村上市は、新潟県の最も北にある都市で、規模は小さいながら村上藩の城下町であった。旧市街は非常にコンパクトで、ちょっとした時間で端から端まで歩けてしまいそうだ。昔からの町らしく、訪ねた日には定期市が開催されていた。
右側は公民館に市役所。こんな市の中心で、車を遮断して定期市が開催されるのだ。人間的な規模の都市であることが、見て取れる。
市の中心から10分も歩けば街外れになり、敷地に余裕があるのだろう、いくつもの武家屋敷が公園等に展示されている。それも、無料で入れる所が多い。
こちらは、成田家住宅。
こちらは旧嵩岡家住宅。茅葺屋根が、なかなかよい。
こちらは旧岩間家住宅。
こちらは旧藤井家住宅。移築ではなく、もともとこの場所に建っていたものを、復原したもの。
城跡は、歩いて5分くらいの所にあるが、現在はほとんど何も残されていない。
こういう、歴史ある武家屋敷が何気なく住宅に交じって建っているというのは、凄いと思った。
右側は公民館に市役所。こんな市の中心で、車を遮断して定期市が開催されるのだ。人間的な規模の都市であることが、見て取れる。
市の中心から10分も歩けば街外れになり、敷地に余裕があるのだろう、いくつもの武家屋敷が公園等に展示されている。それも、無料で入れる所が多い。
こちらは、成田家住宅。
こちらは旧嵩岡家住宅。茅葺屋根が、なかなかよい。
こちらは旧岩間家住宅。
こちらは旧藤井家住宅。移築ではなく、もともとこの場所に建っていたものを、復原したもの。
城跡は、歩いて5分くらいの所にあるが、現在はほとんど何も残されていない。
こういう、歴史ある武家屋敷が何気なく住宅に交じって建っているというのは、凄いと思った。
水戸徳川家の中屋敷であるが、中央に占める池には神田上水が流れ込み、ここから更にお茶の水方面の水道が引かれていたという、江戸の都市計画とも深く関係した庭園である。
池には蓬莱島が浮かぶ。左手は一本松。
沢渡りの石も、流石の風格である。
この庭は水戸徳川家の頼房の時代に造り始め、二代目の光圀の時代に完成した。蓬莱島へは舟を出したりして、渡ったりしたらしい。灯篭の後ろにそれなりの石組が見えるのも、そのためか。
徳川家のプライベートな場所であった内苑。松の枝ぶりが素晴らしい。
石橋が薄く、非常に軽く見える。
この日は汗ばむような陽気だった。
内苑とは、庭の反対側にある西湖堤。江戸の大名庭園における中国趣味のはしりである。
池には蓬莱島が浮かぶ。左手は一本松。
沢渡りの石も、流石の風格である。
この庭は水戸徳川家の頼房の時代に造り始め、二代目の光圀の時代に完成した。蓬莱島へは舟を出したりして、渡ったりしたらしい。灯篭の後ろにそれなりの石組が見えるのも、そのためか。
徳川家のプライベートな場所であった内苑。松の枝ぶりが素晴らしい。
石橋が薄く、非常に軽く見える。
この日は汗ばむような陽気だった。
内苑とは、庭の反対側にある西湖堤。江戸の大名庭園における中国趣味のはしりである。
創業明治43年の老舗です。「喜」は本当は七を三つ書く字なのですが、うまく変換できません。
午後も1時過ぎにお店に入りましたが、比較的空いてました。
おしながきを見れば、江戸前天丼があります。迷わず注文すれば、丼から穴子がはみ出す艶姿。
綺麗に揚がった天麩羅を、汁を掛けて熱々のご飯で蒸らして。話には聞いていましたが、これ程に昔の味が生きているお店は初めてです。
エネルギー溢れる若主人と、ベテランの御かみさんの取り合わせは、非常によいバランスを保っているようです。
この日は、生憎めごちの入荷がなく、それに代わってつまみえびの出番となりましたが、江戸伝統の芝エビのつまみあげ三本が入りましたので、それはそれで満足度は非常に高かったです。
当たり前ですが、暖簾には正式な店名が見られます。
午後も1時過ぎにお店に入りましたが、比較的空いてました。
おしながきを見れば、江戸前天丼があります。迷わず注文すれば、丼から穴子がはみ出す艶姿。
綺麗に揚がった天麩羅を、汁を掛けて熱々のご飯で蒸らして。話には聞いていましたが、これ程に昔の味が生きているお店は初めてです。
エネルギー溢れる若主人と、ベテランの御かみさんの取り合わせは、非常によいバランスを保っているようです。
この日は、生憎めごちの入荷がなく、それに代わってつまみえびの出番となりましたが、江戸伝統の芝エビのつまみあげ三本が入りましたので、それはそれで満足度は非常に高かったです。
当たり前ですが、暖簾には正式な店名が見られます。