自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

体操指導中にたくさんの電話

2023-10-11 09:32:19 | 介護
夫の介護中でも私の仕事と勉強だけは続けられるようにと、
家族が気遣ってサポートしてくれています。
「病人が一人になる時間帯は30分以内」と決め、
介護士、看護士、家族の誰かが居てくれます。

ところが、かかりつけ医の先生や薬局からの連絡は
体操指導中でも引っ切り無しにかかってきます。
昨日は「男性だけの体操グループ」の指導で、
スマホに格納している音源でHIITの体操をしている最中に
スピーカーを通して電話の音が鳴り響き、大慌て。

生徒さんたちやグループリーダーの方は私の状況を
理解してくださっているので、遠慮なく応答させてもらい、
なんとか凌ぐことができました。

このグループには近くの地域包括支援センターから
常に連絡・指導の方々が見えていて、ボランティアで
一緒に歌ったり踊ったりする間柄。それで仲良しになり、
夫の介護に関しては、本当に迅速に色々助けていただけて
ラッキーでした。
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介護で一番大変なこと

2023-10-09 11:15:28 | 介護
モノの本によると、自宅介護の場合、一般的に病人の居室は
①家族やパッとの雰囲気を感じられる、
②居心地の良い居間
と書いてありました。

が、夫の先見の明は立派でした。
①静けさも大切。
  (=家族がテレビを観る音などがうるさく感じることが多い)

②見舞客があって嬉しいこともあるけれど、眠りたいことも多い。

③妻と体感温度が違うから、エアコンで好きな温度設定にしたい。

なので、夫の居室は玄関脇の静かな独立部屋。
そこに介護ベッドを入れ、呼び出しはコントローラーのボタンをプッシュ。
すると私のスマホがビリビリと鳴って、昼も夜も動かねばなりません。

最初の2週間は私の気が張り詰めていたし、
退院までの3週間は気ままに暮らせていたので、疲れもなし。
それより、痛みと吐き気で苦しむ夫が可哀そうで涙・・・・・

ところが、、、徐々に夜中のコールの回数が増えてくると、
眠くて朦朧としてきます。2階の寝室から階段を降りる途中、
踏み外しそうになったこともあります。

寒い時期でないのが救いですが、真冬になったらどうしよう?
と、心配になりました。
彼も「夜中に頻繁に起こすのは悪いから、もう30分我慢しよう」
などと、相当気を遣ってくれていたようですが、徐々に我慢も限界に。

「悪いね」と言ってくれるのは有難いのですが、
遠からず「夜中のケアを外注する方法を考えねば・・・・・」と
思い始めています。そのくらい、眠れないのは辛いです。

作業は「胃液を抜いて、氷を砕いて口に入れてあげる」程度でも、
30分くらいは起きています。その後、布団に戻ってもすぐには
眠れません。ちょっとトロトロしたかな?と思ったらまたコール。

でも、文句は言えません。
認知症の妻を長年献身的に介護してきたのに「浮気してんだろぉ!」
と責められて、殺してしまった高齢男性のニュースを聞いたばかり。
我が夫は、自分の苦しみに耐え、家族を巻き込まないように
必死に気遣ってくれているのですから、大感謝です。

それでも睡眠時間の減少で、辛い日々。


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大変な最中の 自転車事故

2023-10-08 07:18:52 | 介護


張り詰めた忙しさの中、買い物に追われて
宵闇の迫る中原街道を自転車で走っていたら、
あろうことか!道路の亀裂(?)にタイヤを取られて転倒。

場所は中原街道と自由通りが直角に交わる当たり。
雪谷東急ストアのメインエントランス前です。


この写真の黒っぽい部分が丁度タイヤの幅くらいにえぐれていて、
私は前から来た人をよけようとして左にハンドルを切ったら
全然切れなくて、左に転倒し、左膝を強打。右も擦りむきました。
左肘もかすり傷。
相当痛かったのですが、骨折ほどではなさそうなので
ゆっくりそっと立ち上がり、帰宅することができました。

救急車騒ぎにならなかったのは不幸中の幸いでしたが、
本当に危険な道路状態だったので後日、スーパーの責任者に
ことの顛末を文書にして渡し、善処を求めました。
(写真で黒っぽい部分は、事故の時は真っ白な砂でした。
 私の抗議のあと、東急側で溝を埋め、アスファルトで
 固めたようです。)

その1週間後に得た回答は、
  そのような重大な事故が起きた場合は(=治療費が発生する?)
   ①警察を呼び、事故証明書を書いてもらう。
   ②同時に東京都第二建設事務所03-5763-1560に電話し、
     管轄の都の担当者も呼び、
   ③両者立ち合いの下、検分

   ④傷の手当はその後なのか????

非常に腹の立つ、怪我人軽視の手順だと思いますが、
とにかく事故証明がなければ、泣き寝入りのようです。
今回は自損で、治療は必要なかったけれど、

もし、転んだ真下に赤ちゃんが歩いていたり、
お年寄りを巻き込んで骨折させたりした場合、
大変な事態になります。

自転車の賠償責任保険には入っていますが、
介護での大事な時に、自分が大腿骨骨折などで
寝たきりになる可能性があったわけで、恐ろしくなりました。

同世代の友人たちが殆ど自転車を止めてしまったのは
こういう危険を見越してのことなのね、と大いに納得。
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家族の支えと協力

2023-10-07 07:10:07 | 介護
自宅介護を始めるに当たり、有難かったのは家族の支えです。
子供たちにとって最悪の事態は、両親共倒れですから、
私が疲れ切らないように、色々手伝ってくれました。

子どもは3人とも独立しているし、車で20分とか1時間など
其々の勤めの状況も違います。が、全員が出来る範囲で
其々の持ち味を生かして、気持ちよく動いてくれたのが
素晴らしく、親として誇らしい気持ちになりました。

「子育ての成果」などというものは、「自分が死ぬときにしか
分からないもの」というのが常識です。正にその通り!

夫は元気なうちから、自分の夢や子供たちへの想いを
ことあるごとに喋っていました。そして看取りの時期がくると、
其々の子どもに伝えたいことを、時間をかけて喋り、
子供たちもそれをしっかりと受け止め、実践してくれました。

それは彼らが
「父親を尊敬し、その生き方を認めていたから」でしょう。
このことは、いくら「快適な自宅での看取り」を願っていても
一朝一夕にできることではないので、普段の心構えの大切さを
思い知らせてもらい、良い通信簿を貰ったような感じでした。



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自宅介護の実際

2023-10-06 07:23:28 | 介護
自宅での看取りに関して、かかりつけの先生は
「色々な違うことが次々と起こります。
  相当な覚悟と体力が必要ですよ。
  でも、連絡をくれれば僕が駆けつけるから
  慌てないで、一緒に協力して頑張りましょう!」
この言葉は、ずっと大きな励みになりました。

入院中、看護士さんがやってくれていたことは
高栄養点滴の管理、ただれた部分へのクリーム塗布、
シャンプー、清拭、オムツ交換、食事準備、胃液吸引など。

退院直後の1週間は、これらを全て私がやりました。
「何でも欲しいだけ食べて良い」とのことだったので、
色々試す度に、下痢を繰り返し、ミルク飲み人形のよう。

それでも自分の腹筋・背筋力で腰を上げてくれたので、
オムツ交換は割とスムーズでした。でも、下痢の始末は
要領が分からず、完璧にはできませんでした。
(後に介護士さんが「防水シートを広げてジャブジャブ洗う」
 のを見て、なるほどね、と思いました。)

次に頻繁だったのが「水を飲みたい。かき氷を食べたい。」
かき氷は「製氷機の氷をフードプロセッサーでサラサラに砕き、
スプーンで口に入れてあげます。」

ガリガリ君とか小倉アイスキャンディーが欲しいときもあり、
普段は食べる習慣がなかったコンビニのサンドイッチとか、
季節外れのスイカとか・・・・・

せっかく苦労して買ってきても、
「不味くて駄目」と言われると、かなりガッカリ。

かかりつけ医のモルヒネ投与が始まってからは便秘気味で、
オムツ交換は格段に楽になりました。

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緩和ケアの実際

2023-10-04 06:06:05 | 介護
これまでにたくさんの書物を読み、
快適な自宅での看取りとは
①余分な点滴をせず、
②本人が望むことをやれるようにサポートすると、
枯れ木のように痩せていくが、痛みは感じなくなる。

④ので、眠るように逝くことができる。

ということで、何となくそれを信じて、期待していました。
ところが、、、蓋を開けてみると、
①大腸がんと腸閉塞の同時攻撃なので、殆ど飲み食いできず。
②胃に溜まった液を抜くために、鼻から胃まで管を通して(=胃管)
  いるのが邪魔で痛くて吐き気がして、苦しい。
③がんがお腹の中で暴れているので、常にお腹も痛い。

頼みのモルヒネ効果があったのはほんの1週間でした。
すぐに飲むタイプは受け付けなくなり、
貼るタイプのモルヒネもあまり効果がなかったようです。

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主治医交代後は・・・・・

2023-10-03 05:45:14 | 介護
結局、夫は退院直後の緩和ケアは受けられず、
下痢が続き、腹痛も酷く、食事も喉を通らず、
増々痩せ細りました。

9/28に私と長男が病院に出向き、
外科主任の先生から「がん患部を取り切れませんでした。」
内科主任の先生からは、
「ここまで弱っていては、化学療法は無理そうですね。」
「後はかかりつけ医の先生にバトンタッチしましょう」とのことで
書類を受け取り、ここからがスタートでした。

翌日から殆ど毎日、かかりつけ医のY先生が往診してくださり、
介護ベッドが入り、看護士・介護士の皆さんが来てくださり、
腫れあがっていた患部への軟膏の種類が変わり、劇的に好転。

清拭やシャンプー、着替えなども私がやるよりずっと手際よく、
感心しました。何より、液体を飲むタイプのモルヒネや
お腹に貼り付けるタイプのモルヒネが少しは効果があったので、
「これを心待ちにしていたのに、なんでこんなに遅いのよ?!」と、
泣きたい思いでした。





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空白の、もったいない時間

2023-10-01 06:13:34 | 介護
大学病院は、困っている症状を取り除く治療の場所ですから、
①腸閉塞の治療として、絶飲食を続け、高カロリー輸液で
  体力回復を目指しました。

②でも、体力は落ちる一方で、向上が望めないまま
  一旦帰宅して、家で養生することに。
  (=他に手術待ちなどの患者さんがたくさん居るので)

そして、ここからが大問題で、、、、
大学病院の腫瘍内科の先生は、
「自宅療養で体力がついたら化学療法を検討しましょうね。」
「ついては、退院1週間後の9/28に予約を入れておくので、
来てください」と。

この時点では、ドクターも私も本人も
「家に帰って、美味しいモノを少しずつ食べて、
  少しずつ元気になれるだろう。」と思っていました。

でも現実は、退院翌日には自分で立ち上がれなくなり、
食事も水も殆ど受け付けず、弱る一方でした。
自分で歩けないのに、どうやって1週間後の受診に行けるの?

と、疑心暗鬼になりましたが、病院に相談すると、
「救急車を呼んで、乗せてきて貰えますよ」と。
つまり、大学病院は「あくまでも治療を行うために予約を入れ、
その検討結果が出るまでは、主治医は腫瘍内科のドクターです」
というスタンスだったのです。

私は「本人が自分で立てなくなった瞬間に」、
かかりつけ医の先生に主治医を変わっていただき、
すぐに緩和ケアに入って欲しかったのです。

ところが、包括支援センターによると、
「主治医の引継ぎがなければ、
  かかりつけ医の治療は始められない」



私は色々な書籍で緩和ケアについて学び、万全の準備をし、
上手く運べるだろうと信じていました。
でも、この障壁はクリアできず、夫は丸々1週間、
モルヒネ治療や必要な処方を受けられず、苦しみました。

大学病院の先生はマニュアル通りに動かれたのだし、
かかりつけ医の先生も、「先走っては動けないんだよね~」と。
誰も悪気はないけれど、こういうことが起こり得るということ。
切ないです。

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自宅介護の始まり

2023-09-28 09:37:02 | 介護
本格的な夫の介護が始まって1週間。
私のブログを継続して見てくださっている方は
お分かりのことと思いますが、新しい方もあるので
簡単に経緯を書いておきましょう。

私のブログは
①自力整体で膝痛を克服した私の体験をシェアし、
②高齢者が「痛みなく、元気に過ごす」ための情報を発信。

③その他に私の趣味である
 ●創作ミュージカル ●歌や踊り ●登山や旅行
 ●健康料理 ●多肉植物 ●猫関連 ●有用書籍情報
 などについて、私の忘備録・読書ノートとして活用中。

昨年までは「元気印の団塊世代夫婦」として
百名山や世界の山旅、ミュージカル活動をしてきました。
が、意外に早く夫に病魔が訪れ、介護の時期がやってきました。

悲しいことですが、遅かれ早かれ誰でも経験することなので、
驚きもせず、色々な手を考え、準備しています。
で、私の体験が同世代の皆さんに役に立つこともあろうかと、
少しずつ報告していきます。

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「こんなはずじゃなかった」  2  

2023-09-27 06:48:57 | 介護


自宅で大往生の大家・・・・・と思われた早川医師ですが、
意外に医療に縛られている様子。余分な処置を避けるには、
よっぽど堅固な意思と家族の協力(理解)が必要なことがわかります。

p.233新たに治療方針を決める度に、父はいつもこんな
   ふうだった。どこかで躊躇し足踏みをする。
   でも家族が、「一か八かやってみようよ」と促すと
   それに従ってくれた。

   ポートというカテーテルの一種を埋め込む手術の時も、
   左目の手術の時もそうだった。

   「お前らがそんなに言うなら、やってみる」
   父は決して前向きではなかった。

p.235以降、著者は父・早川氏の大往生哲学を理解していたから、
余分な延命治療は望まないだろうと思っていたのに、意外な躊躇が
あって足踏みを繰り返します。

   「早川先生は、家族に背中を押してほしいのです」と、
   主治医が言ったときに、父はどっちに押して欲しかったのか、
   分からなかった。
   
この辺の優柔不断さは、高齢故の認知症なのか?と思うほど、
判断力とか、自分の意思がないように見えます。
そして結局 
p.236 「何もしないのは、殺人のようだ」妹が言った

   「治療をすれば、もう少し長生きできるかもしれない。
    ちょこっとやってみるだけでも」

   (中略)「あかんかったら、すぐ辞めたらいいし」

これこれ!私自身はこの辺の葛藤や優柔不断に陥りたくないし、
家族にもちゃんと伝えておくつもりです。92歳にもなって
更なる延命・長生き志向は無いでしょう。

そのように決心していても、ままならないのが人生なのか?
難しい問題です。

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