今さら先月(4月)のことを記事化してすみません。
4月18日は、わたしも母親も仕事が休みだった。
そこで、岡山県内の高梁と吉備高原方面へドライブに出かけた。
午前(時刻失念)に、マイカーで自宅を出発した。
そして、吉備中央町の吉備高原都市を走り抜け、吉備中央町内にある、道の駅かようで、休憩した。
そのあとも、高梁市に向かって、車を走らせた。
途中、ループ橋があり、その途中に、車を止めて、高梁市街地を見下ろせる場所があった。
そこに車を止めて、景色を楽しんだり、写真を撮ったりした。
また、その日は、八重桜などの花がきれいに咲いていた。
そのあとも、車を走らせ、備中松山城を目指した。
そして、ふいご峠の駐車場に車を止めると、城まで、山道を歩いた。
その途中にも、見晴らしのよい場所があった。
また、遅咲きの桜が花を咲かせていた場所もあった。
備中松山城は、天守が現存する山城の中で、もっとも高いところにあることで知られている。
店主のあるところの標高は430mだという。
備中松山城をあとにすると、通った道を引き返した。
そして、車で高梁市街地へ降りた。
国道180号線沿いにあるセルフうどん店で、遅い昼食をとり、そのあと、吉備高原へ向かって走った。
そして、吉備高原都市にあるきびプラザに休憩を兼ねて立ち寄った。
きびプラザには、岡崎嘉平太記念館があり、入館した。
館内には、岡崎嘉平太氏の書斎を復元したコーナーがあったり、肖像画や遺品が展示されていた。
岡崎氏は、明治30年(1897年)に、吉備郡大和村(現在は、加賀郡吉備中央町)で生まれたという。
大正11年(1922年)には、日本銀行に入行した。
その後、華興商業銀行を設立し、理事に就任し、大東亜省などの参事官も務めた。
それから後も、いくつかの会社の社長に就任していた。
なかでも有名なのは、全日空の全身である日本ヘリコプター輸送の社長を務めていたことである。
それに関連して、館内には、全日空の飛行機の模型がいくつか展示されていた。
岡崎嘉平太記念館をあとにすると、陶芸作品の展示室に入った。
地元の陶芸愛好者たちの作品が展示されていた。
それらの展示品を観覧したあと、飲食店で休憩をし、きびプラザをあとにした。
それから帰路についたが、その途中も、遅咲きの桜などが所々できれいに花を咲かせていた。
その日は、天候がよく、本当にドライブに良い日だったと思った。