万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

グローバリストの多様性の勧めは単一化への道

2014年05月19日 15時53分27秒 | 社会
 ここ数年来、新聞の紙面等には、海外識者の見解として日本国に対する多様化の要求を目にします。日本という国は、同質性が高く、狭い世界に閉じこもっており、これではグローバル化時代には生き残れない、と…。

 多様性という言葉は、あらゆる問題を解決してくれる万能薬のような響きがありますが、この多様性の勧め、よく考えてもみますと、言葉とは真逆に、単一化への道なのではないかと思うのです。何故ならば、グローバリストは、全ての国や社会に対して、諸外国の多様な要素を受け入れるように迫っているからです。つまり、多様性を認める、とは、雑多な要素を混ぜあわせてしまうという意味であり、生物の多様性保護のように、各自の固有性を保存せよ、という意味ではありません。多彩な絵の具も、パレットの上で混ぜてしまえば黒一色となってしまうように、その行き着く先は、多様性なきモノクロームな世界なのです。あるいは、グローバリストは、その国や社会に固有なものを消し去るために、多様性という言葉で、自らの流儀を押し付けたいのかもしれません。このケースでも、やはり多様性は消えてゆきます。さらには、多様性への信仰こそが、他の考え方や批判を許さない、単一の思想であるかもしれないのです。

 これぞ時代の先端、とばかりに説かれる説を信じると、しばしば最初に示された目的地とは全く別のところに連れて行かれてしまうことがあります(共産主義もまた然り…)。多様性を目指した果てに無味乾燥とした単一な世界に至るという結果は、大いにあり得ることではないかと思うのです。

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コメント (2)
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