夜明け前から大雨です、日本で一番の大雨地帯尾鷲の大雨です、テレビでレーダー画像を見ていたら、大雨洪水警報が発令されました。よりによって、尾鷲で警報、一番雨を避けたかったこの地域で警報。しかも朝一番で伊勢路の最高峰、八鬼山峠に登る。
6時10分に宿を出発、15分ほど歩いて八ノ川を渡るところ、宿を出る頃には小雨で、しばらくすると傘をたたんでもいいくらいになった。犬の散歩のおじさんも傘を持っていない。でも第二波の赤い帯が来ることは分かっています。
橋を渡って左折するとしっかりした降りになってきた。熊野古道八鬼山の大きな標識が見える。車は上れる道ではないから、歩きの人のための標識です。
八鬼山峠(頂上)4340m、約140分、と書いてあります。時速3kmで登れれば90分で行けるけれど、昨日の馬越峠でも3km出なかったから、なかなか思い通りには行かないでしょうね、しかも傘をさしているから杖は使えない。
タンクの裏の道は舗装道、キンモクセイの香りが漂ってきます。雨はすでに本降り。これからが警報の雨です。
伊勢まで104km、今日はここまで3km、
いよいよ登り口、
上と同じ場所で発光禁止で撮るとこうなります。足元は確認できますが、とにかく相当暗い、この暗さだとほとんどの女性がこの山道に入っていくのを躊躇するに違いない、それくらいの暗さです。足元が見えているのでぼくはそんなに恐ろしさは感じていません。
開けたところに出てくると十分な明るさですが、このあとはずっと真っ暗なままでした。
馬越峠の看板に石畳が整備されたのは参勤交代のためだったと書いてあったけれど、よくよく考えてみれば、この地は参勤交代のルートからは全然はずれている。やはり、伊勢から西国巡りの巡礼が爆発的に増加したのでそのために整備されたと考えるのが正しいようです。
峠まで2370mということは、登り口から1970m登ってきたことになる。37分かかっているから時速は3.19kmです。最初の部分は緩やかなところが多かったからまだこのスピード。
難所と書いてあるけれど、ここまでのこの状態はもう充分難所です、これ以上だとすると、考えても始まらないからとにかく1歩1歩前へ進むしかない。
七曲がりを過ぎて280m、この間14分できました。道しるべの倍のスピードですが時速は2.4kmです。七曲がりの写真を撮れなかったのは残念ですがフラッシュをたこうとすると時間がかかるので立ち止まっていられない。石畳がきれいに敷かれている急坂で、杖が使えないし、本当に本当に大変でした。でも立ち止まって息を整えることはまだありません。
道しるべの表示の通り10分で桜茶屋まで来ました。時速は2.04km、難所七曲がりよりスピードは出ていない。どれだけ険しいんだ。
峠まで1030mということは登り口からは3310m、80分かかっているから時速は2.25kmになります。横峰寺の最後の山道が2.6kmだからいかにきびしいかということになります。
先の道しるべから390mを16分で来ました。時速は1.46km。
八鬼山峠の手前に久木峠がありました。左へ行く道はここから下りになるから峠になる。
久木峠から8分ほど登ってくると大きな社がありました。ここが八鬼山峠かと思ったのですがどうやら違うようです。峠に休み所があるかどうか不明なので、軒下の雨の当たらないところで休憩します。
西国1番の前札所ということでしたが、この文字を読む余裕は全くなくシャッターを切るのが精一杯、登り口から104分、この時点でほとんど精根尽きたという感じです。
8寺30分をすぎてまだこの暗さ、17分休んで本当の峠に向かいます。
荒神堂から9分でやっとのこと八鬼山峠に到着しました。休憩時間を除いて登り口から114分、90分で来るなどとんでもないことでした。最初の2000mは時速3.2km、次の1000mは時速1.87km、最後の1000mは1.81kmでした。四国の山道と比べてもこれだけの急な山道が長く続くところは思い当たらない。焼山寺でも鶴林寺でも太龍寺でも横峰寺でも雲辺寺でも同じような急坂はありますが、1時間以上続くところはありません。後半の体力の消耗具合は今まで経験したことのない感じでした。
下の道しるべには2時間20分と書いてあったけど、この看板には1時間50分とあります。ぼくが歩いた時間とほぼ同じ、かなり残念な結果です。やはり雨が降っていなくて杖が使えていたらもう少しましな歩きができていたのかもしれません。下りは国道まで2時間と書いてあります。
峠が江戸道、明治道の分岐点でもあります。さっき休んだばかりなのでそのまま下ります。
37分で十五郎茶屋まで下りてきました。距離が分からないからどれくらいのスピードか分からない。濡れた石畳ですが思ったほどは滑りやすくもなく足場もしっかりして普通に下っていけます。
茶屋跡に休憩所があったので5分ほど休みました。
茶屋跡から10分ほど下ってくると、一時期大きなニュースになった落書きの林が現れました。見たところ植林されたものだからこの山の持ち主が書いたのだとしたら全く罪にも何にもならない。こちらは他人の土地の中を歩かしてもらっているのだから、どうこう言う筋合いのものでもない。
ここまで籠で来て、その後はいったいどうしたのだろうと、本当に心配になるくらい。
籠立場の手前でも結構な坂道です。
これで八鬼山越えもやっと終了、宍戸開さんが、八鬼山は自分と向き合う道だと語ったところです。ぼくは、やっぱり雨と暗闇との戦いでした。足元の石畳を見つめながらひたすら一歩前を目指すだけでした。
横を眺めると沢、とりあえず最初の山は越えて一息ついたところ。
200年前の苦しみと世界遺産が相容れないのだということは分かるけれど、それがどういうものか全く分からないから共感も反発もできず、ただこの道を歩くだけ。
いいところにトイレがありました。
今日はここまで11km、これだけの山道だったから4時間歩いてこれだけの距離、
10時16分、ようやく完全に山道を抜けました。峠から92分です。
踏切を渡って、
国道に当たります。峠から92分、まずまずのペース、下りは杖の影響があまりないからこれが本来のスピード。時刻は10時21分、この峠は1日がかりと宍戸開さんの番組では言っていたけれど、宿に泊まるのであれば、馬越峠と八鬼山峠の二つを越えるのが1日の行程でちょうどいいのかもしれません。
国道の先はてっきりこの道を行くのかと思ったら、
海岸の公園へ入っていくのが正しいような感じがして
浜辺沿いの道を行きました。これはネット地図の道とはちょっと違いますが、どちらが本当の古道だったかよく分かりません。
海水浴場があるので何軒か民宿もありました。年中やっているかは不明ですが、ぼくがネットで調べた限りではここには宿はなかったと思いますが。
海岸から国道の北へ出てきたところ。雨はほとんどあがって町内放送は警報が解除されたと伝えています。
この道標のところで
Uターンする。どうしてこんな遠回りの道になったのかよく分からない。昔はこの近くに橋があったのかもしれません。
100mほど引き返す形になったところに橋があります。八十川にかかる八十川橋です。これで三木里の集落を離れる。
三木里と賀田の間の国道の脇には3つの山道があります。その一つ目ヨコネ道の入口にやってきました、幟があるので行き過ぎてしまうことはない。
道しるべも杖もあります。
苔むした岩が何ともいえない雰囲気を醸し出す。
国道のすぐ上を歩いています。
18分でヨコネ道は終了、一旦国道に下りていきます。
次は三木峠、
しばらく国道を行く、
3分で三木峠の入口です。
今日はここまで15km、時刻は11時09分、
三木峠は標高122m、向こうの農道まで30分と書いてあります。
本日二つ目の峠へ向かいます。
ピンぼけでよく分かりませんが、これから登っていく石段が全部苔に覆われていて何ともいえない。さほどにここを通る人は少ないということなのでしょうか。峠歩き、山歩きにとっては少し物足りないから飛ばしてしまうということかもしれません。
看板には15分と書いてあったけれど、13分で三木峠に到着。11時22分、時間もちょうどいいので昼食にします。
15分休んで、8分ほど下りてきたところ、目撃情報は今年の4月、高野山にもいたから、紀伊半島は大体まんべんなく生息していると考えた方がいいみたいです。
下り口が見えてきました。
15分かかると書いてあった下りは9分で下りてきました。でも距離を見るとさほどのスピードでもありません。下りてきた舗装道は国道ではなく国道の1本上の農道、この少し手前から国道と分岐してきた。
舗装道を14分ほど進んで、こんどは羽後(はご)峠の入口です。舗装道は勾配のきついところもあって楽ではなかった。
農道はもう国道とずいぶん離れているから傾斜もきついはずだしこの先にトンネルもある。峠道はそのトンネルの上を行く。
舗装道から峠道へ
登り口からわずか6分で羽後峠に到着、標高は140m、登り口までに大分登っていたからあっというまでした。
峠から14分で舗装道に下りていきます。この部分の舗装道は切り通しになっていて、古道は完全に削られてしまっていて、こういう無理矢理の道が造られています。この側溝のような道は本当に側溝くらい細くて傾斜も急でかなり怖い。
無事舗装道へ下りていく、
切り通しの向こうの丘に登っていきます。故にこの階段も農道が造られたときに作られた新しい道。
逆光で見えにくいですが矢印には賀田駅と書いてあります。
今日はここまで19km、時刻は12時26分、平均時速は3.5km。藤井寺から焼山寺までの平均時速よりも遅い。
山道は終わったけれど、まだちょっと高いところにいます。
道しるべがいっぱいあって地図を見る必要もなく賀田の街へ下りていきます。
こちらの登り口にも幟と杖、
電柱にもでっかい道しるべ、
集落の中を抜けてやっと国道に合流。
賀田駅を過ぎて1kmほど行くと国道の脇道に入る、脇道から熊野古道へと矢印があるのは曽根坂。賀田から二木島への山越えは二つの山道があってどちらも熊野古道のようですが、ぼくが参考にしているネット地図では曽根坂の方はノーマークでした。
国道に出るとすぐ大きな標識が見えました。もう一つの山道は曽根次郎坂太郎坂(甫母峠経由)、これだけの標識が造られたということは現代ではこちらの方がメインであるということです。
階段のところにも道しるべがあります。
甫母峠まで1520m、甫母峠の標高は305mです。
時刻は12時52分、
甫母峠まで1時間、峠から二木島駅まで1時間と書いてあります。ぼくは大体8割前後で歩けるので1時間40分でいけると一応の見当をつけます。
苔むした石畳、石段、これ以上はないという古道の雰囲気。こちらの道がメインになるのも当然と言えるでしょう。
甫母峠まで600m、920mを22分で来ました。時速は2.5km、終始しっかりした登りです。
甫母峠まで60m、この540mは17分、時速2kmも出ていません。
甫母峠に到着、登り口から40分予想以上のタイムです。休憩所があったので10分ほど休みます。
道しるべが直角になっています。左へ下りていくと甫母の集落があります。集落へ行くのにはここが一番高いので峠ですが、残念なことに、二木島へはこの後まだまだ登ることになります、メンタルでも大分痛めつけられることになりました。
二木島側の登り口まで下りてきました。この看板によると、向こうまで4.2kmと書いてあるから、峠からここまで2.7kmあったということです。時間は55分かかりました。ここから二木島駅までまだちょっとあるから、向こうの看板の時間とほぼ同じ1時間かかったことになります。時速は3kmですが、すごく苦労しました。峠からしばらくは登り坂も大分あったし、足場がひどい。木の根が浮き出た道がずっと続いて、すごく歩きにくいしスピードも出ない、山道ではどんなに険しくてもしんどくても文句を言うことはなく全て受け入れるようにしているのですが、この山道だけは頭の中で愚痴ばかり言っていました。それに距離も長い、登りの倍近くあるのも想定外でひどく疲れました。
国道への急な階段を下りていくところで、思わずへたり込んでしまいました。もう歩けない、歩きたくないと、四国でも一度も思ったことのない感情で満たされます。休みながら、地図を見ながら、時間を見ながら、もうここで止めた方がいいんじゃないかと、考え始めました。距離はあと10kmほどで、14時37分。全部平地なら間違いなくこのまま行けたのですが、小さいながらまだ4つの峠越えがある、これ以上ひざに負担をかけたら駄目になってしまいそうだったし、18時は過ぎてしまいそうで、行くのなら宿に電話を入れなければならない。気持がどんどん沈んでいって、二木島から電車に乗ることにしました。
階段のところで15分ほど休みました。よくよく考えれば、今日は正味7時間半は歩いています。宿のある熊野市まではどう見てもあと3時間はかかりそうです。絶対に無理だと身体が訴えるのも道理です。四国でも1日に歩いた最高の時間は8時間半までです。平地がこれだけ少ない道のりも四国ではなくて時間が全然読めなかったのも仕方のないところでしょう。ワープすることは全く残念ではないのですが、計画の段階で那智山まで6日の計画を立てられなかったことは少し残念です。初めて四国を歩く人も同じような思いをする人が少なくないだろうなとあらためて思いました。
国道に出れば駅まではすぐだと思っていたのですが、国道はかなり高いところを走っていて急な階段をずいぶん苦労しながら落ちていきました。
国道から10分かかってようやく駅の手前の橋のところまで来ました。
今日は結局27kmしか歩けませんでした。平均時速は3.6km、藤井寺から焼山寺までの平均時速より遅い。これだけ見ても伊勢路恐るべし、ということかもしれません。
15時06分、二木島駅に到着。次の下り列車は16時18分、1時間以上ありますがいい時間です。しばらく休んでいたら地元の女性が知り合いを出迎えに来て、所在がないのでいろいろお話をすることになりました。先ず訊いたのは、この二木島に宿はありますか、今はないけれど昔はあったそうです。巡礼がさかんだった明治の頃まではそれぞれの集落に宿があったに違いない、四国のように、歩く距離の違う人がいるから5~10kmの間隔で宿が点在していたことでしょう。
この集落にも四国を巡った人がいて納経軸を見せて貰ったことがあるということでした。近頃は外国の人もよく見かけるとも話していました。外国の人は中辺路だけ、速玉大社まで歩く人がほとんどで伊勢路を歩く人はいないと思っていたので意外でした。時間や費用の余裕があって全部歩きたいと思う人がいてもそれは特別なことでも何でもない、次の駅で本当に若い白人女性が乗り込んできました。やはりいるものですね。
二木島駅~波田須駅 やり直しの旅
波田須駅から やり直しの旅