WALKER’S 

歩く男の日日

8日目 滝尻王子~岩代荘。

2019-01-22 | 西国33観音巡礼


 きけうやの朝食ですが、見たところごく普通、でもぼくにとって最高の朝食でした。玉子焼きがめちゃくちゃ美味い。本当に熱々、かつジューシー、それでもって辛目の味付けが全くのぼく好み。この玉子焼きさえあれば何もいらない、それくらいのおいしさです。値段は高かったけれどトータルでは大正解の宿でした。


 おじいちゃんに車で送ってもらって滝尻王子に戻ってきたのは7時03分、世界遺産のでっかい碑がここにあるということは海外の皆さんのほとんどがここから歩き始めるということでしょう。この手前は国道ですからね。


 橋を渡って国道311号へ入って南下、いきなり道しるべがありました。田辺の町の中心部まで中辺路は続く。


 歩き始めて12分、片側通行で通行止めではありません。しっかりした道しるべだけどこれを見る歩きの人がどれくらいいるでしょうか。この少し手前ですれ違った路線バスの中に何人かの外国の人が見えました。やはり歩き始めるのは滝尻から。


 滝尻王子から14分、西国古道の地図ではそのまま国道に赤線があるのですが熊野古道では脇道に道しるべ、まだ歩き始めなので道しるべに従います。


 脇道の入口は古道の雰囲気たっぷり、


 滝尻王子から1.6kmを17分かかっています。


 ちょっと迷ったけど、左へ下りていきます。


 脇道は9分ほど歩いて橋の手前で国道に合流していきます。


 橋は渡らずまっすぐ清姫の墓に向かいます。


 バス停から2分で清姫の墓に到着。


 中には入りませんでした。


 清姫の墓から500mのところで左折して川を渡るように道しるべは促していますが、西国の地図では遠回りになるので川は渡らず直進の道に赤線があります。もちろん近道を行きます。


 橋を渡ってきた国道と合流するところに道の駅がありました。滝尻王子から47分です。


 道の駅ふるさとセンター大塔、200mほど先に鮎川温泉のバス停があって昔は宿泊できる施設もあったようですが、今は宿はありません。ここから近露まで歩くとちょうどいい距離いい時間になるから往時は栄えたのかもしれません。


 道の駅から10分西国古道の赤線がある橋が見えてきました。


 橋を渡って突き当たったところに熊野古道の道しるべがはっきりありました。地図を見ると道祖神の前を通る道はかなり高いところを行く山道もあって見るからに遠回り、西国の道が近道を行きたいのは賛同できます。


 藤原定家はぼくが避けた山道を苦労して登って滝尻に向かった。


 定家の歌碑。


 舗装道ではあるけれど対岸の国道とは違って古道の雰囲気を味わえる。


 橋を渡って15分、直角に左に折れる。


 鮎川新橋の手前の支流にかかる小さな橋、


 西国の地図では橋を渡らずそのまま真っ直ぐ県道だけれど


 熊野古道は橋を渡って国道へ行く、せっかくなので今度は熊野古道を行くことにします。こちらは遠回りにはなっていないようだし。


 鮎川新橋は大きな橋、


 橋を渡るとはっきり道しるべ、こちら側に王子があるから確かに熊野古道だけれど、でも全ての熊野詣での人が全ての王子を巡ったとはいえないようで、滝尻からの古道は何種類かあるようです。


 鮎川新橋を渡るとすぐ鮎川王子です。王子があるから熊野古道は橋を渡る。


 王子の横に絵地図がありました。黒点線は熊野詣の道とあります。よく見れば何種類もの道が錯綜しています、そしてそれら全てが全ての王子の前を通るとは限らない。とすれば滝尻王子の手前の崖の道は古道のメインルートであったとは限らない、むしろそうでなかった可能性の方が高いような気がしています。


 一ノ瀬王子は右折する遠回りになるので回避します。あくまで西国巡りなので。


 見たところ相当な山道を行くようです。


 一ノ瀬王子から下りてきた道と合流、5分で来ましたが、王子に行っていれば1時間近くかかったでしょう。


 王子はこの山の遙か向こうにあったはず。


 ここから南は上富田町。


 9時22分、歩き始めて2時間15分、コンビニでアイスを買って一息入れます。ちょうど1枚目の地図が終わるところでもあります。


 コンビニの裏で15分ほど休んで、9時37分に出発です。


 トンネルの手前で斜め左、稲葉根王子に向かいます。


 西国の地図では稲葉根王子のすぐ先で右へはいる。


 この先でいろいろ探したけれど西国の地図のような道は見あたりませんでした。


 仕方ないので王子まで戻ってきて




 トンネルの方に向かうことにしました。


 20分も稲葉根王子の周辺を彷徨ってしまいました。西国の地図では確かにこの左の方から山を越えるように赤線があるけれど、本当はこの右の方から入っていくようです。その道は確認できなかったけれど、間違いないと思います。すごく疲れたので山越えの道は行かずトンネルに入ります。


 トンネルを抜けるとすぐ大きな交差点、右折して県道を行きます。


 たぶん、山越えの道が合流してくるところ。稲葉根王子を通らず、この山越えよりもっと北側を行く古道もあるようです。


 新しいタイプの道しるべ、


 トンネルを抜けて10分、県道の左の脇道に入ります。


 脇道を7分行くと岡小学校の横で斜め左へ橋を渡る。山が近づいてくる、あそこにもトンネルがあって古道は山越えになることは承知している。


 本日最初の矢印発見、あんまり必要ないところだけれど、初めて歩く道だけにちょっとほっとできる感覚もあります。


 県道に合流するすぐ手前です。


 西行法師が 待ちきつる八上の桜さきにけり荒くおろすな三栖の山風 と詠んで社殿に書き付けた、そうです。


 滝尻王子からここまで5時間20分と書いてありますが、ぼくは山越えの道を二つ回避したせいもあって3時間ほどで来ました。この地図でもやはり稲葉根王子からトンネルの右の方へ行って山を越えるように赤線があります。


 この地図を見たときは真剣に見ていなかったのですが、この先でもぼくの持っている西国の赤線と熊野古道の赤線がずれている箇所がありました。


 とりあえず県道に合流していきます。


 合流していくらも歩かない内にまた反対側の脇道に入ります。


 この脇道はノーマークだったのでちょっとしたとまどいがあります。


 トンネルの手前で県道に合流、横断して向こうの道が山越えの道です。


 古道が通行できなくなって次の王子へも行けないともう一つの看板にありました。でも迂回する道もありそうなのでとりあえず峠を目指して登っていくことにします。


 古道ではないはずだけれどいい感じの山道、この時点では向こう側にちゃんと出られるのか何の確証もなく登っています。


 まだ不安の方が大きい状態。


 高いところに出て眺望が開けたけれど、どのあたりの風景か皆目分からない。


 看板のところから16分で無事古道に合流できました。そんなに大きな遠回りでもありませんでした。でも通行不能なら迂回路にもそれなりの道しるべが欲しい、こういうところが四国と比べてまだまだという感じです。


 かなり古い道しるべ、当然のこと世界遺産登録前のものと思われます。


 こちらは登録以降でしょうか。


 八上王子から1.2kmですが、迂回したし登りもあって24分かかっています。


 落ち葉の降り積もったそのままの古道。


 この先にニュータウン城山台ができて、そのために古道が一旦分断されています。この道はぼくの地図には書かれていません。
 向こうの登り口に道しるべが見えます。


 現代の切り通しの向こう側に登っていきます。


 3分ほどでまた舗装道を横断、向こうの山道に入ると三栖王子に行けるとはっきりした道しるべもあったのですが、ぼくは左折して舗装道を進みました。この時点で熊野古道とぼくの地図につけた西国の赤線がかなりずれてしまっていることは分かっていたので、このまま熊野古道でいいのかと、どこを歩いているのか全く分からなくなってしまったのです。
 舗装道をしばらく行くと大きな交差点があってコンビニもありました。コンビニから出てきた二人のビジネスマンに地図を見せてここがどこか教えてもらいました。交差点を右折すればそのまま三栖王子から出てきた道に合流することが分かりました、一番の近道を歩いてきたことになります。


 コンビニから1300mで熊野橋、三栖王子からの道(西国の赤線も)県道35号と合流。西国の赤線はそのまま県道を行くけれど、熊野古道は南側の道、県道207号へと分かれていきます。西国の赤線は一番肝心の中辺路、大辺路の分岐点を通らないし近道でもないので、迷わず熊野古道を行きます。
 熊野橋の分岐点から800mで写真のグルメシティ、そばに四阿もあったので昼食休憩をとります。11時29分です。


 18分休んで出発、5分歩いたところで道しるべがありますが秋津王子は目指す道分け石の真反対の方角なのでもちろん無視していきます。全部の王子の前を通る道はかなりの遠回りになるはずです。


 秋津王子に行かないこちらの道も熊野古道、


 グルメシティから20分、出立王子も明後日の方角、ぼくは紀伊田辺駅へ向かいます。


 踏切を渡る


 紀伊田辺駅のプラットホームが見えます。


 目指す道分け石の矢印


 ちょっとややこしい交差点なのでこの矢印はありがたい。


 ラストの直線に入りました。


 12時20分、グルメシティから33分でようやく道分け石と対面、中辺路の終点です。つくずく長かった~。


 左くまの道、正面には右きみい寺


 下に小さく すくハ大へち 、つまり真っ直ぐ行くと大辺路、大辺路を行く人はそれだけ少なかったということかもしれません。


 こちら側には安政四年(1857年)に建てられたと刻まれています。あとで分かったのですがこの先も突き当たりになっていてそこにも道分け石があったのですが気づかないまま行き過ぎてしまいました。


 道分け石から20mほど来たところにありました。名物辻の餅です。江戸時代の旅人のようにここでお餅を頂くことは旅に出る前から決めていました。


 包み紙に書いてある名物を食べるべきでしょうが、ぼくはやっぱりヨモギ餅、カウンターの前に腰掛けがあったのでそこでいただきました。できたてでものすごくきめが細かく柔らかい、おそらくぼくが食べたお餅の中で一番柔らかいといってもいいくらい。この97円は十分お値打ちの一品。


 江戸時代は西国巡礼でにぎわったと想像させる街道の雰囲気


 ちょっと意外な幟です、部分追加なんてあるのでしょうか。


 二つ目の道分け石を左折して50m先を右折、200m進むと旧会津橋です。


 川を渡ってすぐのところにある浄恩寺が備中屋長左衛門の菩提寺のようです。


 お寺の前で県道210号に合流。


 合流したところ、歩道も広くて歩きやすそう。


 この地図によれば、ぼくが歩いてきた道分け石の前の道は熊野古道ではない、西国古道の赤線もおおむねこのオレンジの線と重なっています。でも江戸時代の巡礼の多くは西国巡りが主眼であって全ての王子の前を通ることにさほど執着していなかったかもしれないし、町の中の宿が多い道を歩くことが主流になっていったのかもしれません。


 浄恩寺から5分、ちょっとだけ県道を離れると潮垢離浜ですが、もちろんそのまま県道を行きます。今日はすでに5時間以上歩いています。


 天神崎は4.5kmも離れているのでもちろん無視。


 浄恩寺から1kmで県道は国道42号に合流、さらに1kmちょっと芳養駅の少し手前で脇道に入ります。


 脇道は700mほど、国道に合流するとすぐこの新松井橋を渡ります。写真にも警察車両が写っていますが、この後も何台もサイレンを鳴らしながら行き過ぎていきました。何ごとかと思ったのですがこの先にある病院の出口で大きなヴァンが横倒しになっていました。


 向こう側の見えている短いトンネルですが、脇道もあるのでそちらを行くことにします。


 南部町に入るのですが、このすぐ手前で交通事故の検証が行われていて、そちらに気をとられて、この10mほど手前から入るはずの脇道に入らないまま国道を歩いてしまいました。国道は300mくらい遠回りになります。


 遅ればせながら国道から脇道に入ったところ。


 三鍋王子と書いてみなべおうじ、国道のすぐ脇を通る脇道。


 南高梅の語源となった県立南部高等学校、超きれいです。


 体育館への渡り廊下まで


 JR南部駅が右手に見えました。14時18分、今からすればこの近くで宿をとるのが良かったかなと思うけれど、なにぶん歩いてみないことには何も分からない。


 久々の矢印、南部駅の前から900m、国道に合流するちょっと手前です。この先に自販機があって休む気はなかったのに思わずポカリを買って腰をおろしてしまいました。辻の餅から2時間歩きづめだから無理もありません。


 国道に合流して300mで南部大橋を渡ります。


 三鍋王子はルートを少しはずれているので行きません。千里王子に向かうのですがこの2.9kmがただものではなかった。


 橋を渡りきったところ、丁寧な道しるべ、でもこれが最後まで続かないんですよね。


 国道を離れて左の道へ、これは西国の地図の赤線通り。


 感じとしてはそれらしい道。


 前方の木立の中を抜けていくようだ。


 木立を抜けて突き当たりに矢印が、でも赤線は全く方向が反対、迷ったあげく赤線を信じて右折して、それらしい山道に入ったけれど行き止まりになっていました。つまり赤線の道は駄目だからこの矢印があったという訳、う~ん、この舗装道は明らかに最近作れた大きな直線の道で熊野古道とも西国古道とも全く関係がないけれど、本来の古道山道が途中で歩けなくなったので、近道としてはこれがいいと西国古道ウォーキングサポートが判断して矢印もつけたというところでしょうか。


 右折して間違って入っていった山道の入口です。一旦戻ってもう一つ向こうにもあるか探しに行った、ウォーキングサポートでなくて全く逆になってしまっている。間違った道の赤線は速やかに削除して貰いたいもの。


 ぶつぶつ文句を言いながら矢印に従って歩く。


 地図がなければ却ってスムースに歩けていたのが、また口惜しい。


 ちゃんと海岸に出ることができました。地図にはこの浜を800mほど行くと千里王子に着くと書いてありますが、そんな長い距離浜辺を歩くのはいやだったので回避して上の道を行くことにしたのですが、そこでもあてが全くないこともあってずいぶん迷ってしまいました。軽トラを止めて道を尋ねたら、このあたりで迷う古道歩きの旅人が少なからずいるようでした。ややこしいから国道に出たらとすすめられましたが、時間の余裕も少しあったので千里王子だけは押さえておこうと再チャレンジ。


 17分ほど歩いてようやくそれらしい道しるべを発見しました。


 浜辺に出てから18分で千里王子に到着です。浜辺を時速4kmで歩いていたら10分ほどで来たはずだから、8分の遠回り。でもその何倍も右往左往した感じがしています。
 南部大橋を渡ったところからだと63分かかっています。30分は遠回りしてしまったことになります。


 これで一安心したのですが、本当の試練はこれからでした。
千里王子からは北西の方に国道に向けて赤線が延びています、それは西国も熊野古道のガイドブックも同じ、でもその入口が見つかりませんでした。浜にでてもう少し西に行けばあったのですが、地図では千里王子からすぐ上に上がるように見えたので浜をさらに西に行くことは考えられなかった。またも、関係のない道を右往左往して結局下りてきた道を引き返すしかないと諦めました。この道で国道に上がると北東の方角に向かうので、1.5kmは遠回りになることは地図を見ても明らか、でも道がそれしかないのだから仕方ありません。


 千里王子から24分かかってようやく国道にはいずり出てきました。出てくるまで本当に宿に着けるのだろうか、自信がなくなるくらいでした。


 国道に出てから24分で岩代駅の前まで来ました。ここまで来ればもう宿は目の前、


 岩代駅が見えます、大きな看板は 「日本一 紀州梅干の里」


 駅前から2分で本日の宿岩代荘が見えました。


 16時38分、岩代荘に到着。なんとか迷惑をかけずに済みました。本当ならもっと早く着いてゆっくりするはずだった。もし西国の地図も熊野古道のガイドブックも無視して南部大橋からずっと国道を歩いていたとしたら15時25分に着いていました。ここまでも多くの王子を無視してきたし、この地域では歩けなくなっている古道も多いから国道でもよかったのではないかと今になっては思います。もし西国巡りで南から来る人がいるとすれば、やはり千里王子には行かない方がいいと薦めるかもしれません。


 えびに隠れていますが鯛の刺身もあって4種盛です。


 少し遅れて鍋が出てきます。


 さらに遅れて熱々の天ぷらも、右上のちょっと茶色の丸いのは梅干しの天ぷら、これが最高に美味かった、さすが日本一の梅干しの里、
 2食付きで7500円です。四国の宿で一番夕食が豪華だったのは砥部町のたちばな旅館、それと比べても全くひけをとらない、値段は同じ。風呂もトイレも部屋も全く問題ないし、女将さんの応対もやさしくて気持ちいい。四国の全ての宿と比較しても楽にベストテンに入る宿、もちろん今回の旅の中では最高でした。

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