浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

通販で鉄道模型を購入

2024年08月24日 20時21分04秒 | 鉄道模型
今日は、某ネットショップから荷物が届いた。
鉄道模型製品を予約注文し、代金を振り込んでいたからである。
そして、それが入荷したので、発送された。

今回購入したものは、トミーテックの鉄道コレクションの京阪電車大津線700形「響け!ユーフォニアム」ラッピング電車2023・2両セットを1セット。



いつかは、別売りの動力などを組み込んで、Nゲージ化したいと思う。
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レイアウトセクションの製作作業を行った

2024年08月24日 20時16分24秒 | 鉄道模型
今日は、製作中のNゲージのレイアウトセクションの製作作業を行った。
本日の作業内容は、プラ板で製作した道路や擁壁のすき間埋めなどである。
道路のすき間には、タミヤパテ(ベーシックタイプ)をできるだけ薄く塗って埋めたあと、乾燥後、紙やすりで余分なパテを削り取った。
擁壁のすき間埋めには、タミヤのエポキシ造形パテの高密度タイプを使用した。
なお、本日は、エポキシ造形パテが、まだ乾燥していないので、仕上げはできていない。
また、並行して、トミーテックの現代住宅Eから改造して、設置予定のカフェのベースの加工作業を行った。
カフェのベースは、現代住宅Eのものを改造して使用するが、予定地に設置するためには、ベースをカットしたり、かさ上げしたり、自作のベースを継ぐ必要などがある。
本日は、レイアウトセクションのベースボードからはみ出す箇所を、ノコギリ刃のカッターでカットし、金属やすりで仕上げたあと、カフェのベースのかさ上げ用のボードを厚さ1.2mmのプラ板から切り出した。
カフェの区画に合わせた形状のほぼ同じ寸法のボードを2枚切り出した。
そして、やすりなどで微調整して、区画にはまるのを確認した。



カフェは、準幹線道路と生活道路の間の区画に設置予定である。
なお、カフェのベースやプラ板から切り出したかさ上げボードは、まだ接着していない。

以上が、本日の作業内容である。
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通販で鉄道模型を購入

2024年08月23日 20時59分09秒 | 鉄道模型
今日は、某ネットショップから荷物が届いた。
鉄道模型製品などを注文していたからである。
宅配ドライバーに代金を支払って、荷物を受け取った。

今回購入したものは、以下のとおり。
グリーンマックス 名鉄6800系(1次車)2両編成動力付きトータルセット 1セット
機芸出版社 鉄道模型趣味 2024年8月号 1冊
タミヤ メタルプライマー スプレー 1本
トレジャータウン クモハ123スカート(1両分) 2セット



グリーンマックスの名鉄6800系電車は、欲しい車種だったので、購入した。
それは、塗装済みキットになっていて、動力ユニットも含まれている。
近いうちに、製作に着手したいと思う。
トレジャータウンのクモハ123用のスカートは、トミーテックの鉄道コレクション第20弾のクモニ143形のNゲージ化に使用予定。
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1泊2日の岐阜旅行(その6)

2024年08月23日 14時13分24秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。

4月20日の昼の12時半頃、わたしと母親は、岐阜県の揖斐川町にいた。
谷汲山華厳寺を参拝し、昼食をとったあとである。
揖斐駅行きのバスが谷汲山バス停を通るのは、14時36分で、まだまだ時間があった。
そこで、谷汲山華厳寺の参道の入口から離れて、歩道を少し歩いた。
すると、名古屋鉄道の谷汲駅跡に着いた。



かつて、名古屋鉄道が運営していた谷汲線の終着駅である。
谷汲線は、1926年に開業し、2001年に廃線になった。



廃線時の駅舎やホームなどが残されていて、車両も2両、静態保存されている。











駅舎には、谷汲昆虫館が併設されていて、わたしたちは、昆虫館にも入館した。

昆虫館では、岐阜県の昆虫に関する展示がされていたほか、館内の1つの部屋には、Nゲージのレイアウトが設置されていた。





特定の日のみ、運転が行われるそうだが、その日は運転日ではなく、Nゲージレイアウトの部屋には、人の姿はなかった。

昆虫館をあとにすると、谷汲山バス停に戻ったが、まだかなり時間があった。
長い間、バス停の待合所で過ごしたあと、14時36分発の揖斐駅行きのバスに乗った。
白ナンバーのマイクロバスである。

バスが養老鉄道の揖斐駅に到着すると、下車して、揖斐駅で、大垣駅までの乗車券を買って、改札を通った。



そして、15時15分発の大垣行きの列車に乗った。



その列車は、2両編成のワンマン運転だった。
わたしたちは、先頭の車両に乗車した。
車番は604だった。

2両編成の列車は、揖斐駅を発車すると、終点の大垣駅まで各駅に停車した。
大垣駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、JRの駅に行き、コインロッカーに預けていた荷物を回収したあと、JRの改札を通った。
JRの大垣駅からは、16時11分発の5344F・新快速の豊橋行きに乗車した。





その列車は、313系電車の6両編成だった。
わたしたちは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ312-404だった。

新快速電車は、大垣駅を発車すると、穂積、西岐阜、岐阜の順に、岐阜駅までは各駅に停車した。
停車駅ごとに、車内の混雑が増してきた。
岐阜駅を発車すると、名古屋までは、途中の停車駅は尾張一宮のみである。
16時44分頃、新快速電車が、名古屋駅に止まると、下車して、新幹線乗り換え口を通った。
しかし、乗車予定の新幹線まで、時間がかなりあったので、しばらく、待合室で過ごした。
交代でトイレに行ったり、駅弁などを買ったりした。
新幹線は、指定席のキップを買っていたので、万が一、それに乗り遅れると大変なことになる。
そうならないように、余裕を持って、予定を立てていた。

18時頃、わたしたちは、下りの新幹線ホームに上がった。
そして、18時10分発の「のぞみ49号」に乗車した。
わたしたちは、6号車に乗車した。
普通車指定席の車両である。
座席に座り、しばらくすると、駅弁を食した。
新幹線「のぞみ49号」は、名古屋駅を発車すると、京都、新大阪の順に停車した。
新大阪では、乗務員がJR東海からJR西日本に交代した。
JR西日本では、2023年の7月から、乗務員の氏名放送を取りやめているらしく、新大阪発車後も、かつては行われていた運転士と車掌の氏名放送はなかった。
新大阪では、わたしたちが乗っていた6号車も、乗客が多く入れ替わった。
土曜日のせいか、ビジネスマンらしい感じの人はほとんどいなく、観光旅行帰りと思われる人が多かった。
新大阪駅を発車した「のぞみ49号」は、新神戸、岡山の順に停車した。
岡山駅に止まると、下車して、改札の外に出た。
その頃、岡山駅周辺は雨が降っていた。
岡山駅から出ると、駅前のバスターミナルに行き、路線バスで帰路に就いた。

こうして、西国三十三箇所満願目的の旅行を終えることができた。
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更新情報

2024年08月23日 11時28分32秒 | マイ・ホームページ
本日、マイ・ホームページを更新しましたので、お知らせします。

更新内容は、
「駅トイレの部屋」の、
山陰本線の泊駅、松崎駅、下北条駅のトイレ情報を更新したことです。

道順は、いずれも、
「駅トイレの部屋」→「鳥取県の駅トイレ」→「山陰本線」
です。
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山陰本線の泊駅、松崎駅、下北条駅のトイレを取材

2024年08月19日 20時02分04秒 | トイレ
今日は、山陰本線の駅のうち、松崎、泊、下北条の3駅のトイレ取材を行った。

まずは、松崎駅を取材した。
その駅のトイレは、駅外側のみ2006年に取材したことがあるので、それは再取材となる。
トイレは、駅舎とは別棟である。
駅外側、ホーム側とも、男女共用の水洗トイレだが、旧いタイプのトイレで、大便器は和式のみ。
また、ペーパーは設置されていない。

その次は、泊駅のトイレを取材した。
その駅も、2006年に取材したことがあるが、現在は、駅舎が建て替えられていて、駅舎の待合室にあるトイレは、男女別の水洗式になっている。
無人駅とは思えないぐらい、きれいなトイレで、ペーパーも設置されている。
また、多目的トイレも1室設置されている。
ちなみに、2006年に取材に行ったときは、男女共用の汲み取り式トイレだった。

本日、最後に取材したのは、下北条駅である。
その駅も、トイレは、駅舎(といっても、無人駅なので、待合室というほうが適切か)にある。
2006年に取材したときは、男女共用の汲み取り式だったが、現在は、男女共用の個室が1室のみながら、水洗トイレになっている。
なお、ペーパーは設置されていない。

いずれも、利用者がいないときに撮影し、内容をメモした。

取材内容は、後日、ホームページに掲載予定です。
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山陰本線を撮り鉄

2024年08月19日 19時50分58秒 | カメラ・写真
今日は、朝早く、マイカーに愛機α7Ⅲを載せて出かけた。
向かったのは、鳥取県。
湯梨浜町と北栄町の山陰本線沿線で、撮り鉄などをした。
名探偵コナンのラッピングがされた「スーパーはくと」などを撮影した。

都合により、詳細は、後日書かせていただきます。
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1泊2日の岐阜旅行(その5)

2024年08月10日 21時33分29秒 | Weblog
今さら、4月のことを記事化してすみません。
4月20日の午前10時半頃、わたしは、母親と一緒に、岐阜県の揖斐川町にいた。
揖斐川町には、西国三十三箇所の第三十三満願霊場の谷汲山華厳寺がある。
わたしたちは、華厳寺の参拝に訪れた。
バスを降りたあと、参道をしばらく歩くと、山門の前に着いた。



山門を通ると、境内に入った。



その時期の境内は、新緑がきれいだった。
境内の道を歩くと、石段があり、石段を上ると、本堂の前に着いた。







本堂を参拝後、納経帳に御朱印を受けた。
華厳寺では、ほかの札所とは異なり、納経所1箇所で3つの御朱印を受けることになる。
御朱印は、本堂、満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ、現世、過去世、未来世を意味するとされている。



そのあと、境内をさらに奥に進み、笈摺堂、満願堂などを参拝した。









満願堂付近は、眺めが良かった。



そのあとは、華厳寺をあとにして、山門前の某飲食店に行った。
その店では、満願そばを食した。
それから、山門付近の土産店で買い物をしてから、バス乗り場に向かって参道を歩いた。
その途中に、神社があったので、参拝した。



予定より早くバス乗り場に戻ったので、乗る予定の揖斐駅行きのバスまではかなり時間があった。

そこで、いったん、バス乗り場から離れていった。



そして、旧谷汲駅に向かって歩いた。
2001年に廃止された、名鉄谷汲船の駅跡である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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高梁市へドライブ

2024年08月10日 21時03分41秒 | Weblog
今月7日は、仕事が公休だった。
そこで、マイカーで出かけた。
向かったのは、岡山県高梁市成羽町にある成羽美術館。
目的は、岩合光昭さんが撮影されたネコの写真の展示(日本ねこ歩き)を観ることである。
館内は、原則撮影禁止なので、デジカメは持ち込まずに、入館した。
その展示会は、岩合さんが撮影されたネコの写真のうち、国内で撮影されたものが、春、夏、秋、冬の順に展示されている。
展示を観終わった後は、記念にネコの写真のポストカードを2枚買って、美術館をあとにした。
そのあと、成羽川沿いの国道313号線を西に向かって、車を走らせた。
途中、右手に農産物を販売している店があったので、高梁産のキャベツをアスパラガスを買った。
それから、夫婦岩を目指したが、案内表示が見つからなかったうえ、道を間違えて、旧備中町へ行ってしまったあとに折り返した。
時間切れになったので、夫婦岩を観に行くのは中止にして、国道313号線を高梁市の旧市街地に向かって走った。
高梁川を渡り、国道180号線に出ると、少し北上して、某蕎麦屋に行った。
その蕎麦屋は、観光客向けの有料駐車場の隅にある。
その駐車場は、原則有料だが、駐車場内の飲食店で飲食すると、1時間まで無料で止められる。
蕎麦屋に入ると、天ざるそばを注文した。
昼食後は、受付で渡された紙に店の印を押してもらい、それを駐車場の受付の人に出した。
そうすることで、1時間以内なら、無料で止めることができた。
そのあと、車を発進させて、国道484号線に入った。
その道は、ループ橋がある。
ループ橋を渡り、しばらくすると、右手に駐車場と展望台がある。
わたしも、車を止めて、高梁市街地を見下ろした。



わたし以外にも車を止めて、景色を眺めていた方がいた。

そのあと、もう少し走ると、また右手に駐車場があったので、車を止めた。
その場所は、木々に囲まれているので、景色は見えないが、少し歩いて、旧道のほうに行くと、市街地を見下ろすことができた。



少し経つと、車に戻り、東へ向かって走った。
そして、吉備中央町に入った。
途中、道の駅かようで、休憩をした。
そのあとは、車に戻ると、帰路に就いた。

こうして、成羽美術館目的のドライブを終えることができた。
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蒜山高原へドライブ(その2)

2024年08月06日 21時25分50秒 | Weblog
今月3日の午前10時半頃、わたしは、岡山県北部の蒜山高原にいた。
母親も一緒である。
道の駅風の家に野菜などを買いに行ったあと、クルマで鬼女台展望台に向かって走った。
蒜山高原センターの前を通過し、しばらくすると、右折して、蒜山大山スカイラインに入った。
その道路は、観光向きの県道で、かつては有料道路だった。
現在は、無料で通行できるので、料金所は跡形もなくなくなっている。
なお、冬季は閉鎖され、通行止めになる。
その道路は、山の中の木々の間などを通り、カーブが多い。
その日は、途中で、草刈り作業が行われていて、片側交互通行になっていたが、それほど渋滞はしなかった。
10時50分頃、県境付近の鬼女台展望台に到着した。
土曜日だったので、駐車場の混雑を懸念していたが、意外にもがら空きだった。



駐車場からは、大山などがきれいに見えた。



その日は、良い晴天だったので、デジカメのレンズにC-PLフィルターを装着して、撮影した。





わたし以外にも、撮影されていた人がいた。

また、大山とは反対のほうへ目を向けると、蒜山高原を見下ろしたり、蒜山の山々を眺めることができた。



展望台をあとにする前に、再び、大山の撮影もした。



それから、クルマに戻り、昼食をとるため、通った道を戻った。
蒜山高原センターの前を通過し、少し経って、急な坂道を下りると、信号機のある交差点の少し手前右側に、蕎麦屋がある。
しかし、その店は、駐車場が満車のうえ、道の端で空くのを待っていた車がいたので、あきらめて通過した。
信号機のある交差点を直進し、再び道の駅風の家方面へ走った。
道の駅風の家の向かいにも、蕎麦屋がある。
駐車場に車を止めたあと、降りて、店の前に着いた。
そのときは、11時半過ぎだった。
既に、順番待ちをしていた人が多数いた。
わたしたちも、名前と人数を記入して、順番が来るのを待った。
かなり暑かった。
正午を過ぎて、しばらくすると、名前を呼ばれたので、店に入ることができた。
昼食後、店をあとにすると、再び、道の駅風の家に行った。
母親は買い忘れたものを買い、わたしは、トイレに行きたくなったので、使わせてもらった。
そのあと、クルマで、蒜山高原センターの向かいにある、グリーナブルヒルゼンに行った。
グリーナブルヒルゼンの前に着くと、蒜山高原センターの駐車場にクルマを止めた。
なぜなら、グリーナブルヒルゼンの駐車場は、蒜山高原センターのものを利用するように指示されているからである。
駐車場は混雑していたが、すぐに空きスペースが見つかった。
クルマを止めて、降りると、横断歩道(信号はない)を渡り、グリーナブルヒルゼンに行った。



特徴ある建物は「風の葉」という。
それは、建築家の隈研吾氏が設計したものである。
中に入ることができ、家族連れと思われる方などが何組か、中にいた。
内部は、意外と涼しかった。

また、その近くには、ごみを集めて作られたイノシシのモニュメントが設置されていた。



わたしは、その付近からも、大山に向かって、カメラのレンズを向けた。



そのあと、クルマに戻った。
そして、しばらくして、発進すると、蒜山高原をあとにした。
そのあとは、国道482号線、国道313号線などを通り、帰路に就いた。

こうして、蒜山高原へのドライブを終えることができた。
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