうまさもさわやかです
      月は瀬田川の 紫式部の籠り寺
      女寺なら 石山詣


 15時11分、13番札所石山寺に到着です。岩間寺からちょうど1時間、この間5.9kmですが、途中道をはずしたので時速は6.2kmといったところでしょう。


 変わった石の群れと奥には国宝多宝塔、ちょっと見えにくいですが、肉眼ではくっきりはっきり見えています。


 20分ほどでお参り納経を終え、あとは膳所駅に向かうばかり、4ヶ所で無事納経を済ませたので晴れやかな気分。


 石山寺から15分、琵琶湖毎日マラソンでも紹介されていた最近塗り直された瀬田唐橋、ここに来るのも初めてのことです。


 橋はもちろん横目に見るだけで渡らず、そのまま北上します。


 唐橋から7分、今度は東海道線の下をくぐります。


 さらに15分膳所城址が見えてきました。あの前を左折して西へ向かいます。


 左折する少し手前に大津市科学館、ぼくの地図には載っていないから最近できたのでしょう。


 膳所城址公園の入口です。


 城址公園の前を左折して3分、膳所神社の横を抜けていきます。


 膳所神社から1分で京阪膳所本町駅の前を通過、ここで電車に乗る手もあったのですがもう1kmがんばります。


 膳所本町駅のすぐ側で踏切を渡ります。


 大津の町中で久々の矢印。


 16時26分、石山寺から54分で京阪膳所駅に到着しました。


18日目 膳所駅~河原町駅 ①

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 日帰り巡礼8回目は前回の5日後、12月5日に出かけました。今回は今までで一番歩く距離が短く21kmだけです。そしてその短い中で6つの札所(法然上人霊場を含む)を巡ります。帰りも乗り慣れた阪急京都線ですから、なにかしらうきうきしています。ただ、往きの烏丸御池での乗り換えに時間がかかって予定より1本遅れ20分遅れのスタートになってしまいました。
 10時21分のスタートです。でも歩く時間は3時間半ほどなので余裕はあります。


 歩き始めて100mも行かないところで左折、


 矢印もありました。


 曲がるとちょっと登っていきます。


 登った分下ります、タモリ好みの高低差、


 下りきったところにも矢印、


 またも矢印、地図はほとんど必要ないくらい。


 見えにくいでしょうが向こうの柵に矢印があります。


 微妙な高低差で踏切に向かっています。


 この踏切で膳所駅から400mほど西になります。


 踏切を渡って右、


 曲がったところにも矢印、
 8回目は距離は一番短いですが写真は一番多くて、前回の1.5倍はあるのでなかなか前へ進みません。河原町駅に到着するのは来週の日曜日になりそうです。


 前の踏切から400m、石場駅のすぐ手前の踏切です。ここが問題で地図を何度も確認して危なそうだと注意していたのですが、案の定はずしてしまいました。角度が斜めなので認識しにくい。探せば矢印もあったかもしれませんが勝手に見当をつけて踏切に近い向こうの道に入ってしまいました。


 引き返して正しい道に戻ってくると、確かに矢印はありました。


 次の交差点を右に入ればあとはほとんど1本道、


 ず~っと1本道、旧東海道の1本南の道です。


 膳所駅から24分、大津駅前通の交差点を横断、大津駅方面を見たところ。ここに来るのは大津市民会館で関西大会が行われた時以来、11年ぶりのことです。


 アーケードに入っていきます。


 丸屋町、浜大津の300mくらい南側です。


 路面電車京阪京津線が走る国道161号を横断、向こう側もアーケード、


 丸屋町のアーケードは200mほどだったのですが、こちらはたっぷり400m、出て突き当たると右折のはず、


 矢印がありました。


 すぐ左折、地図通り。


 最後の直線、突き当たりの山は目指す14番札所の寺域だと思われます。


 突き当たりの立派な山門は次の札所ではありません。長等神社です。


 神社だけど鳥居ではなくて山門、


 神社の右脇の道を行くと、突き当たりに拝観料を支払う窓口がありました。ここは三井寺の裏口ですが西国札所の観音堂はこの階段を上がったすぐの所にあります。
 膳所駅から36分、前回の石山寺から膳所駅までの54分を足して札所間の距離9.7kmで計算すると時速は6.5kmになります。


 ふり返れば琵琶湖の湖面も見えるくらいまで上がっていきます。



 14 三井寺の鐘 GoneOn  長等山 園城寺〔三井寺〕  詩・曲 高石ともや

    淡海の湖 夕波千鳥 汝が鳴けば
    情もしのに 古おもほゆ       (柿本人麻呂)

    夕波千鳥 汝が鳴けば
    大津の宮は 遠い夢のあと
    人麻呂のうた 口ずさむ
    諸行無常 観音堂
       三井寺の鐘 Gone On Gone On

    さざなみや 滋賀の都は あれにしを
    むかしながらの 山桜かな       (平忠度)

    滋賀の都は あれはてて
    変わらぬものは 山桜花
    平忠度 歌悲し
    諸行無常 観音堂
       三井寺の鐘 Gone On Gone On


 観音堂でお参り納経を終え、本堂に向かいます。寺域は広大で南の端の観音堂から北にある本堂まで1km近くありそうです。醍醐寺も広かったけれどさらに一回り広い感じがします。2週間前に嵐山に行ったときほとんど紅葉は終わりかけていたことを思えば意外なくらい残っています。やはり湖がそばにあるから盆地の京都と比べると全然温暖なのかもしれません。


 観音堂から歩いて5分(500mでした)、国宝の本堂です。北の政所ねねによって1599年に再建されたものです。圧倒されるような大きさなのですが写真では全く伝わりません。


 三井寺の鐘 Gone On です。




 斜めからのショット


 また500m引き返して観音堂へ、結局山門は拝めませんでした。


 30分で長等神社の横に戻ってきました。10番切幡寺の山門から山門までの時間と同じくらいかかりました。


 11時27分、長等神社の山門の前、右の方へ入っていきます。


 矢印もあります。


 古い道しるべの横にも矢印が見えます。


 緩やかな登りに入っていきます、峠越えの道ですが、峠が府県境と思いきや峠を下りきった谷に近いところが府県境になっています。


 太い舗装道でそんなに急な登りでもありません。


 峠に近くなってちょっと急になります。


 前の写真から2分、今度こそ峠のようです。


 峠から1分足らずで舗装道を離れて細い地道に入ります。向こうから来たハイキングの女性が地図を確認しています。


 地図では三つ又だったのが実際は二俣でこの道が本当の赤線の道か半ば確信が持てないまま進んでいます。


 国道161号の高架と右は普門寺、間違っていなかったようです。


 そしてやっと矢印発見。


 谷川沿いを来ていますがまだここは滋賀県です。矢印は斜め左。


 谷川を離れて左の方へ、


 矢印の先に橋が見えます。


 東海道本線と湖西線の上に架かる橋でした。


 橋を渡るとすぐ右折。


 高架になっているのが湖西線、


 JRを肥えて400m、藤尾小学校、大きな目印。


 小学校の前で細い右の道に入っていく。


 入ってすぐの所に矢印、右の方に行く道もあるので、


 京阪京津線の踏切です。


 踏切を渡って1分足らず、突き当たったところは旧東海道です。ちょうどザックを背負った街道歩きの男性が大津方面へ歩いていきました。東海道を歩く人は西国を歩く人より余程多い。


 突き当たりの電柱に矢印、四国ではこんな低いところに矢印を見たことはありません。


 何年かぶりで東海道を逆に歩きます。


 東海道に入って200mほどでようやく滋賀県から京都府に入ります。前を行くのは明らかに街道歩きの人、江戸から来たのでしょうか。


 京都に入って8分で山科駅前の交差点を横断、駅舎を見たところ。


 またまた街道歩きの二人、今度は上り方面です。1kmほど歩いただけで4人と出会うことからして西国歩きの何十倍もの人がこの街道を行くということでしょう。


 しっかりしたザックを担いでいることからして江戸まで通しなのかもしれません。ぼくも最後まで歩きたいという気は持ち続けているけれど、まずは秩父、そして坂東を押さえてから、


 駅前から3分水路を渡る手前で左折、矢印も見えます。


 水路に沿って南下します。


 三条通を横断、山を越えて三条がここまで続いていることが意外。


 大きな目印マツヤの前をさらに南下、


 マツヤを過ぎて次の信号を右折、


 右折すると細い道ですが府道116号です、次の札所までこの道を真っ直ぐです。


 真っ直ぐの所だけど矢印、曲がるところは見えなかった。


 次の目印フレスコです。ここを過ぎれば間もなく元慶寺、


 入口に大きな看板がありました、ここを右に入るとすぐです。


 3つある番外の一つです。山門が見えています。


 12時36分、三井寺から70分で元慶寺に到着です。番外ですがちちんぷいぷいでは2度紹介されています。


 12分でお参り納経を終えすぐ出発です。距離はないけれどまだ4ヶ所でお参りがあるのでおちおちしていられません。


 府道に戻って100m西へ行くと信号のある交差点、ここを左折して南下します。


 矢印もありました。


 左折してすぐのところにもあります。


 左折して350m、ここで二俣になっているので矢印があります、映っていないけれど左斜めへ入る道があります。


 さらに300mで国道1号に突き当たります、大きめのクランクです。


 右折したところ、白い大きな建物の横を南下します。


 国道を横断する手前に矢印。


 国道を横断して100m先、新幹線の上を横断します。


 新幹線を越えて500m、西野山百々町の交差点で右折、峠に向かいます。


 右折する前ではなく右折したあとに矢印があります。越えるべき壁はさほど高くはないようです。


 峠の手前の道はやや複雑な感じでその部分だけ大きめの地図を手書きして持ってきました、それでも矢印があればなお安心。


 でっかい矢印の下に西国古道の矢印も見えます。


 ここまで来ればもう大丈夫、


 山科の町を見下ろす、京都から山一つ越えたところですがすごく大きな町です。


 峠越えの府道116号に合流するところにも矢印、あとは1本道です。


 府道なので道幅も広く登りも緩やか、


 府道に入って9分、どうやら峠のようです。


 と思ったらもう少し登る、


 前の写真がやはり峠で400mで府道を離れて左へ、


 左へ下りていく道の入口、歩行者オンリーです。


 ぼくの地図ではこの右側のテニスコートは池になっています。埋め立てて有効利用。


 テニスコートから100m、ここで道をはずしてしまいました。太い本線が右の方に行くのでそのまま歩いたのですが、正しい道は左の細い道でした。戻ってきてよく見たらフェンスの端っこに矢印がはがされた跡が残っていました。こういう所こそ絶対必要なのにどうして、とぼやきたくなります。


 道をはずした分岐から500m、前に見えている剣神社の手前で左へUターンします。


 写真の左が進んできた広い道、ちょっと下へ下りていく右の道がこれから向かう15番への道です。


 折れてすぐ橋を渡ります。


 橋の下、もう2週間早ければというところ。


 折れてから6分15番の入口に架かる橋が見えてきました。あの下をくぐってぐるっと右の方へ廻って橋を渡っていきます。


 13時48分、三井寺から2時間21分かかって西国15番霊場今熊野観音寺に到着しました。元慶寺でのお参り、道をはずした分を除くと、2時間、札所間距離は11.4kmだから、時速6kmは出ていなかったようです。峠越えが二つあったので仕方のないところでしょう。
 橋は鳥居橋。

 15 静かなり   新那智山 観音寺〔今熊野観音寺〕  詩・曲 高石ともや

    鳥居橋 そっと渡れば
    街の音消えて
    薄紅葉 ゆれています
    今朝の秋
    重ねた屋根の 本堂の
    歌の声 静かなり 観音寺
        静かなり 観音寺

    遠い熊野 京に移して
    今熊野
    後白河公の 祈りのままに
    九百年過ぎて
    乾ききったこの国の 心悲し
    秋立ちぬ 静かなり 観音寺
         静かなり 観音寺


 弘法大師の創建、他の西国札所は観音さまが主役ですが、ここでは弘法大師が目立っています。西国を巡られる方はこの大師堂でほっと安らぐといわれるそうです。


 山門らしい山門はありませんでした。


 本堂の手前でお大師さんがお出迎え。


 9世紀半ばに造営された堂塔は応仁の乱の戦火で消失、その後再建された本堂、弘法大師が刻んだといわれる十一面観音が本尊になっています。


 多宝塔はずいぶん新しいようです。


 16分ほどでお参り納経を終え、鳥居橋を渡って出てきてすぐのところで京都タワーが見えました。高石さんは京都駅からここまで歩いて45分かかったと書いています。


 Uターンしたところまで打ち戻ってきました。


 Uターンのところから100mほど東へ戻って左折、北上します。曲がったところに矢印。


 100m北上して突き当たって左折。


 前の写真を左折したところ、


 前の写真のすぐ前で右折すると今熊野小学校の正門前を通ります。


 小学校の前の道、北上しています。


 小学校の50mほど先、ちょっと先で突き当たりのように見えますが、左斜めにカーブしています。


 斜めカーブからすぐ真っ直ぐ北上の道に入ったところ。この道の左側は智積院の広大な敷地です。今熊野南日吉町から今熊野日吉町に入ったところです。


 さらに300m、右は京都女子大学、左は新日吉神宮です。


 坂を登りきると左折、この右は京都女子大の正門です。


 左折して150m先の交差点を右折、


 右折すると右は京都女子大付属小学校、左は京都女子高校中学校。


 府道116号に突き当たって右折です。


 右折して府道を150m進むと法然上人霊場の正林寺です、ありがたいことに西国15番と16番の道中にあります。古道を全くはずれる必要がありません。


 10分でお参り御朱印を頂いて山門を出てきたところです。法然上人の霊場はほとんど本堂の中に入って阿弥陀さんのすぐ前でお参りできるのですが般若心経や観音経を詠んでいいものか、ということですぐ終わってしまうのです。


 府道をほんの少し戻って今度は府道の北側の道を東へ入っていきます。


 山王神社の前を通って、


 府道を離れて200mほどで北に向かう入口があります、これは分かっていないとなかなか入れません。


 矢印はきちんとありましたが、真っ直ぐ行き過ぎてしまうのが普通かもしれません。


 国道1号の下を抜けていきます。


 トンネルを抜けたところにも矢印、


 トンネルを出てきたところにすぐ階段があります。


 ということです。


 墓地の中を東へ、


 トンネルを抜けてから6分で清水寺の裏門に到着、ここには拝観料を支払うところもなくてフリーで入っていけます。


 裏門から北へ100mほど進むとおなじみの所に出てきました。



 16 それぞれの秋・清水  音羽山 清水寺    詩・曲 高石ともや

     はじめて覚えた 巡礼の旅は
     京都めぐりの 修学旅行
     広い舞台で はしゃいでいた
     友だちそれぞれ 年を重ねた
       夕日射せ 清水の舞台
       それぞれの秋 今 晴舞台

     自分さがしの 今 心の旅
     西国めぐりの 旅の途中
     この世はめぐる まわり舞台
     誰もが主役の 清水まいり
       夕日射せ 清水の舞台
       それぞれの秋 今 晴舞台

     昨年の秋に ここで唄ったひと
     桜の頃に 見送りました
     音羽の滝の 水に清めて
     あなたにおくる 祈り歌
       夕日射せ 清水の舞台
       それぞれの秋 今 晴舞台


 裏から入るとそのまま真っ直ぐ行くと納経所の前、本堂と拝観料を払わずにお参りすることができますが、それはもちろんできないので舞台の下から山門の前へ、拝観料を支払って本堂でお参りをします。境内はどこも拝観者で混雑していますがぼくのように本尊に向かって経をあげる人など一人もいません。納経所も空いていて、西国と法然上人霊場の二つの納経帳を差し出すと二人の人が一度にやってくれました。
 山門からお参り納経を終えてもう一度山門の前に戻ってくるまで20分かかりました。時刻は15時11分、門前の通りは相変わらずの混雑ぶりですが昨年紅葉の頃に来た時に比べればずいぶん歩きやすい。修学旅行の季節が終わっていることもあるようです。
 清水坂から松原通を下っていきます。
                   ②へ続く


18日目 膳所駅~河原町駅 ②

2019-01-22 | 西国33観音巡礼




 17 捨ててこそ・空也さん  補陀洛山 六波羅蜜寺  詩・曲 高石ともや

    第二皇子の地位を捨てたと云う
    尾張の国で出家したと云う
    道路をつくり 橋をかけ 
    諸国を歩き 修行したと云う

    三十六才で京に上ったと云う
    鹿の杖つき 裾の短い衣だったと云う
    胸に下げた鉦打ち 念仏すれば
    その口から仏が躍り出たと云う

    苦しみばかりの人の世に
    念仏の幸せ教えたひと
    人に良かれと 自分を捨てたひと
    空と書いて 空也上人

    千年過ぎても京の町の人は
    この寺の前で頭を下げる
    ぼくも頭を 下げて通る
    空也さんが 好きだから
       捨ててこそ美しい
       捨ててこそ美しい

    京都・東山・六波羅蜜寺
    身を捨て心捨て生きた人
    空也の名こそ ぼくのあこがれ
    捨てる行き方がいい
       捨ててこそ美しい
       捨ててこそ美しい

 清水から六波羅蜜寺までわずか1.3km、清水坂は人混みをかき分けかき分けなので16分ほどかかりました。1本手前で先に左折して遠回りしてしまいました。

 松原通に出てくると大きな道しるべがあった、慌てずここまで来ていたら迷うこともなかった、最後に来て締まらないことです。

 六波羅蜜寺から4分、松原橋を渡ります。この橋を渡るのは初めてです。

 松原橋から四条方面を望む、

 橋を渡ってすぐ河原町通りを横断、

 すぐ次の寺町通りで右折、北上します。

 藤井大丸の横を抜ければ本日のゴール四条河原町、六波羅蜜寺から14分、15時52分です。これでも帰宅する頃には真っ暗ですから冬の巡礼、冬の日帰りは楽ではありません。


19日目 河原町駅~東向日駅

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 日帰り巡礼9回目は前回の4日後、12月9日に出かけました。本日歩く距離は30kmほどなのですが、西国だけならここから19番と18番をお参りして東向日まで13kmほど、最初の計画では前回の三井寺の手前から本日の19番18番までお参りして京都駅までの予定でした。それが、法然上人霊場も巡ることになったので2回に分けることにしました。本日は4ヶ所の法然上人も巡ります。
 河原町駅から地上に出てきたのは8寺53分です。


 これだけ京都に来ていても新京極はまだ一度も歩いていません、錦市場も。
もっぱら河原町と京都会館の往復だけだったので。


 寺町通りを北上します、アーケードだと安心していたら、トラックがすぐ脇を追い越していきました。こういうところは慣れないと怖いところ。


 かに道楽の前で寺町通りはちょっと右によれる。


 ここだけちょっと斜めで、向こうのアーケードからまた真っ直ぐ。


 こちらのアーケードも容赦なくトラックが往来。


 全く意外なことに本能寺が現れる、信長が討たれた時の本能寺の跡は一度行ったことがあるけれど、その後移されたこちらは初めてです。


 御池通を横断、市役所の左脇を抜けていく。


 京都市役所が生まれ変わります。平成32年7月プレオープン。
 平成32年はもはや存在しないかも。


 寺町二条、二条通はここでクランクになっています。


 二条から300mで西国19番革堂(こうどう)行願寺に到着です。河原町駅から27分でした。



 19 革堂の屋根  霊麀山 行願寺〔革堂〕 詩・曲 高石ともや
      巣立ち鳥さえずり 春悲し
      花びら流れ 涙ぐむ
      鴨川の青 青柳の青
      白さぎが舞う 革堂の屋根

      鳥は花と唄い 春おしむ
      人はどこから来て どこへ帰る
      鴨川の青 山吹き黄色
      京都寺町 革堂の屋根

 立地的に17番に近い19番を18番より先にお参りします。西国古道の赤線はそうなっています。ここまでのほとんどの札所は立派な伽藍と広大な敷地で多くの参拝者があったのですが、ここではぼく一人、こぢんまりした町中に埋もれるような尼寺です。納経所の女性がにっこり愛想が良くて気持のよいお参りができました。


 11分でお参り納経を終えて次の札所へ向かいます。9時20分、本来であれば山門の前の道を真東に進んで18番へ、でもここからしばらく西国古道をはずれて法然上人霊場3ヶ所を巡ります。カテゴリーをはずれてしまいますが、一応記録しておきます。


 山門をでて北へ130m進むと京都御苑の南東の角に出てきます。ここを右折、丸太町通りを東へ進みます。高校駅伝のコースを初めて歩きます。


 右折したところ、


 革堂から20分でくろ谷の入口です。最後のところで1本北側の筋に入りましたがおおむね東へ東へでした。


 先の門は山門ではなくこちらが本当の金戒光明寺の山門です。革堂の3倍はあろうかという迫力たっぷりの山門です。


 山門は1860年に再建されたもの、やはり応仁の乱で消失、
 法然上人が最初に浄土の教えの真実義を弘められた念仏発祥の地とされる。


 16分でお参り納経を終えて最初の門の所に戻ってきました。圓光大師というのは法然上人のこと、多くの納経所で圓光大師と墨書されます。


 金戒光明寺から500mほど西に来ると聖護院の前です。もちろんここに来るのも初めて。


 白川上皇が熊野三山を参詣する際先達を勤めた増誉大僧正がその功績により賜ったお寺、やはり応仁の乱により消失、何ヶ所かに移転の後、1676年にこの地に再建されたものが現在まで続く。


 聖護院から西へ200mで右折して東大路を北上します。東大路に入って500m右側はずっと京都大学、京大の校舎を生で見るのも初めてです。


 東大路を1100m北上すると百万遍の交差点、北東に百万遍知恩寺の山門が見えました。


 7分ほどでお参り御朱印を頂いて戻って来たところ。


 百万遍の交差点から今出川通りを西へ600mで鴨川を渡り。橋を渡って250mで左折、寺町通りを南下すること500mで本日3ヶ所目の法然上人霊場、清浄華院(しょうじょうけいん)です。知恩寺から19分でした。


 このお寺も応仁の乱で荒廃して天正年間にこの地に移転してきた。応仁の乱以前のままの敷地にあることの方が稀なのかという気になります。
 幕末、会津藩主松平容保がここで半年間過ごした、もちろん新撰組の幹部もここを訪れたに違いない。


 清浄華院から200m下ると、今度は紫式部、さすが京都、歴史の中に町がある。


 さらに600m下ると、


 新島襄旧邸、明治11年の竣工だから晩年の住まい。


 旧邸のすぐ南に新島会館


 確かに八重さんはここに暮らしていたのだと思うと感慨深い、


 新島会館から300m下って革堂に戻ってきました。11時03分、1時間40分の法然上人霊場巡りは有意義な京都町めぐりでもありました。
 写真は山門の前から西に向かう道を見たところです。


 革堂から280m西へ進んで左折、柳馬場通を南下します。左折したところ、大津の町には矢印がいっぱいあったけれど京都には一切見あたりません、当然のことですが。


 御池通の交差点を渡る手前にすごい建物が、これがなんと御池中学校。京都市立です。


 御池通を横断して400m、三つ目の通りが六角通、ここを右折します。


 六角通を西へ向かいます。


 分かっていてもはっきり六角通の標識があると安心。何といっても初めて歩く道なので。



 18 姉・三・六角  紫雲山頂法寺〔六角堂〕 詩・曲 高石ともや

    姉・三・六角・六角堂
    本当の名前は 長法寺
    なぜだかあだ名は ヘソの寺
    平安京の真ん中で
    すなわち京都の真ん中で
    ハトがいつでも遊んでる
    六角堂はハトの寺
       二角 三角 六角堂
       四角じゃなくて六角堂
       五角じゃなくて六角堂

    姉・三・六角・六角堂
    ことの始めは 聖徳太子
    暑い夏の日 とび込んだ
    小さなお池のそのそばに
    小野妹子が御坊をたてて
    池の御坊で池の坊
    生け花の始めです
       二角 三角 六角堂
       四角じゃなくて六角堂
       五角じゃなくて六角堂

    姉・三・六角・六角堂
    親鸞さんの 籠り寺
    比叡山から 駆けて来て
    ひと晩籠って 朝また帰る
    九十五日目の明け方に
    夢のお告げがありまして
    新たな教えの始めです
       二角 三角 六角堂
       四角じゃなくて六角堂
       五角じゃなくて六角堂


 六角通に入って4分で六角堂に到着、11時22分、革堂から18分でした。
 開創は587年聖徳太子によるものです。度々焼失し、現在の本堂山門築地は寛永18年に再興されたもの、御堂は明治9年の再建です。


 右の奥の高い建物は池坊会館、頂法寺の境内に立っています。


 聖徳太子沐浴の古跡、


 池の御坊。


 16世紀に建っていた六角堂の礎石。




 江戸時代前期に活躍した家元のモニュメント、水仙一色の立花を再現したもの。


 川端康成のノーベル賞記念講演でも引用された花伝書。


 札所の境内ではあまり撮影することはなくて(安楽寺のように撮影禁止のお寺もあるので)山門くらいにしているのですが、ここでは撮るものが多すぎて一通り押さえてしまいました、池の坊会館の入口も撮っておくべきだったと今になって思います。


 11時43分、六角堂を出てすぐ烏丸通を横断、西に向かっています。


 烏丸通から700mで今度は堀川通、ここで左折、南下します。


 左折したところ、堀川通を南に向かいます。


 堀川通を400m進むと四条の交差点、右折して今度は四条通りを西へ向かいます。


 四条通を大宮方面へ、この道は昨年嵐山から大宮まで電車に乗ってそのあと高台寺まで歩いたので、2度目です。


 嵐電四条大宮、ここで左折、大宮通を南下します。


 大宮通に入る。


 先が見えないほど真っ直ぐ。


 大宮通を下ること1400m、右手に平安高校の正門です。おかげさまで140周年、ということは明治10年の創立、左には龍谷大学があります。龍谷大学の北側は西本願寺。


 七条大宮の交差点の200m南、右手に見えるは京都水族館。この西側には鉄道博物館ができているはずですが、ぼくの地図には両方とも載っていません。


 大宮通はJR線を越えるべく登っていきますが、歩道はどうなっているか、この時点では分かっていません。


 想像していた通りトンネルがありました。


 JRの南側に出てきました。六角堂から34分です。


 JRの下を抜けるとすぐ東寺が見えてきます。


 東寺の南東の角を右折、今度は九条通を西に向かいます。九条通に面した東寺の山門です。


 東寺の山門から1km、唐橋交番、これが目印、この交差点から斜めの道に入ります。


 九条通は東寺から国道171号、南北は御前通り、この角から南西に斜めに入るのが西国街道。西国街道の起点です。


 西国街道の入口です。さすがというべき細さ、


 車もほとんど通らないので快適に歩けます。


 240mで西大路に出てきます。


 西大路から800m、国道171号を斜めに横断、向こうに街道は続いています。


 国道から500m、ここがちょっとした迷い所、


 ちゃんと矢印がありました。矢印は清水寺の手前以来。


 NPOのシールも、


 桂川の土手に沿って南下しています。


 久世橋を渡るのですが、一旦橋の下をくぐるよう矢印があります。


 橋の下を行きます。


 上がってきたところにも矢印。


 久世橋を渡りきったところにも矢印、すぐ左折だと思っていましたがもう一つ先のようです。


 矢印を見て二つ目の筋を左折、


 曲がったところ、街道らしい道です。


 久世橋を渡ってから9分、国道171号を横断、


 さらに3分、新幹線の下をくぐる。


 さらに4分、こんどはJRの下を抜けるトンネルに入ります。


 トンネルを抜けてすぐJR向日町駅の前を通過、


 駅から2分、くっきりはっきり西國街道、


 さらに3分、阪急の踏切です。


 踏切を渡ってすぐ右折すると、


 本日のゴール、東向日駅に到着です。13時25分、六角堂から1時間42分でした。このまま帰れば明るい内に帰宅できるのですが、長岡天神まで電車に乗って、駅から3kmほど離れた法然上人霊場の光明寺まで歩いて往復するので暗くなりかけていると思います。


20日目 東向日駅~亀岡駅

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 10回目の日帰り巡礼は前回の3日後、12月12日に出かけました。
 東向日駅を9時15分出発、25kmほどの道程です。


 西国街道が踏切を渡ったところ、南西の方向へ進みます。


 踏切の前で二俣になっているので早速矢印、これは大いに意味のある矢印。


 この左に入っては行けない。


 府道67号と斜めに交差してすぐ右折したところ、交差点で間違えて67号を南に行きかけたけれどすぐ気がついて西へ進みます。この左側が向日町競輪です。


 右側に向日市役所、


 向日町競輪の様子は外からではほとんど分かりません。


 向日町競輪場の入口です。


 競輪場の入口から100m西へ行くと京都市に入ります。向日市は西側北側東側ぐるりと京都市に囲まれています。これから向かう20番札所は京都市西京区にあります。


 小畑川を渡ります。


 橋を渡って700m、田園が広がっています、


 左の方を眺めて目指す善峰寺の見当をつける。本日のゴール亀岡はあの山を越えていくことになります。これだけ離れているとそんなに険しいという感じはしない。


 小畑川を渡って1km、はっきり20番の名前が出ている交差点を左折、1本南側の道にいくことは分かっているけれど、この前にも折れる道があってどちらが赤線の道だったか確信が持てないままです。ここに看板があっても赤線の道とは限らない。


 南側の道へ向かう、


 南側の道に出て右折、


 右折して西へ向かいます。


 またも名前付きの大きな矢印、


 ちょっと複雑な交差点、ここを左折するはずですが、矢印がなくて確信は持てないまま、


 あやしいけどとりあえず折れてみました。


 50mほど進んで小さな交差点、右へ行く方に矢印がありました。正解でした、ここからは1本道のはず。


 向こうの稜線あたりに目指す札所はあるはずですが。


 駅から45分、あと2.5kmです。高速道の下をくぐりますが、ぼくの地図には全くその予定すら載っていません。検索すると京都縦貫道ということでした。いよいよ稜線が高く感じられます。


 向かう山の中腹に建物が見えます、あれが目指す善峰寺なのか、さすがにこれだけ近づくと相当の高さに感じます。そしてその後亀岡に行くにはその上の稜線を越えていくことになるのは間違いありません。




 謡曲史跡保存会


 こんな西山でも応仁の乱の戦火で焼失、やはり江戸時代に再興された。


 東海自然歩道ですが府道208号です、あと1.5kmくらい、とすれば縦貫道の下から1kmくらいを9分できたことになります。


 緩やかな登り坂


 きれいに整備された筍畑、普通の竹藪とは雲泥の差、そういえば西山は筍の一大産地。


 紅葉の名残、ピークには嵐山とは違った美しさがあるかもしれません。


 あと0.7km、縦貫道から1.8kmを19分で来ました。なかなかのペース。


 600m手前から寺領です。


 善峯寺、松茸山もあるみたいです。


 三鈷寺の登り口です。善峯寺の登り口はもう180mほど先になります。

 20 全山紅葉   西山 善峯寺    詩・曲 高石ともや
     桂の里から 物集女道
     大根吊るして 冬支度
     巡礼道は のぼり道
       全山 紅葉 善峯寺

     山門くぐれば 観音堂
     地を這う松は うねる龍
     薬師如来は 奥の院
       京都 一望 善峯寺

     西陣育ちの娘 お玉は
     家光におわれて 玉の輿
     将軍綱吉の産みの母となる
       故郷 京都 桂昌院

     東山から 陽は昇り
     今 西山に 陽が沈む
     夕陽の魂 休む寺
       全山 紅葉 善峯寺


 10時34分、あと700mのところから14分で西国20番善峯寺に到着です。最後は本格的な山道になるので時速3kmです。


 11時12分、北門から亀岡を目指して歩き始めます。この北門は中からは出られるけれど、料金所がないので外からは入れないようになっています。
 21番まで16.9km、でも亀岡駅は少しその手前になるから2時間半ほど、14時前には駅に着く計算です。


 北門を出るとすぐ三鈷寺の山門です。


 三鈷寺の境内からの眺め、本当に京都一望です、全山紅葉ならいうことなかったのですが、


 三鈷寺を過ぎるとすぐ急斜面、太龍寺の手前といい勝負。


 矢印、急斜面は一段落、この先の分岐で左に行くと善峯寺に下りていく。


 三鈷寺から12分、ようやくフラットに近く一息ついたところ。


 やはり東海自然歩道。


 ポンポン山分岐、ここが峠か、三鈷寺から14分、最初はすごい登りだったけど全体としてはあっけない感じもします。


 ポンポン山分岐から11分、府道733号に突き当たって左折します。


 直角に折られた分かりやすい道しるべもあります。


 ほとんどフラットで快調に歩けます。


 府道に入って11分で大原野森林公園の入口です。


 左へはいると森林公園、


 森林公園から11分、NPOのシールと矢印。意外なくらいポンポン山分岐からフラットに近い道。


 さらに12分、少し先で下っているか、


 大阪府に入るところでちょっとした峠になっていたようです。


 峠から2分ほど下ると分岐、


 分岐に中畑回転場のバス停、高槻方面から来るバスの終点です。ここで府道を離れて右(北)の方へ


 またも折り曲げられた道しるべ、巡礼古道と書かれているのがうれしい。


 角度を変えてもう1枚。


 ここから先は府道ではないけれど同じように歩きやすそうな舗装道です。


 登りとも感じないほどの道


 いつの間にか大阪府からまた京都府に入ったようです。地図を確認するとバス停から5分ほどのこのあたりに府境があるようです。下向きの矢印なんてあまり見ない。


 通行止めは無視して前に進むしかない。


 府境から1.4km、分岐


 矢印がありました、分かっていてもあるとないではちょっと気分が違う。


 そしてここが本日の最大のポイントです。


 巡礼古道の道しるべはあるのに


 道は閉ざされています。知り合いのお遍路さんが少し前に歩いていてブログで教えてもらっていたので、あたふたせずに済みました。もし知らないできていたら、地図は作っていなかったのでかなり厄介なことになっていたかもしれません。


 すぐ脇が新興住宅地の南の端で、その中を抜けていきます。もちろん巡礼古道ではないのですがこれ以外の選択肢はありません。扉に閉ざされた道が復活しなければこちらが現代の巡礼道になることは間違いありません。


 登ったところが入口、右折していきます。


 プラタナスの紅葉が見頃で気分がいい。


 住宅街の中は基本的に北の方へ向かって行けばいいけど、直線ばかりではないので地図を持っていないと、あらぬ方向へ行ってしまうかもしれません。


 住宅街に入って300m、公園に突き当たって左折します。


 左折すると右手に池のはずですが水はありませんでした。そしてすぐ右折。


 池の西側を北上、


 鮮やかな紅葉に思わずカメラを向けたくなります。


 池から緩やかに左カーブもありましたが、ほぼ道なりに北上、600mで高速の上を横断します。


 京都縦貫自動車道、善峯寺の2.5km手前で下をくぐった道の続きです。


 高速を横断してそのまま北上、


 高速から300mの二俣を左へ、手前の道が北東に向かっていて、右の道が東、左の道が北へ向かっています。


 北へ向かう道に入ったところ。


 450m進んで左折、


 左折するとつつじヶ丘小学校が見えてきます。


 小学校の西側を北上、


 小学校から300m先の交差点を左折します。


 左折したところ、


 100m先を右折、


 右折したところ、ここからはもう駅までほぼ真っ直ぐです。


 200mで年谷川を渡ります。ここまでがつつじヶ丘の住宅街でした。住宅街の南の端から北の端まで2800m歩いて通り抜けたことになります。


 橋から160mで国道9号線です。21番札所へ向かう人はこの交差点を左折してしばらく国道を歩くことになります(最短の道を行くなら小学校の北西の角の交差点を左折しますが、ちょっとややこしい道なので下調べが必要)が、穴太寺は次回行くので、すぐ左の交差点から亀岡駅(北)へ向かいます。


 先の交差点で国道を横断して、10mほど国道を西へ進むと、右折する道があってこれが駅まで続いています。


 アミティ、目印にしていましたが、全く問題ありませんでした。


 国道から850m、駅前の一つ手前の交差点、もう鉄道も見えています。


 ぼくの地図ではサティだったのがイオンになっています。


 13時39分亀岡駅に到着、善峯寺から2時間27分でした。距離は14.8kmなので時速は6.15kmでした。


21日目 亀岡駅~総持寺駅

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 11回目、今年(2016)最後の日帰り巡礼は前回の13日後、12月25日に出かけました。3dayチケットの使用期限最終日までねばってご覧のようないい天気。阪急嵐山からJR嵯峨嵐山に向かう途中です。この日は高校駅伝の当日で渡月橋を渡ったところで佐久長聖高校の選手たちと出会いました。


 9時50分、亀岡駅を出発です。


 駅から穴太寺までは巡礼道ではないので矢印はありません、勝手に地図を見て最短距離の道を選択します、ここで国道372号を離れて右の道へ、駅から2km地点、


 縦貫道の下を抜けます。


 橋を渡って


 田園の中の道。


 駅から30分、


 あと300m、


 山門が見えてきました。



 21 亀岡・涅槃像   菩提山 穴太寺   詩・曲 高石ともや

    穴太寺の本堂の 暗い片すみに
    おしゃかさまが横になっています
    お詣りの人は痛い処 悪い処を
    祈りながら さするのです

    走りつづけて三十年
    僕は足が疲れていて
    仏様の足をさすってみました
    さするほどに自分の足が楽になって来て
    撫でるほどに心まで楽になるのです

    どんなにさわっても仏さまは
    いやがりません
    身を投げ出したまま仏さまは
    僕らのすべてを受け入れておだやかで
    ありがたいとはこんなことをいうのでしょう

    僕は歌手です 声が大事です
    仏様のノドを撫でてみました
    首の下は塗装が禿げて
    木肌があれて
    百年以上沢山の人を救ってきたのです

    涅槃像のねはんとはお亡くなりに
    なることで でも おしゃかさまは
    死んでいるのではありません
    僕らが生きることの
    痛みを抱いているのです
    生きることの悲しみを抱いているのです

      京都 亀岡 野はみどり
      穴太寺の夏 涅槃像


 12分でお参り納経を終え10時35分山門から真南に歩き始めます。


 9分で国道423号の交差点、右は曽我部小学校、横断してそのまま南下、


 国道を横断して200mで左に入る矢印がありました。


 左に入ってすぐ右折して南下、穴太寺からは総持寺までおおむね南下します。


 分岐はないけれど矢印、


 脇道を1.5km進んで府道に合流、


 府道に出て50mでまた脇道に入っていきます。


 緩やかな登りです。


 平地とあまり変わらないスピードで行けそうです。


 登りに入って24分、そろそろ峠かという感じ、


 そろそろ


 やはりここが峠でした。


 快調に下っていきます。でもここはまだ序段、大阪との本当の峠はこんなものではないはず、


 峠から10分、そろそろ府道と合流か、


 11時39分、峠から11分で府道46号に合流です。


 府道に入って1km、府道407号が右から合流してくるポイント。


 分岐を左へとると橋を渡って東別院小学校の前を行く。


 もうひとつ橋を渡ったところ。


 目指す総持寺は茨木のすぐ近く、脇道も行くのでそのまま16kmということではないはず。


 小学校から700mの所で右折して府道46号を離れて西に向かう府道733号に入ります。入ったところに南掛のバス停があります。そのまま府道46号を行く方が近道ですがあくまで古道巡礼ですので、


 右折して10mのところに南掛のバス停を確認、矢印は確認できません。


 733号を1kmほど進んで左折します。


 今度は矢印がありました、


 少し登りになります。


 しっかりした登り、そして明らかに新しい道、もう少し西側にも道があってそちらの方が本来の古道だと思われますが、初めての道なので矢印に従いました。


 733号を離れて14分、ここが一応の峠ではないかと、


 やはりそうでした、でもここもまだ京都府内で本当の峠はまだ先の話です。


 この上への分岐も地図でチェックしていたので余裕を持って左へ行く、


 峠から600m、完全に通行止めになっています。今日は日曜で工事は休みなのであえてどろどろの足場の悪い中を無理矢理進んでいきます。脇道はないし元に戻ることなど考えられません。


 5分ほどで何とか工事区間を通り抜けました。平日だと通してもらえないかもしれないから、そのまま府道46号を直進することをおすすめします。


 工事中の所を抜けるとすぐ矢印がありました、地図を作っているときに一番引っかかりそうな分岐でした。


 先の分岐から600mほどで府道に合流していきます。府道はここでヘアピンカーブになっています。


 ヘアピンカーブに矢印、


 ネルシャツと袖無し白衣だけですが歩いていると寒さはほとんど感じません。
でも止まると寒いから冬の遍路はやっぱり避けたいところです。


 ヘアピンから14分で清坂峠、大阪府に入りました。12時52分、ということはこれで本日の登りは終了か、


 古い国境の碑もありました。


 府境から2km、ちょっとしたクランクで橋を渡ります、右から来るのは府道109号、


 一応分岐だから矢印もあります。


 さらに1kmほど来ると忍頂寺の交差点です、このすぐ先から脇道が始まるのですが、


 交差点を渡ったところは直進、


 100mも行かないところで右折の矢印、


 これは巡礼古道なのですが、この先で高速の工事のため、途中から歩けなくなって古道とは別の道で府道に合流してくるようになっているので、今回は始めから回避することにしました。


 府道をそのまま1kmほど進んだところに、ありました。巡礼古道つぶしの高速です。


 とにかくものすごいことになっています、小山ひとつ持って行かれたような感じ、


 高速の下を抜けて1.5km、大岩郵便局です。この少し先で本来であれば古道が合流してくることになりますが、今ではずっと手前で合流することになります。つまり1.5km以上赤線の古道は歩けなくなってしまったということです。


 合流ポイントで合流してくる道の方を撮りました。キリシタン自然歩道の道しるべがありますが全く無用のものになってしまったということです。


 合流してから赤線の道はちょっと左の脇にいって、すぐ府道の上を横切ってまた右側から合流するのですが、僕はそのまま府道を行きました。こだわってもいいのですがキリシタン歩道を全部回避してしまったので、ここだけ歩いてもという感じ。


 合流ポイントから5分、茨木の大新興住宅地山手台の北の端に来ました。ここからはおおむねこの住宅街の西側の脇を下っていくことになります。


 さらに4分来たところ、団地入口のバス停から左の住宅地へ入っていきます。


 山手台へ矢印、


 道しるべもありますが、西国古道とキリシタン自然歩道がどこまでイコールなのかという思いもあります。


 住宅街を取り囲む道なので中までは入っていきません。


 山手台というだけあってまだこんな高いところにいます、大阪梅田のビル群がくっきり見てとれます。中央に高く突き出ているのは阿倍野ハルカスか、


 団地入口から2.5km北陵中学校が見えました。ここが山手台の南の端です。この交差点を右折して南下します。


 南の端でもまだこれだけの下り坂道。


 300mほど下って左折です。


 矢印もあります、


 住宅地の南は田園風景、


 おそらく右そうじ寺の道しるべ、住宅街の脇は完全に現代の道だったけれど、ここは紛れもなく古道だということです。中学校から1.2kmの地点です。


 北陵中学から1.5km、佐川急便の前で左折、分かりやすい目印です。


 左折して600m東へ進むと安威川を渡ります。


 上流を見たところ、もう完全に街の中に下りてきています。


 橋を下りるところに矢印、


 橋から140m東へ進んで右折、140m南下すると名神高速の下を抜けます。右は太田中学校のグラウンドです。


 名神の手前に矢印、


 名神を抜けたところは名神沿いの北東の道と真東の道に分かれていて、真東の方を200mほど来たところです。次は突き当たって右折、


 突き当たりに右折の矢印、


 右折して950m、国道171号の交差点を横断します。この手前左側は400m以上に渡って東芝の工場だった(僕の地図では)のですが全部更地になっていました。


 171号から600m,JRの下を抜けます。この少し手前からちょっとカーブして南東方向に向かっています、


 JRを抜けて200m、高いところに看板が、


 さらに1分、もう目の前、


 左折して門前通りにはいると山門が飛び込んできます。



 22 Now & Here すべてよし  補陀洛山 総持寺  詩・曲 高石ともや
      
      総持寺の口すすぎはオートマチックで
      近づくと水が出て 離れると止ります
      亀にのった観音さまはもっと
      オートマチックで
      近くても遠くても僕らを救ってくれます
        ナウ・アンド・ヒア
        今このままで すべてよし

      総持寺の山陰堂の濡れ縁に
      腰をおろせば 心安らぎます
      雨風ざらしの木の肌のぬくもり
      ながい人生のり超えた証です
        ナウ・アンド・ヒア
        今このままで すべてよし

      総持寺の本堂の壁には丸時計
      ラジオ体操にも散歩にも便利です
      学校帰りの女子高生も近所の人も
      ひょいと来てひょいと帰るいいお寺です
        ナウ・アンド・ヒア
        今このままで すべてよし

 15時21分、穴太寺から4寺間46分で無事総持寺に到着です。この間28kmなので平均時速は5.96kmでした。峠越えがいくつかあったのでさすがに6kmは出ませんでした。


 お参りを終えて総持寺から400mの総持寺駅に到着したのは15時40分、この時間でも帰宅したときにはもう暗くなっていました。
 これで21日間に及ぶ西国巡礼、昨年の分の記録は終了です。2000枚の写真をあげるのに140日かかってしまいました、これで終わりと思いきや、四国に出るまでに3回続きを歩いてブログも書かねばなりません。でも、10日ほどはのんびりします。


22日目 総持寺駅~宝塚駅 ①

2019-01-22 | 西国33観音巡礼

 前回クリスマス以来99日ぶりの日帰り巡礼に昨日行って来ました。三弘法では日頃履いているペッタンコのシューズで30km歩いたので、翌日いろんな処が痛んでしまったのですが、今回は昨年四国と西国で使ったウェーブプロムナードで歩いたので背筋が少し張っているだけで足の方は全く痛んでいません。このシューズではすでに2500km歩いていて、引退してもいいところですがソールがそれほど磨り減っていないのでもう1200km歩くことにします。


 総持寺駅を9時07分出発です、


 9時11分、総持寺に戻ってきました、関西では開花宣言されたけれどまだほとんどチラホラ咲きなので、これはソメイヨシノではないのかもしれません。


 歌にうたわれたオートマチックの口すすぎです。山門の手前にあるので前回は気づかずに行き過ぎてしまいました。


京都大阪の府境の峠を越えてきたので相当疲れていたかもしれません。


 西国めぐりのツアーバスが停まっていました。


 171号の交差点までは前回来た道を打ち戻りです。


 右側は東芝の大工場跡地、左側も関連会社の跡地で更地が広がっています。西国の赤線は171から200mほど北の処で左へはいるのですが、運動公園の中で地図では道がはっきりしないので、ぼくはもう少し先のはっきり道があるところを左折することにします。運動公園の中は昔の道が完全につぶされているはずだからこだわることもありません。


 171から北へ700mで左折します。もちろん矢印はありません。運動公園の処にも矢印はありませんでした。


 左折して2分ほどで川の土手に突き当たって右折、向こうに見えている名神高速まで北上です。


 土手を300mほど歩いて、手前の歩道橋を渡ります。


 歩道橋の手前に本日初の矢印がありました。


 渡りきってすぐの交差点で右折します。


 名神の下をくぐります。


 くぐり抜けると左斜めの道へ入ります。直角に左の道もあるのでこの矢印はありがたい。入ったこの細い道は西国街道です。


 ちょっと文字は読めませんが、


 明治40年代の道しるべ、


 左に耳原小学校を確認、間違っているとは全く思っていないけど確認できればそれはそれで安心です。


 こういう道しるべも出てきました。


 いかにも街道らしいうねり具合。


 幣久良橋を渡る。


 川は茨木川、この上流100mほど先で左から合流してくるのは勝尾寺川、目指す勝尾寺の近くから流れてきています。とはいってもまだ歩き始めて37分、勝尾寺まで3分の1も来ていません。


 橋から300m、府道の交差点、


 いろんな場所までの距離がくっきり読みとれます。


 西国街道は奈良時代からの大動脈であったということです。


 戦国武将中川清秀の生誕地でもあるようです。中川清秀は賤ヶ岳の合戦で柴田軍に討たれたのですが、その子孫は荒城の月で有名な豊後竹田の城主を明治までつとめました。


 賤ヶ岳の中川清秀のお墓まで行ったことがあるので、忘れられない武将の一人です。


 府道(旧亀岡街道)の交差点から300m、ちょっと迷う二俣、


 入る前には矢印はなくて、左へ入ったすぐの処にありました。


 郡山宿本陣がもうすぐ先、


 府道を横断してから800m、国道171号を横断します。


 ここは171がこの左(写真手前)の方で二俣になっているところでこれはその2本目(南側)の道を斜め(南西方向に)横断するところ、


 横断して西を向くと、右の端が171,中央が西国街道、左から入ってくる道があるのでちょっと注意が必要かも。


 西国街道の入口に道しるべ、ここのところは地図を調べていないとちょっとややこしいかもしれません。


 二俣を本陣の方へ。


 西国の矢印もあるのでここまで来れば迷いませんが。


 昔のままと思われる街道の幅、


 街道に入って200m、読みにくいですが郡山本陣と書いてあります。


 史跡郡山宿本陣


 浅野内匠頭の宿帳も残されています。


 本陣から450m、勝尾寺川を渡ります。


 渡ったところに矢印、ちょっとだけ曲がっているのでこの念のため矢印はいい。もうこれで迷い所はなくずっと真っ直ぐ行けばいいはず。


 勝尾寺道とはっきり読めます、年代の方は全く字の形がなくなっていました、あるいは初めから刻まれていなかったかもしれません。


 歩き始めて69分、もうすぐ箕面市です。


 171号を横断してから2km、モノレール豊川駅の下をくぐります。くぐって10mほど先で箕面市に入ります。


 お寺だけど鳥居があるみたいです。おそらくそこを右折して北上の道に入ると思われます。


 楠木正成の伝説もあります。


 享和二年(1802年)の道しるべ、西から来ると二俣になっているので大いに必要です。


 府道120号の交差点、この次右折する道が出てきたら北上のはず。


 春日神社から1200mということでしたがきっちり計測してみると1100m。11分で来たから時速は6km。総持寺からだと8.5kmを93分で来たから5.5km、信号待ちや撮影の時間もあるから実質は6km弱というところです。
 鳥居の額は勝尾寺、ここから北へ向かって山登りです。勝尾寺の標高は400mです。


 残念ながら萱野三平旧邸の前は通りません。


 鳥居の脇に町石もありました、36町、4kmです。


 鳥居は1666年に建てられたもの、とすれば江戸時代から現代までのほとんどの巡礼者がこの鳥居をくぐったことになります。


 鳥居から60mで171号を横断します。


 171号から900mで府道9号を横断、ここから登りらしくなっていきます。ここまでの1kmはまだ時速5kmで来ていますが、ここからはそうはいかない。


 府道から100mで二俣、


 道しるべもあります。


 先に二人の女性ハイカーが見えます。


 鳥居から1.2kmを16分、時速は4.5kmです。


 二十□町、町石は1町ごとに全部残っている訳ではありません。


 今度は読める二十三町、鳥居からここまで1200m、20分かかっているから時速は3.6km、町の距離は時代によってちょっとずつ違うから正確ではありませんが、


 左勝尾寺古参道、右勝尾寺旧参道。新旧なら選びようもあるけれど、どちらを行けばいいのかしばし迷って距離が短そうな旧道を行くことにしました。


 旧道の最初はフラットに近くて足場も安定していて歩きやすい道です。


 分岐点から16分で古道との合流ポイントです。しっかりした登りのところもあっていい練習になります。


 古道が合流してくるところ、最後はちょっと下っているみたい、


 現在地を見ると確かに合流ポイントでした。


 はっきり読めないけれどたぶん七町、とすれば鳥居からここまで48分だから時速は3.7kmです。この手前で男性6人の登山者を追い抜きました。降りてくる人も3人ぐらいいて、巡礼者以外の歩く人も結構いるようです。


 たぶん五町、この間5分かかっているから時速は2kmも出ていない、きびしい登りだけれどあんまり息は上がっていないし立ち止まることも全くありません。


 もしかして峠、お寺の手前で峠のある山道は四国では記憶にありません、ほとんど登りきったところにあるから意外な感じです。


 はっきり分かる4町、この間2分なので時速は3.5km。


 本当に峠でした、どんどん下っていくようです。


 三町、この間1分だから5km近く出ているかも、ずっと下りですから。


 想像以上に下っています、こんなに下るのなら登らずに来る道はな作れなかったのかと、余計なことを考えたりします。


 いよいよあと1町、この間下りがきつくてあまりスピードが出ず3.4kmぐらい。


 町石は元々は鳥居のところから36基全部あった、現在見られるのはその内20基ということです。古いものは1247年に建てられた、これは高野山町石道のものより古く、日本で最古のものだということです。つまり町石の歴史はここから始まった。


 ゴールの府道が見えてきました、それにしてもすぐ手前でこの急勾配、峠は紛れもなく標高500mはあったでしょう。


 府道に降りるすぐ手前で勝尾寺の全貌が見渡せました。一番高いところにあるのがおそらく二階堂、西国巡りの人はあそこまで登らなくてもいいけれど、ぼくは法然上人の納経帳も持っているのであそこまで登ることになります。


 法然上人二十五霊場第五番、ときっちり刻まれています。
鳥居から64分、時速3.75kmでした。府道9号の交差点からだと3kmを51分、時速3.5kmでした。3kmといえば四国20番鶴林寺と同じ距離の登りですが、ぼくは鶴林寺を50分で登るのでちょうど同じくらいの険しさだと言えるでしょう、ただ鶴林寺は登る一方で下りはありませんが。


 山門の手前で拝観料400円を支払って入ります。やはり一番高いところにあるのが二階堂でした。納経は西国と同じところだけど上でお参りしてからでお願いします、と言われました。


 本堂のすぐ手前に大師堂がありました、


 大師堂はミニ四国にもなっています。



 法然上人が晩年を過ごされた二階堂です。

 23 信仰・観光・健康  応頂山 勝尾寺   詩・曲 高石ともや
     
     災い越えて 年明けて
     勝尾寺の 山に祈る
     陽は昇る 旅はつづく
     清く楽しく 元気に
       信仰・観光・健康 観音巡り

     浄土宗を開いた 法然上人
     晩年を過ごした 二階堂
     板に写った 恩師のすがた
     旅の終わりの 八十才
       信仰・観光・健康 観音巡り

     遠くかすむ大阪は 幻か
     高層ビルが あやうく見える
     箕面の山 凍てつく大地
     身をただす 千手観音
       信仰・観光・健康 観音巡り


 勝尾寺では昼食はブロックチョコを急いで食べて簡単に棲ませたのに45分ほどの滞在になりました、何しろ広大で二階堂までの上り下りも大変でした。
 12時36分の出発は計画より大分遅くなってしまいました。でも日もずいぶん長くなったからさほど気にすることもありません。勝尾寺の下りは府道43号を西南の方角へ、下っていきます。府道だから楽に行けると思っていたのですが、勾配は思った以上にきついところが多くてひざ周りの筋肉に負担がかかって快調にとばすという感じでは全然ありません。


 下り始めて17分、箕面自然教室の前、前の写真は下り始めて10分のところ、唯一の分岐でしたが矢印はきちんとありました。


 都会に比較的近いところだけど、この渓谷はなかなかの迫力です。


 先に見えているカーブのところにある駐車場は車で箕面の滝に来る人のためのもの。


 ちょっとしたトンネルを抜ける、この右側のところに最初のもみじの天ぷら屋さんがありました。


 府道から箕面の滝の一番上の部分が見えました。


 府道から渓流沿いの道に降りていきます。


 つづら折りの下り道からも見えます。


 渓流沿いまで下りきったところに町石が、33町を38分で下ってきたから時速は5.8kmくらい。滝壺まで行くとまた戻ってくることになるので行きません。


 町石から16分、箕面昆虫館です。


 昆虫館から7分、これにはちょっとたまげた箕面スパーガーデン、ちょっとこういうホテルは見たことない。


 町石から26分で阪急の駅前に到着です。大分前に一度来たことあるけど思い出せないくらい昔のことになってしまいました。


 駅の西側です。


 川を渡って左、


 府道9号に合流します。ここからは西へ西へ、
                       ②へ続く


22日目 総持寺駅~宝塚駅 ②

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 府道9号を西へ600m進んだところで脇道に入ります。


 入ってすぐのところに矢印がありました。ないよりはいいけれど入るところに欲しい。


 脇道に入って7分で池田市に入ります。


 地元の人も理解してくれているとありがたい。なかなか歩く人はいないと思うけれど。


 間もなく府道に合流するみたい。


 脇道に入って18分で府道に合流します。この間1650mなので時速は5.6kmくらい、山の下りで少々疲れ気味なので楽に歩いています。
 合流ポイントで府道に入らずすぐ左折します。探したけど矢印はありませんでした。


 左折したところ、落ち着いた住宅街です。


 100mで突き当たったところに矢印、右折します。


 渋谷中学の北側の道です。


 渋谷中学の北西の角で左折します。


 渋谷中学の西側の道を南下、桜はまだまだという感じです。


 ここも曲がるところにはなかったけれど、しばらく進むと矢印です。


 渋谷中学の角から750mで太い道に突き当たります。ここを右折するとひたすら西へ進みます。


 ここは曲がるところに矢印がありました。


 太い道は大きく左折していきますが、巡礼道は真っ直ぐの細い道に入っていきます。


 右斜めに矢印がありますが、細い道はほぼまっすぐに入ります。太い道から急に細い道に入るので何も知らないとそのまま太い道を左に行きそうな感じもあるのでこの矢印は大きい。


 手前の太い道とは様相ががらりと変わります。


 ここは能勢街道、なるほどという細さです。


 左 京 大坂 と読めます。これは古そうな道しるべ。


 一三の妻を演じた瀧本美織さんが本当に素晴らしかったから、記念館には行っておきたい。


 府道9号を横断すると道は街道の雰囲気から洒落た都会の様相、この少し先で左の方に行くと阪急池田駅です。


 落語ミュージアムの前を通りかかりました。全く知らなかったのでびっくり。


 池田の猪買いの顔出し看板。「ところでこれ新しいか」


 落語会も月1回開かれています。


 すぐ向かいには呉服(くれは)座、上はマンションです。


 国道176号に合流します。176はこの交差点の南から来て西へ向かう、ぼくが歩いてきた能勢街道はここから北へ向かう。


 176に入って150mで猪名川を渡ります。高速は阪神高速池田線です。


 南側には阪急の鉄橋が見えています。


 猪名川を渡ると、そこは兵庫県川西市。三重県、和歌山県、奈良県。大阪府の4府県を歩ききりました。これからの日帰りは県内の移動ですみます。


 川西市は清和源氏のふるさと、知らなかった~。


 街中の大通りで176を真っ直ぐだからなくてもいいようなものだけど、あれば落ち着く人も多いでしょう。


 阪急の下を通り抜けます。


 県道12号との交差点で右を見ると川西能勢口駅、前にこの駅に来たのは8年前、岩井直溥先生の指揮を見た最後の演奏会でした。


 県道を渡る、


 JR川西池田駅前のロータリーに武将の銅像が、帰ってから調べてみると、源満仲、清和天皇のひ孫で、この地に武士団の独立的地域を作り上げた清和源氏の源流とされる人です。


 川西能勢口から11分、176なのに歩道がない。


 この北側に雲雀丘花屋敷駅があるはず、花屋敷の駅に来たのはもう何十年も前のこと、大学時代の1年上の先輩と3年上の先輩が結婚されてその結婚祝いの品を届けに上がった。


 また阪急の下を抜ける、でもこれは本線ではなく左の方にある車庫に向かう引き込み線です。


 引き込み線の下から360mで176を離れて右の方へ。


 すぐ阪急の踏切を渡る。


 踏切から山本駅のホームが見える。嵐山の中国人の話もあるから気を使いながら素早く撮って素早く掃ける。


 踏切から350mで山本駅の前へ、


 駅からすぐ水路を渡ると二俣、


 右中山道の道しるべが真ん中にあります。


 その横には新しい巡礼街道の道しるべ、現在、勝尾寺から中山寺まで歩く人はどれくらいいるのでしょう、


 二俣から2分、突き当たったところに矢印。


 右折するとまたすぐ突き当たる、矢印もあります。


 突き当たって左折したところ、しばらく水路沿いの道。


 また新しいタイプの道しるべ。こういうのがあると白衣姿でも変な目で見られることはないはず。


 水路沿いの道を離れて西へ向かってしばらくのところに矢印、真っ直ぐのところだけど。


 さらに5分、またも真っ直ぐのところに矢印、


 見るからに古い道しるべ、すく中山寺。「すぐ」という道しるべは初めて見たかも。


 横断したところは二俣、絶対迷うところだけど矢印はありませんでした、ぼくは地図を持っているので迷わず右へ。


 15時35分、勝尾寺からちょうど3時間で西国24番中山寺に到着です。この間16.9kmなので時速は5.63kmでした。一度も休憩を入れなかったのでちょっとへばり気味です。

 24 安産祈願  紫雲山 中山寺    詩・曲 高石ともや

    エスカレーターで昇っても
    デパートではなく
    妊産婦さんが集まっても病院ではなく
    あたらしい命 むかえる寺
    ちいさな命 まもる寺
    おだやかな心が子どもを守る
    安心の心が母親を守る
    お寺は安心の よりどころ
    大地がゆれても 揺るぎません
      安産祈願 子授け祈願
      中山観音 いのち寺

    我家は三十年ぶりのお礼まいり
    娘は素直に育ちました
    母から娘へ タスキ渡し
    小さな我家の 儀式です
    日本では昨年生まれた子どもの数より
    死んだ人の数が上まわりました
    日本の危機です 観音さま
    元気な赤ちゃんいっぱい 送ってください
      安産祈願 子授け祈願
      中山観音 いのち寺


 またも広大な敷地です。西国の札所は本当に立派なお寺が多い。よくみると一番奥に大師堂があります。


 エスカレーターだけでなくエレベーターもあります。妊産婦さんが多いし、乳母車で来る人もいるだろうから当然ともいえる配慮です。


 前のエレベーターは乗らなかったけれど、せっかくなのでこちらは乗ってみました。


 ちょっと読みにくいですが、大師堂はミニ西国にもなっています。もちろんぼくはこれから全部回るのでここですます訳には行きません。


 お大師さんに手を合わせて納経所に向かいます。


 山門を出て西に向かって歩き始めたのは16時ちょうど、予定では16時には宝塚駅に着いているはずだったから30分以上遅れました。山登りを平地と同じペースで考えていたので、これだけ遅れるのも当然です。
 歩き始めるとすぐ二俣、地図を見れば左へ、


 売布神社まで1100m、そのあと清荒神があって宝塚、駅3つ分残っています。


 清荒神まで2400mだから、宝塚までは3km以上あるはずです。


 売布神社の上まで来たようです、山門から9分、


 また、すく中山寺の道しるべですが、1kmはあります。


 中国自動車道の下を抜けます。


 先のポールの下の方にも矢印があります。


 ちょっとクランクが入る。


 ここで左の方に降りていく、矢印はなかったけれど地図で確認、山門から18分、


 折れた道はかなりの急な下り、


 下りてきたところを右折します。ここから宝塚駅のすぐ北までまっすぐです。


 下りてすぐ中山道の道しるべ、間違っていませんでした。


 ちょっと山手の街道の雰囲気が味わえる道、


 お思っていたらこの道は有馬街道、宝塚からは山口北インターの方へ176号沿いの道を行くはずですが、江戸時代の巡礼のほとんどは有馬街道で有馬温泉に立ち寄ったはずだと思っています、わずか4~5kmの遠回りにしかならないから、ぜったい有馬温泉を楽しんだはずです、ぼくもNPOの地図を知るまでは有馬経由の道を行くつもりでした。
 こんなところにかんべえくんが健在でうれしい。


 かんべえくんから北の道が清荒神参道です。


 かんべえくんから少し先で街道から南へ下りるのですが、そこんところの地図は書いてなくて適当に下りてしまうと、少し早かったようでうろうろしてしまいました。清荒神から19分もかかってしまいました。中山寺からだと39分。やっぱりどこかでおかしな道に入ってしまいます。