浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

2泊3日の釜山旅行(その4)

2011年12月30日 20時04分57秒 | Weblog
今さら、11月のことを記事化してすみません。

11月8日から10日までは、勤務先の職員旅行で、釜山へ行った。
11月10日の朝も、釜山市内のホテルでむかえた。



起床し、バイキング形式の朝食をとった。
そのあと、荷物をまとめ、身支度を整えて、部屋を出た。
そして、チェックアウトの手続きをした。
それから、観光バスに乗車した。
その日は、旅行初日と2日目に乗ったバスとは、違う車両が充当された。バスは、かなり大きかった。
バスに乗ると、龍頭山公園と釜山タワーに向かった。
龍頭山公園は、釜山市街地の小高い山の上にある公園で、その公園に、釜山タワーが建っている。
龍頭山公園の駐車場に止まると、バスを降りて、釜山タワーに上った。









タワーからは、市街地が一望できた。
その日の朝まで泊まっていたホテルも、タワーから見ることができたほか、旅行初日に行ったチャガルチ市場なども見えた。











釜山タワーをあとにすると、次は、梵魚寺へ向かった。
バスは、梵魚寺を目指して、高速道路を走った。
車窓からは、高層の団地が至るところで見えた。
高速道路を降りると、一般道路を走ったが、その辺りも市街化していた。
だが、バスは、だんだんと山の中に入っていった。
そして、梵魚寺へ通じる道が分岐しているところで、バスは停車した。
バスを降りると、坂道を歩いて、梵魚寺へ向かった。
梵魚寺は、山奥にある寺院で、紅葉の名所でもある。
わたしは、11年前、一度行ったことがあるが、そのときは、紅葉がきれいだった。
しかし、今回は、紅葉の見ごろは過ぎていた。















梵魚寺を見たあとは、再びバスに向かって坂道を歩いた。
そして、バスは、釜山市内の飲食店を目指して、出発した。
高速道路をしばらく走って、市街地のあるところで、一般道に下りた。
それから、少し経って、飲食店の前に停車した。
その店では、プルコギの昼食をいただいた。



そのあと、釜山港に比較的近いところにある免税品店へ行った。
そこでは、土産にキムチなどを購入した。
その店の前で、添乗員は、パスポートを預かって、一足先に、釜山港へ向かっていた。
旅行者全員の乗船手続きを行なうためである。
わたしたちは、土産店で買い物を終えると、バスに乗って、釜山港へ向かった。
釜山港に着くと、忘れ物がないのを確認して、荷物を持って、現地ガイドの人に挨拶をして、港の建物へ入った。
そして、添乗員と合流すると、パスポートを返してもらって、乗船券を受け取って、乗船口に向かっていった。
パスポートの検査や荷物検査を済ますと、乗船可能時刻まで待った。
帰りの船は、案内上は、コビーだった。しかし、実際に充当されていた船は、行きと同じビートルで、乗務員も同じ人だった。
14時15分、コビーと案内されていたビートルは、釜山港を出港した。釜山の街とはお別れである。
船は、17時20分頃、約10分ほど遅れて、博多港に到着した。帰国である。
そして、パスポートや税関の手続きをして、外に出た。
博多港からは、博多駅まで、西鉄の路線バスに乗車した。
夕方のラッシュ時のせいか、バスも、博多駅前には遅れて到着した。
そのため、帰りの新幹線への乗り換えに余裕時間がほとんどなくなった。
添乗員に案内されて、急いで新幹線ホームへ向かった。
博多駅から乗車した新幹線列車は、18時38分発の「ひかり576号」レールスターだった。
本来は、博多駅で駅弁を買う時間を与えてもらう予定だったが、博多駅に着いたのがぎりぎりだったので、駅では弁当は買えなかった。
そこで、車内販売の弁当を買って、夕食にした。
新幹線は、20時36分に、岡山駅に到着した。
岡山駅に着くと、そこで解散した。
そして、わたしは、駅前から路線バスに乗って帰宅した。
こうして、2泊3日の釜山旅行を無事に終えることができた。
本当に楽しい旅行だったと思った。
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2泊3日の釜山旅行(その3)

2011年12月30日 17時18分34秒 | Weblog
今さら、11月のことを記事化してすみません。

11月8日から10日まで、勤務先の職員旅行で、韓国の釜山へ行った。
2日目、9日の朝は、釜山市内のホテルでむかえた。
ホテルは、釜山市街地の高台にある。
わたしが宿泊した部屋は、山側だった。
窓の外を見ると、団地やマンション、商店などが、所狭しと並んでいた。





起床後、ホテルの1階にあるレストランで、バイキング形式の朝食をとった。
そして、午前9時頃、観光バスに乗って、ホテルを出発した。
ホテルを出発したバスは、釜山市街地を通り抜け、郊外へと向かった。
そのとき、わたしは、進行方向左側の座席に腰を下ろしていたが、車窓からは、海が見えた。
その日は、最初に向かったのは、太宗寺である。
バスが駐車場に止まると、降りて、列車形自動車(機関車の形を模した牽引車が、客車を模したトレーラを引っ張って走る乗り物)に乗り換えた。
列車形の自動車の走る道は、木々の中だったが、木々の間から、海が見えた。周辺は、松の木が多かった。



列車形の自動車を降りて、少し歩くと、太宗寺の境内に入った。



本堂は、韓国寺院らしい特徴的な建物だった。
日本では、見られない様式である。



太宗寺をあとにすると、列車形自動車が止まる停留所に戻った。
そして、列車形の自動車が来ると、乗車し、観光バスの駐車場へ戻った。



観光バスに戻ると、次は、新世界センタムシティへ向かった。
バスが、途中、釜山駅の前を通って少し経つと、海上コンテナの山が多数、車窓から目に入ってきた。
バスは、湾岸沿いの高架道路に入った。
その付近は、左右どちらをみても、海上コンテナの山だった。
しばらくすると、高架道路を降りて、複線の踏切を渡った。
それから少しして、左手を見ると、高台の上にまで、海上コンテナのコンテナヤードがあるのが見えた。
そして、しばらく走ると、再び高架道路を通り、近代的なビルが建ち並んだ市街地へ向かった。
高架道路を降りて、少し経つと、釜山一の規模を誇る百貨店・新世界センタムシティ店へ到着した。
そこでは、自由時間が与えられた。
わたしは、店内を散策しただけで、何も買い物をしなかった。
店内はかなりきれいだった。また、地下へ行くと、地下鉄の駅への案内板があった。
新世界百貨店をあとにすると、昼食をとる飲食店へ向かった。
その日の昼食は、刺身をメインにした魚料理だった。



料理は、刺身のほか、かぼちゃの入ったお粥、酢が入ったスープ、さんまの塩焼き、魚のあらが入った鍋などだった。
刺身は、白身魚だが、小骨がかなり残っていた。
その飲食店は、現地人向きの店で、あまり海外旅行者は行かない店だという。
昼食を終えると、バスに乗り、次は、海東竜宮寺へ向かった。
車窓は、郊外風景に変わっていった。
途中、非電化単線の踏切を渡ったが、渡る前に一時停止はしなかった。
しばらく走ると、新興住宅地の中を走り、建物もまばらになっていった。
そして、竜宮寺の駐車場へ到着した。
バスを降りると、竜宮寺へ向かって歩いた。

















海のそばにある寺院である。
その日は生憎曇っていたが、晴れていたら、風景写真を撮りたくなる場所だった。
竜宮寺をあとにすると、途中、ドライブウェイを通りながら、釜山市街地へと向かった。
市街地に入って、少し経つと、免税品店の駐車場に止まった。
そこでは、土産物の買い物をした。



その頃、日が暮れてきた。
集合時間にみんなが集まると、バスは、出発した。
そして、夜の街を眺めながら何十分か走ると、市街地の焼肉店の前に停車した。
そこで、カルビをメインにした夕食をとった。
夕食を終えると、ホテルへ戻った。
そして、シャワーを浴びたり、翌朝の準備などをしたあと、就寝した。

都合により、続きは、後ほど書かせていただきます。
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愛車ワゴンRを洗車

2011年12月28日 18時00分58秒 | マイカーライフ
今日の昼過ぎは、愛車ワゴンRの洗車と車内清掃をした。
車室内のマットを外し、埃を掃った。
それから、車内の床のごみを、粘着テープで取り去っていった。
そのあと、ボディを屋根から下へ向かって、ホースから出る水で洗い流していった。
そして、車内のガラスやダッシュボードなどを拭いた。
そのあと、外部のガラスやミラー、灯火などを拭いていった。
そして、マットを元通りにつけて、洗車と車内清掃は完了した。
わたしの愛車は、美しいシルバーボディになった。
これで、新年を迎える準備が一つ済みました。
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2泊3日の釜山旅行(その2)

2011年12月23日 20時28分24秒 | Weblog
今さら、11月のことを記事化してすみません。

先月11月8日から10日まで、2泊3日の職場の職員旅行へ行った。行き先は、韓国の釜山である。
8日の朝5時半頃、父親の車で、自宅を出発した。
6時過ぎに、岡山駅に到着した。
駅の待ち合わせ場所に着くと、同じ旅行へ行く人が何人も集まっていた。予定通り全員が揃うと、旅行会社の添乗員と一緒に、駅の改札を通った。
岡山駅からは、6時46分発の新幹線「みずほ601号」に乗車した。鹿児島中央行きの新幹線列車である。
わたしにとっては、「みずほ」に乗るのも、N700系に乗るのも、初めてだった。
列車に乗って、座席に腰を下ろすと、朝食をとった。
8時25分に、「みずほ」が、博多駅に着くと、駅前で、博多港行きの路線バスに乗車した。西鉄の路線バスだった。その日、そのバスには、女性の運転手が乗務していた。
バスが、終点の博多港に着くと、ビートルに乗るための乗船手続きを行なった。
そして、10時丁度発のビートルに乗船した。
船内は、ほぼ満席に近かった。



ビートルは、出港すると、日本語、英語、韓国語の3ヶ国語で、案内放送がされた。
また、船内の案内などのしたビデオの上映も行なわれた。
ビートルの釜山港到着は、12時55分だったが、定刻よりも約15分遅れて到着した。
わたしにとっては、11年ぶりの韓国上陸である。
また、海外旅行は、10年前に中国へ行って以来だった。
釜山港に着くと、荷物検査や入国審査を受けた。
全員が港の待合所に揃うと、現地ガイドの女性と会った。
そして、現地ガイドと一緒に、観光バスに乗った。
バスは、釜山港の前を出発すると、ある飲食店のそばに停車した。
そして、バスを下車して、飲食店へ入った。
韓国に入って、最初の食事である。





最初の食事は、石焼ビビンバだった。



石焼ビビンバの昼食がすむと、国際市場に案内された。飲食店や食料品店、衣料品店などが建ち並んだ、庶民的な商店街だった。また、露店も数多かった。











国際市場の中を歩き、買い物をしたあと、チャガルチ市場へ向かって歩いた。
チャガルチ市場は、魚市場である。



市場の建物を通り抜けると、海で、その向こうにも、市街地が見えた。





チャガルチ市場を見たあとは、バスに乗り、ロッテ百貨店へ行った。
ロッテ百貨店の免税品売り場で、土産の買い物をした。
フロアはかなり広く、その多くを、化粧品やブランド物の衣類、バッグなどが占めていた。また、日本メーカーのカメラなどを売っている売り場もあった。
ロッテ百貨店での買い物時間が終わると、バスに戻った。
そのあと、バスは、再びチャガルチ市場へ向かった。
チャガルチ市場の建物内の飲食店で、最初の夕食をとった。最初の夕食は、海鮮鍋だった。
夕食が済むと、宿泊するホテルへ案内された。
ホテルは、市街地の高台にあった。
大きなホテルで、中はかなりきれいだった。
わたしの部屋は、10階だった。
エレベーターは複数機あった。
10階へ行き、部屋に入ると、シャワーを浴びて、就寝した。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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湯郷で鉄道模型

2011年12月19日 16時10分06秒 | 鉄道模型
今日は、父親と一緒に岡山県北部の美作市の湯郷温泉郷へ行った。
10時半頃、湯郷温泉に到着した。
鷺湯の風呂に入浴後、道の駅彩菜茶屋のレストランで食事し、そのあと、てつどう模型館へ入った。
わたしにとっては、3年ぶりの入館である。
父親(鉄道ファンでも鉄道模型ファンでもない)も一緒に入った。
入ると、すぐに眼に入ったのは、Nゲージの大きなレイアウトである。
ビリヤードの台を再活用した大きなレンタルレイアウトもあるが、それは、以前よりストラクチャーが増えていて、にぎやかな感じになっていた。
また、レトロおもちゃやフィギュアなどの展示品も多数あった。
他には、岡山県の主な駅の駅舎などの写真なども多数、壁に展示していた。
入館すると、レンタルレイアウトを使用させてもらった。
高架線のエンドレスの外回り線で、待避線が1本ある。
最初に入線させたのは、EF65が牽引するブルートレイン『なは』である。
続いて、285系サンライズエクスプレスも入線させたが、動力車の不調で走らず、早々に撤収した。



サンライズを撤収後は、キハ181系ディーゼル特急『やくも』を入線させて、『なは』と『やくも』を交互に走らせた。





しばらく走らせた後、『なは』を撤収し、D51牽引のお召し列車を入線させた。





そして、『やくも』とお召し列車を交互に走らせた。



レンタル用レイアウトのほか、走行展示運転用の大きなレイアウトがあり、そちらのほうも眺めて楽しんだ。







ほかには、てつどう模型館で開催されたジオラマコンテストに出品された小型のNゲージレイアウトが6台展示されていた。
どの作品も、美しい出来だった。

こうして楽しんでいるうちに、運転終了時間がやってきた。
パワーパックの電源を切り、車両を撤収し、忘れ物がないのを確認すると、ストップウォッチを館長に返して、てつどう模型館をあとにした。

また、機会があったら、行きたいと思います。
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卒業ゼミナールを受講(その4)

2011年12月18日 21時00分59秒 | Weblog
今さら9月のことを書いてすみません。

わたしは、関西の某私大の通信教育部に在学している。
9月2日から4日まで、滋賀県守山市の琵琶湖沿いの某ホテルで、卒業ゼミナールが行なわれた。
9月3日は、ゼミの2日目だった。
起床し、窓の外を見ると、台風の影響で、雨が降っていて、強風で木々が揺れていた。
全学生揃って、地下の大広間へ行き、朝食をとった。
そのあと、ゼミの開始である。
先生は、ご自身の体験談と民事法の法律関係を交えながら、話をされていた。
内容的には、民法総則や物権法の復習に近かった。
正午には、午前の講義は終わり、一斉に昼食をとった。
午後1時から、午後の講義が開始された。
午後6時には、午後の講義はいったん終わり、揃って夕食だった。
午後7時からは、本来は、講義の再開となるのだが、その先生のゼミでは、講義扱いの親睦会となった。
そのあと、部屋に戻って同室の方と談話をした。
それから、入浴し、就寝した。
翌日9月4日は、ゼミの最終日である。
窓の外は、雨と強風だった。
起床後、朝食をとり、それから、各自荷物をまとめた。
そのあと、忘れ物がないのを確認した。
そして、部屋の代表者であったわたしは、キーを返した。
それから、講義室で、講義を受けた。
講義時間は、正午までとなっていた。
最後の約1時間は、試験の時間である。
試験は、文章を記述する方式だった。
講義開始前に作成した課題のレポートの内容を再度要約して記述するのが、試験の内容だった。
わたしは、「制限行為能力者の法律行為と二重効」を選んでいたので、そのテーマで、論述した。
誤字や脱字などに注意しながら、答案用紙に書いていった。
そして、何度か確認した後、提出した。
そのあと、ホテルの玄関へ向かった。
ホテルの出入口の前には、送迎バスが止まっていた。堅田駅行きの送迎バスである。
バスに乗って、堅田駅に向かった。
堅田駅からは、湖西線に乗車した。
台風の影響でダイヤが乱れていたが、京都方面へ向かう列車自体は動いていた。
堅田駅で京都行きの普通電車に乗車した。列車は、117系の6両編成だった。その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
列車は、京都駅まで各駅に停車した。
京都駅で降りると、改札を出て、地下街の飲食店で昼食をとった。
そのあと、駅前付近のヨドバシカメラなどへ行ったり、カフェで休憩したりした。
さらに、地下街を歩いたり、京都伊勢丹の中に入ったりもした。
そして、京都駅烏丸口のバス停から、15時40分発の高速バス「京都エクスプレス」に乗車した。
その便は、下電が運行を担当していて、その日は、京都エクスプレス専用色のセレガが充当されていた。
バスは、下津井電鉄児島営業所行きだが、わたしは、両備バス山陽インター停留所まで乗車した。
バスは、京都駅烏丸口を出発すると、京都南インターから、名神自動車道に入った。
そして、中国道を通ったあと、山陽道に乗り入れた。
途中、龍野サービスエリアで、休憩があった。
龍野サービスエリアを出発すると、山陽インター停留所まで、ノンストップである。
しかし、途中、相生付近で渋滞に巻き込まれた。
バスは、右車線を走っていたのだが、右車線の車が、次々と左へ進路変更をしようとしていた。
その矢先、パトカーのサイレン音が聞こえてきた。
右車線と左車線の車の列の間を、赤灯をつけた覆面パトカーが走り抜けていった。
バスは、左車線へ入ったあと、徐々に前進していった。
すると、大破した乗用車が1台右車線を塞いでいたのが見えた。
その乗用車の単独事故である。それが、渋滞の原因だったのだ。
事故現場を通過すると、車の流れは加速し、バスもスピードを上げていった。
山陽インター停留所に到着する予定時刻は、18時34分だったが、約15分遅れで、到着した。
バスを降りると、父親の車で、帰宅した。
こうして、3日間の卒業ゼミナールを終えることができた。
9月24日には、結果通知のはがきが来ていて、「優」だったのを確認している。
受講して良かったと感じた。

先生、みなさま、3日間ありがとうございました。
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卒業ゼミナールを受講(その3)

2011年12月14日 21時43分37秒 | Weblog
今さら、9月のことを書いてすみません。

わたしは、関西の某私大の通信教育部に在学している。
9月2日の午後1時より、滋賀県守山市の琵琶湖付近の某ホテルで、卒業ゼミナールが開始された。
ゼミは、担当講師別に、法学部が5組、短大部が2組に分かれていた。
わたしは、法学部の民法担当講師のゼミを受講した。
講義室に入ると、学籍番号が若い順に自己紹介をした。2004年に編入したわたしが、最若番だったので、最初に自己紹介した。それに続いて、他の方たちも自己紹介をした。岡山県から来た人は、わたし以外に1人いた。
自己紹介が終わると、学籍番号の最も若いわたしが、課題であるレポートを読み上げた。
レポートは、講義開始までに作成することになっていて、「制限行為能力者の法律行為と二重効」「抵当権の物上代位」「契約自由の原則と約款の拘束力」「企業の不法行為責任」の4種類のテーマから、1つを選んで、大学指定のレポート用紙に書くことになっていた。
わたしは、「制限行為能力者の法律行為と二重効」を選んでいた。
レポートを読み上げると、先生から評価の言葉と、さらに付け加えるべき点などのアドバイスをいただいた。
午後3時頃、荷物を持って、いったん各自の泊まる部屋へ入るように指示が出され、各部屋の代表者に鍵が渡された。わたしも、鍵を受け取った。
そして、エレベーターに乗り、部屋の前に着くと、同室の方が待っておられた。
お互いに自己紹介をしながら、部屋に入った。
わたしたちの部屋は、わたしを含めて3人だった。1人は新潟県から来られていた方で、もう1人は神戸市から来られていた。
部屋に荷物を置き、少し休憩を撮ると、再び講義室へもどった。
講義室では、先生の話を聞きながら、重要と思われる部分をノートに書いていった。
内容は、民法総則の復習のような感じだった。
午後7時頃、夕食の時間になった。夕食は、法学部、短大部ともに、全受講生そろっての食事となった。
そのあと、部屋に戻って過ごした後、入浴して、就寝した。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
9月3日以降のことは、また後日書かせていただきます。
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モデルフェスティバル&鉄道友の会忘年会

2011年12月12日 21時06分42秒 | 鉄道模型
昨日11日は、路線バスを乗り継いで、岡山市郊外の某所にある鉄道模型サークル虹会の運転場へ行った。
その日は、毎年恒例のモデルフェスティバルと鉄道友の会東中国支部の忘年会が行なわれたのである。
午前10時前に現地に到着した。
そして、会場にある、Nゲージのレイアウトの線路状態を整え、持参した車両の状態もチェックした。
動力車の状態チェックは、前日も行なったのだが、今ひとつ調子が悪く、現地でも分解調整した。
わたし以外の方は、みんなHOゲージなど、16.5ミリゲージの車両を持ってこられていて、車両や線路状態の調整を行なっていた。
10時に出品模型車両の受付を開始し、11時過ぎに、出品者が出品模型車両を走らせながら、模型の概要を説明していった。
出品者は16名で、Nゲージはわたし1人だけだった。他の方は、HOゲージか、Oゲージスケールのナローゲージを出品していた。
わたしは、京浜急行1500形を出品した。テスト走行では、きちんと走ることを確認したのに、肝心なときに、また動力車がトラブル起こしてしまった。
そのせいか、あまり良い評価はされず、厳しい結果になってしまった。
他の方の車両は、HOゲージが主で、287系「くろしお」や名鉄7000系パノラマカーなど、美しい車両が多数だった。
ほかには、中央線の201系や、N700系九州新幹線、旧型国電、クモハ123などが出品されていた。
優勝は、広島県の方が作られた287系「くろしお」だった。
こうして、モデルフェスティバルが無事にすむと、忘年会が開始された。
同じ趣味を持つ仲間同士で、飲んで、食べて、雑談しながら過ごしているうちに、あっというまに時間が経った。
そして、午後4時台に撤収作業を開始し、5時過ぎ、解散した。
そのあと、バスを乗り継いで、帰宅した。
多少残念なこと(わたしの視点で)もあったが、楽しい一日だったと思った。
来年も、ぜひ参加したいと思います。
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卒業ゼミナールを受講(その2)

2011年12月10日 15時07分54秒 | Weblog
今さら、9月のことを記事化してすみません。

わたしは、関西の某私大の通信教育部に在学している。
9月1日の昼過ぎ、必要な荷物をまとめて、父親の車で自宅を出た。
2日から4日までの「卒業ゼミナール」を受講するためである。
両備バス山陽インター停留所に着くと、車を降りて、バスを待った。なお、父親に送ってもらったのは、無人駐車場での泊まり駐車を避けたかったからである。
山陽インター停留所からは、14時48分発の高速バス京都行きに乗車した。その路線は、両備ホールディングスと下津井電鉄と京阪京都交通が共同運行していて、その日のその便は、両備が担当していた。
バスは、山陽インター停留所を出発すると、山陽インターから山陽自動車道に入った。
そして、まもなく、瀬戸パーキングエリアで休憩した。
瀬戸パーキングエリアを出ると、次は、三木サービスエリアで休憩する。
そのとき、岡山県南部は、空は曇っていた。
バスは、山陽自動車道を東へ進んだ。
三木サービスエリアで休憩後も、さらに東へ進んだ。
その頃から、車外は、雨天となった。
バスは、山陽道から中国道に入り、さらに、名神自動車道へ入った。
途中、車窓からは、太陽の党を眼にすることができた。
バスは、京都南インターで、高速を降り、一般道を走り、京都駅前のバスターミナルに到着した。着いた頃は、午後5時台後半だった。
そのあと、予約していたホテルへ向かって歩いた。
ホテルに着くと、部屋に入り、荷物を置いて、夕食のために外出した。
京都駅前の地下街の飲食店で夕食をとった。
それからホテルに戻ると、予習をした。
そして、次の日である2日に、チェックアウトをすると、京都駅前の地下街の喫茶店で朝食をとった。
それから、湖西線乗り入れの列車で堅田へむかった。
電車は、普通列車で、113系の8両編成だった。
車内は空いていた。
堅田に着くと、駅前で送迎のバスを待つことにした。
駅前には、同じ大学の通信教育生と思われる人たちが多数いた。
その日の天候は、曇り時々雨だった。
送迎バスが着くと、料金を払って、バスに乗車した。
バスは、途中琵琶湖大橋を渡り、会場のホテルへ向かった。
そして、堅田駅前を出て、15分ほどすると、会場のホテルに到着した。
会場のホテルは、ホテル前の道路を隔てて向かいが、琵琶湖の水泳場である。
ホテルに着くと、地下にある大きな部屋に集まった。
そこで、待機して、時間が着たら、開講式が行なわれた。
そして、卒業ゼミナール担当の先生や大学の担当職員の紹介や、講義期間中の注意事項の説明などがされた。
そのあと、自分の受講するゼミの担当の先生の講義室へ向かった。
そして、ゼミの開始である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは後日書かせていただきます。
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本日の模型購入

2011年12月06日 16時23分37秒 | 鉄道模型
今日は、昼前にアリオ倉敷へ行き、昼過ぎに、倉敷の商店街の某店へ行った。
鉄道模型の運転会で知り合った方の店である。
本日の買い物内容は、以下のとおりである。

マイクロエース ゆうゆうサロン岡山 1セット
トミーテック 広島電鉄350形 1両
トミックス キロポスト96号 1冊

ゆうゆうサロンは、今年の春、惜しまれながら姿を消した客車ジョイフルトレインである。以前から製品化を望んでいた車両のひとつだったので、購入した。
広島電鉄350形は、隣県の路面電車なので、購入した。

以上が、本日の模型購入内容である。
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