浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

更新情報

2012年03月31日 22時18分26秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。

更新内容は、
「惜別交通展示室」に、
「惜別・急行きたぐに」
「惜別・ブルートレイン日本海」
「惜別・100系新幹線」
「惜別・300系新幹線」
「惜別・明石市営バス」

掲載したことです。

道順は、「惜別交通展示室」にお進みのうえ、それぞれの項目をクリックして、お入りください。

では、今後も、浜崎ヒカル交通館をよろしくお願い致します。
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18きっぷで三原市内散策

2012年03月31日 20時45分06秒 | Weblog
一昨日のことだが、18きっぷを持って、父親と一緒に、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅の駐車場に車を止めると、駅舎へ向かって歩き、改札口で、2人分のスタンプを押してもらった。
そして、7時34分発の1303M列車に乗車した。
次の万富駅に止まると、1303M列車を降りて、7時54分発の711M列車を待った。
まもなく、折り返し711Mになる列車が入ってきた。
列車は、115系の4両編成で、広島支社更新色の車両だった。
わたしたちが乗車したのは、先頭のクハ115-2003だった。
列車は、7時54分に万富駅を発車すると、各駅に停車しながら、三原へ向かって走った。
次の瀬戸駅では、多数の乗車があり、車内には立ち客も出た。
そのあと、上道、東岡山、高島、西川原・就実前の順に停車し、岡山に停車した。
岡山では、数分停車した。また、乗務員の交代も行われた。
岡山を出た列車は、終点の三原まで、引き続き、各駅に停車した。
終点の三原に着いたのは、9時57分だった。
三原駅で下車すると、駅のすぐ北にある三原城跡の石垣の上に行った。
三原城は、小早川隆景が築いた城である。
城跡からは、三原市街地の駅より北の部分を眺めることができた。
城跡の堀の西では、建物の解体工事が行われていた。広い更地ができていた。





三原城跡をあとにすると、隆景広場を通り、西国街道を西へ歩くことにした。



西国街道を西へしばらく歩くと、右手に山門のある小さな寺院が見えた。
それは、順勝寺である。山門は、三原城内にあった奉行所の門だという。









順勝寺をあとにすると、さらに西へ向かって歩き、次は、三原八幡宮へ寄った。
大きな鳥居があり、その向こうに石段が続いている。









石段を登って、しばらく歩くと、八幡宮の拝殿の前に着いた。
三原八幡宮を参拝すると、次は、宮浦公園へ向かった。
そこでは、トイレ休憩をした。
三原市街地には、多数の小さな寺社があるが、各寺社とも、参拝者用のトイレが設置されていないからである。
宮浦公園に立ち寄ったあとは、再び歩いた道を引き返した。



その頃、正午が近づいていた。
いったん、三原駅付近まで戻り、新幹線高架下の食堂で、昼食をとった。
そのあと、成就寺へ向かって歩いた。その付近は、狭い路地が入り組んでいた。



成就寺は、並木宗輔ゆかりの寺である。
寺の境内は広くなく、本堂は、木造ではなく、コンクリート造りだった。
少し奥には、地蔵が並んでいて、さらに奥には墓地があった。
成就寺をあとにすると、次は、妙正寺へ向かって歩いた。
途中、妙正寺坂という長い坂道があった。









妙正寺の境内では、三原市街地の眺めを楽しむことができた。



妙正寺をあとにすると、歩いた道を引き返し、三原駅へ向かった。
三原駅からは、13時55分発の448M列車に乗車した。
列車は、115系の3両編成で、その日は、黄色の編成だった。わたしたちが乗車したのは、クハ115-1402だった。最後尾の車両である。
また、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、終点の岡山まで各駅に停車した。
岡山駅に着くと、15時41分発の1322M列車に乗車した。
わたしたちが乗車した車両は、モハ114-1199だった。
列車は、各駅に停車した。
岡山を出ると、西川原・就実前、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富の順である。
そして、熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、18きっぷ消化目的の外出を終えることができた。
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大学の卒業式

2012年03月22日 22時02分17秒 | Weblog
わたしは、関西の某私大の通信教育部に在学していた。
昨日のことだが、大学の卒業式に参加した。
大学の最寄り駅は、近鉄の長瀬駅。
長瀬駅で電車を降りると、商店街を通り、大学へ向かった。
そして、午前10時頃から、全学部合同の卒業式が行われた。
午後からは、通信教育部単独の卒業式が実施された。
式が終わると、卒業証書や記念品、表彰状などを持って、式場をあとにした。
こうして、思い出がいっぱい詰まった大学をあとにし、長瀬駅から近鉄電車に乗り、そのあと、大阪環状線と高速バスで帰宅した。
わたしがその大学の通信教育部に入学したのは、15年前の春で、そのときは、短期大学部商経科に入学した。
8年前の春に、短期大学部を卒業し、法学部の3年に編入した。
そして、今年、卒業が決定し、昨日、卒業式に出席したのである。
卒業まで、様々な困難にぶつかったりして、苦労も多く経験したが、それらを乗り越えて、卒業式の日を迎えることができた。
それまでの思い出などは、これからも忘れることはないであろう。
では、先生、みなさん、ありがとうございました。
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卒業決定の通知

2012年03月03日 20時47分31秒 | Weblog
わたしは、関西の某私大の通信教育部に在学している。
今日、仕事を終えて帰宅すると、大学からの郵便物と宅配荷物が届いていた。
郵便物は、大学から学生全般への告知を載せた冊子だったが、宅配荷物のほうには、卒業決定の通知のはがきなどが入っていた。
卒業論文の合格の通知を受けた時点で、卒業は確定していたが、改めて、卒業決定を確認できた。
わたしが大学通信教育部に入学したのは、15年前の春である。
当初は、短期大学部商経科に入学した。
8年前に、短期大学部を卒業し、現在まで在学している法学部に編入。
仕事の都合で、スクーリングに行けなかったり、行きにくかったり、レポートがなかなか進まない時期もあり、苦労も多数味わったが、在学可能年数の最長まで学籍を延長しながら、なんとか卒業ができたのである。
先生およびスクーリングで一緒だった皆さん、卒ゼミで一緒だったみなさん、本当にお世話になりました。
心より、感謝とお礼の意を申し上げます。
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