ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

M女史のその後(2)

2008-08-31 | いろんな人
「え? 何ですか?」

その時 私は 整体院で
身体はうつぶせのまま
上半身をひねって 後ろを振り返った。

いつになく 整体師の声が低くて
聞き取れなかったから。

しかし 何故か 
うつぶせのまま聞き返すことはしなかった。







整体師は たぶん 今言った事と
同じ事を口にしてくれたのだろうと思う。

「Mさんが、亡くなったのよ。」










なんと言っていいのか、わからなかった。

そう言えば 最近 お姿を拝見していなかった。

子宮や卵巣を取ってしまうと 
よほどお腹の辺りに力が入りにくくなるのか、
杖をついてはいたものの

足取りは確かで、しっかりと歩いていらしたのに。










手術後 職場に復帰してからお会いした時には
彼女はがんが再発したようで、
障害者になるかどうか、で 今 悩んでいるのよ、
と 話してくださった。

膀胱か直腸の方に 癌が行ってしまったのだ、と直感した。

その後 
もう一度休職して
抗がん剤で転移癌をやっつけて
障害者にはならずに済んで
ホッとした所までは 
整体院でお会いして お話を伺っていた。











整体師の話では
なんでも 白血球数が異常に低くなってしまっているため、
また(同じがん専門病院に)入院する、と話していた、とのこと。

じゃあ、何?

白血球が少な過ぎて、亡くなったってこと?



世界が混乱して 生き馬の目を抜く時代が来ても
しぶとく生き残ります、という占いに
喜んでいたしたM女史。

そして 誰もが その占いを信じたM女史。

癌との闘いにも 打ち勝ったのではなかったの?

こうして まさかの訃報を耳にするとは・・・・・・。



去年の7月のことだった。







土手のカヤツリグサと 水溜りの水を飲む愛犬






整体師も 長い間その事実を知らなかったそうで、
「私も つい最近 聞いたところなのよ。」
とのことだった。

ご命日は いまだにわからない。



M女史のお父さまは すでに亡くなっており、
老いたお母さまが 
「長生きしたばかりに、こんなに悲しい目に遭う。。」
と泣いていらしたとか。

職場でたまに愚痴を聞かされていた弟さんが
今ではご実家で跡をとっており、
M女史の亡骸を 引き取って 故郷に行かれたとか。

そんな話を伺いながら
その日の 私の整体の治療は 進んだのだった。






白血球が少なすぎて入院する。

そんな時に M女史は 
自分の命が儚いことを考えていらしたろうか?

生きて病院から出てこれると 
思っておいでだったのではないだろうか?



T子さんなら、これも

「そういう運命だったのよ。」

「前から決まっていたことなのよ。」

と そうおっしゃるのだろうか。



M女史のその後(1)

2008-08-30 | いろんな人
M女史は
周囲への気配りが万全の人だった。

いつからか E女史と私が通っている整体院に顔を出すようになり、
退職後 しばらくして 
田舎からエッチラオッチラ通うようになった私とも
たまに整体院で顔を合わせる事があった。

あの頃の 若め?の 独身女性たちも 
いつの頃からか 管理職に回るような年代に入り、
ベテランの彼女も そういう年齢だったはずだし、
実際、そういう地位に立っていたと思う。







雨が続くと 土手にはキノコが生える。






M女史が 平日に治療院に現れた時、
やたら大げさなマスクが気になった時がある。

寒くて 風邪が流行っている時期だった。

彼女は 声を潜めて、
「今、抗がん剤治療をしてるから、
 感染症にかかりたくないのよ。」
と言った。

女史は 現在 休職中だ、ということだった。



私は 自身が乳がんであることを話したが
M女史の癌が どこの癌であるかは聞かなかった。

子宮とか、卵巣とか、そっちの方だったらしい。

そして 両方を摘出したらしかった。







でもこのキノコは あっという間に融けたようになくなってしまう。






あんなに健康に気をつけて
人間ドック受診にも積極的だった。

というか、中小企業である私たちの職場に
社員の検診をきちんとさせるように働きかけていたのは、
彼女だった。

職場の 他の部署の人たちが 検診を受けている間、
私の部署は忙しくて 例年 検診が受けられなかったからだ。

さあ! 私たちも、検診を受けてきましょう!
と 外に出ると 
そこにはもう レントゲン車の姿もなかった、
ということさえ あったのだった。







大きめだけど、やっぱり、すぐに融けてなくなってしまう。






そんな彼女でも
やはり 癌になる。

けれど、
検診を彼女がサボるはずがない。

きっと 初期で見つかり、
今後 深刻な事態には ならないだろう、と
私は楽観していた。


       
                      つづく



骨シンチと『ハリー・ポッター』

2008-08-29 | 乳がん
先日 
モトノ(元の)病院へ行って 予約をとっておいて、
昨日は 
3年半ぶりくいらいに
骨シンチグラフィー検査を受けてきた。

(前の検査の記事は2006年1月30日だった。)

RI検査室へ行き、
朝 一番に 注射をして
午後になってから 撮影する。

その間、待って、待って、待つ。

食べ物・飲み物の制限がないのはいいけれど、
この「待つ」という仕事が、けっこうな大仕事。






こんなことろへ入って検査。






骨シンチで受ける放射線の量は 
私たちが 自然界から浴びる一年間の量の
5分の1 から 5倍くらい、
安心してよい、とされる。

5分の1ならわかるけど、
5倍も浴びて、本当にいいのか?(苦笑)



それはともかく、
今回は 前の晩にあまり眠れなくて、
検査中には かなり! いい気持ちで眠れた(爆)。

目を決して開けてはいけない、とわかっていたし
(圧迫感で死にそうな気がするから)、
前髪のせいで眉根のあたりがムガムガするのを我慢できたし、
もう、かなり! 気持ちよく・・・。

最後に頭を横に向けるために いっぺん起こされたけど(笑)。






以前には この間に
足腰のマッサージや 全身のエステを受けたことがあるが
なにせ 慣れないものだから
イマイチ リラックスの一歩手前(苦笑)。

今回は
読まずに置いておいた『ハリー・ポッター』を持っていって
病院内の読書コーナーに陣取って
これを読破してやろう、という計画。



予約を取りに行った時にも 上巻を持って行って(重い!)
往復の電車の中で読んだのだが

その続きを読了しておかなかったことを後悔!

きょうは
上・下巻の両方を持っていかなくてはならない(もっと重い!!!)






そういえば、
入院した時も 退屈した時のために、と思って
手に入れた『ハリー・ポッター』を 
読まずに取っておいたのだった。

でも、読み始めると、
あっという間に読んじゃうんだよね。。。

あの時は 11月1日に出版された 
第4巻の『炎のゴブレッド』(この巻から 上・下2分冊)、
そして今回は 第7巻(最終巻)『死の秘宝』だ。






読書は順調に進み、上巻から下巻へ。

私の検査は午後1時からだったが
注射は9時前には終わっている。

この間、何と4時間!

並大抵の本では 間が持たない!

骨格がしっかりしたファンタジーという点でも 
分厚くてなかなか読み終わらないという点でも
『ハリー・ポッター』は及第点だった(苦笑)。







ムラサキシキブの蕾と花。






昨日は 久々に来たから 屋上へ上がってみたりした。

ムラサキシキブ、シロシキブ、キャットミント、ローズマリー・・・。

あまり手入れされなくても、咲く花は咲く(苦笑)。




シロシキブ。 実がなる頃が待ち遠しい。 その頃には来ないかもしれないが。






で、お会計、15370円。

希望して受けた検査とは言え、安くないなー。。。

久しぶりに行ったモトノ病院は 
ホンの少しの間に 
わずかだがシステムが変わった部分があったり
診療科の名称が変更されていたり。

でも、今回はクレジット・カードを使えた。



結果は来月。



K女史とM女史

2008-08-28 | いろんな人
K女史とM女史、
どちらも 昔 
私が勤めていた職場の先輩。

私の職場は女性がほとんどで、
しかも 
一番若い私から 50代の女性まで
私が亭主と結婚するまでは
全員が独身だった。







コロッケ・ボール






当時 おふたりは 20代の終わりから30代の初めだったが
とても頼りになる先輩で、
実際に職場を動かしているのは このふたり、
という感じだった。

おふたりとも よく働き、よく遊び、
そして とてもよく飲み(笑)、
且つ 美味しいものをよく食べる人たちだった。



私はいろいろとご迷惑をかけ、教え導かれて、
お茶汲みのし方、
不必要な仕事の手の抜き方、
職場への要望の出し方、
問題意識の持ち方・保ち方、
それから 
仕事に対する集中力と熱意と誠実さ、などなど、
いろいろなことを教えていただいた。

そして 娘を妊娠した時には
護ってもいただいた。

生涯、忘れられない恩人。






K女史は 
「一日一回 ソバを食べるといい」
とかいう情報をもたらしてくれた人。

ダイエット情報にも詳しく、
食べ物を点数で数える計算ができた人だった。

そして何より、
私が今 通っている
整体師を紹介してくれた人でもある。

国文科の出身だったが、
外国語に興味があるらしく、
毎年 夏になると 
聞いたこともないような言語を学びに
大学に通う学生になっていた。



風の便りに聞いたところによると、
彼女は その後 イギリスに留学し、 
帰国後は 
かつて勤めていた職場と 同じ業界、同じ職種、
けれど ずっと有名で ずっと実力を必要とする職場に
キャリアアップなさったという話だった。



そんな人が、実際に、いるんだなあ。。。。。






M女史は 周囲への気配りが 万全の人だった。

そして 仕事への集中力も 誰よりもすごかった。

用があって話しかけても 聞こえない、
ということが 何度もあった。



ストレスも 大いに溜まるらしく(苦笑)、
その解消法も大胆だった。

旅行も多かった。

一緒にいってくれる友人も多かったようだ。

スキーの時はスキー友達、という具合

もちろん、飲みに行く時は、飲み友達(笑)。



シベリア鉄道に乗って 
冬のシベリア大陸横断の旅は、寒かったそうだ。

事前に日本で 大枚はたいてコートを買ったが 
コートに包まれた見ごろは寒く、

現地で買った帽子とブーツのおかげで
足と頭だけが暑かった、と話していた。



「アフリカの動物は、すっごくキレイなのよ!

 動物園にいる動物とは、
 ぜんっぜん!!!!!!、違うの!!」

と 声を裏返しておっしゃるのを 何度も聞いた。

最初にアフリカの動物に逢う旅に行って 
その美しさに感動したのだとう話だった。

ただし、あすこは 乾燥がひどいらしく、
露出していた部分、つまり顔の皮が 
帰国後もしばらくは むけていたっけ。。。




二度目のアフリカ行きの事前には

「アフリカ行って、
 な~~~~んにもしないで、
 ただ、ぼ~~~~っと、動物を眺めていたいの!!!」

とノタマッテいた。

よほど出来の悪い後輩が
ストレスを与えていたものと思われる。。。(汗)







バブル全盛期に向かう、
「これから暮らしはドンドン良くなるに違いない!」
と信じられていた時代の先輩たちだった。



池袋の通り魔事件

2008-08-27 | 考えたこと
去年の夏
≪突然の死≫が 私の頭の辺りをぐるぐるしていたのは、
たぶん 池袋の通り魔事件のことを思い出したからだと思う。

ウィキペディア:池袋の通り魔殺人事件

そして 思い出したのは  
犯人の死刑が確定した、
というニュースに接したからだったろうと思う。







今朝は曇りがちながら、久しぶりに青い空が見えた。お散歩も4キロは久しぶり。






無限回廊;池袋の通り魔殺人事件によると、
上告が棄却されて 刑が確定したのは 去年の4月19日で、
重苦しい思いで そのニュースを聞いたことを覚えている。

それからずっと、
私は 重苦しいぐるぐるを 頭の回りに付けていたらしい。。。






池袋は 私の昔の職場から近かった。

大学時代の友人も住んでいて 
池袋から何10分も テクテク歩いて行った事もある。

(学生の時は よくやったよね。)



それから、東急ハンズが 私は好きだった(今でも、好き)。

そして、渋谷のハンズよりも、池袋の方が、
店内が見やすくて好きだった。

それは亭主も同じだった。







麦わらトンボや しおからトンボに先導されて 土手を歩いた。
そこのけ、そこのけ、と バッタを押しやりながら。






それは暑い日だったと思う。

1999年の9月8日、午前11時40分ごろ、と書かれている。

その日、その時、亭主は池袋に居た。

東急ハンズ池袋店に行った。

わずかな違いで 凶刃にあわずに済んだ。



しかも、

何度考えても、凶行のあったあの時間に、あの辺に、俺は居た、

と亭主は言うのだ。



ニュースの画面に見入りながら、

俺が歩いていた時、あの辺に 特に変わったところはなかった、

だから、俺があの辺を歩いていたのは、
事件の直後ではなく、直前だったんだ、

だから、もしかしたら、俺は、
犯人とすれ違っているかもしれない、

と、そう言うのだった。







飛び立ったのはバッタだけではなく、キジ(雌)もいたが、それは撮れなかった。






犯人とすれ違った(かもしれない)人と、
すれ違いざまに刺されて 卒然とこの世を旅立った人。

このわずかな差を 誰も埋めることはできない。

たとえ どんなに小さな差であっても 
同じ、ということには ならない。

埋められない、越えられないこの違いを
私たちは ≪運命≫と呼ぶのだろうか。

≪運命≫と片付けられたくはないが
≪運命≫だから、と 自分を納得させる以外に術がない、という事も
また 事実。







亡くなった人の魂は 蝶になって戻ってくるという言い伝えもあるらしい。






不慮の事故、という言葉があるけれども
通り魔に刺されて亡くなった人も 
交通事故や 水の事故で亡くなった人も
本当にそれは 以前から決まっていたことだったんだろうか?



栃木県鹿沼市では 
消防署が救助活動をしてくれなかった、という、
在り得ない事故で亡くなった女性もいた。

最近のニュースだと思っていたら
なんと、この事故は16日に起きたものだった。

残された人は
「それは前から決まっていたことだったのよ。」
と言われて 納得するだろうか。






「そういう運命なのよ。」

いつもは 説得力のある力強い言葉で
いきなり信じさせてしまうT子さんの 
この言葉だけは

何故か
私は すんなりと受け入れられないで 今もいる。

受け入れたくない、という気持ちが
私のどこかにあるからだろうか?



突然の(2)

2008-08-25 | 考えたこと
いきなりの(2)だが、では、(1)は?

正解は、2008年6月9日(笑)。






ある日。

T子さんが BGMに流していたラジオからの
何かのニュースに接した時に

「ああいう人はサ、もう前から死ぬって決まってんのよね。

 そういう運命なのよ。」

とおっしゃった。



4月11日の 
大型トラックのタイヤがはずれて
対向車線を走行中のバスの運転手を直撃した
死傷事故のニュースだったかもしれない。

T子さんは このニュースに、というか 亡くなった運転手に
とても関心を持ったみたいだった。







今年はこの色のキンギョソウをいくつか植えた。 丈夫でいい!







私は思わず、

「それは、不慮の事故とか、事件とか、

 ん~、たとえば、

 通り魔にやられた、とか、でも、ですか?」

と聞き返すと、

当然、といいたげな様子で

「そうよ。」

と返事が返ってきた。

それでますます、私は考え込んだ。。。






ちょうどその頃、
私はしばしば≪突然の死≫について考えることが多かったのだ。

去年7月の アレモンの死だけが契機ではなかった。

人の死の‘時’は 
本当に あらかじめ 
その人の人生という運命の中に インプット済みなのだろうか?





今年は やたらと通り魔事件が発生している。

実家の方の駅でもあった。

頭の中は、ワイの、ワイの、している。。。(苦笑)






人の死は 生まれてきたからには 生まれたときから決定しているが
どのような死を迎えるか、については
(ほとんど)誰も 知らない(はず)。

私は 突然の死を嫌う。

人が 突然亡くなった、と耳にするのもイヤだ。



せめて、通り魔事件だけでも、なくならないものか。。






                 次回へつづく



一番きれいな花

2008-08-24 | こどものこと
♪一番きれいな 色ってなんだろ?

ミスチルのせつなげな声に乗って オリンピックが進んで
とうとう終わりの日になった。

一番きれいな色のメダル、と
金メダルを呼んだ人は メダリストだったと思う。

一番キレイな色のメダルは 本当に 金色をしているのだろうか?







土のう袋の中で完熟させている堆肥から、芽が(笑)。






金色は 確かに美しい。

ゴールド、私も好き。

銀や銅よりも、好き。

(もちろん、プラチナも好き;笑)

オリンピックのメダルとしても 確かに一番いいのに違いない。

けれど 
それと 人の人生とは また別のもの。

「その人にとって」という言葉を頭につけると、
本当に金色が一番なのかどうか?






その人にとっては
金でなくとも 銀でも 銅でも 
それが一番の色、ということはあると思う。

同じように メダルが得られなくとも、とも思う。

その人の人生にとって
オリンピックに出場して メダルと獲得することだけが
金メダルではないのではないか? と思う。

入賞、という結果に終わっても
出場辞退しても 
途中棄権しても 
この経験が その人の人生の 金メダルであって欲しい、と願う。



国体や オリンピックの強化選手に選ばれた、
それだけでも 充分だし
やれるだけのことはやった、と 充足感に包まれた経験があれば
それだけでもメダルものだと思う。

事はスポーツに限らないし。





息子よ、

人生は 
挫折と 挫折と 挫折と 挫折と 挫折の
積み重ねでできているのだよ。

大切なのは
積み重ねた上に どんな花を咲かせるか、ということ。

そのために どんな努力を重ねるか、ということ。

まだまだ、まだまだ、先は長い(はず)だよ。


人生の苦悩は いたるところに転がっているけれども、
人生の喜びもまた そこここに光っているものだよ。






オリンピックが終わっても

平和なこの国にあって
誰も「戦犯」だの「非国民」だのということばを
使ってくれぬように。



この後の パラリンピックにも
情熱と関心とを持って
皆さんが見入ってくださるように。





きょうは 月遅れ&旧暦の地蔵盆。

盆も正月もなかったアスリート達にも、
しばしの休息を。



息子には、もうあと少しの 根性と気力と体力を(苦笑)。

(それから、少しばかりの、幸運を。)



家具を買いに

2008-08-22 | なんでもないこと
休日が忙しい我が家、
忙しい日が続くと なんだか
「土、日、土、日、土、日、・・・・・・」
と 日が続いている気がして
曜日感覚がなくなる。

今年は お盆(フツーの人には連休)の後に
土、日(ホンモノの)と続いたので
やっぱり 曜日感覚が狂った。



お盆も 週末も終わって 
ようやく 予定の入っていない日が来た。

壊れていた家具を新調するべく、
亭主と買物に行った。



ちょっと足を伸ばせば
オープンしたばかりのショッピングモールの中にも
入っていると聞くのに、

他県に住む義弟も利用しているというニト○、
その、新しいお店じゃない方(苦笑)へ。







入ってすぐ、こんな食器棚が出現!

私は「きゃ~~~っ」と叫びながら 飛び跳ねたくなりそう(笑)。

白い食器、好き~~~。

ヨ○カド○ブランドの食器より、安いのかしら?





今年買ったのは(また買っちゃった!)
こんな手のひらに収まるサイズの、卵型のもの。 アフタヌーンティーで。






家具は 全体に安い印象。

なるほど、人気が出るわけだ。

支店が次々にオープンしてきたらしく、
ネットで見てみると 県内にもあちこちにある。






結局 気に入ったものは見つからずじまい。

いつもパソ子の面倒を見てくれているオニイチャンに教えてもらった
卸兼業の家具屋、三○家具卸売センターというところに行ってみる。

良心的なカンジが気に入って 
こちらでカタログを見て決定。

配送は9月に入ってから。

カタログでは色がわからないし
またまた安物になってしまったけど(涙)、

それでも、楽しみ。





お昼は よく国道沿いなどにあるチェーンのラーメン屋、
くる○やラーメンへ。

そこで「台湾ラーメン」なるものを注文。

(亭主は ネギ味噌チャーシュー麺、950円。)



台湾ラーメン、ちょっと辛くて、美味しかった!

最近 私は 辛いもの好きに戻ってきている。

くる○やラーメンに入ったら、「台湾ラーメン」、オススメ。

630円よ。

画像は、せっかくデジカメを持っていったのに
例のごとく、ナシ(笑)。






北京のソフトボール金メダル、なんていう話題は
それこそ そこいらじゅうの不老具が書いているだろうから、
私は パス(笑)。



あ! 今、 取った! 胴メダル!

男子リレー! 初めてのメダル! 

アンカーの朝原、36歳!(笑)

あら~~~、嬉しい!

だって、この前は4位だったじゃない?!

すごいね!!!



テレプシコーラ 第2部!

2008-08-18 | マンガ
六つの花散る冬の日も、
黄金を溶かす夏の日も、
臥薪嘗胆 鍛え越し・・・。

これは、母校の応援歌の一部。

(なにしろ、旧制中学時代からの応援歌なもので。。。汗)



高校野球の地区予選などで歌ったものだった。

冬に散る六つの花、というのは 
六角形の結晶を咲かせる雪のことだった。

このマンガの主人公は
「六花」と書いて「ゆき」ちゃん。

読めないよネエ。。







ン?     ああ、シッポ、パタパタしてくれてるのね?(笑)






バレエマンガというのは、
昔からたくさんある。

マンガはバレエを描くためにあるのではないか?というくらい、ある(笑)。
  
細川智栄子も書いたのではないか?

北島洋子にもあったのではないか?

細野みち子にもあったね。

牧美也子は得意だったはず、
お金持ちのバレエをやってる少女と、
貧しい女の子の友情物語、なんてね。

槇村さとるにも、あるでしょ。

(あれはバレエじゃなくてフィギュアとダンスか?)

一条ゆかりもあるかな?

有吉京子の『SWAN―白鳥―』に『まいあ SWAN act2』。







いいよ、いいよ、わざわざ出てこなくても。






こんな所を見つけた。→少女漫画研究室、少女漫画とバレエ

やっぱり、少女マンガは バレエを描くためにあるのでは?(笑)

おお! 萩尾望都も描いてる!







あくびしてるお前も大好きだよ。






山岸涼子の傑作は 
何と言っても『日出ずるところの天子』だと信じているが、

バレエ好きには 
なんといっても『アラベスク』(古い!)と
『テレプシコーラ/舞姫』なのかもしれない。

『テレプシコーラ』は、第一部で 第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。

って、これ、すごい賞なんだろうか?







 





『テレプシコーラ』は 近年単行本で読んでいる。

このマンガのいいところは、
主人公が完全無欠のすごいバレリーナじゃない、というところか(笑)。

バレエを、本当は何も知らない人が読んでも
すごくよくわかるし バレエの知識が身に付くところか?

マンガの中で 少女たちは 
演技や 骨格のことや 学業との両立や ダイエットなどなど、
さまざまに思い悩む。



現実の少女たちは
登場人物に自分を重ね合わせて、悩んでいたに違いない。

また ダイエットについての知識も 
このマンガから得ていたのではないだろうか。

少女たちの悩みには バレエをしている、していない、は
あまり違いはないはず。

六花の姉の千花の話には う~~ん、とうなってしまった。

他に別のストーリーの選択はなかったのか? と
作者に問いたくなってしまう。
  












もっとも、
私は この中に出てくるダイエットについては
賛成できかねるものもあるので

成長期の少年少女を含め、
あまり真似をしていただきたくはないのだが。

人間に、特に日本人にとって
一番大切な栄養素は 
でんぷん質だと 私は思っているので。












その、第2部が単行本で刊行されはじめた!

(第2部 第1巻 2008年7月26日、メディアファクトリー、590円)



巻末には 首藤康之氏との対談が掲載されている。

これはオイシイ!(笑)



これで、気になっていた元同級生の 空美ちゃんの
あれ以降の動向もわかるようになるだろう、というもの(笑)。

骨格の問題で プリマドンナにはなれないであろう六花ちゃんの
成長物語になるのだろうか。



お膳

2008-08-16 | 食生活
お膳を買った。

ようやく揃えたお膳だったが、
きちんとしなければ、と思うと すごく気が重かった。

けれど、
あればいいんだ、
何かしら、載ってればいいんだ、
という亭主の天使のような(爆)声で、
ずいぶん気がラクになった。






というわけで、手抜きのお膳。 気が重くなることもない(苦笑)。



ご飯に、汁物。 汁物は、ミョウガとオクラ。
 
タクアンは 自然食品のお店で買った。美味しい。

インゲンのお浸し。

ナスの油炒め、ゴマ味噌味。

一汁三菜。



ご飯・汁物・香の物の他に 3品の料理、
というのを一汁三菜、といいます、と書いた
料理研究家がいるが、
たぶん間違いだと思う。






こんなお膳なら 毎日でも可能。 でも、お盆が過ぎたら仕舞おう(笑)。



ご飯に、青菜とアブラゲとエリンギの味噌汁。

ジョルジュ流きゅうりのぬか漬け。実は、これが一番、美味いんだ!

ズッキーニのお浸し?

煮物は、カボチャ。



ご飯の容器に ご飯をムギュムギュと詰めてひっくり返す。

別の容器に詰めたご飯を ひっくり返して載せる方法もあるけど、
実家の母は 飯器のご飯も そうやってひっくり返していたので。







ホオズキが上出来だったのは 
去年の鉢の置き場所から根を張り出して 今年は地植え栽培になったから(苦笑)。






あとは、得意料理、ジャガイモのキンピラ、カレー風味
(味付けは 塩・コショーと 醤油少々、それにカレー粉)とか

インゲンの胡麻和えとか、精進揚げとか・・・。

あ、今年は 厚揚げの煮物やガンモの煮物がなかったなあ。





これに 肉料理か魚料理を一品プラスすれば
娑婆世界に住むわれわれも
けっこう満足できる料理になると思う。

お盆中は、肉や魚は なるべく控えるけど、
我が家はほどほどに控える(笑)。







ホオズキの花。 ナス科の花だとわかる。






イバラキの実家では 昨日が送り盆。

当地では16日が送り盆。

16日は 朝早くに送らなくてはならないはずが、
(精霊は 暗いうちに移動なさるから、がその理由らしい。。)

いつの間にか 夕方涼しくなってから、になっていて

ご先祖さまも 
時代に合わせ、現世の都合に合わせなて 
移動しなくてはならない(苦笑)。



自己流の盆棚(汗)

2008-08-14 | なんでもないこと
亭主の母は 亭主の実家で義父が、
私の父は 私の実家で 母や姉夫婦が
きちんと見ていてくれている(はず)。なので、

我が家では お位牌はあるものの、
仏さまに関しては
すごくいい加減だ(良い加減?爆)。







いい加減差の極致は、これ! マッチの燃えさし入れ。
時々、リンボウで こちらを叩くことがある。 キン!(汗)
いったい どこのお土産の漬物の器か?(笑) お盆だから、キレイにお掃除。






一応、お盆だから、
お位牌を 仏壇から出したよ。

私の出窓が、盆棚代わり(笑)。

これで、竹でも四隅に飾って、 
結界を作れば、完璧じゃん!?(爆)



 
父の位牌と                              義母の位牌。



ゼリーの入っていたガラスのカップに ロウソクを浮かべて(笑)。







花瓶はフツーの花瓶。 こんな華やかな花が、義母は好きだった。
B型の父も「かわってんなあ。」と喜んでくれるはず(笑)。







線香たても おりんも ロウソクたても 全部真鍮。
そろそピカールで磨かなくちゃね。 純金製だと、磨く必要がないのかな?







場所がないから、出窓の前のカラーボックスの上を片付けて
(いったい、どこまで散らかってるんだ?この家は!)お供物や お膳を載せる。
ホオズキは 自家製(これだけは、自慢。エヘン!)。





竹を立てていないばかりでなく、
本尊さまを 仏壇の外に出していないし、
縄を張り巡らせていないし、
キュウリもナスも(つまり、馬も牛も)飾っていないけど、
いつもとは気分が変わって、楽しめる(笑)。



腰まわし

2008-08-09 | ダイエット
あんまり暑いから、先日 美容院へ行って
サッパリしてきた!

これで シャワーを浴びても すぐに乾くゾ!!!(笑)







今朝 見つけた花。 ナツヅタだと思う。






美容師のあっちゃんとは いつも ダイエットネタで盛り上がる。

「このお客は ダイエットなら掴める」
と 向こうもわかっているな(笑)。



前のカットの時に 
あっちゃんが 「次回にご報告します!」と言っていた、
‘腰まわし’。

あっちゃんが言うには、
効果あり!だそうだ。

その証言者が、
あっちゃんの他に、もうひとりいるらしい。



そして 哀しいことに

「‘腰まわし’は効果がある。

 ということがわかった後に、止めたら、もどった!」

という共通の体験者なのだそうだ(笑)。



始めると、すぐに効果を実感するらしい。

あっちゃんは 腰痛持ち。

腰まわしをしていると、
腰が動く、内臓が動く、代謝がよくなる!
と、実感するそうだ。



それから、あっちゃんは、
腰まわしを 畳の上で 裸足でやるから、
足の指が 畳の上で しっかり地球を掴んでいる感じがあるそうだ。

足の指が 靴や靴下の束縛から離れ、
一本一本の指が それぞれに独立・自立して床を掴む、
きっと、それもいいんですよ、と言っていた。






サルビア・コクネシア? やさしい色合いが好き。






実は これは 私が 整体師に 
自分でできる腰痛の治療として教えてもらったことと同じ。

ぎっくり腰などの急性期を過ぎれば
腰まわしは 
痛みを感じる姿勢(角度?)がすぐに終わって 次にいくので、
多少 腰に傷みがあってもできる、
というところもいい、とのことだった。

足を肩幅に開いて立って、
両手を腰に当て、
ぐるぐると腰をまわす。

この時、ゴムのチューブを腰に巻いてもいい。



整体師によると、
これを、50回、100回単位でやる、という話だった。

つまり、200回とか、300回とか?

気が遠くなりそうな気がして続かなかった私だが、
テレビを見ながらでもできる。

そして、最近、腰まわしが 
くびれを作るのに効果アリ、と言うではないか!(爆)






先月、ペパーミントさんも宣言なさっている。

「腰に浮き袋をして、
 その内径をこするように腰回しする」
というイメージだそうだ。

ペパーミントさんは、
この腰まわしを、
8分ずつ、一日に2~3回、とおっしゃっている。

8分、というのも なんかビミョーな数字?
と思っていたら、
あっちゃんが言うには、
やってて、もう、いいかなー、と思うのが
7~8分なのだそうだ。

ビミョーなのではなく、ゼツミョーな数字なのだろう(笑)。







結局、朝顔はこの色だけで満足。 写真には不満足(苦笑)。






ここに私も宣言するゾ! ヤルゾ! 凹ますゾ!

(懲りてないな。。。)

10分では飽きるかもしない、
でも、8分なら、なんとか続くのではないか?(泣笑)



くうねる

2008-08-08 | 生ゴミ堆肥
「食う寝るところに、住むところ」と書かれいてたのは、
徒然草だったかな?

と思ったが、
よーく思い出してみたら落語「寿限無」だった(苦笑)。







昨日は、立秋。 ホントカヨ!? 
ビルの窓に映る雲は そうは言ってないゼ。






『ku:nel――ストーリーのあるモノと暮らし――』(→公式サイト
という隔月刊の雑誌があって、
9月号のテーマは「みどりの王国」となっている。

初めて買って読んだんだけど、
ぱらぱらとめくっているだけで
流れる時間が静かにゆったりとしそうな、
ステキな雑誌。

こちらに、
『「生ゴミ堆肥」ですてきに土づくり』の門田幸代さんが
寄稿なさっている。

「食べ残しや野菜くずが、ふかふかの土になる」(p34~39)。

なんでも、
生ゴミ堆肥づくりを続けていると、
「生ゴミってかわいい」と、宝物を見るような目になるらしい(笑)。





ていねいに図入りで 生ゴミ堆肥の作り方が見開きでわかりやすく書かれており、
今まで興味があっても
「・・・・・・、ねえ。」(爆)
と控えていた方に 
少し後押ししてもらえそうな記事になっている。

ベランダに、植木鉢と 植木鉢に残っている古い土とがあれば、
(1枚の土のう袋と 2個のレンガも使うけど)
台所から生ゴミが消えて 次々に 堆肥に生まれ変わる、
という魔法のかけ方が書かれている。







今年最初のオクラはクラさんからいただいたものだった。
クラさんちのキュウリとオクラ、我が家のミョウガと青紫蘇を刻んで、酢醤油で。
これにすりゴマと 焼き海苔をちぎって入れる。






生ゴミについての大事なこととして

腐った生ゴミは使わない(だって、臭いからね!)、

余分な水分はきる(一晩 新聞紙にくるんでおいたり ザルに上げておいたりネ)、

などのヒントも。



夏場の堆肥のタネは 
土4リットルと 米ぬか1リットルで作る。

これに、水は入れない。

と、本には書いてある。



『ku:nel』では 
土1リットルに 米ぬか0.3リットルになっている。

たぶん、市販の腐葉土でもできるはずだ。



夏は特に
冬に比べて発酵しやすいので
ラクチンなのではないかと思う。

虫の発生が気になるところだが、
水をよく切る、という事も それにつながってくる。

私のミズアブの幼虫も 水分が多過ぎたのがいけなかったらしい。

また 米ぬかの量は 冬の半分でいいらしい。

どうもこの辺、私は反対を行ってたみたいだ。。(汗)




虫対策として
モンデンさんは
「ハーブを」とおっしゃる。

私は
「それなら、ミントだ!」
と思って ミント・バスにした葉っぱを入れてみたが
効果は感じられなかった。



農村地帯の特性なのか?
私の住むムラは ものすごくコバエが居る。

初夏には、もう、気が狂いそうに、居る。

その割りには 土のう袋の周りをうろついているのが少ないのだが
もっと少なくできるだろうか?

とりあえず、ミントの香りでは 
コバエは寄ってこない、というわけにはいかなかった。



何か コバエが嫌う臭いがあるはずだ、と思う。

毎晩のようにお風呂に入れていた菖蒲を
刻んでザルに上げておくと
普段はプンプンしているコバエが
そこには寄って来ないのだから、
何か、いいモノがあるはずだ、と思う。

『ku:nel』の中で モンデンさんは
「袋のまわりにラベンダーなどハーブの束を置いたり、
 木酢液を薄めてスプレーするなど」
の予防策を披露してくださっている。

とにかく、袋の中の水分が多いと 虫の原因になるらしい。

確かに、
私の出窓の下の土のう袋は 風通しがよすぎて
袋の中身が乾燥してしまいがちで、

おかげでコバエは あまり寄って来なかった。

ただ 困ったことに 強い雨が降ると濡れてしまうので
土のう袋を
雨の日に洗濯物を干す屋根の下に移動したら
コバエが寄る。

乾燥すると 発酵の進みが悪いし
雨が降っても作業がしやすいしで
屋根の下、という作業場所に満足していたけれど、
コバエの季節は・・・ビミョー。

ラベンダーか。

ローズマリーはどうかな?(笑)







アンタも、暑いよね~え。






さて、かく申すワタクシは
去年は体調を崩している間に 
土のう袋ごと 家を足場で覆われてしまって
夏の堆肥作りはできなかった。

今年はいい調子で進めていたのだったが
例年通りながら 蚊が発生して、断念している。

虫刺されが恐いので(術側の腕)、という理由の他に 
痒いのが恐い、
あの、プ~~ンという蚊の音が恐い、
なにしろ、暑すぎる!
などと 甘ったれたことを理由にしているのだが。

蚊が減ったら また始めるからね。



アレモン

2008-08-06 | 考えたこと
「アレモン」というのは、人の名前。

誰か、わかる人は? 挙手を!(笑)







初夏に咲いた三つ葉の花。






カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス
(→ウィキペディアへ)



京都パープルサンガと 横浜FCにいて、
それぞれのJ1復帰に力を尽くしたサッカープレイヤーだ。

それほど長く 日本でプレーしていたわけではない。

なのに その名前が記憶に残っているのは、
しかも、「アレモ~ン!」という 絶叫で耳に残っているというのは、
かなり活躍した証。

このアレモン、もう亡くなっている。






新聞のスミに 小さな記事を見つけたときは
けっこうショックだった。

まだ23歳。

突然の、交通事故死。

2007年、7月7日のことだった。






あれから1年も経っているが
新聞の小さな切抜きを 私は棄てられないでいる。

何故こんなにショックだったのか?

たぶん それは 多少なりとも知った人の死が、
≪突然≫だったからだ。

亡くなったのが故郷のブラジルだったというのが 
私にとっての せめてもの救いだった。





父の死が突然だったから
それ以降 突然の死に対して 感受性が強くなっている気がする。

だから 縁あった人や 大勢の人の突然の死などの知らせに接すると
考えないように、感じないように、
自ら 神経を鈍らせ、
感受性に膜を張っているようなところがある。





のんびりやの私。

死は ゆっくりと迎えたい。

だから がんという病気は 
私にとって それほど嫌なものではない。



舐めんなよ!

2008-08-03 | 乳がん
乳がん患者を5年以上もやっていると、
いろいろなことがある。

「がん友」なる友人も増える。

私の場合、乳がんなので 乳がん友達(乳友?)がほとんど。







土手の草は ひと夏に何度か、刈り取られる。






最近では 乳房再建にチャレンジする人も増えてきた。

先達というか、先輩がいるから、
HPやブログを見たり お話を聞いて 
不安を少なくしてからチャレンジできる。

私は 術後 早々に乳房再建についての講演に行って
これまた早々に再建を諦めてしまったのだが

若い人たちが 乳房に関する自信を取り戻して
イキイキと生きてくれれば とても嬉しい。





一方で 鬼籍に入ってゆく知人もいる。

ネット上ではあっても
言葉を交わした方が 旅だってゆかれるのは悲しい。



ブログで知り合って、というか こっそり覗いていて、

突然に 
「亡くなりました」「旅立ちました」
「星に(または、風に)なりました」
というお知らせに しばし呆然となったりする。

つい先ごろにも ある方が亡くなった。   合掌。







一級河川だから、草刈の担当は 国土交通省。






山口真理子さんという人が・・・いた。

亡くなったのは、去年の6月24日。

私は読んでいないが、
この人は 『乳がんはなぜ見落とされたのか
――「余命半年」の私にできること――』
という本を著している。

(朝日新聞社、朝日新聞「乳がん検診」取材班編、1260円)








癌に シアワセな癌、というものがあるかどうかは不明だが
この人の癌は あまりに不幸な癌だ、と私は思った。

しこりを見つけて 病院へ行って。

大丈夫、と言われて。

しこりが大きくなったような気がして 病院へ行って。

また 大丈夫、と言われて。

そして 乳がんとわかった時には 余命まで告げられて。

ありえない! と 誰でもが叫びたくなる癌ストーリーだった。






だから 山口さんの このブログのタイトル、
私、好きじゃないけど、仕方ないなー、と思った。

がん患者を舐めんなよ!



プロフィールによると、好きな言葉は「弱肉強食」、
チャームポイントは毒舌だそうだ(笑)。

また、このページには 「まりこ節―余命更新日記」とあり、
確かに そんな内容のブログになっていたと思う。

まりこ節は 5月4日の記事まで見られる。

その次の記事が なかなか更新されていなかったが
7月に入ってから ご主人の記入があり、
2007年6月24日に永眠なさったとわかった。

3月には 家族で出かけた石垣島の 
海の中からの画像をアップしたりしていらしたのに。。





少し前からサイレント読者になっていた私には
かなりショックだった。

同時に、もっといろんな人に知ってもらいたい、と思った。

山口真理子さんについて、だけではない。






もう少し頻繁に刈ってもらえると嬉しい。





乳がんの診療は 乳腺外科、または≪外科≫であり、
内科や婦人科ではない、ということ。

しこりを見つけたら それは<症状>であって、
行くべき先は<検診>ではなくて、<診察>であること。

私は病院の受け付けで「胸にしこりがある」と言ったら
じゃあ、外科だ、と言われてびっくりしたっけ。



乳がんは 痛まない、と言う医師もいるが
実際は痛みを感じる人もいる、ということ。

私が、そうだったし、
他にもそういう人はたくさんいる。



医師が何と言おうと、私の人生は私のもの。

状況が良くなかったら 
自らの意思と努力で良くする、という方法がある、ということ。

山口真理子さんのような努力の人(闘う人?)がいらっしゃるから、
だんだん良くなっていくんだよね。

感謝しなくちゃね。



余命半年の宣告を受けても
5年間、それほど不幸な癌患者ではなく(と信じたい)生きて、

決して不幸ではなく(と信じている)逝けた人もいたのだ、ということ。



私たちは これからも きっと ずっと
それなりに(笑)シアワセに生きてゆきたい。