今さら27日のことを記事化してすみません。
今月27日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
マイカー用の駐車場に車を止めると、荷物を持って、駅舎へ向かって歩いた。
そして、18きっぷにスタンプを押してもらった後、6時41分発の1300M列車に乗車した。
列車は、115系の4両編成だった。わたしが乗車した車両は、最後尾の車両で、車番はクハ115-1241だった。
18きっぷの時期にしては、車内は空いていた。
列車は、和気、吉永、三石、上郡の順に停車した。
上郡では多数の乗車があった。そして、次の有年で車内が混雑してきた。
有年の次は、相生に停車した。相生で、新快速・長浜行きに連絡しているせいか、多数下車客がいたが、乗車してきた人も多かった。
車内は混雑してきた。
そのあと、列車は、竜野、網干、はりま勝原、英賀保の順に止まり、終点の姫路には、7時46分に到着した。
姫路からは、8時10分発の新快速に乗車した。わたしが乗車した車両は、最後尾の車両で、車番はクハ222-2044だった。その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、加古川、西明石、明石、神戸の順に停車した。
神戸駅で、新快速を下車すると、下り普通電車に乗り換え、兵庫駅で降りた。
そして、和田岬線ホームへ向かって歩いた。
その日は、和田岬線に乗車することが目的のひとつだったのである。
和田岬線は、山陽本線の支線で、兵庫と和田岬を結ぶ盲腸線である。
列車の運行は、朝と夕方のみで、日中は走らないので、朝早く出かけたのである。
ホームには、午前の最終である533M列車が止まっていた。103系の6両編成である。
わたしは、先頭の車両に乗車した。車番はクハ103-354だった。
ラッシュのピークを過ぎていたせいか、車内は閑散としていた。
列車は、兵庫駅を発車すると、約3分後、終点の和田岬駅に到着した。
ホーム1本のみの無人駅で、駅舎はなく、トイレは、駅舎跡地に建っているコンビにのトイレを借りるしかない。
和田岬で下車後、トイレ休憩をし、再び列車に戻った。
乗車したのは、最後尾の車両である。
9時29分に、列車は、終点の兵庫駅に到着した。
これで、和田岬線の午前の列車の運行は終了した。
そのあと、山陽本線の普通電車に乗り、神戸駅で下車した。
そして、NHK大河ドラマ「平清盛」のドラマ関係のものを展示したドラマ館へ行った。
ドラマ館のチケット売り場で、ドラマ館・歴史館のセット券を買って、展示室へ入った。
展示室内は撮影禁止なので、写真撮影はしていないが、小道具のすごろくや、主な登場人物の衣装などが展示してあった。
そのあと、昼食をとった。
そして、ハーバーランド駅から、地下鉄海岸線に乗り、歴史館へ向かった。
歴史館は、地下鉄中央市場前駅からすぐの場所にあった。
そこでは、平清盛の時代を中心に、兵庫県の歴史に関するものを展示してあった。
歴史館も撮影禁止なので、写真撮影はしていない。
歴史館をあとにすると、中央市場前駅から地下鉄に乗り、ハーバーランド駅で下車した。
そして、神戸駅からJRに乗り、六甲道で下車した。
六甲道駅で改札の外に出ると、某模型店へ向かって歩いた。
そして、模型店で買い物を済ませると、駅へ戻った。
六甲道からは、快速電車に乗車した。そして、三ノ宮駅で、新快速電車姫路行きに乗り換えた。
三ノ宮から乗車した新快速は、3453Mで、13時22分に三ノ宮駅を発車した。
列車は、223系の8両編成で、わたしは、先頭の車両の運転席の後ろで立っていた。
その日、その列車には、女性の運転士が乗務していた。
車番は、クハ222-2079だった。
途中の加古川駅を出ると、次は終点の姫路だが、その辺りで、黄信号が多く出て、徐行運転を余儀なくされていた。
終点の姫路には、何分か遅れて到着した。
姫路からは、965M列車・播州赤穂行きに乗り換えた。新快速の遅れの影響で、その列車は、2分遅れで、姫路駅を出発した。
列車は、223系の4両編成だった。
列車は、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
相生で、1321M列車・三原行きに乗り換えた。
列車は、115系の3両編成で、その日は、湘南色の編成が充当されていた。
私が乗車したのは、先頭の車両で、車番はクハ115-410だった。
その日、その列車には、女性の運転士が乗務していた。
列車は、有年、上郡、三石、吉永、和気、熊山の順に停車した。
そして、熊山で、下車し、マイカーで帰宅した。
こうして、和田岬線の外出と、平清盛のドラマ館・歴史館の入館などを目的とした外出を終えることができた。
暑さで疲れたが、楽しむことができたと思った。