浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

山陽新幹線を撮影

2015年11月30日 21時18分56秒 | カメラ・写真
昨日29日の昼は、岡山市東区の吉井川沿いのある場所へ行った。
吉井川を山陽新幹線の橋梁が渡っている場所に近いところにある堤防である。
山陽新幹線を撮影しに行ったのだ。
わたしが着いた頃には、何人ものファンがいた。
現地に着くと、三脚を立てて、カメラをセットした。
その場所は、吉井川の西側で、新幹線の線路より南である。
なので、下り列車を撮影する定番の場所として知られている。
現地に着いたのは、正午前後で、予定より大幅に遅れたが(模型の塗装に時間を費やしたため)、最も撮影したい列車はまだ通過していないので、撮影することにした。
走行中の新幹線の撮影は、在来線列車の撮影とは異なり、連写ではなく、1枚撮影モードで撮影した。

最初に撮影した列車は、「のぞみ103号」である。



しかし、シャッターボタンを押したタイミングが早すぎて、ノーズが架線柱にかかってしまった。
失敗作だが、ここでは掲載することにした。

次は、「ひかり463号」を撮影。



700系の16両編成である。

その次は、「のぞみ19号」を撮影。



そして、その次は、その日最も撮影したかった「こだま741号」を撮影した。



数少なくなった500系の「こだま」で、EVA仕様の編成で運転されている(検査などで運転されない日もあるので要注意)。

「こだま741号」の通過後は、ほとんどの方たちは、撤収したが、わたしは、残って、もう1本列車を撮影した。

撮影した列車は、「さくら555号」である。



九州新幹線へ直通する列車である。

「さくら555号」撮影後、撤収して、その場をあとにした。

以上が、11月29日の撮影内容である。
「こだま741号」は、また機会があったら、撮影したいと思う。
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JR東海119系5000番台製作記(その8)

2015年11月30日 21時02分07秒 | 鉄道模型
昨日29日の午前は、グリーンマックスのキットから製作中の119系5000番台の塗装作業を少し進めた。
まず、前面窓周りを残して、車体をマスキングをした。マスキングには、マスキングテープとマスキングゾルを使用した。
マスキング作業が済むと、塗装にかかった。
塗装には、エアブラシを使用した。
まず、滲みこみ防止のため、ガイアノーツのクリアを吹いて、乾燥後、Mrカラーの2番のブラックを吹き付けた。
吹きつけは、徐々に行なったつもりだが、時間がなく、焦ったため、タッチアップが必要になってしまった。
また、その日は、窓周りの塗装のほかには、屋上のクーラーのパーツの塗装も行なった。
クーラーの塗装には、ガイアノーツの009番・ブライトシルバーを使用した。それもエアブラシ塗装をしたのはいうまでもない。
前面窓周りの塗装は粗が出てしまったが、クーラーはきれいなにできたと、自分では思った。

以上が、11月29日の模型工作の内容である。
次回は、側面窓サッシと屋根の塗装にかかりたいと思う。
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東京・横浜方面へ旅行(その6)

2015年11月26日 21時45分02秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月7日の朝は、東京の秋葉原のあるホテルで迎えた。
ホテルでバイキング形式の朝食を取った後、チェックアウトした。
その頃は、8時過ぎだった。
手荷物を持って、秋葉原駅まで歩いた。
秋葉原駅に着くと、大きな荷物をコインロッカーに預けて、それから、浅草橋までの切符を買った。
秋葉原から浅草橋まで、総武線の普通電車に乗った。
浅草橋駅は、JRと都営地下鉄浅草線との乗換駅である。JRの駅は高架駅なのに対して、浅草線の駅は地下駅になっている。そのため、乗り換えのためにかなり歩いた。
浅草橋から押上まで、都営浅草線に乗った。そのとき乗った電車は、北総の7500系だった。
電車が押上駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そして、案内板に注意しながら、スカイツリーに向かって歩いた。
そのときは、9時より少し前だった。



スカイツリーの入場口に着くと、チケットを買って、係員の案内に従いながら、エレベーターで昇った。
そのときは、9時前後だっただろう。
入場待ちの人の列はほとんどなく、あまり待たされることなく、中へ入れた。

最初に乗ったエレベーターが到着した場所は、スカイツリーの展望デッキフロアである。











隅田川や東京の市街地を見おろすことができた。
その日は、快晴とまではいかなかったが、まあまあの天気で、外の風景を見て楽しむことができた。



展望デッキからの眺めを楽しんだあとは、展望回廊にも昇った。
そこへ行くためには、入場券を購入のうえ、専用エレベーターに乗る。
展望回廊では、高さ約450mの場所から、見おろすことができた。











展望回廊をあとにすると、展望デッキに戻り、売店で買い物をしたあと、展望デッキもあとにした。
そして、東京ソラマチの中で買い物をしたり、中にある飲食店で昼食をとった。昼食はある蕎麦屋の蕎麦にした。
そのあと、東京ばな奈を購入し、それから、スカイツリーをあとにした。
そのときは、12時より少し前だった。



スカイツリーをあとにすると、押上駅から浅草橋駅まで、都営地下鉄浅草線に乗った。
そのとき乗った電車は、京急の車両だった。
浅草橋駅に着くと、下車して、JRの総武線に乗り換えた。
そのとき乗った総武線の電車には、女性の車掌が乗務していた。
電車が次の秋葉原駅に着くと、下車して、東京ばな奈などをコインロッカーに預けて、秋葉原の街を歩きながら、神田明神を目指すことにした。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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JR東海119系5000番台製作記(その7)

2015年11月25日 21時41分52秒 | 鉄道模型
今日の午前は、グリーンマックスのキットから製作中のJR東海119系5000番台の帯の塗装を行なった。
前回行なったつもりだが、塗り残しが目立つので、再度塗装した。
今回も、前回と同じくグリーンマックスの緑2号に若干の緑15号を加えて調色した塗料を使用した。
塗装修正箇所の面積はわずかだったので、今回はそれほど時間はかからなかった。
塗装後、乾燥させたのはいうまでもない。
夕方、マスキングテープをはがして、帯を確認した。
よく見ると、帯の太さが一定ではなかったり、塗料が余計な箇所へにじみこんだりしている部分もあるが、もう塗装をやり直すことは出来ない(時間がない)。
すべての塗装が済んだ後、タッチアップ修正で我慢するしかないであろう。

以上が、本日の作業内容である。
次回は、前面窓周りの塗装を行ないたいと思う。
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東京・横浜方面へ旅行(その5)

2015年11月24日 23時29分00秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月5日の夜から7日まで、東京・横浜方面へ旅行へ行っていた。

6日の午後2時台は、神奈川県の川崎市にいた。
午後2時20分頃、川崎大師に到着した。
川崎大師は、川崎市内にある有名な寺院で、正式な名称は、金剛山・金乗院・平間寺という。
真言宗智山派の寺院である。



大山門をくぐり、大本堂を参拝した。





境内は広く、その日は、夏の晴天の日だったので、暑かった。

川崎大師をあとにすると、参道を歩き、川崎大師駅へ戻った。
そして、大師線の小島新田行きの電車に乗った。
車窓を見ると、至るところで、地下線化の準備がなされているのがわかった。
終点の小島新田駅に着くと、下車して、改札の外に出た。







駅の外に出て、すぐの場所にある陸橋からは、川崎貨物駅が見える。



少しの間だが、その付近で過ごして、再び小島新田駅に戻った。
そして、羽田急行国内線ターミナル駅までの切符を買って、改札内に入った。
小島新田からは、京急川崎行きの電車に乗った。
電車は、1500形の4両編成で、わたしは、最後尾の1512に乗車した。
大師線の電車が京急川崎駅に着くと、羽田空港国内線ターミナル行きの電車に乗り換えた。
乗車した電車は、16時4分発のエアポート急行で、その列車は、1500形の6両編成だった。
わたしが乗車した車両の車番は1916だった。
その列車は、途中の京急蒲田で進行方向を変えて、空港線に入った。
かつては、京急蒲田駅を出て間もないところに、駅伝のコースで有名な踏切があったが、既に高架になっている。
エアポート急行電車は、空港線内は、各駅に停車した。
電車が終点の羽田空港国内線ターミナル駅に到着すると、下車した。







ホームは1面2線だった。
乗り入れる車両は、京急の電車だけではなく、都営や京成、北総の車両も見ることができる。

電車を降りたあとは、改札外に出て、空港のターミナルビルの中を歩いた。
そして、全日空の発着場所を見下ろせる展望デッキへ行った。











全日空などの旅客機の発着の様子をしばらく眺めたあと、買い物などをして、空港をあとにした。
そして、品川までの切符を買って、羽田空港国内線ターミナル駅の改札内に入った。
ホームに入ると、品川経由のエアポート空港に乗車した。
その電車は、都営5300系だった。わたしが乗車した車両の車番は5305-1だった。
電車は、空港線内は各駅に停車したが、本線では、通過する駅もあった。
品川駅に止まると、下車した。
そして、JRの駅に行き、秋葉原までの切符を買って、改札を通った。
品川駅からは、品川始発の電車に乗った。上野東京ライン経由で常磐線に直通する電車で、車両は、E231系の常磐線色だった。
電車は、途中、新橋駅に停車した。その次は、東京駅である。
東京駅に止まると、下車して、コインロッカーの荷物を受け取った。
そのあと、山手線の電車に乗って、秋葉原駅で降りた。
秋葉原駅で電車を降りたあとは、改札外に出て、予約していたホテルに入った。
ホテルに入ると、フロント付近にある精算機で宿泊代金を支払って、部屋に入った。
部屋の窓からは、スカイツリーを見ることができた。
途中、夕食や買い物のため、外出したが、それ以外は、朝までホテルの部屋で過ごした。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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JR東海119系5000番台製作記(その6)

2015年11月22日 22時26分03秒 | 鉄道模型
昨日21日の午後は、グリーンマックスのキットから製作中の119系5000番台の車体の帯の塗装をする作業を行なった。
帯は、黄かん色と緑色の2色(湘南色)で構成されていて、前回は、帯の部分を残して、車体全体をマスキングして、黄かん色を吹き付けていたので、今回は、黄かん色で残す部分を追加マスキングして、クリアの吹いたあと、緑色を吹き付けた。
湘南色の緑色は、グリーンマックスの13番、緑2号を使用するのが、メーカーの指示であるが、それでは、緑の部分が暗い色になりすぎると思ったので、グリーンマックスの25番、緑15号を若干加えて調色した。
調色した塗料をうすめ液で希釈して、エアブラシで吹くのだが、またまた希釈の濃度が濃すぎたのか、すぐに塗料が出てこなくなった。
そして、何度か希釈を繰り返して、やっと吹き付けられるようになったが、そのためにかなり時間を要してしまった。
塗料を適切な濃度に希釈できるようになるためには、何度も経験を積んで、体で覚えるしかないであろう。
こうして、吹き付け作業を行なったが、夕方頃、車検に出したマイカーを受け取る用事があったため、急ぎすぎてしまった。
そのため、作業終了後、塗り残しに気づいた。
また後日、塗り残し箇所を塗装して、次のステップへ進まなければならない。
次回は、帯色の塗り残し部分を塗装して、前面の窓周りの塗装の準備にかかりたいと思う。

以上が、11月21日の作業内容である。
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山陽本線を撮影

2015年11月22日 21時29分38秒 | カメラ・写真
昨日21日の午前9時過ぎ、愛機α33を持って、車で出かけた。
向かったのは、岡山市東区瀬戸町の吉井川の山陽本線の鉄橋の付近である。
現地付近には、既に何台かの車が止まっていて、県外ナンバーの車もいた。
また、吉井川の土手には、三脚を立てたカメラと何人かの鉄道ファンの方がいた。
わたしは、その日、上り列車を撮影するつもりで行ったのだが、「特別なトワイライト」が走ることを知り、下り列車を中心に撮影することにした。

その日、最初に撮影した列車は、下りの普通列車・715Mである。



列車は、115系の7両編成で、全車両とも黄色になっていた。

その次は、上りの115系の普通列車を撮影した。710Mと思われる。



その列車は、115系の4両編成だった。

その次に撮影した列車は、上りの貨物列車である。



牽引機は、EF66形100番台だった。

その次は、再び下り列車の撮影をした。
撮影した列車は、普通列車の1311Mだった。



115系の7両編成で、その列車も全車両黄色だった。

その次は、下りの貨物列車である。



牽引機は、EF210だった。

次は、再び、上り列車を撮影した。
その日撮影したかった貨物列車である。



その貨物列車は、EF510牽引の列車で、その日は、元「北斗星」用の500番台が牽引していた。

それ以降は、ほとんど下り列車を撮影した。
次に撮影した列車は、普通列車の717Mである。



115系の4両編成だった。

次は、貨物列車を撮影。



牽引機は、EF210である。

その次は、普通列車の1313Mを撮影した。



列車は、115系の6両編成で運転されていて、全車両とも黄色だった。

その次には、上りの特急「スーパーいなば」を後追いで撮影した。



通常なら2両編成の列車だが、その日は、増結されていて、3両編成だった。

続いて、下りの「スーパーいなば」を撮影。



その列車も、3両に増結されていた。

その次は、普通列車の719Mを撮影した。



115系の4両編成だった。

さらに次も普通列車を撮影。1315Mである。



その列車は、3両編成だった。

その次は、貨物列車を撮影した。



牽引機は、EF210だった。

次に撮影した列車は、普通列車の721Mだった。



その列車も、115系の3両編成だった。

次は、貨物列車を撮影。



その列車の牽引機も、EF210だった。

次に撮影した列車は、普通列車の1317Mである。



それも、また3両編成の115系だった。

そして、その次には、一番の目的である、「特別なトワイライト」を撮影することができた。



EF65形電気機関車がトワイライトの客車を牽引しながら、吉井川の鉄橋を渡っていった。そのときの時刻は、13時29分だった。
その列車の通過後は、ほとんどの方が撤収にかかった。
わたしも、撤収作業をし、カメラや三脚などを持って、車に戻った。
そして、帰路についた。

本来の予定は、上りのEF510を撮影後、新幹線を撮影に行く予定だったが、予定を変更し、トワイライトを撮影したのである。
新幹線のほうは、また後日撮影に行きたいと思う。
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東京・横浜方面へ旅行(その4)

2015年11月19日 21時41分59秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月5日の夜から7日にかけて、東京・横浜方面への旅行へ行っていた。
8月6日の昼は、横浜市内にいた。

横浜駅で京浜急行の快速特急電車から降りると、改札の外に出た。
そして、みなとみらい線の乗り場へ向かった。
みなとみらい線は、東急東横線に乗り入れている路線で、みなとみらい線と東横線の乗り場は、地下にある。
ホームに入ると、元町・中華街行きの電車に乗った。
そのとき乗った電車は、東急5000系の8両編成の各駅停車だった。



終点の元町・中華街駅に着くと、下車して、改札外に出た。



そして、地上に出て、中華街に向かって歩いた。

中華街の門をくぐると、昼食をとるための飲食店を探した。



多くの店が多くの人でごった返していたが、比較的空いている店を見つけて入った。
その店に入ると、席に案内されたが、店内は空いていた。
昼食後、店を出ると、少し経って、中華街をあとにした。
時間があれば、中華街の中を歩き回りたかったのだが、時間がないからである。

元町・中華街駅に戻ると、横浜まで、電車に乗った。
そのとき乗った電車も、また各駅停車で、東急5000系の8両編成だった。
みなとみらい線の電車が横浜に止まると、下車した。
そして、川崎大師駅までの切符を買って、京急の改札を通った。
横浜駅から京急川崎駅まで、快速特急の高砂行きに乗った。
列車は、600形で運転されていて、その日は、青色の編成が充当されていた。
わたしが乗車した車両は、先頭の606-8だった。





快速特急電車が京急川崎駅に止まると、下車して、大師線の乗り場へ向かった。
京急川崎駅は、本線のホームは高架にあるが、大師線のホームは地上に設置されている。



大師線の乗り場には、小島新田行きの電車が止まっていた。
大師線の電車はすべて4両編成で、普通列車のみが運転されている。
そのとき乗った電車は、1500形の4両編成で、わたしは、車番1504の車両に乗車した。

大師線は、現在はまだ全線地上を走っているが、将来は、段階的に、線路が地下に移設され、車窓を楽しむことができなくなる。
乗車後、約5分で、電車は、途中の川崎大師駅に停車した。





川崎大師駅は、文字通り、川崎大師の最寄り駅で、現在はまだ地上駅である。
ただし、近い将来、地下駅になる予定。

駅前には、参道の入口がある。



しばらく歩くと、左手に喫茶店があったので、休憩した。
そのあとも、歩くと、交差点で参道が右に折れていたので、右折した。



それから少し歩いて、右に分岐する道を見ると、川崎大師の建物が見えた。



付近は、土産店などが建ち並んでいた。
わたしは、川崎大師の境内へ向かって歩いた。
初めての川崎大師参拝である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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東京・横浜方面へ旅行(その3)

2015年11月12日 21時44分53秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月5日の夜、上りの寝台特急『サンライズ瀬戸』に乗り、翌日6日の朝、終点の東京駅に着いた。
東京駅構内の飲食店で朝食をとり、丸の内側の駅舎の写真などを撮影したあとは、再び改札内に入った。
東海道本線のホームへ行き、品川行きの電車(1835Eと思われる)に乗った。湘南色の帯の入った電車だった。
その日、その電車には、女性の車掌が乗務していた。
電車は、途中、新橋に停車した。多数の下車があり、車内はかなり空いた。
その次は、終点の品川である。
品川に着くと、下車して、京急の泉岳寺までの乗車券を買って、京急の改札を通った。







泉岳寺方面へ向かう電車のホームには、次々と電車が入ってきた。
どの電車も混雑していた。
泉岳寺へ向かう電車の大半は、地下鉄浅草線へ直通しているため、品川から先も乗客は多い。
ある電車に乗ろうとしたら、満員で乗れず、次の電車を待った。

やっと乗れた電車は、京成電鉄の車両だった。
乗車後、約2分で、次の停車駅の泉岳寺に停車した。
泉岳寺駅は、京急と都営浅草線との境界駅で、地下駅になっている。





泉岳寺で下車後、改札を通り、地上へ出て、少し歩くと、駅名の由来となった寺院・泉岳寺が見えた。
そのときは、8時47分頃だった。







泉岳寺は、1612年(慶長17年)徳川家康が江戸城に近接する外桜田の地に創建し、門庵宗関和尚を迎えて開山した寺院である。
1641年(嘉永18年)の大火により、伽藍が焼失した後、三代将軍家光の命により、現在の高輪の地に移転再建されたという。
赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られている。







境内には、赤穂義士の墓地や記念館もある。

午前10時過ぎまで、境内で過ごし、それから、泉岳寺駅へ戻った。
余談ながら、泉岳寺参拝中のあたりから、頻繁にトイレに行きたくなるなど、体調が崩れていった。

泉岳寺駅に戻ると、10時55分発の快速特急に乗るつもりだったが、予定よりも早く駅に戻れたので、10時37分発の快速特急に乗ることにした。
その電車は、泉岳寺が始発で、原則として、2扉オールクロスシーの2100形電車で運転されることになっている。
しかし、入線してきた電車は、3扉の600形だった。
600形は、かつては、オールクロスシートだったが、現在は、車端部を除いて、ロングシートに改造されている。
ただし、運転席のすぐ後ろの展望席風の座席は残っているので、その電車に乗車し、右側の座席に座った。車番は、605-1だった。
左側は、運転士の頭で視界が遮られるからである。



10時37分に泉岳寺駅を出発した快速特急電車は、次は、品川駅に停車した。品川では、多数の乗車があったが、ラッシュ時ではないので、それほど激しい混雑にはならなかった。
品川を出ると、電車のスピードが上がっていった。
その次の停車駅は、京急蒲田である。空港線との分岐駅である。
京急蒲田の次は、京急川崎に停車した。
その途中で都県境を越えて、神奈川県に入った。
そして、京急川崎に停車した。
京急川崎の次は、横浜である。その間も、スピード出して走っていた。
電車が横浜駅に停車すると、下車した。







そして、改札の外に出て、みなとみらい線の乗り場へ向かった。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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通販でBトレインを購入

2015年11月11日 21時14分32秒 | 鉄道模型
今日の夕方、某ネットショップから荷物が届いた。
宅配ドライバーに代金を支払って、受け取った。
あるネットショップにバンダイのBトレインを注文していたのである。



今回購入したものは、「京阪電車700形 けいおん!5th Anniversaryラッピング電車 2両セット」を1セット。
いつかは、組み立てたいのだが、それは、動力ユニットや台車などを入手したあとになるであろう。

以上が、今回の製品購入の内容である。
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