浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

尼崎と芦屋へワンデートリップ

2007年09月03日 10時30分50秒 | Weblog
一昨日、1日は、夜勤明けで眠かったが、青春18切符で、母親と兵庫県へ出かけた。
マイカーで熊山駅へ行き、相生行きの列車に乗った。
その列車は、7両編成で、115系湘南色D編成と更新車K編成の組み合わせだった。
わたしたちは、K編成のほうに乗った。
相生に着くと、赤穂線から来た姫路行きの各駅停車に乗り換えた。
車内は混雑していた。
網干に着くと、橋上駅舎を通り、新快速電車に乗り換えた。
姫路行きから降りた人たちが多数駆け込んでいた。
わたしたちは、まだ人が少ない車両に乗り、座席を確保できた。
新快速電車は、英賀保、姫路、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋の各駅に止まり、尼崎に到着した。
それまで、車内で、眠ったり、目を覚ましたりを繰り返した。
尼崎に着くと、改札を出て、北側へ向かって歩いた。
そう、鉄道模型好きのわたしなら、ぜひ行ってみたいと思った場所、ホビスタへ向かったのである。
ショッピングモールの3階にあるホビスタに着くと、巨大なHOゲージのレイアウトが目に入った。
京都、大阪、神戸の特徴ある建物が再現されていた。
まだ製作途中の箇所が多数あり、その日は、製作作業が行なわれていた広島の部分も、すでに厳島神社が出来ていた。
そのレイアウトの周囲には、カフェや模型店数店舗、料金を払って車両を走らせられるNゲージレイアウトがあった。
わたしは、T・MステーションとTamTamで、買い物をして、再度、HOレイアウトを見物したあと、ホビスタをあとにした。
そして、商店街にあるうどん屋で昼食をとったあと、駅付近の喫茶店で珈琲を飲み、駅の改札の中に入った。
学研都市線のどこかで人身事故があったらしく、207系で運用されている列車のダイヤが大きく乱れていたが、新快速には影響がなかった。
下り新快速の先頭の車両に乗車した。
そして、次の停車駅である芦屋で下車した。
芦屋駅南口から道路に出て、歩道を東へ少し歩き、信号交差点で、南へ向かって歩いた。
芦屋の街の中である。
高級感あふれる一戸建て住宅やマンションなどが多かった。
道路を南へ歩き、阪神電鉄のガードの下を通り、阪神高速の下を通り、つきあたりを右に曲がって間もなく、図書館、谷崎潤一郎記念館、芦屋市立美術博物館が並んでいる場所へ到着した。
その日は、時間などの都合で、美術博物館のみ入館した。
2階建ての建物で、1階では、芦屋市内の遺跡などから発掘されたものなどを展示していた。
石造りの井戸のあとなどを丸々展示していたり、廃寺の瓦、石器や土器の破片などがあった。
2階では、生物画家、牧野四子吉の動植物の絵画が展示されていた。
図鑑や辞典などの挿絵に使われた絵である。
様々な動物などの絵がリアルに描かれていた。
他には、江戸時代の芦屋の水の供給について、資料を展示していた場所があった。
美術博物館の展示をみたあと、歩いた道を折り返した。
そして、駅に着くと、何本か列車を見送って、16時13分発の3267M新快速に乗車した。
その列車は、播州赤穂行きで、相生で、山陽本線岡山方面へ接続している。
相生に着くと、1331M普通列車に乗り換えた。
わたしたちが乗った先頭の1号車は、混雑していた。
上郡を出ると、たいてい車内は空いてくるのだが、立ち客が多数いた。
まもなく、車掌が先頭まで来て、「2両目と3両目は、多数席があいています」と案内していた。
何人か、車両を移った乗客がいた。
列車は、岡山県に入り、三石、吉永、和気の順に停車し、熊山駅に着くと、下車して、マイカーで帰宅した。
尼崎のホビスタは、また機会があったら行きたいと思う。

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