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107歳になってわかったこと   篠田桃紅さんの言葉より

2022-09-19 05:55:17 | 生き方


最近、時間がなくてFacebookを見ない日が増えています。
が、たまに開けてみると素敵な書き込みに出会えます。

以下は坪田 知己氏の投稿です。感動したのでシェアさせて頂きます。

107歳になってわかったこと  篠田桃紅
   篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、
   1913年3月28日 - 2021年3月1日)は、日本の美術家、
   版画家、エッセイスト。映画監督の篠田正浩は従弟。
   これは亡くなられた歳(107歳)に書かれたものである。
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   「人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落として
   しまいます。真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の
   言葉のように、求めているところにはありません。
   しかし、どこかにあります。

   雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいい
   と思っています。無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。
   用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられています
   から、兆しには気がつかないものです。

   無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。
   お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きて
   きません。安いから買っておこうというのとも違います。

   無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく
   買ってしまう行為です。なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、
   ふと、あとで思ってしまうことです。

   しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。
   私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことが
   ありました。ロを一つ見落としていたのです。
   レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思って
   います。何十年来とそのバッグを使っています。

   そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが
   私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、
   あらお互いさまね、と思いました。
 
   時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、
   1+1=2の人生です。
   無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。

   私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。
   毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。
   時間も無駄にしています。

   しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。
   最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、
   どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。

   なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかも
   しれません。つまらないものを買ってしまった。
   ああ無駄遣いをしてしまった。
   そういうときは、私は後悔しないようにしています。

   無駄はよくなる必然だと思っています。
   もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたら
   どうだろう。

   やることなすことすべてうまくいき、日の当たる場所や、
   近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。
   もしいたとすればの話だが、およそつまらない人間がそこに存在
   していることになる。人は、寄り道をしたり、道草をくったり、
   どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭うという、人生の無駄を
   経験するからこそ、人としての味や深みが出る。
 
   「人生の余白」ともいうべき、人としての遊びや余韻の魅力だ。
   「無用の用」という老子の言葉がある。
   一見すると役に立たないようなことが、実は大きな役割を果たして
   いるということ。 無駄のある人生も、時にいいものだ。
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