熊野市は地図で見たところそこそこ大きな町だと思っていたのですが、駅前には店がありません。二木島駅でいっしょに待っていた女性は熊野市で働いていたというので、食料が買える店や食堂があるか尋ねてみたのですが、ちょっと離れたところにローソンがあるだけだと言ったので、予定通りイオンで買うことにしました。イオンまでは橋を渡ってJRを越えて700mです。イオンから宿までまた500m戻って紀南荘に到着したのは17時01分、この宿も風呂が少しぬるめで温度調節ができないタイプ、でも昨日よりは少しだけ高かったので、まだ我慢できました。素泊まりで5000円、四国よりは高めですが十分納得できます。
5日目は宿を5時55分に出発、宿を出てすぐの右手の大きな建物が熊野市役所です。でも駅周辺には大きな建物はこれだけでこぢんまりした町という感じ。
熊野古道は駅の南300mを走っています。本当はここの左から歩いてきて右折して手前の駅前へ歩くはずだった。
熊野古道は先の交差点を左折して浜に出ます。
七里御浜の北の端に出てきました。砂浜ではなく砂利、小石の浜でかなり歩きにくい。
太平洋の日の出
ネットの地図では4kmほど浜を歩くように書いてあったのですが、全然スピードが出ないし余分に体力を使うので100mほど歩いて早々に国道に上がってきました。
江戸や明治の頃でも海岸、浜だけが巡礼の歩く道ではなくちゃんと街道もあったはずです。室戸岬にむかうゴロゴロ海岸とは違って、こちらにはそれなりの平野部もあります。
昨日までの距離表示はぼくがネットで調べた距離とほぼ同じだったのですが、これはずいぶん違っています、今日はまだ1kmちょっとしか歩いていないから、伊勢まで140kmというのがネット地図での表示。
国道の海岸線側には延々と防風林が続いています。調べてみると、一部地形の関係でない区間もありますが新宮までの20km以上に渡って続いています。でもマツクイムシの被害もあり保全復元の活動が今なお続けられているそうです。
こちらのコンビニは必要がなかったので調べなかったのですが、これだけ交通量が多いとさすがにつぶれることはないみたいです。
歩、歩道がない。右側には脇道があるのですが、
御浜町の標識を撮るためにあえてこちらを歩きました。時刻は7時10分、6kmは歩いています。
海が見えるとカメラを向けたくなります。志原川の河口です。
こちらのサークルKも健在、用事はないけれど。
600m先のローソンも健在、これだけあると歩きの旅人にとってトイレの心配がなくなって安心して歩けます。
紀伊市木駅のちょっと先、本日最初の脇道です。
脇道も国道も浜街道。
昔の街道の雰囲気を残す道、散歩していた地元の女性としばらく立ち話しました。
脇道から国道を見た風景、
先の脇道が国道に合流して1500m、本日二つ目の脇道の入口です。
その入口に休憩所があったので、最初の休憩をとります。もう2時間歩いているから10km以上は来ています。
15分休んで歩き始めるとすぐ阿田和駅前です。駅名の看板が見えませんが、庇の奥にちゃんとあります。
前の脇道とは違って1km以上町の中を歩きます。車が少ないので快適です。
今回の旅で初めて津波避難タワーを発見、高知では至るところで見かけるようになったけれど、今まで歩いてきたところはすぐ裏に山があるところが多かったから地形の違いによるものと思われる。
まもなくひとけた、でも10km飛ばしたからね
ぼくの計算では内宮から実際に歩いた距離は146kmになります。
二つ目の脇道を20分歩いて国道に合流します。
国道に合流して12分、こちらのサークルKも健在です。
三つ目の脇道に入ります、150m先で御浜町から紀宝町に入ります。
脇道の入口はこんな感じ。
三つ目の脇道を1500m進むと、こんどは右折です。国道はこの2kmほど先で大きく右折、それを斜めに行く近道が古道になっています。でもここに古道の矢印や道しるべはなく、見松寺への道標しかありませんでした。それで近くに人が集まっていたので尋ねたら、これが古道のようでした。
右折すると間もなく踏切を渡る、ここまでは問題はなかった。
でもその後は新興住宅街ができていて、古道はかなりつぶされているようでした。この二またを右に登っていくのが正解でしたが、ぼくは左に行ってしまって向こう側で合流することになってしまいました。絶対こういうところには矢印がなければならないのにありません。やさしくないと腹立たしい思いをしたのも確かです。
間違った道から紀伊井田駅を眺めたところ。
新興住宅街への急坂を上がっていく、右が見松寺、左が横手地蔵。あとで分かったことですが横手地蔵は熊野古道の前にあるので横手地蔵の道しるべにしたがって歩けばよい。でもこの時点ではそんなことは分からないから、半信半疑で歩いている。古道の矢印がないと確信を持って歩けない、本当に不親切、あの看板の角に矢印を一つ貼り付けるだけでいいことなのに。
古道の道しるべが出てきたので一安心、でもここまでは違った道を歩いていたようです。
横手地蔵が熊野古道沿いにあるのか分からないから、それを目指していいものか半信半疑、でも下に熊野古道と書いてあるから信用してもよかった、でもそのことには気づかないままでした。
住宅街から少し高いところへ行く。
この二また、実は右のところにさっきと同じような道しるべが立っていました。でも横手地蔵を信用していいものか、迷ったあげく左へ下りてしまいました。
下りてきたところは再び住宅街、右に蜜柑の販売所があって女性がいたので尋ねてみたら、さっきのところを右に行くのが古道だということでした。確かに下に熊野古道とは書いてあるけれど、もっと誰が見ても分かりやすい道しるべにしてもらえないものか。ぼくたちは横手地蔵に行きたいのではなく速玉大社に行きたいのだ、
二またまで引き返して、本当の古道に入りました。
後方眼下にさっき道を尋ねた販売所が見えました。そして海。
はっきり熊野古道とは書いてあるから、ぼくが不注意なだけだったかもしれないけれど、四国のように小さな赤い矢印が一つあるだけで絶対誰も迷わなかったことも確か。
こういう新しい立派な案内板もいいけれど・・・
はて、こんどはどちら、こんどははずさなかったけれど、やっぱりやさしくないなぁとは思いますよね。
国道バイパスの上を越えます。
越えてすぐ右折、道しるべはやっぱりなくて自分の地図と首ったけ。
住宅街を1kmほど歩いて神内川を渡る。
橋を渡ると古道は二また、両方とも赤線があります
右折する道は新しいので
直進する細い道を選択します。
舗装されているけれどまさに古道でしょという感じ。
踏切を渡る。
また踏切を渡る。
次のこの踏切を渡らず真っ直ぐ行く。
この踏切を渡って右斜めの道へ入る。
国道が見えました。
手前の道を右に折れて国道へ、
国道に出るとすぐJRの鉄橋をくぐる。向こうの景色は新宮、和歌山県。
郵便局があったので予定通りお金をおろします。熊野大橋の100m手前、時刻は10時23分、最初の距離表示が新宮まで22km、そこから3時間45分歩いたから時速はちょうど6kmくらいのようです。
いよいよ熊野川を渡る。
熊野大橋には歩道スペースがありますが片側だけで自転車も通ります。
でも右側を見ると歩道橋がありました、でもその歩道橋も自転車通行可能、でも向こう側の下り口は階段だったから滅多に自転車は通らないでしょう。
橋の中央で新宮市、和歌山県に入ります。
渡り終えるとすぐ世界遺産熊野速玉大社は右の大きな交通標識。
世界遺産登録後につくられたもの、熊野比丘尼については全く知りませんでした。
10時35分、橋を渡りきってから4分で熊野速玉大社に到着です。
熊野速玉大社参詣曼荼羅、世界遺産登録を記念して作られたものだそうです。聖地なので境内ではこの写真しか撮れませんでした。ベンチも休憩所もなく、昼食を摂ることもできませんでした。外国の人も数人見えました、でもさすがに中国語は聞かれませんでした。那智山まで古道を歩く外国の人でも、御朱印を頂く人は少ないから速玉大社まで来る人はごくわずかだという感じです。
お参りを終えて鳥居のところに戻ってきたのは10時54分、境内には18分いたことになります。鳥居を出てすぐ左にバス停があったので昼食休憩をとります。ここまで1度しか休まなかったのでちょっと長めの26分。
速玉大社から古道は海岸に向かって熊野川と平行に進む。浜に出たところに浜王子があり、そこから浜辺を歩く。でもぼくはそれを無視して近道の国道を行くことにしました。なにしろ那智山まで42kmほどあって納経の時間に間に合うかもよく分からない。速玉大社から13分ほど来たところに、四国でもないのにお大師さんがおられました。
速玉大社から3km、コンビニがあったのでアイスで一息入れます。
コンビニのすぐ先で、海岸線を走る県道が合流してきます。本来の古道はもう少し先三輪崎駅の近くで合流してきますが、浜を歩くのがしんどいという人はこの道を歩いてくるはずです。
コンビニから2kmほど先で国道を離れて左折、三輪崎駅左の交通標識が見えます。
すぐ踏切を渡ります。
三輪崎駅です。この手前で間違った道(右折するところを直進)を行って大分遠回りをしてしまいました。地図のページのちょうど切れ目で赤線も間違って付けていました。
三輪崎駅から7分、国道に合流したところ。
国道に入って17分、佐野王子跡です。
近くに王子橋というバス停もあります。
本来のルートは、本宮からは熊野川を下って速玉大社へ、速玉大社からこの道で那智大社へ、そして中世までは帰路も那智大社からこの道で速玉大社へ向かったそうです。つまり那智山から本宮までの大雲取越え、小雲取越えは歩かれなかった。
山が近いので古道の上に国道が重なっているところが多いようです。ここまで脇道を歩いたのは1ヶ所だけ、この先もずっと国道を歩きます。
13時04分、那智勝浦町に入ります。
またローソン、4日目までの少なさと対照的。
トンネル、当然古道は別のところにあったはずですがぼくが参考にしているネット地図では紹介されていませんでした。
次のトンネルの手前には古道の道しるべが
でもネット地図にはないので歩くことはできません。おそらく遠回りになるでしょうし。
久狗子トンネル、左側には古いトンネルもありますがとにかく国道を行きます。
トンネルを抜けたところにも古道の道しるべが反対側に見えました。間違いなく歩けるようです。でも山越えだから時間はかかるはず。
歩道がありません。昔の街道はもっと細かったことでしょう。
国道から補陀洛山寺へ向かう脇道の入口が見えました。工事中で歩けるのかどうか、
何とか大丈夫のようです。
今日初めての古道の雰囲気の残る道。
ほとんど国道だったから、ついついシャッターを切る。
13時58分、国道を離れてから6分で補陀洛山寺に到着。速玉大社から2時間半ほどでした。初めの計画ではここから1km先のホテルまで歩く予定だったからこの時間はかなりいいタイムではあるけれど、1番札所の納経時間が8時から16時だと知って今日の内に登らねばなりません。最後の階段がいかほどのものかよく分からないし7km以上はあるのでそんなに余裕のある時間でもありません。
補陀洛山寺は西国零番札所と言われることもあるそうで、高石ともやさんは巡礼歌集の1番「山青く海青く」、の歌い出しで「遠い南の海の果て、極楽浄土を目指して、老いた僧侶は舟を出す、補陀洛目指し死出の旅」と、このお寺のことを書いています。そういうことでもあり、もちろんお参りして写経を納め御朱印も頂きます。33番谷汲山と4日前に頂いた外宮の間にページを開けておきました。
お参り納経に18分、休憩なしで14時17分、那智山に向けて歩き始めます。8kmあって最後の石段を考えたら納経時間にぎりぎりになるかもしれません。
補陀洛山寺から3分、最初の脇道です。
もちろん入口に道しるべがあります。
四国でも見かけないような珍しい道しるべ、
補陀洛山寺から8分、二つ目の脇道に入ります。
二つ目の脇道は300mで県道に合流、そこから800m県道を行くと3つ目の脇道へ入る道しるべがありました。
三つ目の脇道は曼陀羅の道という名前が付いています。
指に従って左折
ここはすでに中辺路でもある。
小川に沿った小道、四国の4番の手前の道を思い起こさせる。雰囲気のある道だけど納経時間が気になって楽しむまでの余裕はありません。
川の畔からちょっとした山の中に入っていきますがそんなに登ってはいません。
ここから林の中へ入っていく。
この道が鎌倉の頃からの旧参道であることは間違いないようです。
供養塔の前で直角に折れて舗装道の方へ
こうして見ると下の道から大分高いところまで来ています。
階段を下りて舗装道へ
県道と並行する参道に入るところ。この道は県道から分かれて川の北側を走る、バスの走る県道は途中から川の南側を行きます。
参道が工事中で、コの字型に迂回路ができています。
橋のつけ替え工事でした。わずか100mほどですが本来の参道を歩けないのはちょっと残念、
42分ぶりに県道に合流します。補陀洛山寺からちょうど1時間だから、あと2kmちょっと、時刻は15時18分、登りはこれからだから微妙な時間です。
合流したところがもう大門坂の入口の近くです。
ここからが本格的な登りです。この手前に駐車場があったのは車で来た人でも、ここだけは足で登って古の巡礼の雰囲気を味わいたいという人が多いためのようです。
世界遺産の碑、姫路城にもあります。高野山町石道の出発点慈尊院でも見たことがあります。
暗いので発光禁止にするとぶれぶれ、さほどに険しい山道でじっくり撮影する余裕などありません。ぷいぷいの二人が登った画も覚えているけれど、見るのと実際登るのでは大違い。雰囲気は四国別格1番大山寺の山門からの石段と似ているけれど、もっと険しくもっと長いのではと思える。というのも、ここまですでに40kmは歩いている。ほとんど平地の40kmを歩いたあとのこの山道、ばてない方がおかしい。
大門坂の途中にちょっとした平場があって中国のツアー客がたまって騒いでいます。出会う人は明らかに日本人より中国人の方が多い、こんなところでも、
石段は267段、切幡寺の333段より少ないとはとても思えない、それくらい疲れているということでしょうか、あるいは時間に追われいるからか。
登り口から19分で大門坂を登りきりました、800mほどの距離だから時速は2.4km、。ここで登りきったと安堵しましたが、全然終わりではありませんでした。
バスターミナルへ上がって少し右の方へ行くとこの階段が待っていました、この階段を登りきってまた少し右に行くとさらに同じくらいの階段があってさすがにうんざりですが、時刻は15時41分、休んでいる場合ではありません。
15時48分、ようやく熊野那智大社です、でも本殿へは見えているようにまだ石段を登る。ぼくはこの鳥居をくぐらず反対側の青岸渡寺へ向かいます。
山門までさらに石段、本堂はさらに上、納経時間ぎりぎりなのでもう何がなんだか分からないくらい余裕がなく、それでも水屋だけはちゃんと使いました。お参りは明日の朝でもいいとして、マナー違反と分かっていても先ず納経所へ急行です。続けて那智大社の御朱印所へ、こちらでもお参りは後回しです。計画の甘さを痛感、そして少し後悔。
無事御朱印を頂いてご神体の那智の滝を拝みます。見上げるところまで行く余裕はもちろんありません。バス乗り場へすぐまた長い石段を下って行きましたが、予定していた便の1本あとのバスにしか乗れませんでした。
滝の下のバス停からたくさんの白人の方が乗ってきました、境内でも半数近くが西洋人で残りの半分以上は中国の人でした。
那智山から下るバスの中から一瞬那智の滝を見上げることができました。青岸渡寺の境内から眺める姿とそれは全く異なった威容です。青岸渡寺から那智の滝の真下まで歩いて15分、そこから滝前バス停まで5分、よく調べていれば滝の下まで行って同じバスに乗れていたかもしれません。あるいは、今日は補陀洛山寺までにしておいて、明日那智山に登ってゆっくり滝を拝んで、小口に宿をとるのが良かった。そうすればこんなにバタバタすることもなかった。そうしてその翌日は小口から本宮を経て近露まで、でもそれは実際に歩いてみて初めて分かることで、地図とガイドブックとネットの情報と自分の体力から判断できるのは今回の計画しかなかったということでしょう。
ホテルは紀伊天満駅の近くですが、終点の紀伊勝浦駅までバスに乗って、駅の近くにあるまぐろ丼の店山賀で夕食です。
ざこばさんの色紙、
谷村新司さんの色紙、ほかには西川きよしヘレン夫妻のもありました。
一番人気のミックス丼です。1500円、すごくおいしかったのですが量が少なくて物足りなかった。
紀伊勝浦駅から1800m、歩いて本日の宿パルスイン勝浦に到着したのは17時31分でした。素泊まり5400円、那智の駅に一番近いので選んだのですが、値段も勝浦の宿の中では一番安い方でした。