浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

福山へ外出(続き)

2016年12月30日 21時21分46秒 | Weblog
今さら12月16日のことを記事化してすみません。

今月16日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
マイカー用の駐車場に車を止めると、駅舎へ行き、1490円の乗車券を買って、改札を通った。
そして、7時34分発の1303Mに乗車した。普通列車である。
その列車が、次の万富駅に止まると、下車して、2番ホームで別の列車を待った。
しばらくすると、7時54分発の711M・三原行きが入線してきた。
その列車は、115系の4両編成で、わたしは、先頭のクハ115-1072に乗車した。
列車は、万富駅発車後、各駅に停車した。
次の瀬戸駅からは、車内は混雑してきた。
そのあと、列車は、上道、東岡山、高島、西川原・就実前、岡山の順に停車した。
岡山では、ほとんどの乗客が入れ替わった。
また、岡山では、乗務員の交代があり、運転士、車掌とも、女性にかわった。
岡山からは、列車番号が409Mになり、三原へ向かって出発した。
岡山発車後は、北長瀬、庭瀬、中庄、倉敷、西阿知、新倉敷、金光、鴨方、里庄、笠岡、大門、東福山、福山の順に停車した。
福山に止まると、下車して、改札の外に出た。



福山で下車後は、バス乗り場へ行った。





そして、撮りバスをしながら、鞆港行きのバスを待った。

しばらくすると、9時45分発の鞆港行きのバスが入ってきたので、乗車した。

バスは、福山駅前を出発すると、しばらく大通りを南下し、野上町交番前の交差点を西へ右折した。
車窓も市街地から郊外へ次第に変わっていった。
そのあと、芦田川に架かる草戸大橋を渡った。古い橋で、南側では、新しい橋を架けるための工事が行われていた。
それから、芦田川の西の土手の上を走った。
途中、水呑町では、道路工事のため、片側交互通行の規制が行われていた。
また、水呑町地区では、途中で、道幅の狭い旧道に入った。
そのあとも、しばらく南下し、田尻町地区に入り、少し経つと、左手に海が見えた(といいながら、右側の座席に座っていたが)。
10時20分頃、バスは、終点の鞆港バス停に到着した。





目の前には、漁港がある。

バスが通った道を少し引き返したところに、仙酔島への渡し船の乗り場がある。
船の名前は、平成いろは丸である。



わたしは、乗船券(往復)を買って乗った。
12月の平日のせいか、船内は空いていた。

そのため、細部の写真などの撮影には都合よかった。



約5分後、船は、仙酔島に到着した。
下船したのはいうまでもない。



そばには、古い渡し船がいた。



予備の船だろうか?

平成いろは丸を下船後は、乗り場付近を若干歩いた。



だが、今回は、平成いろは丸が目的だったので、すぐに乗り場に引き返した。
そして、船を待った。



そして、平成いろは丸で、鞆の浦に戻った。
島の滞在時間は約20分だった。

鞆の浦へ戻ると、再び仙酔島へ向かう船を撮影した。



また、船だけではなく、バスなども撮影した。



それから、鞆の町中を歩いた。







有名な灯台のそばに行ったあと、灯台のそばのカフェでパスタの昼食をとった。

そのあと、12時台の福山駅行きのバスに乗り、福山駅へ戻った。

福山駅へ戻ると、駅の商業施設の書店で雑誌を買った。
そのあと、再びバス乗り場へ行き、バスの撮影を楽しんだ。







バスの撮影を楽しんだあとは、13時55分発の鋼管病院行きのバスに乗った。
そのバスが、途中の引野口に止まると、下車して、付近を適当に散策したあと、某鉄道模型店へ行った。
そして、鉄道模型を購入後、少し歩いたところにある喫茶店でコーヒーを飲みながら、休憩した。
そのあと、引野口バス停へ歩いたが、まだ時間があったので、バス停からそれほど離れていない箇所で、撮りバスもした。



そして、引野口バス停に戻ると、福山駅行きのバスを待った。
16時12分発のバスである。
バスは、手城地区や福山市立大学前などを通り、福山駅へ向かった。
終点の福山駅前に着くと、下車して、券売機で1490円の乗車券を買った。
そして、改札を通り、上り山陽本線のホームへ向かった。
福山駅からは、16時46分発の3724M・快速『サンライナー』岡山行きに乗車した。
列車は、117系のワンマン運転だった。福山駅停車中は、運転士が案内放送をしていたが、乗務していたのは、女性の運転士だった。
わたしは、最後尾のクハ116-101に乗った。
快速『サンライナー』は、16時46分に、福山駅を出発すると、東福山、笠岡、新倉敷、倉敷の順に停車した。
岡山行きの列車だが、倉敷で、下車して、伯備線のホームへ向かった。
そして、17時41分発の1844M・姫路行きに乗車した。
岡山で乗り換えることもできるが、倉敷で乗り換えたほうが着席しやすいからである。
列車は、中庄、庭瀬、北長瀬、岡山の順に各駅に停車した。
また、その日、その列車は、岡山までは女性の車掌が乗務していた。
岡山では、大半の乗客が入れ替わった。また、帰宅ラッシュの時間帯のせいか、車内は混雑が激しくなった。
また、列車番号は、1330Mに変わった。
岡山発車後は、西川原・就実前、高島、東岡山、上道、瀬戸、万富の順に停車した。
そして、万富の次の停車駅、熊山に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、平成いろは丸と、某鉄道模型店での買い物目的の外出を終えることができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都鉄道博物館へ行った(続き)

2016年12月29日 21時44分47秒 | Weblog
今さら10月のことを記事化してすみません。

10月14日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
熊山駅からは、6時41分発の1300M・姫路行きに乗車した。
わたしが乗車した車両は、最後尾の車両で、車番はクハ111-7019だった。
その列車は、熊山発車後は、和気、吉永、三石の順に停車した。
三石を出発すると、船坂トンネルに入り、兵庫県に入った。
そのとき、車掌が車内を巡回したので、鉄道の日記念の一日乗り放題きっぷにスタンプを押してもらった。
兵庫県に入り、しばらくすると、上郡駅に停車した。
そのあとは、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保の順に停車し、それから、終点の姫路駅に到着した。
姫路からは、8時25分発の3432M・新快速に乗る予定だったが、それより1本早い3430M・新快速に乗車した。
その新快速は、8時09分に、姫路駅を発車した。
姫路発車の時点で、車内は混雑していた。
わたしが乗車した車両は、最後尾の1号車で、車番はクハ222-2015だった。
新快速電車は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮の順に停車した。そのなかでも、明石から三ノ宮にかけてが特に混雑が激しかった。
三ノ宮では、多数の乗客が入れ替わったが、まだ車内は混雑していた。
三ノ宮を出発すると、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪では、乗務員の交代があり、大阪からは、女性の車掌が乗務していた。
大阪では、多数の乗客が下車し、車内は閑散とした。
そのあとは、新大阪、高槻、京都の順に停車した。
京都では、上り列車では後ろ側になる1号車から8号車までが切り離された。
なお、わたしは、京都で下車した後、改札の外に出た。
そして、京都市営バスに乗った。
市営バスの乗り場には長い列ができていた。
そのため、バスは混雑していた。
向かったのは、京都鉄道博物館である。

博物館前の停留所にバスが着くと、多数の人が下車した。

博物館に着くと、入場券を買って、館内に入った。

入館後、すぐの場所には、0系新幹線、C62形蒸気機関車、80系湘南電車の姿があった。







また、その日は、鉄道記念日なので、0系新幹線の前で記念撮影するサービス(スタッフのカメラで撮った写真を買ったが高かった)も行われていた。

それから少し奥へ進むと、0系新幹線の車内に入れる車両があり、車内には、新幹線のパンタグラフなどの部品や、試作車の模型、座席などが展示されていた。





またその付近には、20系ブルートレインの食堂車が展示されていて、大阪の交通科学館の時代と同じく食堂として営業されていた。



さらに進むと、DD54形ディーゼル機関車や、103系のクハ103形が展示されている。





その場所からさらに目を向けると、屋外に建てられた腕木信号機などの向こうに、EF58-150や、EF81形のトワイライトエクスプレス色、トワイライトエクスプレスの食堂車や展望スイートの客車、EF65形の1号機が展示されているところがある。







それから本館の展示室に入った。



入ると、旧型客車が目に入った。

その頃、空腹を感じたので、早めの昼食をとった。



昼食は、本館のレストランでとった。
わたしが入ったときは、比較的すいていたが、少し遅かったら、長蛇の列に並ばなければならなかった。

そのあと、本館を中心に、展示物を観て楽しんだ。





EF66形電気機関車とDD51形ディーゼル機関車は、車両の展示台の下に自由に入れる通路が設置されていて、台車の下などを見ることもできる。





















本館の展示車両を中心に観て回った後は、扇形庫へ行った。



その途中右側には、SL第2検修庫があり、本線復活が決定しているD51形200号機が入っていた。



また、転車台を囲む線路の1線には、C56形160号機の姿があった。



京都鉄道博物館の扇形庫は、かつては、梅小路蒸気機関車館として営業されていた箇所である。
その時代から展示されていた機関車が多数並んでいた。



また、その博物館の展示車両にはトップナンバー車が何両かあり、D51とC62のトップナンバーが隣り合っていた。

そのあと、本館のスカイテラスへ行った。



その場所からは、東寺の塔や京都タワーの姿も見ることができる。
わたしは、東寺の塔をバックに、写真撮影をしてみた。

そのあと、再び扇形庫へ行った。



扇形庫を通り抜けると、出口である。

出口は、二条駅の旧駅舎を活用した建物で、土産店になっている。
買い物後、博物館をあとにして、市バスで京都駅へ向かった。

京都駅前に着くと、買い物をして、そのあと、京都駅の改札を通った。
京都からは、14時30分発の3469M・新快速・姫路行きに乗車した。
わたしが乗車したのは、先頭の車両で、車番はクハ222-2040だった。
新快速は、京都を出発すると、高槻、新大阪、大阪、尼崎、芦屋、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川の順に停車し、終点の姫路には、16時02分に到着した。
姫路からは、16時35分発の981M・播州赤穂行きに乗車した。
わたしが乗車したのは先頭の車両で、車番はクハ222-6027だった。
列車が、途中の相生に止まると、下車して、山陽本線の1329M・広島行きに乗り換えた。
その列車は、115系の4両編成で、わたしは、先頭の車両に乗車した。車番はクハ115-1234だった。
列車は、相生を発車すると、有年、上郡の順に停車した。
そのあと、船坂峠を通り、船坂トンネルを通って、岡山県に入った。
それから少し経つと、三石駅に停車した。
三石を出発後は、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。

こうして、鉄道記念日に京都鉄道博物館を楽しんできたのである。
また、機会があったら行きたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1泊2日の京都旅行(その4)

2016年12月28日 11時42分02秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月26日の朝は、京都市内の某旅館で迎えた。
両親も一緒である。

朝食後、チェックアウトすると、京都駅へ行き、18きっぷにスタンプを押してもらってから、改札を通った。
そして、新快速電車に乗った。
次の停車駅の山科で新快速を降りると、改札の外に出て、コインロッカーに大きな荷物を預けた。
それから、市営地下鉄東西線の乗り場へいった。
切符を買って、改札を通り、六地蔵行きの電車に乗った。
東西線は、開業が比較的新しい路線で、ホームドアが完備されている。

電車が途中の醍醐駅に止まると、下車した。
そして、地上に出て、醍醐寺へ向かって歩いた。

団地などが建ち並ぶ住宅街の中を通り抜けると、醍醐寺に着いた。







醍醐寺は、真言宗醍醐派総本山の寺院で、古都京都の文化財として、世界遺産に登録されている。
創建は、874年だという。
また、その寺院は、西国33箇所第11番札所である。



境内に入り、仁王門を通り、しばらく歩くと、金堂や五重塔などがある。







五重塔は、平安時代に建てられたもので、国宝に指定されている。
951年に完成したという。







境内をさらに奥へ進むと、現在の札所の観音堂がある。



参拝後、納経帳に御朱印を受けた。





その日、その時間は、天候が良く、弁天堂や池とお堂を組み合わせた写真などの撮影も楽しんだ。

そのあと、駐車場付近の茶屋で休憩して、醍醐寺をあとにした。

それから、歩いた道を引き返し、醍醐駅付近へ戻った。
醍醐駅付近に戻ると、そばにあるショッピングモールの飲食店で昼食をとった。

そのあと、地下鉄東西線に乗り、御陵駅で下車した。
御陵駅からは、住宅街の細い道をしばらく歩いた。
向かったのは、元慶寺である。
その寺院は、西国33カ所の番外札所になっている。

道が細く複雑なうえ、途中の案内表示はないに等しかったので、わかりにくかったが、なんとか到着した。









元慶寺は、天台宗の寺院で、創建は、869年である。

京都の郊外の住宅街にあるこじんまりとした寺院だった。

参拝後、納経帳に御朱印を受けた。

また、境内の端のほうには参拝者が使えるトイレがあるが、男女共用の古い建物だった(古いが水洗トイレだった)。

元慶寺参拝後は、歩いた道を引き返し、御陵駅へ戻った。
御陵駅から山科駅まで、地下鉄に乗り、山科駅で、地下鉄を降りると、地上に出て、コインロッカーの荷物をとった。
そして、JRの改札を通り、下りの新快速電車に乗った。
わたしたちが乗った車両は、先頭の車両で、225系だった。
また、その日、その列車には、女性の運転士が乗務していた。
次の京都から大阪までは、車掌も女性だった。
大阪駅で乗務員の交代があり、大阪からの運転士も女性だった。
新快速が終点の姫路に着くと、下車して、姫路からは、16時03分発の979M・播州赤穂行きに乗った。
その列車が、途中の相生に止まると、山陽本線の普通列車の1327M・岡山行きに乗り換えた。
その列車は、115系の3両編成だった。
その日、京都にいたときは、大変良い晴天だったが、西へ移動するにつれて、曇ってきた。
車窓から北西のほうを見ると、灰色の雲が目に入った。
そして、雨が降ってきた。

17時11分、列車が、瀬戸駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
そのとき、駅付近は、雨が降っていた。

バスが来るまで時間があったので、母親は近くの店で買い物をし、それからしばらくして、バスに乗り、帰路についた。

こうして、西国札所巡りとトロッコ列車などを目的とした旅行を終えることができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1泊2日の京都旅行(その3)

2016年12月26日 22時14分20秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月25日の午後4時頃は、嵯峨野観光鉄道のトロッコ亀岡駅前にいた。



駅前の土産店では、トロッコ列車のイラストがついた木製絵葉書を売っていたので購入した。
それから、駅舎に入り、トロッコ列車を待った。

わたしたちが乗車した列車は、定期運転では最終列車になる、16時35分発の126列車である。行先は、もちろん、トロッコ嵯峨。



トロッコ列車は、運転席付きの客車を先頭に、ゆっくりと入ってきた。
そして、乗客たちが降りた後、折り返し、126列車・トロッコ嵯峨行きになった。

嵯峨野観光鉄道の列車は、ディーゼル機関車とトロッコ客車とを連結して運転されているが、トロッコ亀岡寄りの客車にも運転席があり、終点の駅で機回しする必要がない。

16時35分、トロッコ列車は、トロッコ亀岡駅を出発した。
わたしたちが乗車した車両は、トロッコ嵯峨行きでは最後尾になる1号車である。
その日は、車内は閑散としていた。
わたしたちの指定席は、進行方向左側だった。

出発して、しばらくは、保津川は進行方向左側に流れていた。



観光列車なので、ゆっくりと走ったが、ところどころで、徐行運転し、車掌の観光案内放送が流れた。



途中、現在の山陰本線保津峡駅が見えた。

それから少し経つと、トロッコ保津峡駅に停車した。



元々は、山陰本線の保津峡駅である。

嵯峨野観光鉄道の路線自体、山陰本線の路線付け替えに伴い廃線となった箇所を再活用したものである。
現在は、トロッコ列車が往復するだけだが、かつては、DD51牽引のブルートレイン『出雲』や、客車普通列車、ディーゼル特急列車や急行列車などが、保津川沿いを走行していたのである。



途中、川下りの舟も見えた。

しばらく走ると、保津川の鉄橋を渡った。

保津川は、列車の右側になった。



車内は空いていたので、右側の空いている席に移動してもよいという案内があった。



しばらく走ると、川の向こうに、建物が見えた。
宿泊施設で、嵐山から舟でしか行けないという。

それから少し経つと、トロッコ嵐山駅に停車した。
トンネルとの関係で、ホームが短いため、わたしたちが乗っていた1号車は、駅停車中、トンネルの中に止まった。
もちろん、下車する客は、ほかの車両へ移動する必要がある。
トロッコ嵐山駅を出発すると、山陰本線の線路に合流した。
そして、終点のトロッコ嵯峨駅に到着した。

下車後、改札口で切符を駅員に渡した。





そのあと、隣接する山陰本線の嵯峨嵐山駅へ行き、18きっぷを見せて、改札を通った。
そして、京都行きの普通電車に乗った。
電車は、221系4両と223系2両の6両編成だった。
普通列車なので、各駅に停車した。
終点の京都駅に着くと、下車して、コインロッカーの荷物をとり、予約していた某旅館へ向かって歩いた。
旅館に着くと、チェックインである。
なお、その旅館は、食事は朝食のみなので、夕食は、京都駅付近でとった。

こうして、8月25日の夜から、26日の朝まで、その旅館で過ごした。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通販で鉄道模型を購入

2016年12月23日 21時54分51秒 | 鉄道模型
今日は、某ネットショップから荷物が届いた。

鉄道模型製品を予約していて入荷したからである。

宅配ドライバーに代金を支払って、荷物を受け取った。

今回購入したものは、トミーテックのバスコレクション第21弾を2ボックスである。



最近は、バスコレに限らずジオコレシリーズ全般が高くなっているが、複数欲しいバスがあったので、2ボックス購入した。

以上が、今回の模型購入の内容である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1泊2日の京都旅行(その2)

2016年12月22日 21時31分21秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月25日の朝は、18きっぷを持って、両親と一緒に路線バスで瀬戸駅に向かった。
瀬戸駅に着くと、18きっぷに3人分のスタンプを押してもらってから、改札内に入った。
そして、7時25分発の1302M列車・姫路行きに乗車した。
列車は、瀬戸駅を出発すると、万富、熊山、和気、吉永、三石の順に停車した。
三石を出発すると、船坂トンネルに入り、兵庫県に入った。
それから、上郡、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保の順に停車し、終点の姫路に到着した。
姫路からは、8時55分発の3436M・新快速に乗車した。
新快速は、姫路駅を出発すると、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪、新大阪、高槻、京都の順に停車した。
京都駅に着くと、下車して、コインロッカーに大きな荷物を預けてから、山陰本線の乗り場へ向かった。
京都から乗車した山陰本線の列車は、快速で、221系の4両編成だった。
列車は、京都出発の時点ではかなり混雑していたが、途中の嵯峨嵐山からは空いていた。
嵯峨嵐山から馬堀までは、トンネルが多い。
馬堀駅を通過し、少し経つと、亀岡駅に停車した。
わたしたちは、亀岡駅で下車した。





亀岡駅は、橋上駅舎である。
駅の外に出ると、近くの某うどん店で昼食をとった。

そのあと、駅前のバス乗り場で、京阪京都交通の路線バスに乗った。
バスが亀岡の市街地を走り抜けた後は、郊外の田園の広がるところを走った。
その途中にある穴太口停留所でバスを降りて、田園地帯の道をしばらく歩いた。
向かったのは、穴太寺である。



古い集落に入り、少し歩くと、寺院の門が見えた。



それが穴太寺である。
その寺院は、西国33箇所の第21番札所なのだ。

その寺院は、奈良時代末期の705年に、文武天皇の命で、大伴古麿によって創建されたという。









本堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。

余談ながら、穴太寺のトイレは、旧式の汲み取り式だった。

穴太寺を参拝後は、歩いてきた道を引き返し、穴太口バス停に向かって歩いた。



穴太口からは、亀岡駅へ向かう路線バスに乗った。

バスが亀岡駅前に着くと、下車して、亀岡市街地を少し歩いた。

少し歩くと、亀山城跡がある。



亀山城跡のそばに着くと、堀沿いを歩いた。

それから、亀岡市文化資料館に行った。



その日は、文化資料館では、中川小十郎氏に関する特別展が行われていた。
中川小十郎氏は、立命館を創立した人物である。
また、常設展では、亀岡市の歴史に関するものを展示していた。

文化資料館をあとにすると、亀岡駅前へ向かって歩いた。
駅前に着くと、ベーカリーの飲食コーナーで休憩をした。
それから、京都行きの普通電車に乗った。電車は、221系の4両編成だった。
普通電車は、亀岡を出発すると、次は、馬堀駅に停車した。
馬堀に止まると、下車して、トロッコ列車のトロッコ亀岡駅へ向かって歩いた。
もちろん、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車に乗るためである。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新情報

2016年12月17日 21時46分24秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。

更新内容は、
大山崎すとりぃむ」と相互リンクしたことです。

道順は、
「リンク」→「2号線」
です。

では、今後もよろしくお願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の模型購入

2016年12月16日 22時23分30秒 | 鉄道模型
今日の午後は、福山市郊外の住宅街にある、某鉄道模型店へ行った。

本日購入したものは、以下のとおりである。

新品
KATO タキ1900 日立セメント(2両セット) 1セット

中古品
KATO オハフ33 ブルー 一般型 2両
トミックス EF65-1100 1両
トミックス JR ED75-700形 前期型・サッシ窓 1両
グリーンマックス 動力ユニット DT20 1つ
グリーンマックス 動力ユニット FS372 1つ
クロスポイント 阪神通勤車用前面ガラス 1セット
銀河モデル 乗務員ステップ 旧型国電用 2セット



日立セメントのタキ1900は、以前1セット(2両)のみ購入していたが、増備したくなったので、購入した。
ブルーのオハフ33は、国鉄時代のローカル列車を再現したくて購入した。
トミックスのEF65-1100の中古品は、ナンバープレートなどの付属部品がないのを承知で購入した。パンタグラフや動力の部品目的である。
トミックスのED75-700は、欲しい車両だったので購入した。
グリーンマックスの動力ユニットは、グリーンマックスのキットを組んだ車両に使用する予定。
クロスポイントの阪神通勤車用前面ガラスは、グリーンマックスの阪神通勤車のキットに使用予定。
銀河モデルの旧型国電用の乗務員ステップは、旧型国電のディテールアップに使用予定。

以上が、今回の模型購入の内容である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福山へ外出

2016年12月16日 22時11分16秒 | Weblog
今日は、仕事が公休だった。
そこで、広島県福山市へ出かけた。
鞆の浦へ行ったあと、福山市郊外の住宅街にある、某鉄道模型店にも行った。

都合により、詳細は後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モデルフェスティバルに参加

2016年12月12日 21時16分01秒 | 鉄道模型
昨日11日は、岡山市某所にある、岡山虹会の運転会場に行った。
毎年12月は、モデルフェスティバルが行われる。
参加者が出品した鉄道模型作品を採点方式で得点数を競うイベントである。



わたしは、今年は、キハ48形塗り替えの急行「つやま」を出品した。

わたしは、Nゲージであるが、ほかの方は、みんなHOゲージを出されていた。



上の画像は、その一部である。

そして、参加者が自分の作品について説明をした。
わたしが一番だった。



キハ48の急行「つやま」をジオラマ付きで出した。

続いて、EF55牽引の旧客の特急が走り出した。



最後尾は、マイテ49(違っていたらすみません)である。



そのあとも、HOの車両が次々と、走行した。





















そのイベントでは、HOゲージなど大きな模型のほうが得点数が高く、Nゲージはなかなか高い評価が得られない傾向がある。

今年は、残念な結果となった。



そのあとは、忘年会が行われた。
雑談をしながら、食事などを楽しんで、夕方撤収した。

こうして、楽しい一日は、あっという間に過ぎていった。

また来年も参加したいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする