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養老先生、病院へ行く   養老孟司/中川恵一 共著   2021/4

2022-07-22 05:59:06 | 生き方


図書館で偶然目にしたこの本。
表紙に写っているのは美しい銀髪の老紳士二人とScotish Foldの猫。
この取り合わせでは、読まないわけにいきません。(?)

興味があったのは、
①高齢になってから購入の猫の看取り
②Heavy smoker・病院嫌いで定評がある養老先生の心筋梗塞顛末
③担当医・中川医師の「自分自身の癌への対処」

養老氏は1937年生まれなので私より11歳上。
臨床医ではなく解剖学者だそうですが、著書や言葉の数々は
私にはかなり哲学者的で鋭く感じられます。
「頭のイイ人は、こういう言い回しをするのね・・・・・」
と感心することが多々。

中川氏は1960年生まれで私より12歳下。
こちらは臨床医さんだし、かなりソフトでフツーの喋り方。
先輩であり恩師である養老氏に対する気持ち・観察眼が面白いです。

ついでに、鼎談に登場するヤマザキマリ氏は1967年生まれ。
イタリア人と結婚して、一年を半分ずつ日伊で住み分けているそうです。
年齢に関係なく、こういう人は羨ましいです。
海外の庶民生活を教えてくれる文章を読むのは楽しく勉強になります。
人生をやり直せるなら、挑戦したいけれど<ないものねだり>そのもの。

閑話休題
養老氏の言葉には、「なんで、そう感じるのぉ~?」と思う箇所が
色々ありました。その辺が哲学的考え方なのでしょうが、
私には疑問だったこと。例えば、
p.31 都市に住んでいると、すべてのものに意味があるように
   思われます。それは周囲に意味のあるものしか置かないからです。

   (中略)目につくものには、すべて意味があります。
   たまに何の役にもたたない無意味なものがあっても、
   「断捨離」とかいって片付けてしまいます。

   それを日がな一日見続けていれば、
   世界は意味で満たされていると思って当然です。

p.32 それに慣れ切ってしまうと、やがて
   意味のない存在を許せなくなってしまうのです

養老氏はそう思うかもしれませんが、私は全然!です。
都市にある我が家の中でも、無意味な「猫の鳴き声」や雑草があり、
可愛いメジロやシジュウカラ、迷惑なカラスや蚊やナメクジが居ます。

養老氏は「山に行って虫でも見ていれば、それが誤解であることが
すぐわかる」と書いています。でも、都市や家の中にも自然があるから、
私には納得がいきません。

次の第2章にも「都市と自然」という概念について中川医師から説明が。
p.71 自然は変化しますが、人工物である都市は不変です。
   夏でも冬でも同じ室温に調整された高層ビルの中に一日中いると
   季節などのうつろいゆく自然を感じることができません。
   都市は自然を排除しようとするのです。

   人工物の象徴である都市を作り上げた大脳も、自然を避けようと
   します。その最も忌避すべきものが「死」です。
   死は自然であり、大脳も自然(身体)の一部であることを教える
   からです。

   この「大脳の身体性」こそが、現代社会のタブーだと
   養老先生は言っています。
p.72 (中略)死に近づいていく「老い」もまた自然です。
   人間にとって死が避けられないように、老いもまた
   避けることができません。

中川医師によると、常々、上記のような身体感や死生観を持つ養老氏が
「ライフスパン 老いなき世界」(David A.シンクレア 2020/9)という
本を読んで、宗旨替え(?)したかのごとく
   「老い(老化)は病気だ。病気であれば治療ができる。
   だから若返りは可能である」
という意見に傾いたとのこと。

私自身は「高齢化に伴う自然な劣化=老い」であって、
治療ができる病気ではないと思っています。
身体の声を聞かずに、酷使し過ぎて病気になったら
それは自業自得の死や痛みに繋がるのだから、
自分で身体をケアする必要があるのです。

いずれにしても、「病気・老い」という言葉の定義の仕方で、
考え方や対処法が変わってくるということだと思います。

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