岩代荘の朝食は7時から、夕食の時間は食堂が営業しているので部屋食ですが、朝食は食堂に下りていきます。古道歩きの人はごくたまにいるようですが、南部からも少し離れていて宿泊者はあまりいないようすで、収入のほとんどは食堂みたいです。
食堂に街道てくてく旅、森上亜希子さんのポスターが貼ってありました。日付を見ると6年前、その時は熊野古道を歩く気なんてさらさら無かったから録画はしなかった、本当に残念です。
入口の横にはちちんぷいぷい河田アナウンサーのサインもありました。日付はNHKの翌年ですが、10年の秋には二人(NHKとMBS)は中辺路か伊勢路ですれ違っています。
7時20分出発です。岩代荘のすぐ向かいにはせいりき民宿があります。喫茶軽食の方はこの時間でも営業中でしたが、民宿の方はやってるのかいないのか微妙な感じでした。
歩き始めて11分、印南町に入るすぐ手前で脇道に入ります。このちょっと手前で前を歩く大きな荷物を担いだ白装束の人が見えました。3日前の朝那智駅でバスを待っていたとき前を行きすぎていった人に違いありません。とすればあれだけ大きな荷物でぼくと全く同じペースで歩いている、なんだか狐につままれたような感じです。なによりあれ以来一度も会っていないことが不思議です。彼は脇道に入らずそのまま国道を歩いていきます。
1kmほど歩いたところで国道から上がってくる道があったので少し待ったのですがそのまま国道を歩いていったようです。この丁字路右折して山の方に上がっていきます。
NPOの道しるべ
一瞬迷うけれど、地図に分岐を左と前もってチェックしていた。
岩代王子は飛ばしてきたから距離表示は参考になりません。
8寺05分、宿から45分で中山王子に到着です、道しるべがいっぱいあったのでスムースに歩けました。昨日とは大違い。
中山王子の前が峠になっているようです、峠といっても大した登りではありませんでした、時速は5km以上出ていたと思います。
中山王子は神社となって現役です。
下界を眺めればそこそこ高いところまで来ていました。
下りは何種類かの道があるのですが、とりあえず矢印に従います。
光明寺の横の道、右はJR。
JRの下をくぐります。このトンネルは切目駅の北側、西国の地図の赤線は南側をくぐることになっていますが、矢印に従うとこちらになりました。熊野古道のガイドブックではこちらに赤線があります。
切目駅から16分、コンビニがあったので昼食を調達、いつものコンビチョコと芋けんぴに加えて菓子パンも一つ。
コンビニから4分、斑鳩王子ですが、この上には寄りません。
斑鳩王子から15分、印南港の前を通り抜けます。印南の町の中心は500mほど北に入ったところにあります。
これは意外、土佐でも薩摩でもなかった。
突然王子が現れる、でも先を急ぎます。
切目駅から1時間、御坊市に入ります。
御坊市に入って300mで脇道に入ります。
9分で国道に合流、
国道を1分歩くとまた脇道が待っています。
津井王子の次は上野王子
御坊市に入って22分、上野王子には立派な石碑がありました。新しく見えるけれど47年前に立てられたもの。
この脇道は25分で国道に合流、
国道を300m行くと左折、脇道への矢印、西国の地図ではこの脇道には赤線はないのですが、せっかくなので矢印に従います。
脇道に入って400m、自販機の横にベンチがあったので最初の休憩をとります。10時08分、中山王子とコンビニで小休止があったからちょうどいい時間です。ごく細かくてまばらな雨が落ちてきました。まだ傘をさすほどではありませんが午後からは本降りの予報です。4日目、八鬼山以来の雨です。
15分ほど休んで出発、脇道は800m、国道に入って2km弱、上祓井戸のバス停すぐ前から今度は右側に脇道があります。地図を見るとこの手前にも脇道があったのですが、赤線がなかったので入りませんでした。
脇道に入ったところ、
かなり年季の入った道しるべ、世界遺産登録の前でも古道を歩く人はいたということでしょう。
脇道は途中50mほど国道に合流、また分かれて18分ほど来たところで川を渡る。こういう分かりやすいポイントがあると地図でどこまで来ているか確認できて安心、でもこの先に難しいポイントがあります。
橋を渡るとすぐ美人王子=塩屋王子です。
塩屋王子から300mほど先を右折して円満寺の横を通る道が本当なのですが、全く気づかないまま行き過ぎて結局遠回りの道で本来の道に合流していきます。
本来の赤線の道(新しくできた舗装道になっていますが)に合流して300mで左折します。赤線とは別の道に矢印があります、こちらの道がちょっと近道ですがこの矢印を見る人はすでに塩屋王子の前を通ってきたからあまり意味がないような。
左折すると坂道になっています、古道という雰囲気はありません。
塩屋王子から3km弱来たところ、これは北から来た人が見る矢印、ぼくは進行方向とは逆を向いて撮影しています。
この300mほど手前。極楽寺のすぐ側でほとんどの人がはずす箇所がありました。斜め左後ろに入る道ではっきりした道しるべもないからほとんどの人が真っ直ぐ進んでしまうはずです。
御坊大橋の300mほど手前、岩内王子(焼芝王子)です。世界遺産登録後、4年前の新しい高札。
野口新橋の800mほど手前、この矢印は北へ向かう人にもうれしい矢印。
熊野古道のガイドブックでは野口新橋に赤線がありますが、西国の地図では野口橋なので500m先の野口橋を渡ります。
野口橋を渡って1kmほどでJRの踏切を渡ります、このすぐ右が道成寺駅です。
道成寺の参道です。
12時21分、宿から5時間で道成寺に到着です。
道成寺ではトイレを借りて山門の横にあったベンチで昼食、時間が全然ないような気がして、本堂でお参りもせず17分で山門の下まで下りてきました。傘をさしている人はいませんが細かい雨が降っています。西国の赤線は石段のしたから西(右)へ向かうのですが1本南の筋まで下りて遠回りをしてしまいました。
道成寺から35分、ごく新しい道しるべ。この少し手前でまた道をはずしてしまいました。ここぞというところに確実に道しるべがあるとはかぎらない。でも四国と違って西国歩きの人も熊野古道歩きの人も数がきわめて少ないから、それだけの人のために確実に多くの道しるべや矢印を設置するのが困難なのも理解できます。
道成寺から5km、県道23号と県道176号の分岐。23号の方に熊野古道高家王子の矢印があるからそちらへ行きたくなるけれど西国の赤線は176号です。
176号に入って2km、こんどは内ノ畑王子の矢印、これも赤線をはずれることになるので無視します。
さらに300m来たところでこの県道最初の脇道です。
さらに1kmほど来たところが馬留王子、こちらは赤線の道沿い。
日高町指定文化財の高札。
馬留王子から2.8km、沓掛王子です。西国の地図では脇道は一つか二つのはずだけど、それ以上の短い脇道がいくつもありました。矢印があったので従って全部脇道を歩きました。
ここから山道に入っていきますが、少し手前に大型バスが停まっていました。熊野古道紀伊路2回目、とフロントグラスにありました。山越えの古道だけ歩くツアーのようです。
沓掛王子から32分で小峠まで来ました。距離は1.9kmなので時速は3.7km。山道としては大分楽な感じでした。傘をさしているので杖は使えないのですが全く必要ないくらいの緩やかな坂でした。足場も安定していて一番好きなタイプの山道です。
小峠から9分で大峠に到着、時速はちょっと遅くて3.4kmですがやはり大変という感じはなくてあっけないと言ってもいいくらいでした。途中で古道歩きのツアーの人たちとすれ違いました。その数20名ほど、レインスーツを着けているのでこの坂でも相当大変なようでした。でもぼくはここまで35km以上は歩いているからそれに比べれば楽なもんでしょう。
地図を見ると高家王子と内ノ畑王子に立ち寄る本来の古道はそんなに大きな遠回りになっていませんでした。余裕があればそちらを行くのがいいかもしれません。でもちゃんと道しるべがあるかどうか分からないからあまりすすめられない。
大峠は、鹿ヶ瀬峠ともいうようです。標高は354m、昔は茶屋もあったそうです。
熊野路の難所の一つであった、と書いてありますが、中辺路、伊勢路の山越えに比べればやさしいという感じがしてなりませんが。
大峠からはほとんど幅の広い舗装道で下ってきました、傾斜もそれなりでひざに負担のかかるところも大分ありました。途中で小学生と引率の大人の人たちと何人も出会いました。大人の人に訊いたら沓掛王子の手前から歩いてきたそうで出発地点はそれぞれちょっとずつ違うということでした。そういえば今日は土曜日なのでした。
15時56分、大峠から36分で広川を渡ります。この少し前で坂道が終了しました。そこに何台もタクシーやバスが小学生たちが下ってくるのを待っていました、すでに下りきった人たちもたむろしていました。
橋を渡りきると県道に合流しますが、昔の細い県道に赤線があったのに遠回りの新しい道の方を歩いてしまいました。湯浅方面はこの左後ろ方向、北から来た古道歩きの人がこの道しるべを見ると分かりやすいけれど、西国歩きの人が南から来ると新しい道と古い道のどちらを行くべきか道しるべはありません。
橋を渡ってから38分、雨が降っているのでなかなか写真を撮る気が起こりません。ここは湯浅の町にはいる少し手前、16時35分、宿を出てから9時間以上になるし道成寺からずっと雨で相当歩くのが嫌になっているところ。
16時45分、JRの下をくぐります。雨が降っていて傘を片手の撮影でブレブレです。シャッター切ることが大儀になっています。
16時52分、湯浅駅に到着しました。最後の宿一二三旅館は、駅の真ん前です。玄関から撮影しています。本当なら線路の下を抜けて2分とかからなかったのですが、アイタウンページで調べた宿の位置がちょっと違っていたので駅の周辺をうろうろしてしまいました。
一二三旅館も岩代荘と同様、食堂が営業のメインで宿泊客はまたぼく一人でした。でも女将さんと話していると北からの熊野古道歩きの人はたまに泊まるようです。宿は結構古い作りで廊下側の壁は全部障子で隣との仕切りは襖、江戸、明治の宿に近い感じで、風呂もトイレも洗面もかなり前時代的で女性にはあまりすすめられません。でも隣の宿泊もなくてぼくにとっては全く問題ないという感じではありました。女将さんの感じがよくてそれだけで十分という感じでもあります。夕食もハンバーグが出てかなりうれしい。ネットでは2食付き6500円だったのですが、それは税抜き価格で7020円でした。駅のちょっと手前にもう一つ宿があったのですがそちらは料亭という感じで値段も高そうだったのでもう1回来るとしてもこちらに泊まることになりそうです。