浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」、来春引退

2014年05月28日 20時45分49秒 | 公共交通
JR西日本の看板列車であり、且つJR西日本唯一の客車寝台特急となった『トワイライトエクスプレス』は、大阪と札幌を結ぶ列車として知られていて、今も人気の列車である。
新聞やニュースサイト、公式サイトでも報道や発表があったが、その『トワイライトエクスプレス』が、来春、車両老朽化を理由に運行をとりやめるという。
鉄道ファンとして、大変残念且つショックな話題である。
確かに、機関車・客車とも、車両が古く老朽かも進行していたのは否めないのかもしれないが、こうして人気列車がまた一つなくなるのは、寂しさを感じさせる。
残念ながら、わたしは、乗車機会がないまま、その列車は姿を消すことになるであろう。
『トワイライトエクスプレス』の残された時間は、1年弱と思われるので、機会があったら、また撮影に行きたいと思う(本当は、一度は乗りたかったのだが)。


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10月22日の井笠鉄道バス乗車

2012年11月23日 13時23分15秒 | 公共交通
今さら、先月のことを記事化してすみません。

10月22日の朝は、路線バスで、岡山駅へ向かった。
岡山駅からは、9時30分発の437M列車、三原行きに乗車した。
列車は、115系で、私が乗車したのは、先頭のクハ115-312だった。
車内は、セミクロスシートの座席だった。
笠岡駅に止まると、下車して、改札内のトイレ取材をした。
そのあと改札の外に出て、井笠鉄道のバスの撮影や、駅前公衆トイレの取材を行った。













わたし以外にも、カメラで撮影していた人が何人かいた。

井笠鉄道のバスは、富士重ボディ+いすゞシャーシか日野製の車両が多かったが、いすゞ・キュービックバスも使われていた。
バスの撮影などが済むと、笠岡駅前から、井原バスセンター行きのバスに乗車した。
乗車したバスは、日野の旧型のブルーリボンだった。マニュアル車で、内装は木製の床だった。
バスは、笠岡駅前を出発すると、県道笠岡井原線を北上した。
途中、笠岡インターチェンジの前を通り、さらに進み、山の中へ入っていった。
そして、特別支援学校の付近を通ると、峠を越えて、井原市に入った。
その付近は、人家はまばらだった。
そして、宮の端を通り、さらに進むと、再び山を越えた。
すると、井原市街地を見下ろせる場所に差し掛かった。
その付近では、道路工事が行われていて、片側交互通行が行われていた。
そして、さらに進み、井原鉄道の線路の上を通り過ぎると、交差点を右折し、井原駅へ向かった。
井原駅を出ると、また北上し、終点の井原バスセンターに到着した。





井原バスセンターは、人はまばらだったが、井笠鉄道バスの車両が多数とまっていた。
また、設置からかなり年数が経っていそうな路線図などがあった。





井原バスセンターで、バスの撮影などをすると、バスセンターをあとにした。
そして、井原駅を目指して、歩いていった。
井原駅前でも、バスの撮影をした。



そのあと、笠岡行きのバスを待った。
井原駅前から乗車した笠岡行きのバスは、井原へ向かうのに乗ったバスと同じ道を通った。
車両は、日野のレインボーだった。
笠岡駅前に着くと、きっぷを買って、改札を通った。
そして、13時14分発の451M列車・三原行きに乗車した。
列車が福山駅に着くと、昼食をとり、それから、井笠鉄道バスの乗り場へ行った。



福山駅前からは、神辺経由井原行きのバスに乗車した。
バスは、日野の旧型ブルーリボンで、木の床の車両だった。
福山駅前を出発したバスは、市街地の中を東へ向かって走り、国道313号との交差点を左折し、国道を北上した。
そして、新幹線や山陽本線の高架をくぐり、さらに進んだ。
その付近は、店舗が建ち並ぶ都市郊外の風景だった。
さらに進むと、車窓からは店舗や家屋は少なくなり、山の中に入った。
そして、新興住宅街などの付近を通り、しばらく進むと、山陽自動車道の下をくぐった。
さらに進むと、横尾駅付近を通った。
その付近から、車窓左手には、福塩線の線路が見えてきた。
そして、線路と平行し、神辺の町に入った。
神辺駅前で、バスを下車した。



そして、14時52分発の福山行きの256M列車に乗車した。
列車は、105系の2両編成で、ワンマン運転だった。
黄色一色の編成で、乗車したのは、先頭のクモハ105-2だった。
福山駅に着くと、15時20分発の452M列車・長船行きに乗車した。
列車は、115系の3両編成で、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
岡山駅に着くと、下車した。
そして、駅前付近で買い物を済ませた後、バスで帰路についた。
こうして、井笠鉄道のバス目的の外出を終えることができた。


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井笠鉄道のバスに乗車ほか

2012年10月22日 21時51分45秒 | 公共交通
今日は、仕事が公休だった。
そこで、笠岡、井原、福山で、井笠鉄道のバスの乗車と撮影を楽しんできた。

都合により、詳細は後日書かせていただきます。
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明石市営バスに乗車ほか(続き)

2012年02月22日 20時32分22秒 | 公共交通
一昨日20日の朝は、カメラを持って、マイカーで熊山駅へ向かった。
駅付近のマイカー用駐車場に車を止めると、駅へ向かって歩いた。
熊山駅からは、7時34分発の1302M列車姫路行きに乗車した。
列車は、115系の4両編成で、その日は、黄色の編成が充当されていた。
その日、その列車は、女性の車掌が乗務していた。
わたしが乗った車両は、最後尾のクハ115-1206だった。
車内は、多数乗客が居た。
次の和気駅では、高校生が多数下車したが、その後も、18きっぷの時期ではないのに、旅行者と思われる人たちが意外と多数いた。
兵庫県に入り、上郡に止まると、多数乗車して、車内は混雑してきた。
姫路に着くと、8時56分発の3436M新快速に乗り換えた。
列車は、223系の12両編成で、わたしは、最後尾のクハ222-2059に乗車した。
新快速は、加古川、西明石の順に止まり、その次の明石駅に止まると、下車した。
そして、駅北側のバス乗り場へ向かった。
その日は、3月16日に廃止される明石市営バスに乗りに行ったのである。
最初は、市民病院経由車庫前行きに乗車した。
そのバスは、「神戸200か1789」の車両だった。
バスは、明石駅北5番の乗り場を出発すると、西へ向かって走り、少し経つと、北へ向かっていった。
そして、市民病院のロータリーのバス停に止まると、わたし以外の乗客全員が降りていった。
市民病院を出ると、少し南の三叉路まで南下し、右折待ちをしていた。
すると、対向車の神姫バスの路線バスが、市営バスに進路を譲ってくれた。
バスは、右折すると、団地や住宅などが建ち並ぶ中を走っていった。
しばらく走ると、所々、田畑が残っているのが見えたが、ほとんど市街化していた。
そして、バスは、車庫前停留所に停車し、ドアが開いたので、運賃200円を払って、運転手さんに挨拶をして、下車した。
約10分の乗車だった。



その場所は、信号機のある十字路の手前で、交差点を渡って右手が、市バスの車庫である。
交差点名は、「市バス車庫前」だった。









バスを降りると、バス停標識や、バスの車庫や車庫から出てきたバスなどを撮影した。





そして、国道経由明石駅行きの乗り場で、バスを待ち、10時23分発のバスに乗車した。



乗車したバスは、「神戸200か1462」の車両だった。
バスは、車庫前停留所を出発すると、JRのガードをくぐり、それから、国道2号線に入った。
国道2号線には入ると、東へ向かって走った。
途中、山陽電鉄の線路を跨線橋で越えると、ビルや商店が建ち並ぶ市街地の中に入った。
そして、少したつと、左折し、駅へ向かって走り、駅南側のロータリーの降り場に停車した。
運賃200円支払ってから、下車した。
約10分間の乗車だった。









そのあと、バスの写真を撮ったり、駅中の飲食店で昼食をとったりした。
その日は、焼うどんと明石焼を口にした。
昼食後、12時36分発の松が丘5丁目経由朝霧駅行きのバスに乗車した。
乗車したバスは、「神戸200か1787」だった。
バスは、明石駅のロータリーを出発すると、山陽電鉄とJRのガードの下をくぐり、そして、丘陵地の住宅街へ向かって走っていった。
車窓から外を見ても、ほとんど住宅だった。
しばらく走ると、坂道を下り、再び坂道を上ると、団地の中を走っていった。
それから、まもなく、朝霧駅に到着した。
乗車時間は、約20分だっただろうか。
朝霧駅に着くと、運賃200円を支払って、下車した。









そして、朝霧駅前でも、バスの写真を撮影した。
そのあと、熊山までのキップをみどりの券売機で買い、改札内に入った。
そして、朝霧駅のトイレを取材した。
トイレの取材が済むと、予定より早い電車に乗った。
予定では、13時50分発の電車に乗るつもりだったが、13時35分発に乗ることができた。ただし、その日は、その電車は、5分ほど遅れていた。
電車は、西明石行きの普通電車で、207系の7両編成だった。
わたしが乗車したのは、先頭のクハ206-1022だった。
車内は空いていた。
電車は、途中、明石に停車し、その次が終点の西明石だった。
西明石駅に着くと、途中下車して、駅前に止まっているバスを撮ったあと、喫茶店でコーヒーを飲んで休憩した。
そして、14時41分発の3461M新快速播州赤穂行きに乗車した。
列車は、12両編成で、前寄り8両が播州赤穂行きで、後ろ寄り4両が姫路で切り離される車両だった。
わたしは、前から3両目に乗車した。
車番は、サハ223-2059だった。
相生駅に止まると、下車して、15時25分発の1323M普通列車に乗り換えた。
列車は、115系更新車の4両編成だった。
わたしが乗車したのは、先頭のクハ115-1241だった。
18きっぷの時期ではないので、車内は空いていた。
列車は、有年、上郡の順に各駅に停車した。
上郡を出ると、船坂峠を越え、トンネルを抜けて、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
三石を出ると、吉永、和気の順に止まり、熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰宅した。
こうして、明石市営バスの乗車を目的とした外出を無事に終えることができた。
明石市営バスの運行終了まで、残り1ヶ月を切っている。
最終日まで、無事安全な運行が行われることを、心から願って止まない。
また、明石市の公共交通として長年親しまれた市営バスには、心から労いの意を申し上げたいと思う。
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ますます堕ちてゆくJR西日本

2010年11月17日 20時08分00秒 | 公共交通
JR西日本エリアに住んでいる者としては、槍玉に挙げるのは心苦しいが、腹立たしいニュースがあったので、一言書きたい。
ニュースソースはこちらをクリックしてください

今世紀に入って「女性専用○○」に固執する姿勢が露骨になっているが、とうとう悪夢が現実になりそうである。
これが、本州西部を代表する公共交通機関がやろうとしていることである。
公共交通は、本来は、男女で享受できるサービス内容などが平等でなければ、まともな交通機関とはいえない。
わたしは、今回のこのニュースの件だけではなく、これからJR西日本がやろうとしていることが、「これからの鉄道業界では当り前」という誤った風潮になってしまうことを懸念している。
これでは、日本の公共交通が、ますますまともな交通機関ではなくなってしまうだろう。
まあ、JR西日本は、世間から、ますます批判の的となってしまうだろう。
ところで、JR東海さん、名古屋鉄道さん、京都市交通局さん、山陽電鉄さん、貴社局たちは、公共交通機関の鑑です。
これからも、美しい鑑を守ってください。
間違っても、JR西日本の誤ったマネをしないでくださいね。
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姫路市営バスに乗車

2010年02月25日 17時51分43秒 | 公共交通
今日は、山陽本線で姫路へ行った。
姫路駅に着くと、下車して、駅北口のバス乗り場へ向かった。
姫路駅前(北口)のバス乗り場は、市営と神姫で分かれている。
わたしは、市営バスの乗り場に向かった。
今日は、姫路市営バスに乗るのが目的で、姫路へ行ったのである。
姫路市営バスは、姫路市企業局が運営する公営のバスである。
長年、姫路市内の交通機関として活躍していたが、3月下旬に、姫路市のバス事業廃止が決定している。
姫路市営バスが活躍する姿を見ることができるのも、あと一月。
わたしは、最初は、11時20分発の姫路港行きに乗車した。
乗車したバスは、西日本車体の大型ノンステップバスだった。
バスは、発車すると、JRの姫路駅と山陽姫路駅の間の道を通り、しばらく走ると、跨線橋のほうへ左折した。
そして、南下し、手柄を通り、さらに南へ向かって走った。
その付近は、典型的な地方都市の郊外風景のなかだった。
南下する途中で、山陽電鉄の線路のガードをくぐった。
その付近には、電車の車庫があり、山陽電車や阪神電車がとまっていた。
途中で、西へ曲がり、再び曲がって、片側1車線の道を南下した。
沿道に、大きな神社があるのが眼に入った。
しばらく走ると、大きな工場や港湾施設などが眼に入ってきた。
それから少し走ると、終点の姫路港である。
所要時間は、約20分だった。
そこからは、小豆島の福田港行きのフェリーや家島諸島へ向かう定期船などが発着しているが、わたしが行ったときは、船の姿を見ることはできなかった。
姫路港のターミナルビルで小休憩を撮ったり、周辺でスナップ写真を撮ったあと、再びバスで姫路駅へ向かった。今度も、西日本車体の大型ノンステップバスだった。
姫路港を出た時点では、乗車していたのは、わたし1人だけだったが、途中の停留所で、徐々にお客さんが増えていった。
バスは、JR在来線の上を跨ぐと、しばらく北上し、東行き一方通行の通りを進んでいった。
そして、姫路城付近で、駅へ向かって右折していった。
それから少し経って、終点の姫路駅前へ到着した。
姫路駅付近の地下街のラーメン店で昼食をとり、駅にある書店で買い物をしたあと、また市営バス乗り場へ向かった。
今度は、14時05分発の日出町車庫行きに乗車した。
バスは、姫路駅前から北上し、姫路城付近で、一方通行の通りを東へ向かって走った。
そのあと、いったん南下し、少しして左折し、町中の片側1車線の道を東へ走り、再び南へ向かって右折した。
それから少しして、また左折し、少し東へ走って、北へ向かって左折した。
そして、終点の日出町車庫へ到着した。所要時間は、約15分。
バス停は、片側1車線で、歩道のない道路上にあるが、すぐそこの場所に、営業所がある。
付近は、住宅がほとんどで、小さな事務所なども少々あるが、大きな商業施設は見当たらなかった。
住宅は、一戸建てだけではなく、マンションも多い。
日出町車庫から、再び市営バスで、姫路駅へ戻った。
今度のバスは、ノンステップだが、三菱ふそうの中型バスだった。
それまで乗った大型バスと比べると、当然だが、通路なども狭かった。
バスは、所々で曲がりながらも、西へ向かって走り、姫路市街地で南下し、姫路駅前へ到着した。
そして、姫路駅から、山陽本線に乗り、姫路の街をあとにした。
こうして、姫路市営バスの乗車を楽しむことができた。
ところで、近年公営バスが急速に姿を消している。
今世紀だけを例に挙げても、函館市、札幌市、岐阜市、荒尾市、秋田市、尾道市、三原市が、バス事業から撤退した。
そして、姫路市が撤退するほか、苫小牧市、熊本市、明石市もバス事業廃止の見込みである。
ほかの公営バス運行都市も、安泰ではないという噂もある。
これからも公営バスを運行する他の市には、末永い存続を願いたいと思う。
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JRダイヤ改正

2009年03月14日 08時53分12秒 | 公共交通
今日から、JRグループのダイヤが一斉に新ダイヤに切り替わった。
今回の改正で、もっとも大きく報じられたのは、「はやぶさ」「富士」の廃止である。
それにより、東京と九州を結ぶブルートレインはすべて姿を消したほか、九州内では、寝台列車が走る姿が見られなくなった。
同時に、EF66とED76の定期旅客列車は全廃となった。
新幹線のスピードアップや増発、航空機の発達、それに高速バスの台頭により、旅客数は減ったのは確かだろうが、それでも、深夜列車で移動し、朝から目的地での観光を楽しみたいニーズは、まだまだあったはずである。
料金のシステムや設備の改善(それ以上に、車両の更新も)などを行なえば、生き残れる余地はいくらでもあったと思われるが、新幹線関係に固執しすぎた結果だろうか?
新幹線のスピードアップと増発されすれば、ほかは切り捨てても良いという考えでは、この国の鉄道文化は、永久に育たないと思うのは、わたしだけではないだろう。
昨年に続いて、一層寂しさが増す改正であると感じた。
そのほか、岡山地区では、「つやま」の廃止が挙げられる。それにより、JRの昼行急行の定期列車が全廃となったほか、気動車急行もすべて姿を消したことになる。
そのほか、日中の「サンライナー」の運行の取りやめ、岡山と広島の直通の大幅減少など、格安旅行をするには、ますます不便なダイヤになっている。
新幹線を利用してくれといわんばかりのダイヤだが、それにより在来線を離れたひとの大半は、JRを利用せず、高速バスやマイカーにシフトし、ますます鉄道離れを加速させるのではと懸念させる内容である。
今回のダイヤ改正は、前回に続いて、わたしにとっては「ダイヤ改悪」と呼ばざるを得ない。
これ以上不便なダイヤになってほしくないと、わたしは思う。
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井原鉄道に乗車

2009年01月12日 11時10分41秒 | 公共交通
昨日11日は、バスで岡山駅前へ行った。
岡山駅からは、9時18分発の845M普通列車新見行きに乗車した。115系の4両編成である。わたしが乗車したのは、先頭の車両で、番号は、クハ115-1206だった。
総社に着くと、下車して、井原鉄道の乗り場へ向かった。
その日は、開業10周年を記念して100円のワンコインで乗車できるサービスを実施していた。
そのため、乗車券は買う必要はない。
しかし、窓口は長蛇の列ができていた。
記念グッズなどを買い求める人の列である。わたしは、井原駅の記念乗車券を購入した。
そして、井原鉄道のホームへ向かって階段を下りた。
ホームには、長い列ができていた。
両面ホームの中心部には、ロープが張られていた。
乗車する人と降車する人の通路を分けていたのである。
本来10時11分発の9373Dになる列車が、遅れて入線した。
車内の乗客が下車すると、乗車開始となった。
車内は、大混雑していたが、わたしは、通路側の席に座ることができた。
車番は、IRT355-04だった。その列車の先頭車両である。
車内は、大混雑していて、通路に立ち客が多数いたが、それでも、次から次へと車内に入ってきた。
列車は、定刻よりも遅れて発車となった。
清音までは、伯備線の線路を走る。
清音では、行き違いの列車の遅れのため、長時間停車した。
そして、発車。
列車は、高梁川のトラス橋を渡り、川辺宿駅に停車。
そして、次は、吉備真備駅である。そこでは、ホームに長蛇の列ができていた。
乗れない人も出たかもしれない。
その次は、備中呉妹である。
その付近は、田園の中の高架の上を走っていた。
また、所々にトンネルもあった。
しばらくして、列車は、三谷に停車。
その次は、矢掛駅である。
矢掛駅前では、イベントが行なわれていた関係で下車客も比較的多かった。
しかし、車内は、大混雑のままである。
矢掛を出ると、小田駅に停車した。
小田を出ると、しばらくして、列車は、高架から下りて、早雲の里荏原に停車した。そこは、車両基地が併設されている。
また、駅の前後には、踏切がある。
早雲の里荏原を出ると、踏切を渡り、築堤や高架の上を走った。
そして、また、地上へ下りて、踏切を渡り、井原駅に停車した。
井原駅では、メインと思われるイベントがあったので、多数の下車客がいた。
それでも、まだ立ち客がいた。
井原を出ると、いずえ、子守唄の里高屋に停車した。そこまでが岡山県である。
列車は、高架の上を走り、広島県に入ると、御領に停車した。
そして、その次は、湯野に停車した。
湯野を出ると、高架を下りて、カーブして、福塩線の線路と併走した。
踏切も数箇所あった。
そして、終点の神辺に到着である。
神辺駅に着くと、ホーム出口に立っていた係員に、運賃の100円を出した。
それから、駅の外に出た。
駅前では、しょうが湯の無料サービスと、うどん、コロッケなどの販売が行なわれていたのだが、わたしが着いたときには、しょうが湯は終了していた。
うどんを買って、腹ごしらえをして、コロッケの販売場所で売っていたドーナツも買って口にした。
そのあと、上り列車で折り返すことにした。
12時03分発が発車寸前だったが、それは、車内がいっぱいだったので、見送って、次の列車を待つことにした。
しばらくすると、折り返し、13時06分発1326D清音行きになる、1323Dが到着した。
本来は、12時16分の入線だが、20分ほど遅れていた。
列車到着後は、全乗客が降りたあと、乗務員による車内点検が行なわれ、そして、乗車開始となった。
列車は、2両編成で、わたしは、後ろの車両に乗車した。車番は、IRT355-09だった。わたしは、窓側に座ることができたが、座席はあっという間に埋まり、車内は、多数の客が立っていた。
列車は、終点まで各駅に停車する。
発車時刻までの間、行き違い列車が遅れているので、発車時刻を遅らせるという放送があったが、後で、行き違い箇所を御領駅に変更して、その列車は定刻どおりに発車させるという訂正があった。
列車は、定刻どおりに発車した。
終点まで各駅に停車する。
しかし、ダイヤの乱れがあり、行き違い駅で定刻どおりに発車できなかったので、その列車も遅れが出た。
列車は、ほとんど高架の線路を東へ向かって走った。
井原駅では、多数の乗車があり、通路がぎゅうぎゅう詰めになった。積み残しも出たかもしれない。
満員の列車は、さらに東へ進んでいった。
列車は、各駅に停車し、終点清音には、本来の到着時刻である13時53分よりも20分近く遅れて到着した。
ここでは、13時58分発の伯備線列車に接続していたのだが、もう既に発車したあとだった。
次まで待つしかなかった。
そのとき、携帯電話の着信履歴をチェックすると、鉄道模型の運転会でお世話になっている方からの着信があり、かけると、北長瀬駅付近にできた模型店にいるという。
そこで、その店へ行くことにした。
しばらく待つと、824M列車が入線してきた。それは、115系2両編成の列車で、米子始発である。
わたしは、先頭の車両で立つことにした。
列車は、倉敷、中庄、庭瀬に停車し、北長瀬に着くと、下車した。
そして、駅北口から模型店へ行き、それからしばらくして、再び北長瀬駅に戻ると、16時32分発の356Mに乗車した。それは、115系の瀬戸内色の列車だった。女性の運転士が乗務していた。
次は、終点の岡山である。
岡山に着くと、改札を出て、バスで帰宅した。
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井原鉄道開業10周年

2009年01月11日 21時07分31秒 | 公共交通
本日、1月11日は、井原鉄道開業から、ちょうど10周年の日である。
沿線では、記念イベントが行なわれ、列車1乗車100円というサービスが実施された。




わたしも、本日、全線を1往復乗車してきました。
都合により、詳細は、後日書かせていただきます。
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JR最後の昼行急行、来春廃止

2008年11月02日 20時06分54秒 | 公共交通
わたしのうちでは、朝日新聞を購読している。
今朝の新聞には、大変残念な話題が載っていた。
ネット上の鉄道ファンの方は、もうご存知の人が多いだろうが、JR最後の昼行急行で、かつ最後の気動車急行である「つやま」が、来春のダイヤ改正廃止されるのである。
つまり、JRからは、定期列車の昼間の急行列車が、完全に姿を消すのである。
同時に、気動車急行全廃と、中国地方の急行列車全滅ということになる。
「つやま」は、そのような点で大変貴重な存在の列車だっただけに、誠に残念である。
同列車は、誕生して約5年間は、急行型車両で運転されていたが、老朽化に伴い普通型のキハ40系に置き換えられてからは、「遜色急行」「ボッタクリ急行」と呼ばれるようになった。
たしかに、使用車両やスピードなどから、急行料金が必要な点は割高感は否めない。
しかし、数少なくなった急行列車であることを逆手に、観光列車に発展することも考えてほしかったのだが、なかなか鉄道ファンの思うようにいかないのが現実である。
JR西日本は、広島県や山口県などに、キハ40系改造の観光列車(急行ではなく快速だが)を運転しているし、九州では、観光路線の特急列車に使用されている例(もちろん、車両もそれ相応に改造されている)があるが、特に不評の声を聞いたことはない。
「つやま」も、観光客向けに思い切った改造をして、快速列車に差をつけた内容の列車にすれば良かったのではと思う。
「つやま」が走っている津山線は、旭川沿いなど、風光明媚な車窓を楽しめる箇所も少なくない。
同列車の廃止は、津山線の魅力とイメージを大幅にダウンさせるようで、本当に残念としか言いようがない。
コメント (2)
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